モスル周辺の村々の奪還を試みるイラク軍。ISとの本格的な戦いを前に、住民たちは逃亡を始めた

    IS支配地域の人たちにとっては、脱出のチャンスともなっている。

    イスラム国(IS)の支配地域との境界にほど近い、イラク北部・マフムルの街。この街の診療所前に、泥まみれの1台のピックアップ・トラックが、急ブレーキをかけて停止した。トラックの荷台にある毛布の下から、生気のない手が出ている。白いチュニックを着た老人が、つえにすがりながら車から降りると、茫然としながら少しずつ歩き出した。親類たちが助手席から意識不明の男性を降ろす間、老人は動揺につつまれた。遺体を診療所に運ぶ手伝いを終えた1人の若者は、トラックの窓に映った自分をじっと見つめると、鼻をすすり涙をぬぐった。

    その一家は、イラクにおけるISの拠点であるモスルに、郊外の村からやってきた。モスルでは、ここ数週間にわたって激しい戦闘が繰り広げられていた。イラク軍がモスル周辺の村々をISから奪還しようと試みる中、住民たちは逃亡を開始した。ここ数週間で、他の何千もの国内の難民たちと合流し、マフムルの街に流れ込んでいる、とマフムルを支配するクルド人部隊・ペシュメルガの司令官らは伝えている。 診療所に遺体を運ぶ手伝いをしていた若者は、死者の中に自分の父親が含まれていたと言った。父親は、家族と共に逃げる途中で即席地雷を踏んでしまったのだ。「僕らは逃げようとしていたんだ」と、若者は言った。

    クルド人司令官は、マフムルの人道的状況は悲惨になってきている、と警告する。イラク軍は、2ケ月近くも、モスルの南にある村々でISとの戦闘を続けており、民間人が連日のようにマフムルに逃げ込んできている。中には、集中攻撃の巻き添えになったり、逃げる途中に地雷を踏んで命を落とした愛する者の遺体を運んでくる人々もいる、とクルド人司令官らは語った。戦闘の激化に伴い、今週末には2,000人以上が流入してきた、と司令官は明らかにした。当局は押し寄せる人の波を慌ててどうにかしようとしている。「もっと大勢の人たちがやってきます」と、犠牲者への対応と補給品の調整を携帯電話で指示しながら、マハディ・ユニス将軍は言った。「こうしている今も、数百人が向かってきているんです。」

    マフムルの危機は、約束されたモスルの奪還攻撃が本格的に始動するとともに迫り来る、民間人の厳しい苦難を予告するものだ。ISと戦う米国主導の連合軍は今年の春、攻撃作戦の構想に着手した— そしてモスルは、特に先月、モスルから南に250マイル(約402.3キロメートル)にあるISの主要拠点、ファルージャを奪還したことを受け、ISと戦う治安部隊からさらなる注目を集めることになるだろう、と発表した。占領までのスケジュールははっきりしないままだったが、米国とイラクの当局者は、繰り返しモスルの占領を明言してきた。

    マフムルのクルド人司令官らは、攻撃が始まれば避難民の数が増加する、と警告した。ファルージャの戦いでは人道の危機が発生し、援助機関が必死で対処しようとする中、街を逃れてきた大勢の家族が 砂漠の真ん中で立ち往生する事態となった。モスルははるかに大きな街だ(米国当局者は、2014年6月にISが街を陥落した後、 100万人近くの人々が街に残ったと推定している)。イラクの国連当局者は、攻撃により、約50万人がモスルや周辺地域を追われる可能性があり、すでに国内で難民となっている約330万人 に加わるだろうと3月に推定した。「最悪な事態になるでしょう」と、イラク戦争中にモスルで米軍と共に働いたマフムルの司令官、ジリアン・シオーエ将軍は言う。

    イラク軍の進行は遅いままだが、民間人は今でも着実に逃げ続けている。ペシュメルガ司令官のユニスは、平穏な日でさえ、数台の車に乗り込んだ人々がやってくるかもしれない、と語った。最近の戦闘はモスル南東部の、ハッジ・アリーと呼ばれる街に集中している。これは、近隣の街ケイヤラと街の飛行場を掌握するイラク軍の企ての一環であり、最終的なモスル攻撃の重要な足がかりとなる。民間人が通るハッジ・アリーからマフムルまでの道のりには、ペシュメルガの軍事地図に地雷原としてマークされている地域がいくつもあり、そこにはISによって即席爆破装置が対人地雷のように仕掛けられている。

    マフムルの街外れにある検問所では、ペシュメルガの兵士たちが、家族連れが徒歩や車で到着する中、混乱の現場を見張っていた。家畜を連れてやって来た者もいれば、小さな袋だけを持って逃げて来た者もいた。土埃の中にテントの小さな町ができていた。この急ごしらえのキャンプが、人々が、より整備された施設へ輸送されるまでの短期滞在地となる。 再会を果たした親類や隣人は互いに抱き合った。子どもたちはプラスチック製の水筒に水を入れるため、水道用ホースに群がった。小さなリュックサックといくつかの買い物袋の側にたたずんだ、心配そうな様子の中年男性は、危険な道中で娘が行方不明になったという。「これは全部、娘の持ち物なんです」と、彼は言った。

    ハッジ・アリー出身の学校長、55歳のサーレハ・オベイドは、ハッジ・アリーの街では、最近、電気や水道、食糧の不足に悩まされていたと語った。ようやく勇気をふりしぼり脱出を決意する前は、家の壁が砲火で揺れていたことを思い出す。「誓って言いますが、本当に恐ろしかったですよ」と、彼は言った。

    ハッジ・アリーの元警官(ISの支配下にいる親類を危険にさらさないため、匿名での取材を求めた)は、戦闘により、ISの支配下で2年間生活してきた人々に脱出のチャンスがもたらされたと言った。過去には脱出を企てたため、処刑された住民もいたという。「ISは住民に対する支配力を強め続けたので、逃げられないんです」と、彼は語った。「私たちも撃たれていたかもしれません」