人を愛し、仲間に慕われた青年の命を恋人の家族が奪った「名誉殺人」

    インドで、ヒンドゥー教徒の青年がイスラム教徒の恋人の家族に殺害された。遺族と友人らは、復讐ではなく愛の輪を広げることで悲しみに立ち向かおうとしている。

    (ニューデリー)2月1日、人通りの多いデリー西部の路上で、ヤシュパル・サクセナは23歳の息子アンキットが数人の男に頭を押さえつけられ、首元を切られるのを目にした。

    「3秒間のできごとでした」。2週間後、アンキットの葬儀をすませたサクセナはそう振り返る。「この3秒間、時間がスローモーションのように流れた気がしました…本当に、たった3秒ですべてが変わってしまうんです。取り返しのつかない形で」

    サクセナは妻とともに駆け寄り、アンキットを抱き上げようとした。だが病院へ運んでもむだだとわかった。大量に出血している。息子の死から2週間が経ったが、二人はどんな経緯でこのようなむごいことが起きたのか、把握できずにいる。二人は知らなかったが、アンキットには何年か前から付き合っている恋人がいた。以前近くに住んでいた家族の娘、シェザディだ。アンキットは高位カーストのカーヤスタに属するヒンドゥー教徒、シェザディはイスラム教徒だった。もしアンキットが打ち明けてくれたとしても、自分としては何も問題だとは思わなかった、とサクセナは言う。交際相手がいるとは知らなかった二人は、アンキットが仕事を始めると、息子にふさわしい相手を探そうと動いていた。一方シェザディの両親も、自分たちの娘がヒンドゥーの青年と付き合っているとはずっと知らずにいた。

    「たった3秒ですべてが変わってしまうんです。取り返しのつかない形で」

    宗教やカーストが異なる者同士のカップルはインドでも珍しくない。だが一族の「純血」を守りたいと考え、こうした異宗教、異カースト間の結びつきを汚れたものととらえる親族が迫害を加えるケースは続いている。こうしたカップルにとっては、多くの場合、家族とのつながりをすべて断って駆け落ちするしか選択肢がない。そして親族の間の規範を破った者、とりわけ異なるカーストの相手を選んだ者を、家族がみずから手を下し殺害する例は少なくない。「名誉殺人」と呼ばれる風習だ(公式統計によると、インドでは過去3年間に288人が異なるカースト間の交際を理由に殺されている)。

    ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の恋愛は、また別の面で悪とみなされる。インドでは以前からヒンドゥー至上主義者が「イスラム教徒がラブ・ジハード(愛による聖戦)を行っている」と非難する動きがある。イスラム教徒の男性がヒンドゥーの女性を誘い、最終的には改宗させてイスラム教徒の子どもを増やし、インドのイスラム教徒人口を増やそうとしている、という主張だ。フェイクニュースの検証なども行うインドのニュースサイトは1月、右派グループがFacebook上でヒンドゥー女性とムスリム男性のカップル約100組の名前を挙げ、ヒンドゥーの男性に対して「ヒンドゥーの獅子たちよ、このムスリムを攻撃して思い知らせてやれ」と呼びかけている、と報じた。

    シェザディの両親は、ヒンドゥーであるアンキットが自分たちの娘を通じて宗教戦争を起こすのではないかと恐れたのだろうか。アンキットがシェザディの父、叔父、弟の手で殺される前日、シェザディの家で何があったのかについては、複数の話が浮上している。ある近所の住人は、二人の交際が両親に発覚して激しい言い合いがあった、と話す。別の住人は、家族は娘の交際についてすでに他から聞いていて、シェザディはことを荒立てないために否定したものの、アンキットが殺された当日に駆け落ちする計画をひそかに進めていた、と話す。だが駆け落ち計画についてのメールのやりとりを知ったシェザディの両親が、阻止するためことに及んだ、という。

    翌日アンキットが襲われ致命傷を負うと、周りにいた人々はようやく動いた。電話で救急車を呼んだ人もいれば、警察を呼んだ人もいた。両親がアンキットをリキシャに載せるのを手伝った人もいた。シェザディの父親と叔父、弟、そして母親は警察に拘束された。翌日、幼い妹はウッタルプラデシュ州の親類のもとへ送られた。

    アンキット殺害の件はまずインド国内で報じられ、数日後には国外でも報道された。事件の概要はこれまでも起きている件に似ているが、時代の背景から、事件以降アンキットの死について一番話題になっているのはその凄惨さではない。それ自体は現代のインドでは近年珍しくないできごとになっている。そうではなく、アンキットの父親セクサナが、息子の命を奪われたことをヒンドゥーとムスリムの衝突をさらに助長する理由にしたくない、と明確に示した点だった。

    「私がイスラム教徒を攻撃しようと呼びかけないからといって、みなさんは本当に驚いているんでしょうか?」アンキットの葬儀を終え、自宅に戻ったサクセナはそう口にした。アンキットが殺害されてから13日が過ぎていた。「そんなことをしたって息子は帰ってきませんよね? 私は軍団を作りたいんです。愛する者の軍団を。アンキットのように愛情に満ちた若者の集まりで、彼らに危害を加えようとねらっている悪意ある者たちも困惑してしまうような」

    デリーのラグビール・ナガル地区には、ジャンタと呼ばれるワンルームのアパートが細い路地にひしめき合う。地域にはヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、シーク教徒などさまざまな背景をもつ低所得層が集まり、狭い地域の中で肩を寄せ合うように暮らしてきた。それだけ互いに密接しているからなのか、先入観の入り込む余地はほとんどなく、今回の殺人が起こるまでこの地域での暮らしはいわば「宗教は無関係」だったという。

    葬儀を終えたあと、アンキットが両親と暮らしていた一間だけのアパートメントの下に、「アーワーラー・ボーイズ(さまよえる少年たち)」と称する若い男性たちが通りに寝床を並べた。アンキットがいなくなってから毎晩、ここに集まって過ごしている。18歳から24歳の、アンキットと親しかった友人たちだ。同じ路地で育った人もいれば、何軒か隣に住んでいた人もいる。みな、アンキットの強いカリスマに魅かれた、という。

    「私は軍団を作りたいんです。愛する者の軍団を」

    「人を引きつける人でした」と、グループの最年少ですぐ隣の家に住んでいたマズハルがはにかんだ笑みを浮かべて言う。「特別な人」だった、と英語で付け加える。「毎日、彼が帰宅するのをみんなで待っていました。そこから楽しい時間が始まるからです。彼がギターを持ちだして、歌を歌い、僕の母親に軽口をたたいたり何か食べるものを持ってきてよと言ったり。彼が自転車を止めるとすぐ、犬も駆け寄ってきました。彼はそんな犬に1匹ずつ名前をつけていました」

    以前は電気店を営んでいたアンキットの父親は、息子が毎日9時から5時まで働くような普通の仕事には向いていないと早いうちに気づいていた。アンキットは10代のころから、住んでいる地域の騒がしくも活気ある日常をフィルムに収めるのに夢中になった。そして成長するとともにさまざまな雑用仕事をしてお金を貯め、自分で一眼レフカメラを買った。まもなくフリーで結婚写真の撮影の仕事を手がけるようになり、依頼の数によって月1万~4万ルピー(約1万6500円~6万6000円)を稼いだ。仲間うちで安定した仕事についていないのはアンキットだけだった。友人たちはレジ係をしたり、車のディーラーやウエストデリーにいくつもあるショッピングモールの携帯電話や電子機器の店で働いたりしている。だが仕事のあとは、アンキットが何かと新しい方法を考え出し、みんなを楽しませた。

    昨年8月、アーワーラー・ボーイズは初めてYouTubeに動画を投稿した。息子が父親と車で出かける設定の4分間のコメディだった。今年1月までの視聴回数は3000回ほどだったが、アンキットの死が報じられると4万回に迫るまでになった。

    アンキットさんが亡くなって2週間後、友人たちはノートパソコンの前に集まり、最初に撮った動画で編集されて使わなかったシーンを見ていた。動画の中で、アンキットが演じるひげをたくわえた父親が、運転中に女性に気を取られて視線を送っていたと言って息子をとがめる場面で、アンキットと仲間の2人が笑い転げていた。仲間たちもときどき「ここはこうしたらどうだろう」と意見を出したが、中心になって制作をリードしているのがアンキットなのは明らかだった。アンキットはアーワーラー・ボーイズの監督であり、脚本家であり、主演俳優であり、編集担当なのだ。友人たちは彼の死後、しばらく続いた騒ぎが収まって初めて、自分たちが何を失ったのかの現実を突きつけらているようだった。動画が終わると、部屋に沈黙が広がった。

    「アンキット兄さんは、人生をどう祝福し楽しむかを教えてくれました」。ラグビール・ナガルに近いティラク・ナガル地区のマクドナルドで働く19歳のアマーンがしばらくして口を開いた。「祭りのときは必ずいい服できめてきて、お寺やモスクやグルドワラ(シーク教の寺院)や教会へ僕たちを連れて行くんです。新年を迎える前の晩には、みんなが眠りにつくころになって1階で昔のインド映画の音楽を弾きだしました。親たちがやめなさいと言いに行くんですけど、なぜか結局大人もみんな一緒に踊ってたりするんです」

    アンキットや友人たちが暮らすラグビール・ナガル地区では、プライベートな時間や秘密の交際はほぼ不可能に近い。彼らが「おばさん監視カメラネットワーク」と呼ぶ、近所の女性たちの目があるからだ。いつも住人の様子を観察していて、何かあるとみればすぐに飛んできて黙っていないのだという。だが彼らも自分たちなりに交際のしかたを見つけている。

    アーワーラー・ボーイズはみな、折り重なるようにして狭い路地にひしめき合う2階建ての家にそれぞれ両親と暮らす。「みんな、交際相手と会うときは、ティラク・ナガルやラージャウリ・ガーデンなど、近所のおばさんの目が届かない地区のレストランやカフェで会うんです」仲間の一人はそう言って笑う。「仲間の誰かが近所で彼女と会っているときは、お互いに誰か見ていないか見張り役をします」

    「彼は人生をどう祝福し楽しむかを教えてくれた」

    3年前まで、アンキットとシェザディは近くに住んでいた。その後、シェザディ一家が通りを数本離れた地区へ引っ越した。アンキットたちが踊ったりふざけたりするYouTube動画を何本も撮った公園の向こう側だ。仲間たちもアンキットとシェザディが一緒にいるところはほとんど見たことがなく、二人がいつから付き合っていたのかはわからないという。だが中でもアンキットに年齢が近い年上の友人たちは二人の交際を知っていて、すてきなカップルだった、と言う。かっちりきめた髪形にボリウッドスターのような体格のアンキットと、彼が好きだった女優シュラッダー・カプールに似た、優雅な雰囲気のあるシェザディはお似合いだった。

    アンキットの死後、友人たちは人前で悲しみを口にしているが、アンキットと関わりのあった女性たちは基本的に家にこもったままか、地域の路地ですれ違ったときに短い悲しみの言葉をお互いに交わすくらいだ。デリーや北インド全般でそうだが、女性は男性のように通りをぶらついてたむろしたりはしない。

    アンキットが路上でシェザディの家族から襲われたとき現場にいた母親は、強いショックを受けて動揺し、沈黙している。先にコメントした近くに住むマズハルの母親、ゼバ・カーンは訪ねてくる人に食事を出すなどして忙しく立ち働き、アンキットがいなくなった事実を考えないようにしているという。

    それでも、やって来た人にコーラとスプライトを注ぎながら、カーンはそのときのことを少しだけ振り返った。「通りに横たわる彼の腕を揺すりました。今にも目を開けて笑い出すんじゃないかと思って。いつもみたいにふざけてるだけなんじゃないかって…」。母親のようにアンキットをかわいがっていたカーンには、とりわけつらい。そしてカーンはシェザディ一家と同じくイスラム教徒でもある。「アンキットを殺した人たちは真のムスリムではありません」とカーンは語気を強めた。「これはしっかり記事に書いてください。彼らは地獄で焼かれるべきです」

    時折笑ったり悲しい気持ちになったりしながら、仲間たちが撮りためてあったカットをさらに見ていると、カーンの18歳の娘、ラブリーがお気に入りだというアンキットの動画を見せてくれた。「私の塾の友達はみんな、これを見てアンキット兄さんが大好きになったんです。みんな彼に夢中でした。みんなからひっきりなしに電話がかかってきています」。動画の中のアンキットは鏡の前ではにかんだ笑顔を見せ、愛する人と初めて目があったときのことを歌ったボリウッドの曲に完璧に口を合わせている。

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    シェザディはどこでどうしているのだろうか。アンキットの友人たちにもわからない。「無事元気でいてほしいですが、僕たちにはもっと大事な心配ごとがあります」と話すのは、仲間の最年長、24歳のスクミートだ。「アンキットの両親には他に子どもがいません。この先お父さんお母さんが生活していくため、政府が十分な補償を出すよう求めていかなくては」

    シェザディの姿が確認されたのは、YouTubeに投稿された動画が最後だ。身元の明かされていないレポーターが(あるいは単にカメラを持った詮索好きの一般の人かもしれない)、アンキットを探すシェザディの姿をとらえている。

    「どこへ行くんですか。何があったんです?」動画の中で男性の声がシェザディにたずねる。

    「私は何があったのか見てません。でも私の両親がアンキットを殺したとみんなが言っています」。シェザディはカメラを見つめて答える。

    「アンキットはどんな人でした? あなたと彼との関係は?」

    シェザディはこう答えた。「彼は…私たちは結婚するつもりでした」

    ラグビール・ナガルの住人はみなこの動画を見たが、誰が撮ったのか、シェザディがどこへ消えたのか、誰にもわからない。シェザディの家族は報復を恐れ、姿を見せないままだ。報道によるとシェザディはどこかの「女性シェルター」にいるのではないかとされるが、ニューデリーにある政府運営のシェルターにいくつかあたっても、それ以上の情報は得られなかったという。地域に残っていた親類も、家の扉を閉ざし、店のシャッターを閉め、怒りに火がついたヒンドゥー教徒が集団で報復にくるのを恐れて故郷のウッタルプラデシュ州へ戻った。

    「アンキットはいつも、自分はスターになるんだと言っていました。そのとおりになりました。今、インド中の人が彼の名前を知っているでしょうから」

    アンキットの両親は70代になる。父親は心臓に4本ステントを入れ、母親は呼吸器と婦人科系の病気を抱えている。家の外にはカメラを抱えた報道陣のほか、腕組みをした政治家や、サフラン色の服をまとい、威力のありそうな武器を抱え要員を従えた右派団体の男たちなどが集まり、人の波が絶えない。サクセナたちが息子の死に復讐しようと思い立てば、みな行動に移せる状態だ。でも、アンキットのアーワーラー・ボーイズには――父親のサクセナが編成したい「愛する者の軍団」には、平和を守る使命がある。仲間の一人アマーンは言った。「アンキットはいつも、自分はスターになるんだと言っていました。そのとおりになりました。今、インド中の人が彼の名前を知っているでしょうから」

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan