「男子を傷つける」ことを必要以上に恐れてきた、かつての少女たちへ

    10代のときに「若気の過ち」でしてしまった性的暴行の責任は、大人になってからも問われるべきなのか。暴行をした側とされた側、どちらの痛みを重視するかで見方が変わるかもしれない。

    小学校3年生のとき、鬼ごっこをしていてアンドリュー(仮名)という男の子をたたいてしまったことがある。素手で相手をつかまずに、黄色い発泡スチロール製の棒を振り回す鬼ごっこだった。友だち同士つかみ合って地面に倒したりせず、柔らかい棒でやさしくたたくようにしましょう、という趣旨だったのだろう。だがそれが裏目に出た。私は棒でアンドリューを一撃し、かわそうとした彼の目に棒が当たってしまった。

    「何すんだよ!」アンドリューは大きな声を出した。大丈夫かな、とためらいがちに近づくと、胸を乱暴に小突かれた。アンドリューは泣いていた。彼は体育の先生に連れられて保健室へ向かい、私は嵐のように猛烈な罪の意識にさいなまれた。

    その夜、どうすれば事を収められるのだろうかと思い悩んだ。彼が怒っていたのは、たたかれた痛みよりも恥ずかしさの方が大きかったからだろうとどこかで理解していた。だが心の痛みでもそうでなくても、彼が傷ついていると考えるだけで嫌だった。ブロンドの髪に青い目をしたアンドリューは、私にとっていわば初恋の相手だ。彼もしぶしぶながら私に一目置いていた。私は目立つタイプの華やかな子どもではまったくなかったが、休み時間のサッカーでは彼と互角に張り合っていたからだ。ぼんやりとしたものであれ、彼が私に対して持っていたプラスの感情を失いたくなかった。いい人でいたかった。

    めったにないことだったが、その日の夜、夕食の席で私は母親に助言を求めた。母は手紙を書いて謝ってみたら、と言った。私は厚紙を折ったカードにひとこと書き、翌朝早く登校して彼の椅子の上にカードを置いた。教室の離れたところから見ていると、アンドリューは友だちと一緒にカードを開け、二人でこれでもかというほど笑い転げていた。私の心の中にあった罪の意識は屈辱に変わった。彼が傷ついているのではと心を痛めていたが、逆に自分に跳ね返ってきたのだった。

    女の子として、また女性として、社会で人と接してきた人の多くに心当たりがあると思うのだが、私もごく幼いころから男子を傷つけることにとても敏感だった。3年生のときのあの事件は遠い昔のできごとだが、今も私の記憶に焼きついている。泣きながら私を見た彼の表情をしっかり覚えている。その日と次の日の、みじめでやりきれない気持ちをはっきり覚えている。なんとか彼に許してもらおうとした不器用な行動を、笑いとばされ嘲笑されたときの気持ち。のちに、意図的にでもそうでなくても、身近な男の子や男性を傷つけたことは何度もあるが、振り返って抱く思いは同じだ。初めて付き合った恋人が、私に別れを切り出されると思って自分の腿に鉛筆を突きたてたとき。中学校のクラスメイトが猫の毛まみれの服を着てきたのを見て、意地悪な冗談を言ってからかってしまったとき。このときの冗談は今でも後悔している。

    これまでの人生を通じて、私は常に男性の気持ちにとても敏感に反応し、ときには自分の気持ちよりも相手の男性の気持ちを優先してきたところがあるように思う(自分が望まないのに受け入れてきた性行為もそうだ)。それは相手の男性に気分よくいてもらうためだったり、相手の男性を怒らせないよう自分を守るためだったり、あるいはその両方だったかもしれない。相手が「軟弱者扱いされた」と気分を害さないようにしながら、男の人の気持ちをなだめる――このバランスをどうとるのかは、今でもわからないままだ。女子は男子の気持ちを、機会を、人生を思いやるものとされてきた。では男子の側は、女子のそれを思いやるよう教えられてきたのだろうか?


    10代を目前に、ちょうど胸が発達してきたころのことだった。仲のよかった友人の家で、友人の兄と狭いクローゼットで二人きりにされたことがある。よく一緒に遊んでいた友人の部屋のとなりに、秘密の場所みたいな小さなクローゼットがあった。遊んでいるうちにいつのまにか入り込んでいて、ドアが閉まってから気がつくと、後から一緒に入ってきていたのは友人ではなく、その兄だった。

    私は大きな声で開けてよと頼んだが、友人はどこかへ行ってしまったようだった。どういうつもりで私を閉じ込めたのかは、今でもよくわからない。彼女と私はいつもふざけ合っていて、10代手前の女の子というよりは荒っぽい男の子に近かった。二人ともデニムのハーフパンツをはき、バスケットボールのユニフォーム風タンクトップを着ていた。私は男の子みたいな女の子で、のちにレズビアンであることに気づくのだが、もしかしたら彼女もそうだったのかもしれない。高校を出たあと、私たちは音信が途絶えてしまった。

    友人の兄は私たちよりもさらにあか抜けないタイプだった。狭いクローゼットの中で、どういうわけか私の上に覆いかぶさり、私の両手を床に押し付けてきた。私はじっとしたまま、このあとどうなるのだろうかとぼんやりとした好奇心を抱いた。

    「シャツをめくってみろ」彼は言った。そう命じる彼の声を今でもはっきりと思い出せる。「r」の音をはっきり発音しないくせがあって、shirtという言葉が卑猥で滑稽に響いた。私が笑うと、両手首を押さえる彼の手に力が入った。「シャツをめくれ」

    「やだ」私は答えた。喜びがわくのを覚えた。男の子っぽい格好をしたひょろ長い私の身体を、さえない相手ではあっても男子が見たいと思っているのだ。少しの気味悪さと怖さが入り混じり、心の奥深くに不安のうずきが混じった喜びだった。でも、友だちだって私をここに残したままずっと戻ってこないなんてことはないよね。私はそう思った。

    「やれよ」声がした。命令しながら自分でめくろうとしないのはなぜだろう、と私は考えていた。鍵のかかったクローゼットの床に私を押しつけるのは社会的に許容範囲内で、実際に私の服を脱がせるのは行き過ぎになると思っていたのだろうか?

    床の上で折り重なったまま「やれ」「いやだ」と同じやりとりを繰り返した。どれくらいの間そうしていたのだろう。やりとりに飽きてかすかな不安がよぎる前に、私は彼の下からなんとか這い出した。相手は私より大きかったが、背は私の方が高かった。私は12歳、彼はおそらく15歳だっただろうか。彼を振りほどこうとして二人の身体が壁にぶつかり、それを聞いた友人がやってきて、クローゼットの扉が開いた。

    高校に入るころには同世代の男子にたくさん出会い、何人かとは付き合った。ある人は、私がまったく準備できていないうちから、ある性的な行為をさせようと強く促してきた。逆に、子ども時代から使っている自室で私と親密になりながらも、私がわずかにためらっているのを感じ取るとすぐに身を引き、服を着て、夜のあいだずっと髪をなでてくれた人もいた。付き合いが長く好きだった男友だちで、いやな気持ちにさせられることも、自分が性の対象として期待されているのではと感じさせることもない点を尊敬していた相手が、時期がくるのを長年待ったあとで行動すると、ついに関係が崩れてしまったこともあった。

    大学の終わりごろ、自分が同性愛者だと初めて認識したとき、男性と付き合う世界を去るのは大きな苦悩を伴った。それまで5年近く付き合ってきた男性がいて、いずれ結婚するのだろうと思っていた。彼は魅力的で尊敬でき、楽しく優しい人だった。濫用されるケースも多いハッシュタグで広く社会と何かを共有するすべなどなかった時代だ。すべての男性がすぐに暴力的な行動に出るわけではないし、すべての男性が性的な獲物を狙っているわけではないことを彼は私に示してくれた。17歳のときも、大人になったばかりで別々の道を行くと決めたときも、彼は変わらずに良心的だった。

    だが、暴力的な若い男性とそうでない男性の間には大きな違いがあると考える人ばかりではないようだ。今年の9月に入り、カリフォルニア州の大学教授クリスティン・ブレイジー・フォード氏が、連邦最高裁判所の判事に指名されているブレット・カバノー氏から1980年代に性的暴行を受けたと告白し、大きな波紋を呼んでいる。政治家から識者、オピニオン記事の書き手に至るまで、Twitterもケーブルニュースも懸念する意見があふれた。彼らにとっては、女子高校生を押し倒し、身体を押し付け、服を脱がせようとし、声を上げようとする口をふさぐ行為はそれほどめずらしいことではなく、取りたてて騒ぐほどの話ではないようだ。高校生のときに犯した性的暴行で「その後の人生のチャンスをつぶすべきなのか」と問う人がいる。あるいは、フォード氏の訴えがたとえ事実であっても、「かなり酒に酔っていたと思われる当時17歳だった高校生の行動をもって、不適格だとする必要があるのか」を考えてみてほしい、と問う声もある。

    カバノー氏については、9月20日に上院司法委員会で指名承認の投票が行われる予定だったが、延期された。今回の騒動は過去に起きた同様の議論を思い起こさせる。2016年、スタンフォード大学の水泳選手だったブロック・ターナーが3件の性的暴行罪で有罪とされた裁判がある。ターナー被告の控訴は今年8月に棄却された。「性器を交えない行為に及ぼうとしただけ」の当時19歳の青年に対し、酒に酔った若気の過ちを理由に「人生を台無しにする」ほどの判決を下すべきかを巡り、議論を呼んだ。ターナー被告を擁護した側は、人生を破綻に追い込むほどの刑には値しない、数ケ月程度の服役が妥当であると主張した。もちろん、今回のカバノー氏の件はこの事件とは異なる。同氏は性的暴行罪に問われているわけでも有罪とされているわけでもなく、服役の必要も、性犯罪者として登録されることもない。今後、国の最高裁判所で政策や司法に関わる機会を逸するかもしれないだけだ。ライターのモイラ・ドネガンはTwitterで次のように記している。「#metooで明るみに出た不祥事の多くで、暴行した側の男性が最高レベルの報いを手放す結果になると、残酷な罰が下されたと受け止められる」

    10代や成人して間もない若者が暴力や犯罪といった過ちを犯した場合、将来に重大な結果をもたらすような処罰を科すべきでない、とする前提がある。ただしこれは当然ながら、裕福な白人男性にほぼ限定されて開かれている道だと言っていい。そこまで恵まれた立場にない黒人少年や黒人男性であれば免れられない、厳しい運命を避けて通れるのが彼らなのだ。黒人の若者の場合、学校から脱落して刑務所へ向かうルートに乗り、暴力を伴わない軽微な罪であっても長い刑期を言い渡される傾向にある。

    #MeTooで告発された人や彼らを擁護した人の中には、たとえ罪を犯していたとしてもたいした罪ではない、との思いがあるのかもしれない。少なくとも罪の自白や謝罪や自己改善の約束といった深刻なものをみずから背負うほどの罪ではない、ましてや職務の上で影響が及んだり犯罪歴がついたりするほどのことではない、ととらえているのではないか。告発された自分の痛みを、声を上げ告発した女性の痛みに直接ぶつけて対抗させているのだが、私たちがどちらの痛みにより思いを寄せるべきかは明白だ。コラムニストのミシェル・ゴールドバーグはニューヨーク・タイムズ紙にこう書いた。「私はこうした男性の多くをかわいそうに思うが、彼らは女性たちに申し訳ないとは思っていないだろうし、女性がした体験についてもろくに考えてみてもいないのだろう」。ヘザー・ハブリルスキーも別の言い方でこう述べる。「冷酷な男たちは自分が傷ついたからというだけで、自分も救われる権利がある、最終的には称えられるに値すると考える。果たして女性たちがそんなふうに思うだろうか。そこでは女性の苦悩にほんの少しでも心が向けられているのだろうか」


    「こうした訴えによって引きずりおろされるのなら、私やみなさんを含めあらゆる人が心配しなくてはいけなくなる」。ホワイトハウスに近いある弁護士は、カバノーに持ち上がった疑惑を受けてそう漏らしたという。そうかもしれない。どの人もみんな、自身の過去をふるいにかけ、省みるべきところはないか、救済を求めるべき過去はないのか、胸に手を当ててみるといい。私自身、男性の手にかかって不快感と苦痛を覚えた痛烈な記憶はいくつかあるが、これは私だけが抱える記憶なのではないかという気がしている。友人の家のあの狭いクローゼットと、あの日そこで起きたことは今も忘れていない。あのとき私を床に押さえつけた彼は覚えているのだろうか。それとも、太陽がきらめく10代の夏の日の記憶の彼方に、あの日もまぎれ込んで消え去ってしまったのだろうか。

    あるいはもし覚えていたとしても、私とは違う形で覚えているのかもしれない。のちに別の人物にレイプされたとき、相手は翌日メールを送ってきて、すごくいい時間だったと書いていた。彼のそのとらえ方は私自身のそれを完全に、はるかにしのぐ力があり、その重みをはねのけて立ち上がるには長い年月が必要だった。

    #MeTooで過去を告発された人をめぐって私たちはどうすべきなのか、議論は今も続く。そして今、私たちが新たに直面しているのが、過去に性的暴行をしたとされる人について、それが何年も、ときには何十年も昔の10代だったころのできごとであっても、責任を負わせるべきなのか、という点だ。ケイトリン・フラナガンはアトランティックへの寄稿でこう綴っている。「10代は過ちも犯す。中には深刻な過ちもある。子どもの人格は、その後その人がどう行動するかに表れる」。フラナガンは高校生のときにレイプされかけたデート相手から卒業前に謝罪の言葉をもらい、それを機に相手を許すことができたという。状況は違うが、今の時点では、未遂であれ何であれ暴力とみなされる行為が実際にあったという事実を認めることこそが、次にどう動くとしてもまず必要な最初の一歩なのではないだろうか。今回カバノーを告発したフォードの話が事実だとすれば、カバノーはあきらかにこれができていない、とフラナガンは論じる。「(カバノーは)過ちを償おうとも、自身の行動に責任を取ろうともしていない。…フォードによれば、カバノーの行為は彼女の心に長く傷を残し、彼はそれを修復するための行動を一切取っていない。17歳のときに犯した過ちが今も問題になるのは、ここに理由がある」

    これとは異なる見方をする人ももちろんいる。若いころの暴行を告発された当人は、当時わずか15歳や17歳や21歳だったにすぎない。ほんの子どもだった。昔々の話じゃないか、というとらえ方だ。本人が覚えているいないにかかわらず、もし本当に暴力行為があったとしても、今になってそれをどうしろというのか。よくあるパーティで、たった一度、一人の女性に起きたよくある話だろう。酔っ払って性的な行為に出た、ひと月や一年たてば、いや、もしかしたら次の朝にはほとんど覚えてもいないような、他の雑多な記憶とともに葬られ忘れ去られるできごと。

    だが、それをされた少女たちは――そう、彼女たち自身もまだ子どもだったのだ――大人になる。私たちは大人になる。そして、記憶は消えない。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan