ISに洗脳されてから自分を取り戻すまでの闘い

ISに参加するのは、ISから脱退するより、ずっと簡単だ。

    ISに洗脳されてから自分を取り戻すまでの闘い

    ISに参加するのは、ISから脱退するより、ずっと簡単だ。

    トルコ南東部、シャンルウルファ。頭に黒いスカーフを被ったオカブは、IS(イスラム国)のジハード戦士の一隊を率いて、埃っぽいシンジャルの街に突入した。神に近づいたという感覚と、自分は天国から放たれた一発の銃弾にすぎないのだ、という気持ちを抱いていた。

    2014年8月3日の夜明け前。 ISの兵士たちは、イラク北部に古くから住む、宗教的少数派のヤジディ教徒の家々を襲撃し始めていた。ISでは古参の方に数えられる野戦指揮官のオカブは、地元の武装勢力から猛烈な抵抗を受けるだろうと予想していた。しかし、武装勢力はすでに撤退し、高くそびえたつシンジャル山の麓に広がる街は、もぬけのからだった。

    その時、仲間の兵士がヤジディ教徒の民間人を家から引きずり出し、「不信心者めが!」と叫んだ。泣き叫ぶ家族の目の前で、ヤジディ教徒の男たちの首をはねた。女性や子供たちを縛り上げ、車まで引きずって行った。数々の大虐殺の光景がオカブの脳裏に焼き付いている。オカブは、後ろ手に縛られ、道路の側溝にうつ伏せで横たわる50人以上のヤジディ教徒の男たちを自動小銃で処刑した。

    ISによるヤジディ教徒の虐殺は、世界中の怒りを買った。ヤジディ教徒の人権保護団体は、3千人以上の民間人が殺害されたと伝えた。 少なくとも、5千人以上のヤジディ教徒が人質になっていた。人質の多くは女性で、性奴隷にされた。アメリカはこれをジェノサイドと断じた。ISの襲来を受けて、シンジャルの街から逃げ出したヤジディ教徒たちは、山の頂上に集結した。アメリカはISに対する空爆を開始した。虐殺はISの過激思想のブランド広告であり、兵士たちの情熱に火をつける役割を果たした。

    だが、あの虐殺によって、オカブの良心は痛めつけられた。ISに疑問を持つようになった。

    震えあがった。誰がこの命令を下したのか? 周りにいた兵士たちに聞いて回った。なぜこんなことをするんだ?

    返ってくる言葉はどれも同じだった。こいつらは不信心者だ。

    オカブは、ISを見捨てることになるだろうなと思った。そして、怖くなった。自分の中に芽生えた思いを、誰かが察知するのではないか。オカブは知っている。ISが離反の疑いがあるメンバーに厳しい処分を用意していることを。

    オカブはイラクのモスルにある基地に戻った。その後、母国シリアに渡り、ISが「首都」を自称するラッカに入った。ISからの離脱という、長く困難な道のりが始まった。

    いま、オカブは、IS離反者による地下組織の一員だ。 元外国人戦士たちは母国で、ISからの報復と、ISにいたために逮捕される恐怖に、おびえながらひっそりと暮らしている。

    なぜ、あのような恐ろしい犯罪に加担してしまったのか。長年染み付いた狂信から目が醒めるにつれ、疑問は募っていった。

    「ISに参加していた奴はみんな悪党。あなたはそう思うでしょう。でもね、私にとって兄弟なんですよ。彼らは」。ある晩、いま住んでいるトルコ南部、国境の街でオカブは話す

    「彼らと全く同じことが、私にも起きたから」

    離反者は人目を避け、気配を消している。生の声を聞くことは難しい。ISのプロパガンダが真実なのか、そうでないのか。確認することすらできない。

    離反したいと思っても、すでに離反した人たちを手本にする術がない。しかし今回の取材では、6人の離反者と、離反者の脱出を支援する2人の男性に話を聞くことができた。

    そこで明らかになったのは、ISの階級構造に生まれつつある亀裂だ。ISの報復と、逮捕から身を守るため、インタビューに応じた全員が匿名を希望した。オカブは、信頼できる友人だけが知る、「ワシ」を意味する昔のニックネームで通すよう求めた。

    ヨーロッパでの再出発を夢見て、ISに見切りをつけた者もいる。一方で、宗派間の流血を求めるISの支配から、依然として逃れきれない者もいる。親族によってISから救出された13歳の少年は、 「不信心者」を当たり前のように殺す考えに、未だに取り憑かれている。

    なぜ、ISはこれほど多くの人たちを惹きつけるのか。疑問を解く鍵が、離反者たちの物語にはあるはずだ。人はどのように過激思想に引き込まれ、そしてどのように自分を取り戻すのか。そして、ISから脱退する際に直面する危険と、その後の人生において続く苦しみを聞いた。


    大学生だったオカブ は、ラッカの街でタバコを吸い、クラスメートと女の子を追い回していた。しかし内戦が続くと、ISの急進的な考えは、混乱する社会の中で秩序を打ち立てる大黒柱のように思えてきた。

    2013年の夏、ISがラッカを占領するまでには、オカブは反政府武装集団の一員として、2年も抗争のただ中にいた。平和的な抗議運動に対してアサド政権は攻撃を始め、反政府勢力が制圧した地域を空爆で壊滅させ、民間人を虐殺するようになった。オカブの家族も流血を免れなかった。従弟や兄弟たちは、人民防衛隊(YPG)というクルド人の民兵組織に殺害されたり、誘拐されたりした。YPGはISにとって不倶戴天の敵だ。オカブはISの一員として、YPGと戦うことになった。

    秩序や論理がほとんど見出せない中、殺人犯の首や泥棒の手を切り落とし、婚前交渉を犯した恋人たちを鞭で打つ、厳格さと単純さにも惹きつけられた。

    オカブは、悪名高い「教化コース」をISから課せられた。これまで、神とは程遠い不信心者として生きてきた、と教えられる。そして、ISに服従すれば、神に近づくことができるのだ、と。

    数十回の戦いを経て、階級が上がるにつれ、兵士としての名声を得た。「うまく説明できないのですが、『神はお前を待っている、だからお前は神のもとへ行かなければならない』と彼らは教えます。『死を恐れずに行ってこい』と」。

    「死にたかった。死ねば、この世のつらいことはすべて終わって、新しくやり直せるから」

    虐殺事件のあと、ラッカに戻った頃にはこうした思いは薄れていた。ISから脱退する計画を立てたが、だんだん怖くなった。シリアは破壊され、家族は離ればなれになっていた。知人らも、ISに参加していたオカブを汚れたものとしてみていた。ISから逃げたとして、一体何をすればいいのだろう?

    暗い衝動からも逃れられなかった。ISにいた時は、指揮官としてのステータスがあった。武器や車、家や安定した給料もあった。尊敬される戦士だった。

    だがISを去れば、ただの難民にすぎない。復讐欲もあった。オカブがISで働いているがために、親戚の女性が誘拐された。当時、オカブと連絡をとっていたトルコに住む友人は証言する。「自分のせいだという思いがあったんだろう。オカブはISから離れる前に、彼女をなんとか解放したがっていた」

    オカブは後に、とても正当化できないと知ることになる妥協をした。ISの真実を目の当たりにしてきたが、イスラム国の黒旗の下で、アサド政権とYPGと戦い続けることにしたのだ。

    他の離反者たちも同じだ。ISとキッパリ手を切れた人間は一人もいない。再びISの活動に身を投じる者も、初めて参加した時と同じような、心の揺れ動きを感じるという。

    敵対する反政府組織は、戦闘員に銃や給料を与えるのに四苦八苦していた。そんな中で、瞬く間に権力の座に上りつめたISは、独特の魅力を放っていた。アメリカ政府の推定では、ISの戦闘員数は約25,000人。ここ数年で延べ38,000人以上の外国人新兵を受け入れていた。2014年6月にモスルを占拠し、カリフ国宣言をしてからは、ISはベルギーと同じくらいの面積を占める領域を支配するようになった。そして、石油の販売や強奪、課税、そして誘拐の身代金で収入を得ていた。ISの拠点、シリアのデリゾール県出身、27歳の戦闘員は、ISにほとんど親近感を持っていなかったが、参加した。その地域に暮らす戦闘に適した男性にとって、他の選択肢がなかったのだ。「ISが犯罪者なのは知っていたよ。でも、シリアでは ISに関わらずに生きていくのは大変なんだ。支配地域ならなおさらだよ」

    ISは家と、車と、月給を彼に与え、さらに結婚式まで挙げた。

    彼も、オカブと同じように過激思想のトランス状態に陥り、そして虐殺で目が覚めた。殺戮に手を貸したことは認めたが、それ以上の詳細については触れなかった。

    虐殺の罪悪感が、やがて離脱へと彼をせき立てた。犯した罪で、穢れてしまったと感じた。ヨーロッパへ逃亡する計画を立てたが、他の難民に気づかれて警察に通報されないか不安になり、断念した。今はトルコの国境付近で行き場を失っている。「ISから離脱したいと思っている人はたくさんいるよ。でも、どうすればそのあと生き延びられるんだろう?」


    オカブはいまだに自分がラッカで抱えた矛盾に苛まれていた。ISから離れるべきだとわかっていながら、戦い続けるという、矛盾に。そんなとき、またとない償いの機会がやってきた。

    上官が、ヤジディ教徒の女性の奴隷をくれるというのだ。

    彼は申し出を受けた。そして、トルコでの出来事を思い出した。彼女を避難させよう。そう言い聞かせた。「1人のヤジディ教徒をただ守りたいと思ったんです」

    奴隷の女性は、これまで残忍な性的暴行を受けていた。体調が悪かったため、すぐに病院に連れて行った。ISはヤジディ教徒の女性たちに対し、組織的にレイプする。少なくとも3,000人の女性たちが今も捕らわれの身になっていると国連や、脱出した女性たちが伝えている。

    奴隷の女性はショックを受けていた。夫は目の前で殺され、2人の幼い息子たちは教化キャンプに連れて行かれた。「彼女につらい過去を思い出させないように努めました。なんとか、気持ちが楽になるようにと…」。オカブは言う。「でも、忘れろと言っても、忘れられるわけないですよね?」

    オカブがトルコに脱出した頃、その女性とは連絡がつかなくなっていた。その後、彼女に何が起こったかを確かめるすべはない。ラッカで一緒に生活していた数カ月の間、彼女に指一本触れなかったという。信用されていないのはわかっている。でも、友達になれた。オカブはそう信じている。

    数時間にわたるインタビュー中、ISによるヤジディ教徒、特に女性奴隷たちに対して行われたことに、オカブは何度も激しい嫌悪感をあらわにした。「この人たちだって、人間なんだ、とみんなに言いました。女性たちをレイプし、売り払い、このように扱うのは禁じられていることだと。でも、彼らの答えはいつも同じ。ヤジディは不信心者だというのです。人間の言葉を理解しないのです」

    彼女を守ったことは、心の支えだった。オカブは自分の体験と、ISについての思いを彼女に話したことを思い出した。「吐き出せる相手が必要でした。そうでもしないと、自爆してしまいそうだった。彼女しかいませんでした」

    彼女の存在が、ISから離れよう、そう誓ったことを思い出させた。

    オカブはトルコとの国境に狙いを定め始めた。2人で安全に国境を越えるために。

    トルコにいるオカブの友人は証言する。「その女のことは忘れるんだ、と彼を説得しました。ISに捕まれば、2人とも殺されるからです。でも、彼は罪滅ぼしのために彼女を助けることを選びました」


    ある寒い夜、トルコ南部の街で オカブは兄と一緒にテラスのテーブル席にいた。オレンジ色の灯りの下で、タバコを立て続けに吸っていた。

    セーターを着て、戦場での彼の名声を裏切るような柔和な表情をしていた。ISからの脱出を話すうちに、彼は必死に涙をこらえていた。

    奴隷の女性に対し、イラクに逃亡するか、一緒に国境を越えてトルコに逃げようと持ちかけた。だが彼女には10歳にもなっていない2人の息子を残してラッカを去ることはできなかった。ISがやってきて、息子たちと離ればなれになって以来、息子たちの消息は全くつかめていない。 オカブは、疑われないよう慎重深く、息子たちについて聞いて回ったが、手がかりはなかった。

    次の手を考えているうちに、トルコで古傷の治療を受ける許可がおりた。手術を受け、回復を待っている時に、、ISが彼の反逆に気づいた。ラッカに戻れば逮捕されるだろう。トルコに残るしかない。女性は、ラッカに残すしかなかった。

    自分の過ちを正すことはできない。オカブは悟った。自分が英雄だなんて、とんでもない。あの奴隷の女性はどうなったのだろう。オカブの兄は言った。「恐らく、また売られていったただろう」

    トルコではどうしたらよいのかわからず、不安に駆られた。ラッカに戻り、ISに赦しを求め、民間人として暮らすことも考え始めた。ただ「普通の暮らし」をしたかっただけなんだ、と。

    忠誠や信条からは距離を置いた。学生の時ほど敬虔ではなくなった。「ISとは規律であり、イスラム教徒は規律を守らなければならない」と彼は言った。

    「誰にも支配されたくない。自由になりたいんだ」

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