高校銃乱射事件で亡くなった14歳の少女が残したもの

    アリッサ・アルハデフさんは高校1年生だった。いまも彼女のベッドルームは、彼女が最後にそこを出たときのままだ。教科書、ネイルポリッシュ、サッカースパイク、晴れの日に着たキラキラのドレス……そこには彼女が送った高校生活の足跡が残されている。

    パパとママ、2人の弟、サッカーチーム、机、マニュキアが詰め込まれた箱、サッカースパイク、バト・ミツワー(女の子が12歳になったことを祝うユダヤ教の儀式)のときに着たシルバーのドレス──これらは、今年のバレンタインデーにマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件で命を奪われたアリッサ・アルハデフさんが残していったものの一部だ。

    3月4日の夜、彼女の母ロリ・アルハデフさんは、娘のベッドルームの床のうえに座っていた。彼女はアリッサさんのスウェットを着ている。まだ14歳のアリッサさんが、誤って漂白剤をはねかけてしまったスウェットだ。ロリさんは時々、娘が履いていたコンバースの黒いスニーカーを履くこともある。CNNが2月22日に開いたタウンホールミーティングでマイクを握ったときもそうだった。

    アリッサさんの部屋は高校生活の足跡でいっぱいで、彼女が最後にそこを出たときのままだった。教科書やノートカード、ヘアブラシ、マーカーなどが床一面に散らばっている。ドレッサーのうえには、マニュキアが詰め込まれた箱と一緒に、アリッサさんが大好きだったフェイスマスクもあった。

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    アリッサさんがInstagramに投稿した動画。ロリさんに部屋を「めちゃくちゃにされた」あとに撮影。

    夜になると、ロリさんは娘の部屋に引き寄せられる。「あの子の部屋で、あの子が使っていたベッドカバーにくるまると、あの子がそばにいてくれるような気がするんです」と彼女は言う。

    アリッサさんが亡くなってから、ロリさんには「数時間しか眠れない夜」が続いている。彼女はまだ娘の死を受け入れることができないでいるという。

    「娘が友だちとちょっとどこかに出かけていて、もうすぐ家に帰ってくる、みたいな気が今でもしています」とロリさんは言う。

    「アリッサの匂いを思い出す」ために、ロリさんは、彼女が使っていたヴィクトリアズ・シークレットの香水をつけている。体重は5キロぐらい落ちたと思う、と彼女は言う。

    高校1年生だったアリッサさんは、才能に恵まれたサッカー選手で、チームメイトたちとの仲もよかった。彼女がサッカーを始めたのは3歳のときだった。亡くなる前日の彼女は、試合で生涯最高のプレイを見せていたという。

    「すべての歯車がうまく噛み合った試合でした。テクニックもスキルも完璧でした。あの子が生涯をかけて練習し身につけた技術は、どれもすばらしいものでした」とロリさんは言う。

    ロリさんによると、アリッサさんは情熱と知性にあふれ、誰にでも親切だったという。アリッサさんをサマーキャンプに参加させていたロリさんは、大学のスカウトが子どもたちのプレイを見に来るサッカーキャンプにも彼女を参加させるつもりだった。

    高校生活の2年目には、アリッサさんは上級ディベートコースや上級英語コースなどのクラスを受講するつもりだった。母によると、彼女はとても頭がよく、また努力家でもあったという。

    家の中は、アリッサさんに関する数えきれないほどの記念品で溢れ返っており、ある部屋には、アリッサさんのコラージュがたくさん飾られている。その多くは彼女の親友がつくったものだ。

    アリッサさんの顔が描かれたブランケットもある。キッチンには、ある人が家族のためにアリッサさんへのトリビュートとして描いた絵画が飾られている。オフィスとして使用されているスペースには、アリッサさんがサッカーで獲得したトロフィーの数々が置かれている。テレビの下には、彼女が10歳ぐらいのときにクレヨンで作成したアートが飾られている。

    アリッサさんが練習していたサッカー場で、ロリさんはBuzzFeed Newsに対して、チームやコミュニティーがアリッサさんを追悼するために路上に書いた「絶対に忘れない」「R.I.P.(安らかに眠れ)」といったメッセージを見せてくれた。

    そこには、祈りのキャンドルと共に、赤いジャージを着てサッカーボールを小脇に抱え、満面の笑みをたたえるアリッサさんの写真もあった。

    ロリさんが銃乱射事件が起きていると友人からテキストメッセージで教えられたのは、バレンタインデーの午後2時41分だった。彼女は事件現場となった高校まで車を飛ばし、歩道に駐車すると、車から飛び出した。

    「私は叫び声をあげながら、必死で自分を抑えていました」と彼女は語る。「私にはアリッサが必要で、あの子を助けなければならないことがわかっていました。あの子が大変なことになっているのはわかっていました。あの子が私に『ママ、助けて、助けて……痛い』と言っているような気がしたんです」

    ロリさんは、立ち入り禁止テープを突破し、「拳銃を持った筋骨隆々の大男」を押しのけて中に入ろうとした。

    「結局、押し戻されてしまいました」と彼女は言う。

    その後、ロリさんは、学校の近くにあるマリオットホテルで、夕方5時から午前2時半まで待機した。彼女はその日の午後10時にホテルで、一家のラビ(ユダヤ教徒コミュニティーの宗教的指導者)に対して、14歳の娘の葬儀の準備にとりかかってほしいと電話をかけたのを覚えている。ラビは彼女に「希望をもちましょう」と言った。

    だが、いざアリッサさんが亡くなったことを当局から聞かされると、ロリさんはその事実を、翌朝まで信じることができなかった。

    「翌朝、あの子の顔を見るまでは、現実を完全には受け入れられませんでした」

    午前8時、母を車で迎えに行ったあと、ロリさんは検死局に向かった。そして、そこで娘の顔写真を見た。アリッサさんの遺体を直接見ることはできなかった。娘が亡くなったのは揺るぎない事実であることを彼女が知ったのは、そのときだった。

    いまでもロリさんには、娘がそばにいてくれるような気がする瞬間がある。一家でアリッサさんの墓参りに行ったときのことだった。「1羽の大きな蝶」が彼らの近くを飛んで行った。墓地では、ロリさんの夫がかぶっていたヤルムルケ(ユダヤ教徒の男性が身につける帽子の一種)が何度も飛ばされた。

    それを見たロリさんは、きっとアリッサさんがいたずらしているのだろうと思ったという。彼女は笑いながらそう語ってくれた。

    アリッサさんが亡くなってから、ロリさんは何度か、マイリー・サイラスのミュージックビデオ「ザ・クライム」を見ている。このビデオが娘のことを思い出させてくれるからだ。アリッサさんは、ちょっとしたしぐさがマイリー・サイラスにそっくりだったという。そして「精神や創造力、強い心も」とロリさんは言う。

    「ザ・クライム」のビデオについて彼女は、「男の子との接し方までそっくりなんです」と笑いながら語る。「アリッサも男の子が大好きでした」

    ロリさんはこのビデオといっしょに、アリッサさんの動画やスライドショーも見せてくれた。娘を亡くしてからの彼女は、これらの映像や写真を頻繁に見返している。

    「ここにはあの子の人生がうつっています」と彼女は語る。「生きているあの子の姿が」

    アリッサさんは、5月1日に15歳になるはずだった。

    ロリさんはここのところ、NPOの設立に向けて奔走している。その名称は近々、彼女の口から発表されることになっている。ほかにはどんなことをして過ごしているのか尋ねると、アリッサさんの墓石に「どんな言葉を刻めばいいか考えている」と彼女は答えてくれた。

    娘の体の一部だった長い髪が詰め込まれたジップロックのバッグを手にとったロリさんの目は、涙でいっぱいだった。

    「私がもらえたのは、それだけでした。あの子の髪は長くて本当にきれいでした」とロリさんは言う。

    ロリさんはその髪を、アリッサさんが埋葬される前に、自分の手で切ったのだった。


    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

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