米国の「メディア王」ルパート・マードック氏の元妻、ウェンディ・デン・マードック氏の名をかたった詐欺に巻き込まれたと訴える人が相次いでいる。多くがフリーで働くフォトグラファーで、InstagramをはじめとするSNSで多数のフォロワーを持ついわゆる「インフルエンサー」だ。
訴えによると、マードック氏を名乗る人物に魅力的な撮影企画を持ちかけられ、インドネシアなど指定された東南アジアの現地へ向かったところ、すべて架空の話だったことがわかったという。
被害に遭った人はいずれも、中国系アメリカ人であるマードック氏になりすました人物から渡航費用などの経費を事前に支払うよう指示されていた。その後、相手と連絡が取れなくなり、何もわからないまま現地に残されたという。
サイバーセキュリティ対策などを手がける調査会社「K2 Intelligence」はBuzzFeedの取材に対し、現在、米国の「警察当局のトップレベル」と密に連携し、容疑者の特定を進めていると明らかにした。同社では、この人物が数年間にわたり、名前や連絡先を公開してクリエイティブ関連の仕事をしている個人を標的に、周到に計画した詐欺行為を繰り返してきたとみている。
2018年7月のHollywood Reporterの記事によると、過去にも著名な映画プロデューサーの名をかたった何者かによる同様の詐欺行為が起きており、名をかたられた側がK2 Intelligenceに調査を依頼している。同社はBuzzFeedに対し、これらの詐欺はいずれも関連性があるとの見方を示した。
Hollywood Reporterの別の記事によると、捜査にはFBIおよびニューヨーク市警も加わっているが、いずれもコメントの求めには応じていない。
BuzzFeedが複数の被害者から聞き取った話によると、いずれも経緯は非常によく似ていた。マードック氏を名乗る人物からメールが届き、2022年の北京冬季オリンピックに合わせて企画している写真展の一環として、指定する東南アジアの現地で撮影をしてほしいと持ちかける、というものだ。マードック氏の代理人にコメントを求めたが、現時点で回答はない。
被害者はいずれもマードック氏やそのアシスタントを名乗る人物と電話で連絡を取り、具体的な話を進めている。その際アシスタント側は、同氏からすぐには資金が出せないため、渡航費用は自前で出してもらえれば後日必ず払い戻しをすると説明している。
現地へ到着すると、事前に聞いていた予定とは異なるハプニングが続き、仕事を受けた被害者は依頼者と周辺の人物に対してさまざまな名目で金を支払うよう促される。やがて2日ほどの間に、マードック氏を名乗る人物は連絡がつかなくなり、行方をくらませる。
被害者が支払った金額はそれぞれ数千ドルに上る。
被害に遭った一人、カーリー・ラッドさん(30)はフォトグラファーとして活動し、旅をしながら仕事をする生活から「デジタルノマド」を自称する。1月2日にマードック氏を名乗るメールが届き、業界の著名な人物から個人的にコンタクトがあったことから「ものすごく、わくわくした」と振り返る。
すぐにメールの相手に電話し、数時間かけて企画の詳細と条件を詰め、インドネシアのジャカルタで3日間だけの撮影旅行をすることが決まった。
「マードック氏を名乗る人物と電話で企画の内容を話し合う段階になると、相手は中国農村部の生まれだと生い立ちを語りました。自分のルーツにも関わる企画を形にして、自身の個人的な価値観をアートとして表現したい、という説明でした。私の作品をとても好きだと言って、過去に発表したプロジェクトのことも知っていました」とラッドさん。
電話の相手にはかすかに中国系のアクセントもあったという。
会話の後、すぐ秘密保持契約書へのサインを求められた。詳しい日程や企画の内容が送られてくる前で、「本当っぽく」感じたという。撮影旅行には夫も同行していいと言われた。
自称マードック氏は次にアーロンと名乗るアシスタントから連絡させると言い、以後はこの人物から指示を受けた。この「アーロン」と「マードック」が同一人物かは確証がとれていないが、電話で話した限り同じ人物とみる被害者もいる。
その後の展開は早かった。最初のコンタクトから3日後の1月5日、ラッドさんは夫と共にニューヨークからジャカルタへ飛ぶ。到着すると運転手が迎えにきたが、この人物も動向が怪しく、途中で姿を消した。
渡航前に仕事内容を交渉していた際も、ごく短時間で終わったインドネシア滞在中も、何度かおかしいと気づく機会があったのに見逃してしまった、とラッドさんは振り返る。
「少し疑問に思いながらも、そのたびに理由をつくって自分を納得させていました。彼女ほどの実力者はこういうふうに仕事を進めるものなのだろう、ジャカルタみたいな土地では買収行為も多いんだろう、と。冷静に判断する目が鈍ってしまっていました」
例えば、電話の相手はマードック氏個人の資金繰りに余裕がないという理由で、ラッドさんに飛行機代や現地での撮影に必要な許可手数料の立て替えを依頼している。
現地に着くと、手配しそびれていた許可がまだあったとして、1400ドルを追加で現金払いするよう求められた。マードック氏とアシスタントを名乗る人物は不手際について「過剰なほどに謝罪」し、請求書をもらえれば24時間以内に払い戻すと約束した。
「すべてについて口実がありました」
「1月4日に飛行機を押さえたとき、偽の送金証明が送られてきました。現地に着くと、送金の手続きが進んでいるから7日中には完了すると繰り返し言ってくるんです。で、7日夜になると8日の朝には入金するから、と。何か口実をつけてきました」
現地に着いてから払った「仕事を迅速に進めるための撮影許可」という名目の1400ドルは、二人が宿泊するホテルを慌てて予約するために使われたとラッドさんはみている。
迎えにきた運転手がガソリンスタンドに立ち寄り、ビニール袋に入った現金を誰かに手渡しているのを目にしたときは「かなり怪しい」と感じた。運転手が「ホテルへ到着するまで相当な時間をかけた」のも、後になって振り返れば、その人物が渡された現金でホテルを押さえる間の時間稼ぎろうとラッドさんは推測する。
「それでもまだ、これが詐欺だとは考えませんでした。インドネシアならこういうこと(現金の受け渡し)をするのもそんなにおかしな話じゃないんだろう、と自分を納得させようとしていたんです」
現地ではアシスタントが運転手を何度か変える、直前になって次の移動は自力でタクシーを見つけて行くよう言われるなど、当初聞いていた予定がことごとく崩れ、ラッドさんは「事態がつかめず混乱した」という。それでも、自分たちの居場所や不安を家族や友人に相談するのはためらった。秘密保持契約に違反すると思ったからだ。
依頼者側に電話をして懸念や困惑していることを伝えると、相手はお世辞を言ってラッドさんやライターをしている夫を持ち上げ、不安を示すラッドさんをなだめようとした。「次はお二人に日本へ行ってもらう」と次の仕事を依頼するような発言もあったという。
ジャカルタ滞在3日目には、マードック氏やアシスタントを名乗る人物から入るはずだった電話がこなくなり、連絡はすべて途絶えた。そこで「すべてがつかめてきた」という。連絡を取ろうとすると、イギリス英語で自動応答するボイスメールにつながるだけだった。
「以来、向こうからの連絡は一切ありません。ジャカルタのホテルで明日の部屋がちゃんとあるかもう一度確認してみると、予約は入っていないとフロントから言われました」
そこで二人は、自分たちはだまされたのだと理解した。これまでに払ったお金もおそらく戻ってこない。「心臓がドキドキしてきて、重苦しい気持ちに襲われました」。
取材に答えてくれた複数の人が、ほぼ同様の体験をしたと話している。サンフランシスコを拠点にするヘンリー・ウーさん、ゾルニッツァ・シャハンスカさんもその一例だ。二人は旅をしながらフリーランスのフォトグラファーとして活動、Instagramでそれぞれ8万人を超えるフォロワーを抱える。
ウーさんのもとに偽の企画が持ち込まれたのは昨年末だった。連絡があって数日後にはジャカルタ行きのフライトを手配した。
ウーさんは会話の内容から、マードック氏とアシスタントを名乗る人物が二人について事前によく調べていたのは間違いない、とみる。
「僕が台湾出身なのも知っていました。台湾について、会話の糸口になる話題をたくさん用意していました。そこが巧みなところでしたね。向こうは台湾についていろいろと掘り下げた会話をよどみなくできたんです」
ウーさんらは飛行機代を自前で払った。「普段はそんなことはしないのですが」と言い添える。
その後、予定の直前になって指示が二転三転し、やりとりをした関係者の言動にも「すごく不自然な」点があった。現地到着から3日目、予定されていたスケジュールがいきなりキャンセルされ、「詐欺だとわかった」という。
ウーさんらは現地で、同じような状況で撮影旅行に来たという別のフォトグラファーと偶然会っている。
ドイツを拠点にするその男性にも話を聞いた(男性は匿名希望)。撮影企画の話が入った際、間に撮影エージェントが入っていたにもかかわらず、エージェントも詐欺であることを見抜けなかったという。
「すべてがとても魅力的な話でした。(ビッグネームだけあって)高いギャラの提示、北京での写真展、魅力的な撮影旅行……」そのため男性もウーさんらも「信用できると思ってしまった」と話す。
男性とウーさんらは情報交換し、だまされたと結論づけた。男性はドイツへ帰国し、警察へ届け出た。ウーさん、シャハンスカさんは「この状況をせめて活用しようと」マレーシアへ移動し、そこでInstagramに載せる写真の撮影を続けた。
マードック氏のアシスタントを名乗る人物「アーロン」との会話の録音(ウーさん提供)
K2 Intelligenceのディレクターで一連の詐欺の調査を率いるニコレッタ・コツィアナス氏は、今回のラッドさんらを含む被害者が同社に相談する前から、一連の件について把握していたという。
同氏は「当社は複数の管轄権内で警察のトップレベルと協力しています」と述べる。(FBIに照会したところ、司法省の規定により捜査の有無についてはコメントできないとの回答を得た)
同社では現在、最近の件と数年前の件を含む複数の被害を対象に調査を進めているという。
2018年7月、有名プロデューサーなどを名乗ってクリエイターを誘い出す詐欺行為について、Hollywood Reporterが最初に報じた。その際、犯人が電話で被害者と話す音声を独自に入手している。録音された音声からは、いくつかの異なる声とアクセントが聞き取れる。
BuzzFeedの取材に答えた複数の被害者が、電話で話したマードック氏を名乗る人物の声とHollywood Reporterが入手した音声は似ていると証言する。
コツィアナス氏は進行中の捜査について詳細は明かせないとしながら、一連の詐欺行為はすべて同じ人物が指揮したものと考えているという。犯人は現在、多くのフォロワーを抱え頻繁に旅の写真を発表しているインスタグラマーを中心に狙っていると同氏はみる。
「Instagramのインフルエンサーはとりわけ狙われやすいと思います。彼らには公式に後ろ盾になってくれる会社組織などがありません。個人でブランドや人と直接やりとりして仕事を進めていくので、今回のような話はとりたてて特異ではないわけです。また、彼らは思い立ったら世界のどこでも身軽に出かけて行きますし」
コツィアナス氏はさらに、被害者らは「一般の人よりもリスクを恐れる気持ちが少ない」とし、「人を操る方法を熟知している人物からすれば、格好の標的」と指摘する。
犯人が標的とするこうした項目にあてはまる人に対し、同氏は次のように助言する。まず、有力者を名乗る人物から仕事の依頼などがあった場合は、まず相手の身元をよく調査することだ。誰でも使えるツールや手段を通じて、ネット上で人物調査ができる。
「手段はいくつもあります。電話番号を検証するツールでかかってきた番号を調べられます。メールならメールアドレスのドメインを見ることです。今回の場合はwendymurdoch.comですが、それが確かに正式なものなのか、ひと月前などつい最近作られたものなのかなどもわかります」という。
「送信元のプロパティを見て、メールに付随する情報を調べることです」
「ウェンディ・マードックを名乗るメールだとしたら、おそらく偽物でしょう。それが本物だというケースはありません」
今回、被害を訴えてきた人は一様に何らかの「直感」があったと話しているという。「怪しいかもしれない」と警告するサインを感じ取ったら、立ち止まってよく考えた方がいいと注意を促す。
取材に答えてくれた被害者は、こうして声を上げることにより、最終的に何らかの公正な結果につながればと語った。またそれによって広く認知され、同様の詐欺に遭う人が出ないよう願っているという。
被害に遭った一人は、今回の件から今後のための教訓と規範を学んだと話す。他の人もそうであってほしい、という。「しかるべき前金を受け取らないうちは絶対に撮影に着手しないことです」。