女性の目線から描く─「女目線」を取り戻そうとする、3人の若い女性写真家たち

    どうして、ほかの誰かが決めた美の基準に従うのだろう? 基準は自分たちでつくれるはずだ。

    出版物やスクリーンにおける女性の描かれ方を決めてきたのは、これまでずっと男性アーティストだった。そして、この独占的な男性の視点のせいで、女性に対する画一的で狭い見方が作り上げられてきた。

    「メイル・ゲイズ(male gaze:「男目線」)」という言葉は、フェミニスト映画理論家のローラ・マルヴェイが生み出した。この言葉が指し示すのは、映画や写真の中でもっぱら男性の快楽のために描かれる、性の対象物としての女性の姿だ。

    ミュージックビデオで多用されるフレーミングテクニックを思い出してほしい(これについては、ドキュメンタリー『Dreamworlds 3: Desire, Sex & Power in Music Video』の中で深く掘り下げられている)。女性たちはしばしば、男性が注視するポイントの周囲に配置される。そして、カメラが彼女たちの体を上下にパンする中、踊ったり、自分やアーティストの体を触ったりする。女性たちは、上から撮られたり(フォーカスは胸の谷間に)、下から撮られたり(スカートの中をのぞくようにして)することもある。彼女たちは、ひとりの人間としてではなく、対象物として映るように仕立てられている。そしてこうした映像は、「重要なのは見た目だ」というメッセージを世の中に発信している。心や創造力、さまざまな能力などではなく、体と、それを過剰にセクシャライズすることこそが重要なのだ、と。

    このような制限のある女性描写に対して、包括的でフェミニスト的な作品を武器に闘っている3人の女性写真家たちを紹介しよう。サブリナ・クラウディオチャーリーXCXノードストロームといったクライアントと仕事をしてきた女性たちだ。彼女たちの作品はどれも、型破りな美を強調し、アートにおける女性の描き方の枠を広げ、そして何より、女性の体を性の対象物から解放し、男性の視点を脱中心化している。

    カンヤ・イワナは23歳。インドネシア・ジャカルタ生まれの写真家だ。フリーランスのアーティストとして、ロサンゼルスとニューヨークを拠点に活動している。彼女の作品が捉える女性たちは、その多くが、激しさや率直さ、傷つきやすさを強調されている。カンヤに写真を撮ってもらったモデルの多くは、彼女とのフォトセッションは一種のセルフケアのようだったと言っている。

    クロエ・シェパードは、22歳のフィルムフォトグラファー/ビジュアルアーティスト。イギリスのベッドフォードシャーにある小さな町で生まれ、いまはロンドンで暮らしている。彼女の写真に捉えられた女性たちは、明るくて生き生きとしている。どの写真も、友だちといっしょに街をブラブラしていた16歳のころの気分を蘇らせてくれる。

    22歳の写真家アシュリー・アーミテージはシアトル出身で、現在はシカゴとニューヨークを拠点に活動している。彼女の作品の中の女性たちは、自然体の自分を心地良さそうにさらけ出している。アシュリーは、メインストリームのメディアでは無視されることの多い、体毛やくびれ、妊娠線などの女性らしさ(生理もそのなかのひとつ)を写真におさめることで知られている。

    そんな3人に、男性が牛耳る業界で、どう舵取りをして、女性アーティストとしての独自性を維持しているのかについて、語ってもらった。また、女性をポジティブに尊重しながら撮影するという課題に対して、どのようにアプローチしているのかについても語ってもらった。

    モデルから、「あなたの写真によって力づけられた」と言われることがあると思います。また、自分自身も、力づけられるように感じる作品があると思います。それらの中で、とくに印象に残っている個人的な瞬間を教えていただけますか?

    クロエ:私がいちばん忘れられないのは、自分でジン(ZINE:小冊子)をつくった時のことです。『Lust for Life(人生への渇望)』というジンです。

    私が撮影したかったのは、女性であることを自覚しながらも、「完璧な胸」という美の理想には逆らっている人たちでした。胸が垂れ下がっていたり、小さかったりする女性たちを撮影したかったのです。

    すごく楽しんで撮影できました。中には、胸のあざを気にしている人もいたので、メーキャップやグリッターを派手に使いました。出来上がった写真を見せると、「すごい! ずっと自分の体が嫌いだったけど、あなたのおかげで自信がついたわ」と言ってもらえました。素敵な経験でした。私が撮った写真に力づけられた人もいると思います。モデルたちも力づけられたと思います。以前には無理だと思っていたようなやり方で撮影が行われましたから。

    フリーランスとして活動する上で、どんなことに気をつけていますか?

    カンヤ:失敗から学ぶことです。そして、スマートかつ大胆に仕事をこなしていくことです。それから、漠然とした言い方になってしまいますが、本気でがんばり通さなければならないと思います。ありふれた言葉ですが、ありふれた言葉には、ちゃんと理由があるんです。

    同じ目的に向かって努力している人はたくさんいます。たしかに、チャンスは誰にでもあります。でも、自分の道を踏み外さずに、走り続けながらいくつかのことを学んでいかなければなりません。私の場合、じっと座って仕事が来るのを待つようなことはしませんでした。すごく努力しました。ありとあらゆるブランドやアーティスト、メディアに自分を売り込みました。おかげでここまで来ることができましたが、不安に襲われたり、涙を流したりすることも度々ありました。

    クロエ:すごく大変です。1年間、大学に通いましたが、結局、中退しました。やる気が失せてしまって、授業にもほとんど顔を出していませんでした。その結果、いままでなかった自由を手に入れました。一日中ベッドの中でゴロゴロしていても、誰にも文句を言われない、という自由です。フリーランスも同じようなものです。一日中ベッドの中でゴロゴロして、仕事をしなくてもいいんですから。でも、もし本当にそんなことをしたら、仕事をしなかったせいで、罪悪感に襲われることになります。自分で自分のボス役を務めるのは大変です。誰からもあれこれ指図されないところはいいのですが、困ったときに相談する相手がいません。頼れるのは自分だけです。でも、何とかうまくやっています。大切なのは、セルフモチベーションを見つけること、そして、それを維持することです。

    アシュリー:難しくもあり、楽しくもありますね。働くべきときと、休むべきときを、自分で判断しなければなりません。写真の仕事は予想がつかないので、私にはスケジュールなんてありません。週末も平日もありません。あちこちで時差のある仕事をしているので、昼も夜もずっとメールをチェックしています。もっとうまくバランスをとって、ときどきは仕事の頭をオフにしないと、と思ってはいるのですが。

    自分の作品を人々に見せる際に、いちばんナーバスになるのはどんなときですか?

    アシュリー:セルフポートレートを撮って、それをInstagramに投稿するときです。自分の体を受け入れることはひとつの旅でしたし、いまだってそうです。でも、自分を被写体にできるようになったおかげで、自信がつきましたし、自分を解放できるようになりました。

    カンヤ:いろいろな場合があります。私がそんなふうに感じるのは、作品自体がすごく傷つきやすいものであるとか、本当の意味での透明性があるときです。ポラロイド・オリジナルズのキャンペーンで、何人ものお母さんと娘、息子といっしょに仕事をしました。彼らにとっては、家族といっしょにカメラの前に立ち、自分たちのことについて語るのは、すごくデリケートで、また貴重な体験でもあったと思います。だから私も、そのつもりで撮影に挑みました。

    妊娠している女性を撮影するときもナーバスになります。私はいつも、こうした瞬間をありのままに美しくとらえたいと思っています。すごくプレッシャーがかかります。彼女たちの歴史の一部になる出来事をかたちにするという作業は、いつも大仕事です。

    クロエ:私がいちばんナーバスになるのは、セルフポートレートです。いつもの撮影では、カメラの後ろに隠れていて、自分が写真にうつることはありません。でもセルフポートレートだと、普段の撮影にはない緊張感に襲われます。大きな仕事を引き受けたときも、そうなることが多いです。撮影現場に大勢の男性スタッフがいて、大声を上げて威張り散らしているのを見ると、萎縮してしまいます。そんなときもナーバスになってしまいますね。「こんなに引っ込み思案じゃなかったら、私も何か意見を言えるのに」って。

    アシュリーさんとカンヤさんは、一流企業のさまざまなエディトリアル/コマーシャル・プロジェクトで写真を撮ってきました。アシュリーさんはグッチやビリー(女性用カミソリブランド)と、カンヤさんはポラロイドやアトランティック・レコードと仕事をしています。いま、個人的なプロジェクトには取り組んでいますか? 依頼された仕事とのバランスはどのようにとっていますか?

    アシュリー:正直いって、仕事と個人的な作品のあいだに、はっきりした線引きはありません。どんなプロジェクトにも自分の創造的なビジョンを取り入れようと、いつも努力しています。私のスタイルを気に入って仕事を依頼してくれる人たちと仕事ができて、本当にラッキーです。個人的な作品よりも、依頼された作品に取り組むほうが好きかもしれません。お金の心配をする必要がないですから。とはいえ、個人的なプロジェクトも常に抱えています。月に大体1~2回は、個人的な撮影を行っています。

    カンヤ:私はいま、以前から取り組んでいるプロジェクトを進めているところです。「I Don’t Fit In」というプロジェクトで、社会に受け入れてもらえない、もっとも弱い立場にある人たちに焦点を当てています。私の目標は、母国のインドネシアに帰って、「カラリズム(黒ずんだ肌の色に対する、とくに同一人種・民族内における、差別・偏見)」というテーマに取り組むことなんです。

    母といっしょにビーチに出かけたときのこと。母はビーチでも、服で体中を覆ったままでした。そして、「これ以上、黒くなりたくないの。家に帰ってみんなから、黒くなったって言われたくないの」と言っていました。気にしすぎなんじゃないかって思いますが、わかる気もします。私も子どものころ、肌の色がみんなよりも黒いせいで、いじめられましたから。インドネシアでは、肌を白くするためのクリームやローションまで売られているんです。こんなことでいじめられるなんて、納得できませんでした。だから私は、インドネシアのモデル業界で働いている人たちと話し、自分の扱われ方をどう思っているのか聞いて回っています。

    モデルたちに気持ちよく撮影に挑んでもらうための秘訣は何ですか?

    カンヤ:わたしはただ、彼らを人間として扱います。本当です。話しかけて、彼らに十分に呼吸してもらいます。彼らが呼吸し、そこに存在していて、美しく、完全だと安心してもらいます。

    私が思うに、広告の撮影でありがちなのが、商品を伝えることに集中するあまり、誰がその商品を売るのか、誰が買うのかということを忘れてしまうことです。売るのも買うのも人間です。だから、人間的なレベルで、彼らとつながらなければなりません。そのことに磨きをかけなければならないんです。人というのは、人として扱われているときにこそ、心を開くのだと思います。

    アシュリーさんの写真は、背景に色をつけて撮影されたり、艶やかで「ガーリー」なテーマを持っていたりするものが多いように思います。こうした効果は、あなたが撮影する裸体や体毛などの「欠点」が受け入れられていることに一役買っていると思いますか?

    アシュリー:私が撮る体毛の写真が広く受け入れられているなんて、まったく思っていません。毎日、荒らしをブロックする作業に追われています。私のInstagramアカウントは、私と私が撮影した人たちにとって安全な空間であるべきだからです。

    たしかに、一部の人たちからは受け入れられています。でも、もしソフトでドリーミーに見えるように撮っていなかったら、体毛の写真にこんなにすんなり夢中になってもらえなかったかもしれません。荒っぽくてザラついた見え方だったら、これほどすんなりとは受け入れてもらえなかったかもしれません。

    不安を感じたり、やる気をなくしたりすることはありますか? あなたの原動力は何ですか?

    アシュリー:もちろんありますよ! でもアーティストなら、誰でもそんな気分に襲われるのではないでしょうか。常に何かからインスピレーションを得ていなくてもいいんだということを学ばさせられました。おかげで、自分の創造力が小康状態のときは、ひと休みしてセルフケアを行うちょうどいい機会に思えるようになりました。

    クロエ:ええ、私もしょっちゅう。原因のひとつはインターネットかもしれません。インターネットは素晴らしいと思いますよ。でもときどき、そのせいでネガティブな気分にさせられることもあります。自分とほかの人を比較して、「どうして私はこうじゃないの?」みたいな。インターネットのせいで、自分には価値なんてないんだと思い込んでしまうことが本当にあるんです。

