高校のスポーツトレーナーが200人を性的虐待

モンタナ州の小さな町で起きた事件。いま、何十人という彼の被害者が声を上げ、立ち上がる。

    高校のスポーツトレーナーが200人を性的虐待

    モンタナ州の小さな町で起きた事件。いま、何十人という彼の被害者が声を上げ、立ち上がる。

    モンタナ州マイルズシティ発──いまから3年前のことだった。数十年前にモンタナ州の高校でアスレティックトレーナーをしていたジェームズ・E・ジェンセンという人物が、2016年1月付けでFacebookに、次のような謎めいた文章を投稿した。

    「私が『カウボーイトレーナー』をしていた28年間に、その心と体を傷つけてしまったかもしれない人たちに許しを請いたい」

    その投稿はしばらく埋もれていたが、数年後に関心を持たれるようになった。そのきっかけは、ジェンセンが2018年のはじめに、かつての教え子の1人に「友達リクエスト」を送ったことだ。

    現在40代前半の男性であるその「元教え子」が、自宅のパティオでバーベキューを楽しんでいた時、スマホに青い通知ランプが表示されたという。

    その男性C・Fはこれまでずっと、ジェンセンのことを忘れようと努力してきた。そして、Facebookの画面を見つめた彼は、ずっと考えないようにしてきた男が、自分と友達になりたがっていることを知った。C・Fがカスター郡区高校の生徒だったころ、週に3回、性的虐待を自分に加えていた男だ。

    C・Fは、ジェンセンの友達リクエストに反応しなかった。けれどもそのリクエストは、何日ものあいだ、彼の「お知らせ」に居座り続けた。人を愚弄するかのようなそのリマインダーのせいで、彼の寝つきは悪くなってしまった。

    C・Fはこれまで、ジェンセンにされたことを誰にも一度も話したことはなかった。しかしいま、その記憶が彼の心を蝕んでいた。C・Fはそのとき、「ジェンセンはいまでも被害者を追い回している。彼はいまも、少年だったころの僕に虐待を加えていた男のままだ」と思ったという。

    それから1週間あまりが過ぎた。C・Fは、「ドク」の名で知られていたジェンセンについて、かつてのチームメイトが思い出してくれることを期待して、彼らに連絡を取り始めた。そのなかの何人かはいまも、モンタナ州東部にあるこの小さな町で暮らしている。すると彼らは、ひとり、またひとりと、自分も被害者であることを認めていった。

    ジェンセンは当時、生徒たちに対して、彼の「プログラム」に従えば、アスリートとして成長できると約束していた。そして生徒たちは、その男が張った、虐待のための「クモの巣」に次々と誘い込まれていったのだった。

    9月に提出された訴状のなかで述べられているように、この「プログラム」では、裸の少年たちに全身マッサージが行われたり、中国医術と称して彼らの体をまさぐったり、手淫を行ったり、一部の少年たちにはオーラルセックスをしたりといったことが行われていた。またジェンセンは、少年たちの上腕二頭筋や太もも、ペニスを測定したり、医学的な目的を口実にして彼らの精液を集めたりもしていたという。

    訴状によるとこのプログラムには、すでに参加している生徒か、ジェンセン本人に勧誘された生徒でなければ入会できなかった。被害者グループの弁護団は、彼らの記憶にもとづき、ジェンセンは1990年代に200人もの少年を虐待していたと確信している。

    BuzzFeed Newsが入手した資料には、学校は20年前に異変に気づいていたことが示されている。しかしそれにもかかわらず、ジェンセンが当局に通報されることは一度もなかった。現在78歳になるジェンセンは、この数年をマイルズシティで過ごしてきた。被害者の多くがいまも住む町だ。

    彼が暮らしていた老人ホームは、メイン・ストリートと中学校に挟まれるようにして建っている。郡検事によると、その老人ホームでジェンセンは、若い男の子が出てくるポルノをいつもネットで探していたという。

    そしていま、C・Fが始めた訴訟の動きは、被害を受けたという男性31人が名を連ねるまでに大きくなっている。彼らは12月17日、修正訴状を裁判所に提出した。この訴状では、どのようにして虐待が行われたのかについて詳細が明らかにされている。またそこには、名前は明かされていないが、コーチや学校当局者がプログラムの存在を知っていたという主張も盛り込まれている。

    10人以上におよぶ元生徒が、BuzzFeed Newsにさらなる詳細を打ち明けてくれた。ジェンセンに虐待されていたという男性15人が筆者と直接会い、ほかの数人も、電話で話を聞かせてくれた。その多くは、親友や身内をプログラムに勧誘していた。そして結局、親友や身内もその後、虐待を受けたことを知ったのだった。

    彼らはいまだに、その罪の意識にさいなまれている。いまも過去にとらわれていることを示すかのように、全員が名前の公表を拒み、イニシャルでの表記を希望した。そのなかの何人かは、現在もマイルズシティで、恥辱を隠しながら暮らしている。

    その恥辱は、同じように自分の秘密が暴露されるのを恐れる隣人や同僚、友人が共有しているであろうものだ。彼らのなかには、警官や実業家、教師、職人などもいるが、彼らのほとんどは、高校で何があったのかを、親や妻、子どもに打ち明けたことはない。

    ジェンセンの虐待はあからさまに行われていた。親は自分の子どもが、週に何度も彼の家に行っていることを知っていた。フットボールやレスリングのコーチは、練習が終わったあとに少年たちを、全身マッサージを受けさせるために彼のところに行かせていた。一部の少年たちは嫌がっていたにもかかわらず。被害者たちの話では、彼らが夜間にジェンセンの家へ行くことになるのをわかっていたコーチもいたという。

    彼らは、2018年1月に有罪判決を受けたラリー・ナッサーの事件は、自分たちの体験と似ていると感じている。ナッサーは、ミシガン州立大学のスポーツ医学トレーナーだったが、治療と称して女子アスリートたちに性的虐待を行っていた人物だ。その行為については、途中で何度も苦情の声があがっていたにもかかわらず、何年も続き、被害者は300人を超える。ナッサーは事実上の終身刑を言い渡され、現在、服役中だ。

    ジェンセンは、児童ポルノ所持が発覚して12月13日に逮捕され、児童ポルノに関する10件の訴因で起訴された。だが、彼のプログラムに参加していた生徒たちへの虐待に関しては、時効が成立しているため、ジェンセンが今後、起訴されることはない。

    それに、マイルズシティは固い絆で結ばれてもいる。学区当局がへまをやらかしたと言うことは、友人や隣人が子どもたちへの性的虐待を食い止められなかったと非難するのと同じだ。

    「町全体で、このことをずっと隠してきたんです」とC・Fは話す。

    この訴訟のニュースが明るみに出ると、学区当局はその内容に「ショックを受けている」と述べる一方で、これが何十年も前の出来事である点を強調した。ジェンセンが在職していた当時の校長だったフレッド・アンダーソンは、原告側の主張を聞いて「気分が悪くなった」と述べた。

    しかし、1997年に学校当局からジェンセンへ出された手紙を見ると、彼らは当時からジェンセンの行動に大きな懸念を抱いていたことがわかる。

    BuzzFeed Newsが入手したその手紙は、ジェンセンに対して、監視されていない場所での少年たちへの「ボディマッサージ」をやめること、少年たちを自宅に招き、夜を過ごさせるのをやめること、そして彼の「指導プログラム」を終了することを命じていた。

    その手紙には、複数の人物が署名している。当時の校長だったフレッド・アンダーソンもそのひとりだ。アンダーソンは現在、モンタナ州議会の共和党下院議員であり、先ごろ再選を果たしたばかりだ。

    アンダーソン議員に電話で接触したところ、彼はコメントを断わった。「マイルズシティの学区当局から、コメントはしないようにと言われています。質問は、当局の弁護士に回すようにとしてください」とアンダーソン議員は語った。

    ジェンセンが、どのような経緯で学校のアスレティックトレーナーに就任したのかはわかっていない。本人も家族も、BuzzFeed Newsに口を固く閉ざしている。彼の近くで働いていたとされる人たちの何人かはすでに他界している。

    しかし彼が、30年以上ものあいだ、日常的に男子生徒の体に触れられる仕事についていたことはたしかだ。

    マイルズシティに来る以前、ジェンセンはモンタナ州のハバー高校で4年間、アスレティックトレーナーとして働いていた。同校の元アスリートのひとりが地元紙の「ハバー・ヘラルド」に語ったところによると、ジェンセンは、地下にある自宅アパートにフットボール部の部員を招き、マッサージを行っていたという。BuzzFeed Newsは、学区当局に何度も電話とメールで接触を試みたが、回答は得られなかった。

    マイルズシティは、いちばん近くの主要都市ビリングスから140マイル(約225キロ)ほど東に位置する、人口およそ8500人の孤立した町だ。その町にジェンセンがやって来たのは1972年のことだった。

    彼は最初、マイルズシティにあるカトリック系のセイクリッド・ハート高校で、タイピングと会計学の教師として3年間働いた。同校はすでに閉校しているが、地元教区の関係者によると、在職中のジェンセンに対する苦情の記録は残っていないという。

    1970年代が終わるころには、ジェンセンはカスター郡区高校でアスレティックトレーナーとして働いていた。訴訟によれば、その後数年のあいだに、彼は自宅に、マッサージテーブルを完備した「トレーニングルーム」を設営していたという。虐待の大半はそこで行われていた、と被害者たちは述べている。

    彼らのほとんどは、学内での身体検査で初めてジェンセンと出会った。生徒たちは、体育会系のクラブに入るために、この身体検査を受けていた。ジェンセンは短髪の白髪で、縁の太いメガネをかけていた。彼は本物の医師と仕事をともにしており、生徒にも「ドク」と紹介されていた。

    そのため生徒は、ジェンセンは医学博士であると思い込んでいたという。被害者の何人かが、ジェンセンがドクターではないことを知ったのはつい数カ月前のことだった。

    それをきっかけに彼らは、なぜ90年代のジェンセンが毎年ヘルニアの検査を行っていたのか、疑問に思うようになった。ヘルニアの検査では通常、睾丸が腫れ上がっていないか、手で触って確かめられる。全米アスレティックトレーナーズ協会の倫理委員会で委員長を務めるティモシー・ニールによると、たとえ医学の専門知識を持っている場合でも、アスレティックトレーナーが身体検査でヘルニアの検査を行うことは極めてまれだという。

    「ドク」は、医学博士ではなかったし、州や国の組織が公認するアスレティックトレーナーでもなかった。にもかかわらずジェンセンは、負傷した選手の手当てを許され、アスリートのケアを全面的に任されていた。

    そればかりか、男子生徒がシャワーを浴びている様子を見ることができる、窓のあるオフィスまで、あてがわれていた。学区当局の話では、こうした窓は、ロッカールームでのいじめを防止するためのものだった。

    ジェンセンは生徒たちに、自身の経歴について荒唐無稽な話を聞かせていた。スマホやソーシャルメディアなどがまだなかった当時、その話の真偽を確かめる術はなかった。プロ野球チーム「サンフランシスコ・ジャイアンツ」で働いていたという彼の話に、生徒は興味津々だったという(ジェンセンがジャイアンツで働いていたという記録は一切残っていない)。

    ジェンセンは自らのプログラムのハンズオン手法を、旅行中に見つけた中国の古書で知ったと語っていた。被害者のひとりであるR・Kによると、その本を見せてくれないかと尋ねると、ジェンセンは、R・Kの手が届かない、棚の高いところにあるボロボロの本を手に取り、すぐに戻してしまったという。

    当時のマイルズシティの「カウボーイ」たち(カスター郡区高校のロゴはカウボーイ)にとっては、スポーツがすべてだった。彼らは、秋にはフットボール、冬にはレスリングやバスケットボール、オフシーズンにはホッケーや陸上、テニスに励んだ。ある男性は「モンタナ東部では、ほかにすることなんてほとんどないんです」と話す。

    選手たちはみな、コーチを父親のような存在として見ていた。卒業アルバムをめくってみると、たとえばレスリング部のコーチとカウンセラー、国語の教師を兼任していたジャック・レイモンドのように、彼らの一部は地域社会にとって欠かせない存在だったことがよくわかる。レスリング部の別のコーチ、ボブ・ディクソンも理科の教師だった。

    被害者の話では、コーチたちはジェンセンの腕前を保証しており、ケガをすると「ドクに診てもらえ」と言われていたという。その言葉は、生徒がジェンセンを信頼するに十分な影響力を持っていた。

    レイモンドとディクソンは、ジェンセンが当時、生徒に性的虐待を加えていたことを知らなかったと語り、2人とも、ジェンセンはアスレティックトレーナーとして優秀だったと今でも言っている。

    毎週金曜日の夜になると、町中の人々が、マイルズシティの給水塔の近くにあるフットボールスタジアムに押し寄せた。カスター郡区高校のカウボーイのロゴが描かれたスタジアムだ。

    生徒数600人の同校は、フットボールとレスリングの州選手権大会で、80年代のはじめと、90年代に入って、連覇を達成している。ジェンセンもチームのためにその場にいた。

    カスター郡区高校でのジェンセンは、ほとんどロッカールームに住み着いていたようなもので、もはやそこは彼の洞穴と化していたという。ほかの部の選手がジェンセンのところへ行くのは、ケガをしたときぐらいだったが、レスリング部のコーチ陣は、練習が終わると選手にジェンセンのところへ行くように命じ、マッサージを受けさせていた。

    1993年、C・Fはフットボール部の部員として2回目のシーズンを迎えていた。当時の彼は、コブやアザが絶えず、頻繁にトレーニングルームを訪れては治療を受けていた。

    あるときジェンセンはC・Fに対して、「スピードアップとパワーアップに効果のあるプログラムがある」と話した。ジェンセンは細かいことは語ろうとしなかったが、その効果を保証できるという上級生の名前を出したという。そのプログラムが本物であると思ったC・Fは、さっそく開始すべく、その週にジェンセンの家を訪ねた。

    ジェンセンは、同じく学生アスリートのK・FがC・Fの弟であることを知ると、K・Fもプログラムに勧誘した。K・FはC・Fに対して、そのプログラムとは何なのかと尋ねた。C・Fは、そのプログラムから「驚くべき成果」をあげている選手たちのことを弟に教えるよう、ジェンセンに言われたと答えた。

    プログラムに参加している同じ高校のスターアスリートたちの話を聞かされたK・Fは、自分は一種のエリートクラブに勧誘されていると信じ込んだ。

    こうして、プログラムはどんどん大きくなっていった。ジェンセンが新人を入会させ、その新人が、また別の新人にプログラムの安全さを確信させるのだった。

    少年たちはたいてい夜、夕食後にジェンセンの家を訪ねた。ジェンセンの家はスキップフロアになっており、階段を下りた先にある部屋で治療を受けた。その後、ジェンセンは数ブロック離れた別の家に引っ越した。新居はスペースも広く、彼はそこを、少年たち向けのクラブハウスのような雰囲気にした。ソファーがいくつかと、テレビ、ビデオゲームがあり、何度でも訪れて入り浸りたいと10代の男の子に思わせるような雰囲気が漂っていたという

    「階段を下りていき、『ほかの子たちもいるんだから、たぶん大丈夫だろう』と思ったことを覚えています」とL・Mは言う。

    訴状によれば、ジェンセンは集めた少年たちに対して、潜在能力を最大限まで引き出すには、プログラムのいくつかのレベルを修了しなければならないと言っていたという。そのレベルが何を伴うのかについては教えられなかったが、レベルが上がるにしたがって、我慢しなければならない奇妙な行為もその度合いを増していくことを少年たちはすぐに知った。

    被害者たちは、インタビューでも訴状のなかでも、ジェンセンによる全身マッサージから始まって、少年たちへの手淫へと移行するのがいつものパターンだったと言っている。場所は、高校のトレーニングルームの場合もあったし、彼の家にある間に合わせの設備(マッサージテーブルと、それをラウンジから仕切るカーテン)の中という場合もあった。

    訴状によれば、ジェンセンは少年たちに、これには医学的な理由があり、実験の成果が台無しになってしまうので、自分では行わないようにと言っていたという。被害者の何人かの記憶では、ジェンセンはテストステロンのレベルを調べると言って、彼らの精液をペトリ皿に入れ、彼らの体のあちこちを巻き尺ではかり、その結果をノートにメモしていたという。裁判所に提出した書類のなかでジェンセンは、そのノートを20年前に捨ててしまったと言っている。

    数日後にレベルアップする少年もいれば、何カ月も同じレベルのままの少年もいた。

    訴状によれば、最高レベルに到達した少年に対してジェンセンは、その少年の肛門に指を突っ込んだり、オーラルセックスをしたりしたという。「ビリングス・ガゼット」紙が行った取材でジェンセンは、この主張を否定している。

    虐待のほとんどはジェンセンの自宅で行われたが、学校やバスの中のほか、州内や州外の方々でも行われていたと訴状には述べられている。

    ほとんどの少年は、14~15歳のときにプログラムに誘い込まれていた。ちょうど部活で厳しいトレーニングが始まり、体つきも、やせた少年のそれから青年のそれへと変わろうとする年ごろだ。彼らはみな、体に筋肉がつき始め、スポーツの腕前もめきめき上達しつつあった。それは毎日練習し、経験を重ねていたからだが、ジェンセンは、彼のプログラムのおかげだと彼らに信じ込ませていた。

    「彼が保証するとおりの結果を得ていました」と語るのは、当時フットボール部に所属していたT・Rだ。「プログラムを始めて2週間ぐらいで、スターティングメンバーになっていました。『次は何をすればいいんだろう?』という感じでした。心のなかで、その効果を確信していました」

    ジェンセンは、コーチ陣からも信頼されているようだった。ある日の練習で、T・Rのところにアシスタントコーチがやって来て、T・Rがプログラムに参加していると聞いている、と言った。「そこからすばらしい選手が何人も誕生してるんだ」。コーチはそうT・Rに言ったという。

    プログラムに参加している少年のなかには、直球のスピードが時速10マイル(約16キロ)も速くなった子もいる、とジェンセンは生徒に話していた。また彼は、プログラムを開始してペニスが数インチ大きくなった子もいると言っていた。

    その少年をシャワールームで実際に見かけたことがあるほかの生徒たちは、彼が巨根の持ち主であることを知っていた。したがって、ジェンセンの話はあながち突飛とも思えないのだった。

    被害者のひとりR・Kは、「(プログラムの効果があらわれれば、)セックスの時にもっと長もちするようになるし、筋肉が大きくなってスピードもパワーも向上すると彼は言っていました」と語る。「その年ごろの男子アスリートにアピールする要素がすべて揃っていました」

    プログラムのことを他言する生徒はひとりもいなかった。そんなことをすれば厄介なことになりかねないと、ジェンセンは言っていた。彼の研究は、一部の選手に不当なアドバンテージを与えているとみなされるかもしれないからだ、と彼は言っていた。まるで彼らがステロイドでもやっているかのように。

    当時、スポーツ専門チャンネルの「ESPN」では、運動能力を高める違法ドラッグの摂取でプロ選手が逮捕されたというニュースが盛んに報じられていた。またジェンセンは、誰もがプログラムに参加できるわけではないので、ほかの生徒たちから反感を買いたくないとも言っていた。

    被害者のひとりであるD・Jは、「ジェンセンはプログラムを、誰もが所属していたいと思うクラブにつくりかえたんです。サディスティックなやり方です」と語る。ジェンセンに従うという決断を自分が行なったのは、「まわりに適応したいという10代特有の願望」だったと本人は考えている。

    もしメンバーの誰かが、秘密を漏らしたいという誘惑に負けそうになったとしても、夜な夜なジェンセンの自宅に集まっている少年たちの噂を聞いたほかの少年たちの反応が、それを思いとどまらせた。ある日、K・Fがスクールバスに乗っていると、大柄な年上の生徒からこんなことを言われた。「ドクにマッサージしてもらってるやつは、オカマ野郎だ」

    「そのときから僕は、固く口を閉ざすことにしました」とK・Fは話す。

    ジェンセンから友達リクエストを受けとったあと、すぐにC・Fは、かつてのチームメイトに連絡を取ろうとした。そのほとんどが現在もモンタナ州在住で、C・Fの携帯電話にはそれぞれの連絡先が登録されていた。彼はまず、プログラムに参加していたことを知っている人物のスプレッドシートをつくり、彼らに電話をかけた。

    電話でのやり取りには一定のパターンがあった。まずはC・Fが、高校で部活に励んでいたころに何があったのかを相手に話す。そして、相手も同じような経験をしていないか、学区を相手取った訴訟に加わる意志はあるか、尋ねるのだ。

    こうした電話を通してC・Fは、そのなかの3人が、数カ月前にジェンセンに対する刑事訴訟を起こそうとしていたことを知った。ラリー・ナッサーへの判決の言い渡しをテレビで見て刺激されたのだ。だが、すでに時効が成立していることを理由に、郡検事は彼らの申し立てをはねつけていた。

    彼らのほとんどにとって、C・Fからの電話は、過去について話せる初めての機会だった。この電話はC・Fにとって、仕事のあとの日課になった。彼は、難易度が低いと思われる相手から順番に電話をかけていった。つまり、普段からいっしょにゴルフに行き、バーベキューに招いている人物だ。

    最初のうちはつい感情的になったが、徐々に、落ち着いて相手と話せるようになった。「うまくいく、いかないは相手次第でした」と彼は言う。会話を重ねるにつれて、被害者の名前が書かれたスプレッドシートは大きくなっていった。

    「1カ月ぐらいは、毎晩泣いていました。仲間が見つかったと思ったら、自分よりも年下だったからです」と、現在41歳のC・Fは語る。「『俺がいちばん年上じゃないか。事の発端は俺だったんじゃないか』と思っていました」

    ようやく彼は、年上の被害者を見つけた。そのなかには、80年代にジェンセンから虐待を受けていたと言う人たちもいた。

    C・Fは、高校の旧友ドン・ライスにも電話した。ライスはプログラムには参加していなかった人物で、現在はマイルズシティで弁護士をしている。ライスはさっそく調査を開始し、長らく無視され続けていた2016年1月付けのジェンセンのFacebook投稿と、その数日後に公開された別の投稿を発見した。

    2016年2月付けの2番目の投稿のなかでジェンセンは、28年間、学校のアスレティックトレーナーをしていて「よかったこと」を、いま考えていると書いていた。「みなさんと出会えて本当によかったです。私のことを、良い思い出とともに時々思い出してくれる人がいてくれたら嬉しい」とジェンセンは書いていた。

    C・Fが連絡を取ったうちで18人が、ジェンセンと学区を相手取った民事訴訟に自分も加わると言ってくれた。C・Fは弟のK・Fから、本気で法廷で争うつもりなのかと尋ねられた。「ああ、ここまで本気になったのは生まれて初めてだ」と彼は答えたという。

    K・Fは、町の人々がどんな反応を示すのかを気にしていた。そんなK・Fに対してC・Fは、訴訟の目的は「子どもたちを守ること、小児性愛者はあなたのすぐそばにいるという事実を知ってもらうこと」だと言った。

    弁護団が訴訟の関連書類を持って老人ホームを訪ねた時、ジェンセンは、外にあるベンチに座っていた。彼がいた場所の向かいには、通りを挟んで中学校がある。訴訟のニュースとそれに対するジェンセンの反応に、マイルズシティの町は震撼した。

    少年たちに性的虐待を加えていたことを、ジェンセンはすぐに認めた。だが、オーラルセックスや肛門貫通の疑いについては容疑を否認した。ジェンセンは「ビリングス・ガゼット」紙の取材で「一部の少年に手淫を行ったことは本当です」と語った

    そして、「私にとっては、その行為に性的な意味合いはありませんでした」と付け加え、「少年たちが心的外傷などを被っていない」ことを願っていると述べた。

    また、ビリングスのローカルテレビ局「KULR」が行った取材では、「もし私が彼らに精神的・肉体的な苦痛を与えていたのであれば、謝ります。自分がしたことを申し訳なく思っています」と語った

    ジェンセンならびに高校側と学区を相手どって裁判が起こされてから1週間以内に、モンタナ州司法省と地元警察は、ジェンセンの捜査を開始した。その結果、ジェンセンが児童ポルノを所持していることが明らかになり、12月13日にジェンセンは逮捕された。

    ジェンセンが住んでいた老人ホームの元家政婦は警察に対し、ジェンセンのパソコンに裸の少年の写真が保存されていることに数年前に気がついたと語った。最も若い少年は16歳だったという。ジェンセンは家政婦に、自分の甥たちの写真だと言い張ったようだ。

    州捜査員がジェンセンのパソコンとタブレット端末を調べたところ、少年たちが性交している写真が10枚見つかった。おもに10代だが、9歳くらいの男の子も含まれていた。ジェンセンは頻繁に少年ポルノを検索していた、と訴状には書かれている。

    ジェンセンは、児童ポルノで起訴されただけでなく、男子高校生アスリートに手淫を行ったことを認めている。それでも、彼が未成年者に対する性的虐待の罪で起訴されることはない、と郡検事は話す。虐待が起きてから長い年月が経っているためだ。

    モンタナ州では2017、性犯罪などをめぐる出訴期限法が修正されて、時効が20年に延びたが、不遡及の原則にもとづき、過去の事案には適用されない。

    被害者の怒りに油を注いだのは、学区側の対応だ。学区側はまだ謝罪していない。それどころか、被害者側に対して、裁判を起こすのが遅すぎたと法廷で主張し、弁護料など自分たちが払わされる裁判費用の支払いを求めたのだ。

    学区側はさらに、裁判所への提出資料のなかで、ジェンセンが「実際に何をしていたのか」知らなかったと述べ、ジェンセンを詐欺罪で訴えた。

    多くの州と同様にモンタナ州も、性的虐待による影響が現れた時期から3年以内に民事裁判を起こさなくてはならないが、その期間は過ぎたと学区側は主張している。原告側はそれに異を唱え、被害者たちが性的虐待によるトラウマで苦しみ始めたのは、2016年にジェンセンがFacebookに投稿したことで記憶が蘇ったからだと主張した。

    被害者の1人T・Sは、「容疑者が自ら名乗り出て、自分が何をしたのかを認めているのに、学区側がいまだに自らに責任があるかないかを決められないなんて、まったくおかしな話です」と述べた。「自分たちが採用して、信頼できる大人だと太鼓判を押した人間が、多くの生徒を傷つけたのです。(学区側は)その責任を取らなくてはなりません」

    現職の学校関係者たちは、今回の件についての取材を拒否した。ビリングス在住で学区側を弁護するジーナ・R・ラーヴィック弁護士は、BuzzFeed Newsに宛てたメールで次のように述べている。「当方は、公立学校を管轄する学区です。教職員は目下、本来気にかけるべき相手、つまり生徒たちを第一に考えています」

    ラーヴィック弁護士は、学区側は今回の裁判における主張についてまだ調査中であるとし、調査対象は「学区で働いた40年間分のコーチ数百人と生徒数千人に及ぶ」と指摘した。しかし、学区側はいまのところ、「申し立てられたような行為を知らされていた」教職員は誰もいないと考えているという。

    ラーヴィック弁護士はメールで、「マイルズシティは結びつきの強いコミュニティであり、学区には在校生の両親や祖父母、隣人たちが住んでいます」と述べている。「学区側が意図的に生徒たちに危害を及ぶようなことをするはずがありません」

    被害者たちは訴状で、生徒を守る第一歩として、男子シャワールームの内部が見える窓を板でふさぐよう学校側に求めている。しかしラーヴィック弁護士は、そうしたつくりは他の学校でも一般的なものだと主張している。

    また、ジェンセンがいたころにレスリングコーチを務めていたジャック・レイモンドが11月に学校理事会の理事を辞任したが、学校側はその理由を説明していない。ロバート・ワグナー理事長は、レイモンドの辞任が発表された理事会議の席上、辞表を読み上げず、レイモンドに対して感謝を述べるだけにとどめた。辞表には、「健康上の問題」で辞任すると書かれていた。理事会ではその後、近く開催されるファミリー・イベントについて簡単な話し合いを行い、数分後に閉会している。

    1980年代はじめのモンタナ州には、学校で勤務するアスレティックトレーナーの行動規範を定めた取り決めがなかったため、全裸になるよう生徒に命じても問題ではなかった。痛みを訴えているのが腕やふくらはぎ、足首だけだった場合でもだ。

    現在50代前半のK・Pは当時、カスター郡区高校のレスリング選手だった。彼はコーチから、練習後にジェンセンのマッサージを受けるよう指示された。そうすれば、翌日には「回復」するからというのだ。

    しかし、K・PがBuzzFeed Newsに語ったところによると、ジェンセンはそうしたマッサージの最中、徐々に不適切な方法で彼の体に触り始め、肛門をなで、指を挿入し、性器に触れたりし、射精させたこともあった。

    K・Pは、コーチの1人であるボブ・ディクソンに不満を訴えたが、「我慢しろ」と言われたうえに、チームでプレイを続けたければこれからもジェンセンのところに通うよう指示されたという。

    「(ジェンセンのところには)もう行きたくなかったのですが、スポーツは自分にとって大切でした。『自分が我慢すれば済む話だ。治療してもらえばプレイできる』と考えていました」とK・Pは語る。

    ディクソンはBuzzFeed Newsに対し、ジェンセンについて不満を口にした人は誰もおらず、ジェンセンは優れたアスレティックトレーナーだと考えていたと述べた。「ジェンセンの治療が、信じられないほど効果的だった」ことも数回あったという。

    「自分もケガをしたときにジェンセンのところに行って、治療してもらったことが何度かありますよ」

    「ジム(ジェンセン)をできるだけまじかで観察してみましたが、何もありませんでした」とディクソン。「私が知っているのは、ジムにはちょっと変わったところがあるということだけです。何かが違うのかなと不思議に思ったことはあっても、彼が何かをしたり誰かに害を与えたりしたところは一度も見たことがありません。私に言えるのはそれだけです。単に変わっているんですよ」

    K・Pはいまになって、自分はジェンセンが探りを入れるために利用されたのではないかと考えている。どのくらい手を出せば、コーチや学校側からストップがかかるか、知りたかったのではないかというのだ。

    K・Pは、「ジェンセンというよりはコーチに対して、より大きな怒りを感じます」と話す。「自分が性的虐待を受けた80年代に何とかしておけば、これほど被害が広まらなかったのに、と思います。自分のあとに被害者を出してはいけなかったんです。私は教師やコーチに訴え出たのですから」

    レスリングのコーチたちは、ジェンセンの「特別マッサージ」について下品なコメントを口にし、笑い飛ばした、とK・Pは話す。コーチの1人からは、ジェンセンが近くにいると恥ずかしいだろ、とからかわれたという。

    訴状には、マッサージを受ける際は、小さなタオルを使う以外、全裸になるようジェンセンから求められることは誰もが知っていたが、コーチたちはそれに異を唱えなかったと書かれている。少年だった被害者たちは、それまでマッサージを受けた経験や知識がなかったので、当時は(全裸になるのが)普通なのだろうと思っていた。

    被害者の何人かは、自分たちも90年代に(ジェンセンの行為には)何かおかしいところがあるとコーチに訴えようとした、と話している。

    R・Kは、レスリングのヘッドコーチであるレイモンドから一度、「プログラム」のためにジェンセンの家にまだ通っているのか、と聞かれたことがあると語った。

    「私は、コーチの目をまっすぐ見て、『不快でヘドが出ますよ』と答えたのを覚えています。強い言葉ではっきり言えば、大変なことが起きているように聞こえると思ったんです」とR・Kは述べる。

    しかし、レイモンドは何もしなかったという。

    レイモンドはそれについて、生徒たちがジェンセンの家に通っていたことを知らなかったし、R・Kとそうしたやりとりを交わしたことも覚えていないとBuzzFeed Newsに述べた。


    「知っていたら、もちろん対応していましたよ。あとは何も言うことはありません」とレイモンドは言う。

    「それに、そんなバカげたことが起きていたとコーチたちが知っていたら、きっと何とかしたに違いありません。それは約束します。うちの学校はそんなところではありません」

    レイモンドは、ジェンセンがマッサージをしていたロッカールームに行ったことはあまりなかったと語っている。ただしコーチたちは、ジェンセンのオフィスにあるブラインドを開けたままにして、目を光らせるようにしていたようだ。

    「それは噂が流れていたからですが、私は何も目撃したことがありません」とレイモンドはBuzzFeed Newsに対して述べたが、噂の内容については多くを語らなかった。ジェンセンの行為の全容を初めて知ったのは、数週間前に州捜査官に会ったときだったという。

    「コーチたちは、そんなことが行われているとは信じたくなかったんだと思います」とK・Pは話す。

    「生徒たちは、マッサージについて過度に神経質になっているだけだと思っていたんでしょう。でも、ディクソンコーチには、ジェンセンに肛門を触られたとはっきり伝えたんです。それなのに何もしてもらえませんでした」

    裁判への提出資料のなかで、学区側は、地元の医師から「推薦された」ため、ジェンセンを採用して、選手とそのフィジカル面をサポートしてもらったと述べている。

    被害者の男性たちは、ジェンセンを監督する立場にあった大人たちから裏切られたと感じている。その思いは、ラリー・ナッサーを監督すべきミシガン州立大学と米国の女子体操チーム関係者に対して、被害女性たちが抱いている思いと同じだ。

    しかし、自らの被害を公表し、判決がテレビ中継されるなかでナッサーに対面した女子体操選手たちとは異なり、ジェンセンの被害者たちは、少なくともいまのところは、そこまでやる気にはなれないでいる。

    被害者の1人T・Rは筆者に対し、「性的暴力という言葉はタブーです。でも、少年に対する性的暴行は、さらに話題にするのが難しいタブーなんです」と語った。

    「他の人と話すようなことではありません。考えないようにされ、隅に押しやられている問題なんです。でも、いまだに日々、性的暴行を受ける少年たちは存在しています」

    被害者男性たちを弁護するライス弁護士は、「子どものころから知っている親友のだいたい半分が、あの男の被害者」だと見ている。自身も90年代にカスター郡区高校に通っていたライス弁護士をはじめとする弁護団のもとには、「プログラム」が始まる前の時期にジェンセンから性的虐待を受けたと証言する男性たちからも連絡が入っている。ただ、彼らは名乗り出るのを躊躇している。

    「被害を受けた人は、自分もそうだと続々と声をあげているわけではありません」とC・Fは言う。「裁判沙汰になったと知っていても、自分に起こったことを受け入れて克服するまでに、どれほど多くの時間が必要かは驚くほどです」

    マイルズシティ統合学区事務局は、今回の訴訟を受けて、1997年後半に1人の親から寄せられた苦情について調査を行った。ジェンセンをめぐる「不安要素」についての苦情だ。

    さらに、1997年12月15日付けの、ジェンセンに宛てた手紙が存在している。当時のアンダーソン校長(現在の州下院議員)、学区長、教頭、アクティビティ・ディレクター、さらにはジェンセンの署名も入っているものだ。そこには、「男子アスリートに関係する状況」について「少なくとも3人」から学校側に問い合わせが寄せられていると書かれている。

    モンタナ州では、学校教職員による児童虐待が疑われた場合は、州保健福祉省に報告することが法で定められている。

    しかし手紙を見ても、その事案が報告されたかどうかはわからない。同省職員がBuzzFeed Newsに語ったところによると、ジェンセンに関する記録は同省にはないという。

    確証が得られなかった報告の保管期間は3年間だが、「確証がある記録は永久保存されます」と職員は話す。

    ジェンセンは、1998年まで同校に勤務したのち、突然退職した。被害者男性たちによれば、ジェンセンの退職理由について、学区側から保護者や生徒に対して説明は一切なかった。

    一方のジェンセンも、裁判所へ提出した資料のなかで、学区側は、契約が更新されない理由を説明してくれなかったと述べている。

    被害者たちの話では、ジェンセンは当時、「プログラム」で使っていたテクニックにさらに重点的に取り組むために退職すると話していたようだ。研究について本を出版する予定であり、「プログラム」に参加してくれた少年たちにも印税を払うと約束していた、と数人の被害者が話している。

    レスリング部のコーチを務めていたレイモンドはBuzzFeed Newsに対し、自分やコーチたちは、ジェンセンに関して苦情が寄せられていたことや、1998年に高校がジェンセンの採用をやめたことについて、学校側から説明を受けたことはないと述べた。

    「別のやりかたで対応すべきでした」と、レイモンドは話す。

    BuzzFeed Newsは、学区側弁護士のラーヴィックに対して、ジェンセンに対して1997年に文書で公式な指導を行ったことについて、また翌年に契約を更新しなかったことについて、学区側はコーチや生徒たちに知らせたか否かを確認する問い合わせを送ったが、返事は得られなかった。

    被害者2名への聞き取りと訴状によると、ジェンセンは学校を辞めたあとも、少なくとも1年にわたって自宅で「プログラム」を継続していた。その後、1998年に地元のウォルマートで職を得て、2002年まで勤務していたことが、同社の記録からわかっている。ただし、辞めた理由は書かれていない。

    筆者は2018年秋にマイルズシティに出向き、原告団に会った。私たちはメインストリートにある小さなバーのビリヤード台を囲んで座った。部屋の隅には、ヤマネコのはく製が置いてあった。

    彼らは、軽めのビールを飲みながら、かつて起こったことに対する学区側の対応と、裁判をめぐる対応について、互いに怒りを共有した。ビリングスでも、別の被害者グループに会い、コーヒーを飲みながら話を聞いたが、彼らもまた学校側に対して同様の怒りを抱いていた。

    「ジェンセンはとんでもない変質者ですし、私たちは好きなだけあの男に怒りをぶつけられます」とT・Rは述べた。「しかし、学校側の態度ときたら……関わりを否定し、何も知らなかったと言い張っているんですから、ますますはらわたが煮えくり返ります」

    T・Sは、ジェンセンについてこう述べた。「邪悪な男だし、刑務所で死んでいくべきです。しかし、もっと水準の高い行動規範が定められていれば、あんなことはできなかったはずです。周りにいたコーチや教師、大人たちは、あの男の行為を止めようと思えば止められたんです。それなのに、ずっと無視していた。それが頭から離れません」

    原告団に参加した男性たちは、数週間おきに集まって話し合いをしているが、必ずしも全員が毎回出席できるわけではない。仕事があったり、子どものクラブ活動の送り迎えなど、家族の都合があったりして来れないことがある。

    C・Fの呼びかけで被害を打ち明けてからというもの、被害者の多くは、自分がアルコールやドラッグに手を染めたのは、過去を葬り去ろうとするためだったことに気がつくようになった。性的虐待を受けたという自覚はなかったが、思い出したくない嫌な体験をしたということはわかっていたと言う被害者も数人いる。

    K・Fもそんな1人だ。17歳になってアルコールに手を出し、浴びるように飲み始め、大学時代には、酒気帯び運転で何度も起訴されたという。

    D・Jは2002年、ジェンセンがアスレティックトレーナーだったときに不適切な行為に手を染めたという疑いを抱いていた人物から、性的虐待を受けなかったかと面と向かって尋ねられたという。1時間にわたるその会話のあいだ、D・Jはひたすら否定し続けた。しかしその後は、前にも増して恥と困惑の思いが深まったという。

    「心の奥深くに出来事をしまい込み、二度とその話をしないと決めました」とD・Jは涙交じりに語った。

    「それから数年間はアルコールとタバコに溺れ、自分のセクシュアリティについて疑問を抱き続けました。同性愛者でないのになぜそんなことになってしまったのか、理解できなかったんです。おまけに、本当に素晴らしい女性がいたのに、そのせいで関係が台無しになってしまいました」

    ジェンセンが謝罪を述べたのは、時効が来て刑事責任を問われないことを知ったからにすぎない、と被害者男性たちは考えている。謝罪によって裁判がさらに複雑になってしまったという声も出ている。

    R・Kは、「私は、怒りや悲しみ、幸せがどういうものかは知っていると思っていましたが、そのほかのもっと複雑な感情を、男性が持つとは知りませんでした。こうした感情にどう対処していいのかもわかりませんでした」と話す。「ジェンセンが行為を認めたことで、自分が抱いていた感情は、非常に複雑なものになってしまいました」

    マイルズシティでは、この訴訟が話題にのぼることはない。被害者同士で話をする以外には、この件についてオープンに語り合う手段はない。訴えが行われた時、地元新聞は飛びついてきたが、それでもトップニュースとして扱うわけではなかった。代わりに、新しくオープンするモーターパークのニュースが一面に掲載された。それ以降、追跡記事が掲載されたのは数回だけだ。

    学区側は裁判に関する取材を拒否しており、9月以降、公の場では口を閉ざしている。被害者たちによれば、この裁判沙汰が「泥沼化」しているという声や、男性同僚たちがジョークのネタにするのをバーで時おり耳にするのがせいぜいだという。

    彼らは大きな変化を期待していない。この町の土台にあるのはカウボーイ精神だからだ。転んですりむいたら、傷口に土をすり込んで立ち上がるしかないのだ。こうした精神を背景にした文化が、モンタナ州の自殺率が高い理由だとされている

    マイルズシティは、周辺の田舎に住む農場主や住民たちが、ウォルマートや医者に用事がある時にやってくる町だ。ナイトライフといえばバーがある程度。そこは、酒類販売許可法のせいで、ちょっとしたカジノのようになっている。それに、町なかで裁判の話を持ち出せば気まずくなる。被害者が誰なのかはわからないことになっているからだ。

    この町の社交場と言えばもっぱら誰かの家だし、被害者のなかには、自分が高校に通っていたころのコーチや職員の子どもと親しい関係を続けている人もいる。学校は、この町で2番目に多くの人を雇用しているところだ。その学校が、子どもに対する性的虐待を阻止できなかったと認めるということは、友だちや隣人が問題の一端を担っていることを認めることでもある。

    「話をするときは必ず言葉を選んでいるし、声の大きさにも気をつけています」とC・Fは語る。とりわけ、職場や、町の中心にあるステーキハウスにいるときに、ほかの被害者から電話が入ったときはそうだという。自分がこの訴訟に関わっていることが知られたら、仕事で取引するのを嫌がられてしまうのではないかと心配しているのだ。匿名性を維持するために、C・Fは名前を名乗らなかった。

    1997年にジェンセンに対し「プログラム」を止めるよう命じた手紙の署名者の1人は、C・Fに野球を教えてくれた男性だ。友人だと考えているし、町でときどき会っているという。しかし、C・Fはここ数週間、その人物に会っておらず、避けられているのではと気を揉んでいる。「他の人は何を考えているんでしょうね」とC・Fは不安げに首をかしげた。

    被害者男性のなかには、妻や子どもたちにも打ち明けられない人もいる。「ここ2カ月くらいは大変でした。しょっちゅう泣いたり怒ったりしていました」とT・Sは言う。しかし、セラピーを受けて気分が落ち着いたそうだ。

    原告団の1人は、自分の10代の息子をジェンセンがFacebookで友だち承認したことに気がついたという。しかし、かつて自分に何が起きたのかを息子に打ち明ける気にはまだなれない。「いまいましい中国医術とやらに騙されて、まんまとあんな目に遭ってしまった自分が恥ずかしいんです」

    被害者たちの心からは戸惑いが消えない。ジェンセンは、長い年月が過ぎたいまになって、Facebookで自らが犯したことを暴露し、それでもC・Fと友達になろうとしたのだ。しかもそれがきっかけで、C・Fは行動を起こそうと立ち上がった。

    ジェンセンは2018年のはじめから、ほかの被害者男性たちに友達リクエストを送り始めたが、誰もそれを承認しなかった。被害者たちは全員、ジェンセンが口を開かなかったらこの事件は公にならなかっただろうと考えている。いまの瞬間、彼が拘置所のなかにいることはありえなかった。

    筆者は、逮捕前のジェンセンに2度電話をかけ、話を聞こうとした。だが、彼は筆者の質問には答えず、電話を切った。

    訴訟を受けて裁判所に提出した書類のなかでジェンセンは、2016年1月にFacebookに謝罪を投稿したのは、プログラムが「自分の思ったような効果」をあげなかったことに気がついたからだと述べている。「だから、プログラムに参加した生徒たちに謝ろうとした」

    ジェンセンは9月に地元紙ビリングス・ガゼットに対し、「私は、プログラムを実施していたあのころ、自分が説明したような効果が少年たちに現れていると思っていたのだと思います」と語っている。「振り返ってみれば、いまはあのときほど確信が持てません」

    訴えを起こした被害者男性たちとその弁護士、さらにジェンセンの家族の一部は、この裁判をきっかけにモンタナ州が州法を改正し、性的虐待の罪でジェンセンを起訴することが可能になればいいと願っている。弁護団の1人としてライス弁護士とともに戦っているジョン・ヒーナンはオンライン署名を開始し、子どもに対する性的虐待の時効を廃止するようモンタナ州に求めている。

    そのページには、ジェンセンの娘が次のようなコメントを寄せている。「子どもを食い物にするような人間は、誰ひとり『野放し』にしておくべきではありません」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:阪本博希、遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan