新しい記憶を蓄積できなくなった男性。代わりに、アプリで記憶を外付けにした

    太古の昔から、なされてきた方法

    トーマス・ディクソンは昨日あったことも、先週あったことも、思い出せない。でも、自分が週末、キャンプをして過ごしたことは、知っている。

    「テントを張らなかった。そのことは割と確信を持って言える」と、米東部フィラデルフィア出身のディクソンは話す。両親にキャンピングカーを借りたことも、はっきりと覚えている。

    釣りにはいかなかったけれど、ハイキングには行った。夕食でハンバーガー、ピザ、サラダ、焼いたお菓子の「スモア」を食べたことは覚えているが、どの順番で食べたのかは、覚えていない。

    32歳のディクソンは、エピソード記憶障害を患っている。6年近く前に自動車事故に遭い、頭を強く打って以来、この記憶障害とともに生きてきた。ここ何日かの間、確実にしていないことは把握している(例えば、中国に行ったりはしていない、というような)し、自宅の家具の配置も思い出せる。けれど、事故に遭ってからは、起こったことをすぐに思い出すことができなくなっている。

    記憶に障害があっても「結構普通に暮らしていると思う」とディクソン。2011年には地元のハーフマラソンに参加した。世界の全人口の内上位2%のIQを持つ人だけが参加できる国際グループ「Mensa」の一員にもなっている。ディクソンは、教育心理学の修士号を取得している。年初には毎年、外国への旅を計画する。昨年はメキシコで、今年はスウェーデンに行くつもりだ。

    ディクソンが、このように活動的に生き続けるには、サポートが必要だった。そして、彼は自ら、自分の生活の時間や記憶をトラッキングするツールを開発した。4年の間、鍵のかかった Twitterアカウントを使って、自分の生活のログを取ってきた。最近は、自分の脳の外付けハードドライブとして作り上げた、ME.moryというアプリを使ってログを取っている。

    ディクソンはひたすら日常の出来事をログし続けている。走ったこと、母親と買い物にいったこと、足の爪を切ったこと、朝食に食べたもののこと。こういった珍しくもない出来事のディテールは、ほとんどの人には退屈なものに思えるかもしれない。でも、これらのことを記憶することができなくなったディクソンにとっては、すべてが毎日を生き続けるための力を与えてくれる、大切なピースなのだ。

    ディクソンは、数時間に一度、スマホを見てメモを書き込んだり、思い出せないことを探し出す。

    「遭うべきタイミングで、遭うべき事故に遭ったんだと、周りには言っているんだ」とディクソン。「もし1980年代に事故に遭っていたら、スマホやネット、あらゆるテクノロジーの助けを借ることができなかったはずだ。僕はさびしく過ごしていたと思う」

    ディクソンは、記憶障害を患っている人だけではなく、他の多くの人たちもME.moryのようなサービスを使い出すのではないかと言う。

    「誰もが、自分の人生で起きた大半のことを覚えていない」「みんな僕に『記憶障害の人たちのためのアプリでしょう?』と聞いてくる。でも僕は彼らの顔をみて『あなたのことかい?』って言うんだ」

    2010年12月、精神科医を目指していたディクソンは、両親の家の近くでジョギングをして、自動車にはねられた。事故で肺が破れ、頭を強く打ったディクソンは、病院に運ばれた。

    入院当初、朝目覚めると、ディクソンの頭には、いつも同じ質問が浮かんだ。「自分はどこにいるんだろう?どうやってここにきたのだろう?」その後、ディクソンは眠りに戻った。数時間後目覚めると、また同じ質問が繰り返し浮かんだ。

    ディクソンの症状をみてきた臨床神経心理学者のマックス・シュミドハイザーは、彼の損傷には2つの特徴があると説明する。事故前にあった記憶はそのまま残った。しかし、事故後は新しい記憶を蓄積していくことができなくなり、起きたことを思い出すことが難しくなった。

    深刻な脳損傷は大概、脳全体の機能に影響を与えてしまうことが多い。ニューロンに小さな亀裂が入り、動脈のあちこちから出血する。ディクソンの場合、一番損傷が大きかったのは、脳で記憶を司る内側側頭葉だった。

    病院の看護師たちは、ディクソンに同じ用事で繰り返し呼ばれ続けた。そして、彼のベットの横には、事故に遭ったのだ、と記したメモ書きが置かれた。

    ディクソンは起きたことややったことを記録するため、紙の日記をつけるようになった。でも、1年経たないうちに、ディクソンはテクノロジーを用いた方法を模索し始めた。

    起きたことの詳細を詳しく探せない日記帳の代わりに、ディクソンは鍵付きのTwitterアカウントに投稿する形で、メモをつけ始めた。

    その後の4年半の間、ディクソンは2万9千件の投稿をした。でも、Twitterのサーチ機能も不十分だと感じていた。

    だからディクソンは、もっと簡単に物事を思い出せるツールを作ることに決めた。昨年7月、新しいツールのプロトタイプに最初の投稿をした。今年の4月、そのアプリはiTunesで入手可能になった。

    ディクソンがアプリをリリースした理由。それは彼が、人々が情報にアクセスしたり、集める方法は常に変動していると考えているからだ。10年前、ほとんどの人が、電話番号を頭で記憶していた。でもスマホの登場で、家族や友人の番号でさえも、ハードウェアに記憶してもらう形に移行してしまった。

    「記憶の外部保存は確実に増えています」。マサチューセッツ工科大学で記憶喪失と回復について研究するトーマス・ライアンは、BuzzFeed Newsに語った。「そもそも人間は、石に文字や絵を描いていたころから記憶を外部保存してきました」

    記憶を外部保存することで、他の種類の情報を脳に蓄積してくことができるようになる。コミュニケーションの幅も広がる。

    Twitter投稿のメモは、その時なにがあったのかをディクソンに伝えてくれる。しかし、例えば、海辺で過ごした午後について記した手書きのメモや動画は、エピソードを含んだ記憶の代わりににはなり得ないと、ライアンは話す。「(メモなどの記録は)その時の感情は含んでいません。そして、あなたが個人としてその時、何に注意を払っていたのかということも、記録されません」

    ディクソンは自身の記憶障害を受け入れている。初めて会う人にも、まず初めに、率直に記憶障害があることを打ち明けている。

    ディクソンの症状を聞いた人たちの多くは、ドリュー・バリモアが記憶障害の女性を演じた映画「50回目のファースト・キス」や、記憶が10分間しか保てない男性が主人公の映画「メメント」の話をするという。

    でも現実は、もっと平凡な感じだなのだと、ディクソンはいう。毎日の出来事をログすることは、スーパーの買い物をリストを作ることに近いそうだ。「おかしくもなく、印象的なこともなく。淡々とした生活があるだけ」と、ディクソンのガールフレンド、リンゼイ・グラハムは説明する。

    グラハムとディクソンは、オンラインのデートサイトを通じて出会った。グラハムはディクソンの記憶障害について記したプロフィールを読み、その正直さに感心した。最初のメッセージは彼女から送ったそうだ。

    出会ってから1周年の記念日。二人はディクソンの投稿をスクロールしながら、思い出深い瞬間を回想した。時に、グラハムが投稿することもある。「長く付き合えば付き合うほど、ログが増えて、何をやったかたどれることが増えます」とグラハム。「彼がログをつけてくれていることが好きです」

    6月のある晩、グラハムとディクソンはライブに出かけた。グラハムは、会場近くに、以前行って、気に入ったインド料理のレストランがあることを思い出した。でも、名前が思い出せない。グラハムは、ディクソンにログをたどってもらった。

    そこには、10ヶ月前の昨年8月1日、二人がそのレストランを訪ねたと書いてあった。グラハムとディクソンは、レストランへと向かった。

    Facebookでも記事をお届け。