「共に悲しみ、共に泣いてくれました」 妻を亡くし、たった1人残された夫に起きた奇跡

    この葬儀は、エルパソの人たちが世界へ、そして自分たちに対して、「(悪い人ばかりではなく)いい人もいる。世界にはまだ希望がある」ことを示す機会でもあった、と集まった人は話している。

    17日朝、亡くなった妻のマージー・レッカードさんを埋葬する前に、夫のアントニオ・バスコさんは、エルパソの墓地で自分と一緒に埋葬を見守ってくれているその殆どが見知らぬ人という大勢の人たちを見渡した。

    喪服の上着のポケットに赤い薔薇を挿した喪主のバスコさん(61)は、妻の棺の傍らに佇み、レッカードさんが亡くなった直後は孤独だったと話した。レッカードさんは、8月3日にウォルマートで発生した銃乱射事件亡くなった22名のうちのひとりだ。

    バスコさんは、妻を偲んでくれる人があまりいないことに胸を痛めていた。

    22年前、ふたりはネブラスカ州オマハで出会い、テキサスの国境近くのこの町でひっそりと暮らしていた。バスコさんには、レッカードさん以外に家族はいない。

    だが、17日、集まってくれたたくさんの人々を見渡して、バスコさんは気がついた。

    「ひとりじゃない」「ひとりになりたいと思っていましたが、ひとりになりたくありません」

    16日夜、妻の葬儀を一般に開放したバスコさんの呼びかけに動かされたたくさんの人が、お悔やみを言おうと、ラ・パス・フェイス・センターに集まった。弔問客の列が通りを埋めた。数え切れないほどの花が届けられ、花の香りが外まで広がった。

    バスコさんを支えようと16日、17日に集まった人たちは、悲しんでいるのはバスコさんだけではなく、エルパソに家族はいる、ということをバスコさんに伝えたかった。

    だが、エルパソの人たちにとっても、集まることに意味があった。安心感を揺るがした事件から癒えるため、善は悪に勝つことを子どもに示すため、非力だと思わされた銃撃事件の後に何か力があることをするために集まったのだ。

    38度近い気温の中で列に並んでいたカーリー・ポラスさん(25)は、8月3日に起こった銃撃事件の後に献血をした人のひとりだ。

    「献血したり、支援のTシャツを買ったり、車にステッカーを貼ったりくらいしかできません。もっと何かをしたかったのです」とポラスさんはBuzzFeed Newsに話している。「起きてしまったことを変えることはできませんが、心の支えは、他のことと同じくらい大事だと思います」

    エルパソに住むウェンディ・リオスさん(38)は、夜の7時半ごろに葬儀場に着いた。3人の娘と一緒に、列の最後尾に並んだが、人の列は伸び続けた。

    自宅からこれほど近い場所で銃乱射事件が起きるとは夢にも思わなかった、子どもたちへの影響も心配だ、とリオスさんは話す。「世の中には悪い人より、いい人の方が多いことを娘たちに見せたいと思いました」とリオスさんはBuzzFeed Newsに答えた。

    レッカードさんの葬儀は、22名の犠牲者のうち最後に執り行われた、とパーチス葬儀場のオーナー、サルバドル・パーチスさんは話す。一般の人に門戸を開いた葬儀は他になく、遺族が内輪で偲ぶことを望んで静かに執り行われたものもあった。

    「偲び方、癒やし方はさまざまです」とエルパソに住むジュリエッタ・アドゥトさんはBuzzFeed Newsに答えている。「何時間もたくさんの人がここで立ちつくしています。それだけで、まだ人々には良心があり、世界にはまだ希望があることが分かります」

    その晩、寄付された水のボトルやお菓子、食事などを、ボランティアの人たちが、列で待つ人たちに配った。たくさんの人が、「El Paso Strong(エルパソは強い)」と書かれたTシャツを着ていた。みんなそれぞれ、バスコさんに渡そうと、花やカンバスに描かれた絵、木の彫り物などを手にしていた。

    16日、妻の死を嘆いているバスコさんは葬儀場に着くと、斎場の中には入らず、席がなく歩道で列に並んでいる人たちのところへ行き、礼をいい、ハグをした。バスコさんの近くに行けなかった人も、遠くから応援の声をかけた。

    「ひとりじゃないですよ」

    「みんな、あなたの家族ですよ」

    「神のご加護がありますように」

    Antonio Basco arrived at the service and instead of going right inside the La Paz Faith Center walked down the street to greet the people who showed up. People told him “You’re not alone” and “We’re your family.” https://t.co/9YobssgcAf

    アントニオ・バスコさんが斎場に着きました。中に入る前に、沿道で並んでくれている人たちのところへ行き、集まってくれた人たちにお礼を言っています。

    人々は口々に、「ひとりじゃないですよ」「みんな、あなたの家族ですよ」とバスコさんに伝えています。

    妻と花屋を営んでいるホセ・デルガドさんは、この日だけで少なくとも70個のフラワー・アレンジメントを届けていて、人々から届く花が途切れることがない。「起きたことは痛ましいですが、人々が集まってくる姿は美しいですね」とデルガドさんは涙を堪えて、花を取りに店へと戻っていった。

    シェケリア・ランバスさん(46)は、2012年にエルパソへ引っ越してきた。

    銃乱射事件の前でさえ、エルパソはトランプ米大統領を含む何名かの政治家から、住むには危険な場所として悪い評判を受けていた、とランバスさんはBuzzFeed Newsに話している。

    「世の中の人がエルパソのことを覚えているのが、22名の命を奪った銃乱射事件が起きた場所としてではない、ということが私にとって重要でした」

    ランバスさんはBuzzFeed Newsに話す。

    「一緒に寄り添ってくれる人が必要だった人のために、人々が集まったということで、エルパソのことを覚えておいて欲しいのです」

    ノーマ・ザバラさん(57)は、バスコさんがひとりなのかと思うといてもたってもいられなくなり、行かなくてはと思ったと語る。ザバラさんは、些細なことでも親戚や友人がたくさん集まる大家族で生まれ育った。

    列に並ぶ人の数をみて、バスコさんに直接会って、お悔やみの言葉をかけられるとは思っていないが、ザバラさんはそのためだけに来たわけではなかった。エルパソ住人のひとりとして、バスコさんには町全体が支援していることを知っていてもらいたかったのだ。

    「私たち自身のためでもあります」とザバラさんはBuzzFeed Newsに話している。「自分の近親者が被害にあったのでなくても、みんな悲しんでいます。いまだに衝撃を受けていて、つらいです」

    いままでにエルパソではこのような銃撃事件はなかった、とジョセフ・ヌニェスさん(50)は話す。

    「だからみんな、今回のことを自分のことのように思わずにはいられないのでしょう」とヌニェスさんはBuzzFeed Newsに話している。「今回のことは、コミュニティに重くのしかかっています。だから、これほどまでに反響があるのでしょう。エルパソ全体のことだからです」

    17日、墓地におけるもっと身内の集まりでバスコさんは、レッカードさんの思い出を話してくれた。バスコさんがトイレで虫を見つけたときに、殺してしまうのではなく、外に逃がしてあげて、といい、バスコさんの欠点は大目に見て、愛情を示してくれ、間違いを正してくれる人だったそうだ。

    見知らぬ人に敬意を表するのに集まってくれた人はみんな、素晴らしかった、とバスコさんは話している。

    「たくさんの人が私のことを抱きしめ、共に悲しみ、共に泣いてくれました。感動しました」とバスコさんは話す。「ありがとうございます。みなさんが家族として一緒にいてくださって、誇りに思いますし、とても嬉しいです」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:五十川勇気 / 編集:BuzzFeed Japan