トランプ大統領「映画みたいだった」 IS指導者が米軍の急襲を受け自爆 これで世界は安全になるのか

    バグダディ容疑者率いるISは、かつてシリアとイラク領内の広範な地域を支配下におさめ、残酷なテロ攻撃と殺害行為を繰り返していた。近年、ISの勢力は大幅に弱まっている。

    世界中でテロ攻撃や殺害を計画・実行していたイスラム過激派「イスラム国(IS)」の指導者が死亡した。潜伏中だったアブーバクル・バグダディ容疑者だ。

    10月27日にトランプ大統領がバグダディ容疑者が死亡したと発表した。

    発表によると、米軍部隊が拠点に突入し、中にいた子どもを含む構成員は殺害されるか、投降した。

    バグダディ容疑者は自らの3人の子どもたちと共にトンネルに向かい、行き止まりに追い込まれた。そこで身につけていた爆発物を起爆させ、子どもたちを道連れに自殺したという。遺体を検証したところ、バグダディ容疑者本人のものとの確認が取れたという。

    「バグダディは気の狂った邪悪な人間だったが、もうこの世を去った」とトランプ大統領は述べた。

    Via Twitter: @realDonaldTrump

    トランプ大統領の発表

    作戦で米兵の死者は出なかったが、重傷者が出たという。

    27日のトランプ大統領による演説はおよそ1時間続き、バグダディ容疑者を卑怯者とこき下ろした。

    トランプ大統領は他のテロ容疑者についても語り、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の首謀者オサマ・ビンラディン容疑者が死んだのも自分の手柄だと述べたが、これは誤りだ。

    米軍の特殊部隊がパキスタンでビンラディン容疑者を殺害したのは、オバマ政権時代の2011年5月のことだった。

    「映画を見ているよう」

    トランプ大統領は、マイク・ペンス副大統領と軍事・情報担当の補佐官らと共にホワイトハウス地下の危機管理室から作戦の様子を見守ったという。「映画を見ているような」感じだったと述べた。

    バグダディ容疑者の死亡は、トランプ大統領がトルコ・シリア国境から米軍部隊を撤退させる時期と重なった。勢力が大幅に弱まったISが再び力を取り戻すのではとの懸念が広がっていた。

    シリアのクルド人主体の武装組織「シリア民主軍(SDF)」のマズロウム・アブディ司令官は「現地で詳細に行方を監視し、情報収集の共同作戦を開始して5カ月が経過した。我々は共同軍事作戦を行い、アブバクル・バグダディの殺害に成功した」とTwitterに投稿。トランプ大統領と米軍にも謝意を表した。

    「イスラム圏全体の指導者」を自称

    預言者ムハンマドの血筋と自称したバグダディ容疑者は、2010年5月に当時「イラクのイスラム国」と名乗っていたイスラム過激派組織を掌握した。

    シリア内戦が悪化するにつれISの支配地域は拡大し、バグダディ容疑者率いるテロ集団は2013年にISIS(イラクとシリアのイスラム国)と改称した。

    シリア領内から撤退するよう要求されたため、アルカイダと、シリアの系列組織ヌスラ戦線と決別した。

    ISが世界的な注目を集めるようになったのは、2014年のことだ。シリア領内への攻撃を開始。イラクでも北西部の大都市モスルを掌握した後、南下してバグダッド周辺まで迫った。

    7月4日、バグダディ容疑者はモスルにあった「光のモスク」で、自らを「カリフ」だとしたうえで、「カリフ制国家」の樹立を宣言した。自らをイスラム圏全体の指導者(カリフ)と位置づけたのだ。

    カリフはもともと、預言者ムハンマドの代理人として、イスラム共同体を指揮するのが役割だ。632年にムハンマドが死去したのちに、合議によってアブーバクルが初代のカリフとなった。

    その後、長い歴史のなかでシーア派などが分派したうえ、カリフの形骸化が進んだ。オスマン帝国の滅亡後の1924年、トルコ共和国初代大統領ケマル・アタテュルクの手で、カリフ制度は廃止された。その後、イスラム圏では、カリフ制の再興を巡る議論が続いていた。

    「カリフ」を宣言したISは世界中のイスラム教徒に対し、独自のイスラム法解釈に基づく国家樹立へに協力を呼びかけた。

    イスラム圏の人々の大多数は、バグダディ容疑者のカリフ就任を認めなかった。これを追認したイスラム法学者も少ない。

    一方で、こうした言動に影響を受けた若者を中心とする過激派が、中東各地や欧州などからシリアやイラク領土内のIS支配地域に渡って戦闘員となった。その影響力はリビア、アフガニスタン、パキスタンなどへと広がった。

    ISは2015年終わりまでに支配地域を大きく拡大し、バグダッド近辺からシリア・レバノン国境までの広大な地域を掌握していた。

    残虐集団

    バグダディ容疑者率いるISは、残虐非道な集団として知られるようになった。

    斬首、テロ攻撃、誘拐、戦争犯罪などだ。捕虜は檻の中に閉じ込められ、じわじわと溺死させたり、焼き殺されたりした。

    性的マイノリティーの人々は屋根から突き落とされた。こういった残虐行為の様子をSNSにアップロードし、過激主義者や狂信的イスラム教徒をリクルートして戦闘員にし、世界中で同様のテロ事件を引き起こした。

    2018年にノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんは、イラク北部の村で暮らす少数派のヤズディ教徒だった。2014年8月にナディアさんの村を侵攻したISはヤズディを「邪教」として扱った。


    人権を一切認めず、女性を「性奴隷」として激しい性暴力を加えた。ナディアさんはなんとか拘束を逃れ、ヤズディ教徒の保護を訴える活動に乗り出した。

    シリアで拘束された日本人ジャーナリストら2人も、ISの手で殺害された。

    モスクや数々の遺跡を破壊

    2017年にイラク軍とアメリカ軍がモスルをISから奪還する際、ISは「光のモスク」を爆破した。バグダディ容疑者の過激主義と憎悪に満ちたメッセージを、別のイスラム法学者が同じ演壇から打ち消すことは、不可能になった。

    ISの支配地域では、20を優に超えるかけがえのない文化遺産が、バグダディ容疑者の指揮の下、ISの手で破壊された。モスク、寺院、像などの建造物がブルドーザー、爆弾、ハンマーで破壊された。

    ISは複数の史跡を略奪して活動資金の一部を得ていた。シリアでは、ローマ帝国時代から残る世界遺産パルミラ遺跡が、大きな被害を受けた。

    一時は米軍が拘束するも、釈放された過去

    イラク戦争後に反米武力闘争が続いていたイラク西部ファルージャを2004年に米軍が総攻撃し、捜索した際、バグダディ容疑者も身柄を拘束された。当時は様々な名前を使い分けており、無名の人物だと見なされていた。作戦のターゲットは他のテロ容疑者だった。

    その後、米軍が運営する施設に約5年ほど収容されていた。ニューヨーク・タイムズによると、この時期のバグダディ容疑者はさらに過激さを増していったという。だがバグダディ容疑者は他の「末端戦闘員」と見なされた収容者らと共に釈放された。

    米国は戦後の構想をしっかり描かないまま2003年、イラク戦争を仕掛けてイラクのフセイン政権を倒した。しかしその後、イラクは激しい混乱が続き、選挙制度の導入こそ行われたものの、「民主的で自由な社会」になったとは言いがたい。ISはその混乱の中から生まれた。バグダディ容疑者は米軍の施設内で過激思想を深めた。

    もし、イラク戦争がなければ、あるいは米国がもっと具体的でイラク社会の現実に沿った戦後政策を準備して実行していたら、そもそもISという組織が生まれ、世界にここまでの爪痕を残すことはなかった可能性は否定できない。

    ISは近年、米軍やシリア・イラク双方のクルド人軍事組織、さらにイラク国軍やシーア派民兵などの反攻で次々と拠点を失い、勢力は急速に衰えていた。

    バグダディ容疑者が最近、IS内でどのような役割を担っていたのかは明らかになっていない。

    2019年4月にバグダディ容疑者は動画メッセージを公開した。それ以前のおよそ5か月間は公の場に姿を見せることはなく、音声だけの声明を出していた。

    動画の中で、バグダディ容疑者はISがシリア領内の最後の拠点バグズの支配権を失ったことを認めた。それでもバグダディ容疑者は戦闘を継続すると誓った。

    「我々が今行っている戦闘は敵に損害を与えるための消耗戦だ。敵はジハード(聖戦)が最後の審判の日まで続くことを思い知るべきだ」と述べた。9月に公開された音声データの中に、ISの士気を高めようとする本人の声があり、「努力は必ず倍になって報われる」と述べていた。

    ISとイスラム過激派はどうなる?

    バグダディ容疑者の死亡で、ISが組織として打撃を受けたことは間違いない。また、最近は周辺国からの戦闘員の流入も減少し、大規模な戦闘を仕掛ける能力も衰えている。

    だが、それをもってイスラム過激派全体が勢いを失い、世界が安全になると考えるのは、早計だ。

    シリアでアサド政権軍と戦う反体制派の中には、ヌスラ戦線などの過激派が含まれている。アフガニスタンやイラク、エジプト、チュニジア、リビア、サハラ以南アフリカなど広い範囲で、過激派のテロや軍事攻撃は続いている。

    アルカイダやヌスラ戦線、ISなど、イスラム過激派にはさまざまな組織があるが、やっていることや目指す方向は変わらない。テロや暴力によって独自のイスラム法解釈に基づく支配を広げ、「イスラム圏とイスラム教徒を不当な異教徒支配から解放する」というのが、基本理念だ。

    中東やイスラム圏で続く戦乱や、専制支配、貧困、セーフティーネットの不備、言論の自由の欠如などの社会問題や、欧州などでのイスラム教徒に対する差別などが続く限り、強い被害者意識をもとに過激派になびく人々は、これからも生まれる。

    ISがこれからさらに勢力を落としたとしても、また別の土地で、よく似た過激派が勢力を伸ばしてもおかしくない。アフガニスタンを本拠としたアルカイダにかわって、イラクとシリアのISが伸びていったように。

    「テロとの戦い」を、軍事的な手段だけで解決することはできない。

    問題の根は、テロリストを生む社会の土壌そのものに存在する。暴力の応酬の連鎖を断ち切るためには、国際社会が幅広く粘り強い社会的な施策や対策、啓発を続ける必要がある。

    成果を誇ったトランプ大統領から、こうした政策が打ち出される日は来るのだろうか。

    この記事は英語版をベースに、日本版向けに加筆、編集しました。