「日本の選挙の文脈を考えるべき」北朝鮮拉致問題 クリントン氏が金総書記に解決促す

    2009年の会談メモをウィキリークスが公開

    ビル・クリントン米元大統領が2009年8月、北朝鮮を訪問した際、金正日総書記(当時、故人)に対して、日本人の拉致被害者の調査再開を強く求めていたことが分かった。随行者の会談メモをウィキリークスが公開した。

    会談は2009年8月4日、平壌・百花園迎賓館で1時間にわたって開かれた。この年の1月にオバマ大統領が就任。ブッシュ前大統領に代わり、8年ぶりに民主党の大統領が誕生した。

    クリントン元大統領の訪朝はあくまで「私人としての訪問」だと米政府は強調。アメリカでは北朝鮮に拘束された女性記者2人の処遇が焦点となっており、この2人は会談後、解放された。

    それでも議題は米朝対話、核開発問題の解決のための6カ国協議の再開、日本人の拉致被害者まで多岐に渡り、孤立する北朝鮮との対話の可能性を探って交渉の場に戻るよう促す内容だった。

    「拉致問題解決なら総選挙に影響」

    側近が書いた会談メモで、日本は11回言及されている。

    「クリントン元大統領は、北朝鮮は韓国や日本の選挙の文脈を考えるべきだと述べた」

    「クリントン元大統領は、日本の政治は非常に流動的で、大きな変化が起きようとしていると述べた。小泉首相が北朝鮮を訪れたときには、自民党を根こそぎ変えようとしていたが、目標を達成することはできなかった」

    「日本国民5人を解放し、他の人たちの行方を伝えたとき、金総書記はとても前向きだった。クリントン元大統領は、もしこの問題に決着がついていたら、総選挙に重要な影響を与えていたと思うと述べた」

    この会談の3週間後、8月30日に投開票された衆院選で民主党(当時)が圧勝し、政権が交代している。

    拉致被害の調査再開を

    クリントン元大統領は金総書記に対し、北朝鮮が拘束している韓国人や、拉致した日本人の解放も促した。

    「(クリントン元大統領は)拘束した韓国人らを解放し、日本人拉致被害者の調査を再開するように求めた。韓国と日本が(クリントン元大統領に)この問題を取り上げるよう頼んだ。両国は北朝鮮とより良い関係を築きたいのもその理由だ。適切な努力がなされれば、最終的な平和条約を結ぶことも可能だろう」

    「クリントン元大統領は金総書記に対し、韓国人と日本人の問題を取り上げさせてくれたことに感謝の意を表した。もし金総書記が、アメリカ人記者らの帰国に対するアメリカの反応を見るならば、人道的措置への反応がどれだけ大きいかわかるだろうと繰り返した」

    だが金総書記から拉致問題に対する返答はなかった。

    会談メモはどうリークされたか

    会談メモは、クリントン元大統領に随行していたジョン・ポデスタ大統領首席補佐官(当時)に送られた電子メールに添付されていた。

    ポデスタ氏は現在、民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン氏の選対責任者を務めている。ウィキリークスは、ポデスタ氏の電子メールを公開し続けている。ロシアのハッカーがハッキングしたとみられている。

    メモを書いたのはデイビッド・ストラウブ氏とみられる。国務省朝鮮部長や日本部長を歴任した人物で、同氏の署名がメモにある。

    ストラウブ氏はクリントン財団幹部のダグ・バンド氏にメモの下書きを送信。バンド氏はこれをポデスタ氏らに転送した。

    BuzzFeed Newsはストラウブ氏にメモが本物か確認を求めている。

    ストラウブ氏のものとみられる注記にはこんな内容もある。「会談の後半では度々、金総書記は側にいる姜(錫柱)第一副外相と会話を始めて、韓国語に通訳されたクリントン元大統領の話をほとんど聞いていない」

    「振り出しに戻った」

    金総書記は、クリントン政権下で前進した米朝関係が、ブッシュ政権下で大幅に冷え込んだという見解を示した。

    「率直に言って、2国間関係はクリントン大統領のリーダーシップで、進み始めたと(金総書記は)述べた」「だが、ブッシュ政権に移り、2国間関係は、アメリカの新保守主義者らによって、振り出しに戻った」

    「ブッシュ(元大統領)が『悪の枢軸国』として北朝鮮を名指ししてから、核問題は悪化した。金(総書記)は個人的な見解として、仮に2000年の大統領選で民主党が勝利していたら、2国間関係はこのような状況になっていなかっただろうと付け加えた。むしろすべての合意が遂行され、北朝鮮は軽水炉を持ち、アメリカは北東アジアに新しい友好国を持てていただろう」

    「後悔してきた」

    一方、クリントン元大統領は「北朝鮮を訪問しない判断をしたことをずっと後悔してきた」と打ち明けた。

    大統領退任直前の2000年末に訪朝を検討していた。だが、イスラエルとパレスチナの和平交渉を優先し、実現しなかった経緯がある。

    クリントン元大統領は、米国との直接交渉を求める北朝鮮に対し、6カ国協議の枠組み維持を強調。交渉の席に戻るように促した。

    「クリントン元大統領は、自らが大統領職にあったときのように、北朝鮮と協力的な関係を望むと述べた。もし北朝鮮が核を放棄していれば、2005年9月の共同声明にあったように、同時に安全保障上の懸案も解決されるべきだと主張することができただろう。だが現況では、大統領は6カ国協議から引くことはできない」

    国内旅行に招待

    両者が会ったのはこの会談が初めてだった。だが少なくともメモによると、金総書記はクリントン元大統領を交渉相手として好意的に思っていたことがわかる。

    金総書記は冒頭、会談から15年前に父・金日成主席が亡くなったときに、クリントン元大統領が世界の首脳の中で最初にお悔やみの手紙を送り、「リーダーとしての礼儀、信用、誠実さを示した」と持ち上げた。

    会談の締めくくりでは、公式でも非公式でも再訪朝するよう促した。

    「(金総書記は)クリントン元大統領に対して、2国間の懸案がなくなった折には、再訪して周遊するよう提案した。クリントン元大統領は、百花園迎賓館の入り口に飾られた絵画に描かれた美しい海岸をいつか訪れたいと応じた。金総書記は、もっと美しい場所を案内するので、クリントン元大統領はぜひ休暇に北朝鮮に戻ってくるようにと述べた」

    この会談の2年余り後、2011年12月に金総書記は死去した。

    会談メモの全文はこちら(英語)