    今日もそんな気分だったので、ジア・コッポラ監督の『パロアルト・ストーリー』を見ました。私は彼女の大ファンですし、作品からインスピレーションがもっと得られるとわかっていましたから。大事なのは、そういうときでも興味をかき立ててくれるような、何かほかのアートを見つけることです。落ちた穴から抜け出せるよう助けてくれるインスピレーションがあるようなアート作品ですね。あきらめてしまったら、そこまでです。前に進み続けているならば、この先に何が待っているかわからないということ自体が、やる気をかき立ててくれる場合もあるかもしれません。

    カンヤ:私の場合、いちばん失望させられるのは、いろいろなことのビジネス的な側面だと思います。アーティストは、みずから率先してスマートに立ち回り、いま業界内で何が起きているのかを把握しておかなければなりません。常に自分で自分を守らなければなりませんし、業界で生き延びていく方法も知っておかなければなりません。とくに若い女性の場合は。

    スーツを着た男性の一団に向かって自分のアイデアをプレゼンするときには身がすくみます。どうにかなりそうです。起業家としての能力を大急ぎで身につけ、いろんなことを学ばなければなりませんでした。すごく大変ですが、本当にそうしたいのなら、自分にできることがわかれば、それが自信を与えてくれるんです。それから私の場合、正直に言うと、娘が私の背中を押してくれています。娘に手本を示したいんです。だから、ビクビクしながら生きていくわけにはいきません。そんなふうだと、娘に何も教えられませんから。

    いつもどうやってモデルを見つけていますか? 人種や力量、サイズ、ルックスに多様性は求めていますか?

    クロエ: Instagramは、モデルを見つけるのにうってつけの方法だと思います。Facebookとちがって、友だちになってから連絡をとる必要がないですから。ソーシャルメディアが発達したおかげで、モデルのキャスティングがずっと楽になりました。とくに多様性に富んだモデルを集めなければならないときは。

    私が思うに、たとえば2012年ごろであっても、さまざまなサイズのモデルには、それほど多くのフォロワーはついていなかったんじゃないでしょうか。当時はまだ、モデルに対して基準のようなものがありましたから。でもいまは、モデルの重要性が認識されつつあります。さまざまなジャンルをカバーするモデルがたくさんいて、フォロワーもたくさんついていますし、知名度も上がりつつあります。

    みなさんが撮る写真の多くには、70~80年代の雰囲気がありますが、どなたも、当時はまだ生まれていませんよね。過去の美意識のうち、どのようなところにひかれるのでしょう? 現代の美意識のうち、意識的に避けているものは何かありますか?

    カンヤ:私の場合は、無意識にそうしているんだと思います。昔のアーカイブ写真にすごくひかれるんです。きれいな色や風合いがふんだんに用いられていて、本当に素晴らしいと思います。私はサーシャ・サムソノバの作品が好きなんです。彼女の写真はとても現代的ですが、50年代のフィルム・ノワールっぽさもすごくあります。ハーリー・ウィアーの作品も好きです。非常に抽象的で前衛的なので、独特のタイムレスな感じがあります。

    アシュリー: 70年代と80年代は、美意識的にすごく面白い時代だったんじゃないかと思います。なので、その感覚を自分の作品に取り込むのが好きなんです。いまの美意識から離れようとしているわけではありませんが、その一方で、自分の作品が何か特定の時代の作品に見えてしまうのも嫌ですね。メイクやスタイリングはナチュラルを心がけています。そうすることで、タイムレスな質感が得られます。2018年に撮ったことが簡単にわかるような写真は撮りたくありません。写真を観る人に思いを巡らせてほしいんです。

    クロエ: 8~9歳のころ、家にあったアルバムをいつもながめていました。当時はデジタル写真も登場しかけていたはずですが、そこに貼られていた家族写真はどれもフイルムで撮られていました。このアルバムが私の興味をかき立ててくれたんだと思います。

    70年代っぽさについては、私の家族は、古い映画をよく観ていました。当時の映画はどれも、いまよりもずっとミニマルな質感で、そこが私は好きなんです。いまの美意識のなかで私が避けようとしているのは、「過剰なプロデュース」です。パッケージや広告、映画など、私たちが消費するものすべてが、過剰にプロデュースされています。何であれ、詰め込みすぎだと思うのです。すべてがシンプルだった当時のほうが、私の目には美しく映ります。


    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan