「がまだせ!益城」
4月18日、熊本県益城町役場前。白い紙に黒いマジックで「がまだせ ヤレルっ!!益城!」と書かれた、炊き出しの案内板ができていた。
「豚汁やりますよー!」
「おにぎり、必要なだけどうぞ!」
大きな声で呼ぶと、被災した住民たちがやってきた。
「いいの、食べて?」
「どうぞ、どうぞ」
炊き出しに並ぶ人の数は、少しずつ増えていった。
被災者が、被災地支援に立ち上がる
壊滅的な被害をうけた益城町の被災者自身も、この炊き出しのボランティアに加わっていた。青木博幸さん(39歳)。曇り空で肌寒かったが、忙しそうに動き回る青木さんは白いノースリーブ姿でBuzzFeed Newsの取材に応じた。
「あぁ、『がまだせ』ですか。がんばれって意味ですよ」。熊本の方言だという。
青木さんは、熊本空港にある駐車場を経営している。震災後、空港が閉鎖され、この間の収入はほぼ0。運行再開が伝えられたが、自分だけでなく、町はこれからどうなるのか。不安がないといえば、嘘になる。
「これで死ぬんだ」
小学4年生の長男、小学3年の長女、妻と両親、家族6人で暮らしている。地震は一家の生活を直撃した。
16日未明の「本震」。14日の震度7を記録した地震以降、消防団の活動に出ていた青木さんは疲れて、ベッドで横になっていた。隣の子供部屋には妻と子供がいる。
グラっと体が揺れたと思ったら、強い衝撃が襲った。ベッドは反対側の壁まで飛んだ。
「あぁ、これで死ぬんだ」
しかし、家族を守らねば。隣の部屋に行かなくちゃと思うが、揺れで身動きが取れない。揺れが収まってようやく、家族の無事を確認できた。一人として、けが人はいなかった。家の中は片付けが必要だが、大きな損傷はなかったという。
「なんでけががないのか、不思議なくらいだった」
まだまだ、やれることがある
家族の無事を確認してからは、地元の消防団などの活動が始まった。交通整理、救援物資の搬入の手伝い、パトロール……。
一方で、県内の経営者仲間から炊き出しボランティアをやるという声があがった。青木さんも「まだまだできることがある」と感じていた。
被災者だけど、支援される側ではなく、する側へ。
青木さんたち民間の支援の長所は、スピードと柔軟性だ。自分たちのできる範囲で活動する。用意した炊き出しも必要と申し出があるだけ手渡す。
同じことを行政がやろうとすると「うちには物資が届かない」との声も出てくる。
「やれることからやろうって思ったんです。消防団の仕事もあるし、受け入れの準備もある。この炊き出しは、きょうやっとです。やっと取り組むことができました」
少しずつ動き出す被災地
益城町は少しずつ、動き出している。崩落した家屋の瓦やガラスで埋め尽くされた道路は、この日、少しずつ落下物の撤去が進んでいた。橋の上に重機が入り、地震で生じた亀裂を埋めて、車が通れるようにと復旧工事が進んでいる。
青木さん自身、家の片付けも済んでいない。どこから手をつけていいか、わからない。
青木さんは、少しうつむきながら、子供の話をしてくれた。震災後、長女は家に入ると、突然泣き出したという。「子供の心にも傷が残った」
この地震の終わりは見えていない。それでも、と青木さんは言葉を強めて語る。
「ちょっとずつでも動き出して、前を向かないとって思うんです。繰り返しになるけど、やれることをやろうですよ」