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あの日、長崎で奪われたもの。原爆投下直後の貴重な写真

1945年8月9日。長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」は、一瞬にして多くの命を奪った。人々はその後、どう生きたのか。

1945年8月9日午前11時2分、長崎に1発の原子爆弾が落とされた。

これらは、今から74年前。原爆が落とされた後の長崎の様子だ。

当時、約24万人が暮らす長崎の上空約500メートルで炸裂したプルトニウム型原爆「ファットマン」。

たった一発の爆弾は、一瞬にして多くの命を奪った。

大勢の未来を奪った。

市内は一面の焼け野原「原子野」と化し、その年の暮れまでに、約7万4千人が亡くなった。

爆風で壊れた路面電車

倒壊した三菱重工の工場

1945年10月に撮影された山王神社一の鳥居

1945年10月に撮影された市内の様子

爆心地にあった浦上天主堂。のちに取り壊され、「もうひとつの原爆ドーム」とも呼ばれるようになった。

浦上天主堂南側入り口。爆心側の入り口で、聖ヨハネ像(右)と悲しみのマリア像が立つ

1946年7月に撮影された、爆心地から1キロの長崎医科大

爆心地付近の城山国民学校南棟。同校には三菱長崎兵器製造所の給与課が疎開していた

長崎病院から城山方向を臨む

それでも。人々は少しずつ、復興へと向かっていった。

原爆投下から74回目の夏。被爆者の平均年齢は、82.65歳を超えた。