「#MeToo」をきっかけに、3人の男性が「女性との関わり」を語ってくれた

    大切なのは、こうした男性たちを擁護するか非難するかではなく、理解することだ。

    「#MeToo」運動によって、私たちが暮らす社会における性と権力にかなりの焦点が当てられた。しかし、世間で交わされる議論からは、「関わっている男性たちの本音」が聞こえてこない。

    恥さらしの当事者は広報のための見世物のように謝罪し、日和見主義者はここぞとばかりに盛んに非難する。インセル(恋愛やセックスの相手が見つからないのは女性のせいだと考える女嫌いの男性)たちは反発して不快な書き込みをしている。しかし、現在のこうした状況を一般男性たちがどうとらえているのかを、私はいまだに理解できずにいる。

    ラジオレポーターという職業柄、私はまず、男性たちに率直に話してもらい、聴衆には自分なりに事態を理解してもらいたいと思う。
    そこで私は、自ら志願してくれた人や、ソーシャルメディアを介して推薦された人たちにインタビューを行った。全員が、女性との恋愛経験や性体験を持つ人たちだ。

    インタビューでは、これまでの性体験と、#MeToo運動から受けた影響について尋ねた。大切なのは、こうした男性たちを擁護するか非難するかではなく、理解することだ。それは、彼らのためではなく、すべての人のためだ。これは私たちの問題なのだ。

    話をしてくれた男性たちは、匿名を希望した。本人や、その会話に登場する人は全員が仮名だ。

    インタビューに応えてくれたのは3人。自分は性的に失敗していると考えているマーク。女性に対してひどい態度を取ってしまうようになった原因を理解したいと考えているトニー。そして、自分は悔い改めなくてはならないと考えてはいるが、何について悔い改めるべきなのか明確にはわからないというイアンだ。インタビューの内容は編集されている。

    マーク(20代後半)

    僕は、サンフランシスコのごく平均的な郊外の町に生まれた。親のひとりは中国人。もうひとりの親は、エルサルバドル人と白人のハーフだ。

    他の人は僕を見ると、まずはヒスパニック系だと思い、それから中東系かもしれないと迷うようだ。多様な人種が住む地域だったので、自分はマイノリティだという意識をそれほど持たずに育った。アジア系の友だちとよくつるんでいたと思う。

    学校は、カトリック系の私立男子校に通った。そこでは、女性は禁断の果実、獲物のような存在だった。そんなふうに思うようになったのは育った環境のせいだ。男の価値は、寝た女性の数で決まる。プライドの問題なんだ。

    問題は、僕は本当に変わり者で、情けないくらいに人づきあいが苦手であることだ。ロマンチックな状況になると、女性に対してどう接していいのかわからない。恋愛の駆け引きができないんだ。そんなことを考えるだけで嫌気がさすし、自分じゃないみたいな気がする。だから、一度もうまくいったことがない。がっかりしてばかりだよ。

    幼かったころは、女の子に関して何度も失敗していた。初めて本気で恋をしたのは、エラという女の子だった。僕は彼女に向かってこう言ったんだ。「ねえ、君の腕時計はとってもいいね」って。5年生のときだった。でもいつも、「気持ち悪い、マークから話しかけられた」という感じになるんだ。たぶん、あの年頃には普通のことなのかもしれない。でも、そういうときのことはいまでも忘れられない。嫌な気分だった。

    そんな状況がずっと続いていたけど、そのうち、AOLメッセンジャーでチャットするようになった。特定の女の子たちがサインインするのを何時間でも待っていたよ。ほんとに、あれが自分の世界のすべてだったんだ。

    知りもしない女の子とおしゃべりしていた。これまでにない新しい衝動を感じていて、それしか頭にない。なのに、実際に口をきいてくれる女の子はひとりもいない。それで、僕と親友は気がついたんだ。自分たちはオタクだということにね。僕たちは、女の子に望まれるような存在じゃなかった。男らしくもないし、運動神経がいいわけでもない。

    ようやくファーストキスにこぎつけたのは17歳のとき。友だちが、SNSのMyspaceで知り合った女の子に会うのに連れて行かれたんだ。結局、その子が連れてきた女友だちと遊ぶことになった。

    2度目に会ったのは駐車場でだった。僕の人生なんてそんなもの。それはいまでも変わらない。その女の子とは、教会の駐車場で会った。友だちは、自分の女の子と車の外でいちゃついていて、僕はもう1人の女の子と車のなかに座っていた。

    彼女をジャッキーと呼ぶことにしよう。ジャッキーと僕は、ただ一緒にいるだけだ。僕はどうしたらいいかわからないから、天気の話とか、ビートルズのこととかを話題にした。いまこそがそのチャンスだなんて、思いもつかなかったよ。しまいに、ジャッキーの友だちが窓から車内を覗き込んで、僕にこそっと囁いた。「ジャッキーにキスするのよ」って。だから僕はそうした。

    ジャッキーと僕は4年間つきあった。恋に落ちたんだ。ジャッキーはおもしろい娘だったし、僕らは互いにいろいろなことを教え合った。

    でも、僕が彼女に優しく接したか、彼女が僕にとても優しくしてくれたかはわからない。少なくとも僕の経験から言うと、若いときは、互いにひどい態度を取ると思う。恋愛の仕方を知らないんだから。相手の立場になってものごとを考えるにはどうすればいいかがわからない。僕とジャッキーはつまらないことでしょっちゅう喧嘩していた。

    セックスについても喧嘩した。彼女はしたくないのに、僕はしたかった。お互いが同じくらい求め合うのがいいんだけど。ただ、僕の経験としては、付き合っていくうちに、セックスがそれほど大事ではなくなっていく感じだった。

    それ以来、5年も恋人がいなかった。そのあいだにセックスをしたのはたったの3回くらいだ。ジャッキーと別れてからしばらくは、女の子と付き合わなかった。たいていはひとりでいたよ。女の子は、手の届かない、遠い存在になってしまった。

    それに、問題はそれだけじゃない。気取るつもりはないけど、僕はしょっちゅう「かっこいい」と言われるんだ。「あなたって素敵ね」と言われることは日常茶飯事さ。でも、いらいらするよ。だって、自分ではそんなふうに思えないんだから。ときどき、ひどくムカムカする。腹立たしいんだ。もちろんね。

    自分は悪くないヤツだとは思う。いまの僕は、ひどく拒否されるのは嫌なんだ。一度、ある女の子と会ってデートして、バーに行った。そこでたくさん飲んで、僕らはキスを始めた。それから僕は、彼女の体に触り始めた。せっかくのチャンスだから、と思ったんだ。バーでね。

    それから、それぞれの自宅に帰るためにLyftに相乗りをして、僕が先に降りることになった。さよならを言うときになって車を降りたとき、僕は彼女に向かってお金を投げつけてしまった。思い返してみれば失礼な話だよね。Lyftの代金を渡すつもりだったんだ。でも、ひどいと思われたと思う。それはわかる。

    若さのせいだと正当化することはできない。僕は恋愛経験が豊富じゃないし、若さを楽しむことができずにいる。望んでいること、普通のことを手に入れられないでいる。普通って何なんだろう?

    友だちには、「お前は考えすぎだよ」と言われる。男の知人からはいつも、「もっと自己主張すべきだ」とアドバイスされる。女性に対してはもっと自己主張すべきだし、特定の行動を起こして、関係を試してみなくてはならないっていわれるんだ。それ以外に方法はないから、って。

    友だちのディミトリは、「マーク、とにかく女性は自分のアパートに連れていかなくちゃだめだ。適当に嘘をつけ」と言う。嘘でもいいから、『かばんを取りに行かなくちゃ』とか『ピーナッツバターが食べたい』とか言えとね。僕には想像すらできないことだ。でも、ディミトリはそうやって、僕よりもはるかにたくさんの女性を手に入れている。

    ディミトリの友だちのトロイは、たくさんの女の子と寝ているらしい。トロイはまず、女の子の脚の近くに手を置いてみて、彼女がその手を避けるかどうか様子を見るんだそうだ。彼女が嫌がらなかったら、次はほんの少し触れてみる。はしごを一段ずつ上っていくように進んでいくわけだ。そういう考え方なんだ。

    でも、つい最近、ある男性と一緒にテニスをした。彼ははじめ、僕の肩に手を触れて、それから僕の体を撫で始めた。彼が何をしているかはすぐにわかった。僕はとんでもなく居心地が悪かったよ。やばいぞって。

    いまならわかるんだ。「こんなこと、大騒ぎすることじゃない」というふうにはならないんだ。嫌な気持ちになるんだよ。だからいまは、トロイのアドバイスは絶対に聞き入れない。それに、言うまでもないけれど、(#MeTooで)いろいろなことが明らかになった。そうしたことついてはよく考えるよ。

    僕は、とにかく途方に暮れているんだ。だって、自己主張するほうがうまくいくみたいだから。女性は断固とした態度に反応する。じゃあ、僕はどうしたらいいんだろう。僕はそのことでいつも、ちょっと不安を抱いている。

    実は、それにはもうひとつ理由があるんだ。詳しくは説明できないけれど、僕の家で2週間にわたって、仕事上の集まりがあった。で、僕はそのとき、他の人たちの体を触ると噂されたんだ。ばかげた話だよ。そんなことはしていない。まず、僕はあまりにも不器用な人間だ。それに、相手の同意も得ずに触るなんて、ばかげているにもほどがある。そういう類いの集まりではなかったし。

    でも僕は、この問題に注意関心を集めようとするより、彼らをその場に残したまま家を出た。最悪だった。僕がこの話をすると、相手は必ず疑うんだ。何らかの行為が告発されると、実際には何も起きていなくても、本当に起こったかのように思われてしまう。とにかく怖い。だって、また同じようなことが起きたら、どうやって自分の潔白を証明したらいいのかがわからないからだ。誰かが僕に言いがかりをつけたいと考えたら……。

    #MeToo運動に価値があるのは当然だ。当たり前だ。そういった場面では、すべての支配権は男が握っている。その支配権がいま、抑制された。僕個人としては、間違ったことは一切していないのに、まだ漠然とした不安を感じている。僕にだって性欲はあるからだ。人間だから。

    いまは、セックスがあまり楽しいと思えないことがある。いろいろ考えすぎ、心配しすぎるからだ。相手の女性は楽しんでいるだろうか、とかを考えてしまう。何も考えずにいられればと思うときもあるんだけど、それはできない。彼女が楽しんでいるだろうか、といったほかのことがひたすら気になるからだ。

    [インタビュアー:多くの女性も、セックスのときにそんなふうに感じていると思いますよ]

    ああ、そうなんだ。こういう話ができてよかったよ。

    トニー(20代後半)

    僕はいつも不安がある。「自分は恥をかくんじゃないか」とか「すぐにでも仕事がクビになるんじゃないか」とか、いろんな不安だ。わかってもらえるかどうかわからないけど。

    僕の母は、自分よりずっと年上の父と結婚した。2人はとても愛し合っていたけれど、9年くらい経つと、母はお酒を飲むようになった。僕の中には、母のアルコール依存症は父のせいだ、という恨みがずいぶんあると思う。

    母に責任がなかったと言いたいわけじゃない。母は、もっといろいろ行動できたはずだと思う。キャリアを積むとか、離婚するとか……。母には実際、どのくらいの責任があったんだろうか。僕はいまでも理解できずにいる。

    母はいつも僕のことを思い、かわいがってくれた。けれども、お酒に手を出し、ウォッカ1本を1日で飲み干すほど深酒するようになった。愛情あふれる母親が、次の瞬間には僕を傷つけ、支配し、冷酷な態度を見せるようになるところを想像してほしい。ものを投げつけてきたり、嘘をついたり。だから、僕は自分で自分を守らなくてはならなくなったんだと思う。母を遮断したんだ。

    母とは、身体的に争うことがよくあった。お酒に手を伸ばそうとする母を、レスリング選手のように押さえ込んだりした。まさに権力争いだよ。母は、飲酒運転で捕まって免許証が失効していたから、母を迎えに行くのは僕の役目だった。僕は15歳か16歳ですでに、母親に対して権威を持つような気分になっていた。自分が面倒を見なくちゃならないという感じだ。

    僕が女の子に対して強引になったのはそれが原因だというわけじゃない。でも、母を従わせようとしていたことが、僕に影響したことは間違いないと思う。

    女の子については……。僕を好きだという女性はたくさんいた。でも、つきあわない理由を探してしまうんだ。あら探しとでも言えばいいのかな。つきあいたいと思える人に会ったことがなかった。女性とは、ただセックスするだけ。セックスはしても、キスは避けていた。自分でも変だなとは思っていた。安全な距離を保つような感じなんだ。

    大学4年のとき、ステファニーという女友だちの家に泊まることになった。深夜に彼女の家に着くと、ステファニーは、ソファで寝る僕に毛布を貸してくれた。でも、10分後にまたやってきて、ベッドで一緒に寝てもいいと言い出したんだ。僕たちはいい雰囲気になった。

    彼女は僕の上に覆いかぶさると、下半身を僕にこすりつけてきた。それから、2人でおしゃべりをした。お互いの元カレや元カノの話だ。ステファニーは僕の体をほめてくれた。僕たちは、ただ互いに触れ合っていた。ステファニーは、セックスがしたかっただけなんじゃないかと思う。そうほのめかしたけれど、僕ははぐらかした。

    セックスはしたくなかった。夏のあいだ、オリビアという女の子とずっと付き合っていたから、誰かと親密な関係になることに抵抗があったんだ。オリビアは、初めての本当のガールフレンドだった。でも海外に行ってしまっていた。それに、オリビアとステファニーは知り合いだったんだ。

    でも、ステファニーとずっとじゃれあっていたから、僕はずっと勃起していた。それで、「僕が何をしたいかわかる?」と言いたい気分だったけど、恥ずかしかったこともあって、変なやつが言うみたいに言ったんだ。「パイズリしたい感じなんだけど」ってね。

    ステファニーは笑い飛ばしながらも、そのままずっと戯れ続けた。僕がもう一度聞くと、「オッケー……」という返事。だから僕らはそうしたんだけど、ステファニーは嫌になってしまったようだった。僕が動きを止めて、そのままの態勢でいると、ステファニーは手を使って続けてくれたんだ。僕はやめてほしくなくて、「お願いだよ」と言うと、ステファニーは「ノー」と言う。「お願い」「ノー」というやり取りを続けた挙句、ステファニーは最後に「わかったわ」と言った。

    雰囲気はもう、いい感じじゃなかった。ステファニーが楽しくもないのにやっているのは明らかだったからね。でも、僕は自分の悦びしか考えられなくなっていたし、いけないことだとは考えなかった。僕は果てると、ステファニーにティッシュを渡した。すると彼女は冗談めかして、親切ねと言った。

    ステファニーが嫌がっていたから興奮したわけじゃない。単に、他人の気持ちを無視していただけだ。相手をひとりの人間として尊重していなかった。それはきっとポルノのせいだ。女性は支配されるのが好きだと一般的には思われている。僕にはよくわからない。最近は、女性が僕に支配してもらいたがる範囲が、僕が居心地いいと感じる範囲を超えている感じなんだ。

    それから数カ月経ったあと、オリビアがステファニーに、どうして僕にずっと触れ続けたのかを聞いたことがあった。ステファニーの返事は「いい気分にさせてあげたかったら」。ステファニーは僕のことが好きだったから、気まずい関係になりたくなかったんだと思う。あの行為のあとも、ステファニーと僕はしばらく起きていた。僕は自分でも間抜けだとは思うけど、僕らはその数年前から友だちだったんだ。

    僕がもっと若かったときに「MeToo」運動が起きていたら、あの出来事の重大性にもっと早く気づくことができたと思う。でも、あのときはそんなふうには考えなかった。

    翌朝、車を持っていたステファニーと僕は、一緒にスーパーに買い物に行った。ステファニーはその帰り道、こんなふうに冗談を言った。「誰にも言わないでくれって、私に口止め料を払わないの? カニエみたいに」

    それから3~4日後に、ステファニーが電話をかけてきて、僕にこう告げた。

    「ねえ、一応言っておくけど、あの日の行為はセクシャル・ハラスメントだと言えるんじゃない? でも、誰にも言ったりしない。あなたは私の友だちだから」。その言葉を聞いて僕はすっかりむきになってしまい、完全否定した。

    そんなふうに思わせて悪かったとは言ったけど、それだけだ。自分が強引だったことは認めたし、後悔しているとも言った。でも、内心は「ばかなこと言うなよ」と考えていたと思う。そして、いま振り返ってみれば、あれは強制だった。明らかに。

    彼女の気持ちを理解し、自分の行為は間違っていたと認めれば、それですべて終わっていたと思う。でも、僕はステファニーを無視し、拒否した。怖かったからだ。僕たちは口をきかなくなった。

    まもなくすると、大学の副学部長から呼び出された。ステファニーが僕に謝罪を求めているという。だから、僕は丁寧な謝罪の手紙を書いたんだけど、副学部長はそれを見て「どうやら君は、とんでもないことをしたと認めているようだね」と言った。そうして、大ごとになってしまった。

    詳しい話は省くけど、僕の人生はひどく混乱した。それについてステファニーを許せるようになるまで、かなりの時間を要した。自分自身を許すことはまだできていない……。

    オリビアが帰国すると、僕らはまた付き合い始めた。オリビアはステファニーからすべてを聞くと、僕に同情してくれたんだ。それがとてもありがたかった。誰かが悪いことをしたとしても、その人をよく知っていれば事態はなんとかなる。本当の友だちじゃなければ、そうはならない。

    起こったことを理解し、昔の恋人や知り合い、友だちなど、いろいろな角度から考えて心を整理するのに何年もかかった。心の奥に抑え込んでいたことがいろいろあったからだ。こうしたことも、親密な関係を築くのが怖くなったひとつの理由だ。欲望をうまく表現する方法がわからないから、僕は自分が信用できない。そのあと何年ものあいだ、僕は自分をさらけ出さなかった。とても孤独で、怯えていて、鬱々としていた。

    セックス以外の場面では、僕は強引な人間だった。僕の心のなかには、不安と、他人に対する不信感がある。他人の感情が自分の感情と一致しないとか、論理的でないと、ほかの人の気持ちを無視してしまうことは自覚している。要望を受け入れてもらいたいのに、ダメだとわかると、そうしてしまう。それが癖なんだ。

    母の要求やニーズを尊重しなかったことに原因があるのかもしれない。母の要求やニーズはくだらないものが多かったから。僕は母のせいで、他人に共感する力をなくしてしまったような気がする。

    母や他人のせいにしているわけじゃない。いまだに心の整理をしようとしているだけだ。忘れたいこと、学びたいことがたくさんある。僕には、人の気持ちがわかるふりができないんだ。

    イアン(40代半ば)

    僕は、南カリフォルニアのロウワーミドルクラス(下層中流階級)の家庭で育った。母は19歳で1人目の子どもを産んだ。

    父は、車やオートバイ、モータースポーツに熱中していて、タバコを1日4箱吸っていた。人を虐待するような暴力的な人間、避けるべき人間だ。とにかく人を批判してばかりいた。僕はヘマばっかりやらかしていたから、しょっちゅう殴られていた。父は、いらいらすると家族の誰かれ構わず暴力をふるう人間だった。

    でも、父や、父方の家族には感謝している。彼らはみな反逆者だったからだ。芸術の才能は父から受け継いだ。父は建築技師だったので、いつも何かを描いていた。それにもちろん、改造車を乗り回していた。

    父には、細かいところまで几帳面に気を配ることも教わった。とはいえ、はっきりそう教わったわけじゃない。父がしょっちゅう何かの作業をしていたのを見て、僕もおのずと何かをつくろうとするようになった。僕は心のどこかでいまだに、芸術家は頭のねじが外れた人間でなくてはならない、と思っている。

    僕が8歳のとき、母は父のもとを逃げ出して、南カリフォルニアに戻った。僕にとっては、それは当然の成り行きだった。僕は、男たちの母に対する態度をじっと観察していた。母はまるで、何らかの暴力をふるう虐待男に吸い寄せられるような感じだった。

    父が母に対して、本当にひどい虐待、暴力や性的な虐待をするのを見たことがある。父は、家族や他人がいる目の前でも、平然と母にわいせつなことをした。父は母につかみかかるんだ。母は派手でもなければ色っぽくもなく、控えめな身なりをしていたのに。いずれにせよ、あのころは70年代後半から80年代前半だったし、(夫の妻に対する暴力は)よくあることだったと思う。

    記憶に残っているのは、父が母をなめていたことだ。母の顔や口を、人前で。母は抵抗するわけでも、父と同じような激しさで応えるわけでもなかった。そういうところは母に似たと思う。

    僕にはやっぱり、父と似ているところがある。自分の思いどおりにならないという不安や、人に対する敵意とかだ。父に似てるんだよ。自分のなかに、父親に似た邪悪なところが湧き上がってくることを感じるときがある。たぶん、自分のそういうところに少し神経質なんだと思うけど。

    母と一緒にサンディエゴに戻ったあと、小学校4年生になった僕にガールフレンドができた。彼女の家族もかなりやばかった。うちよりひどかったんじゃないかな。彼女は僕を人前でいじめた。恥をかかせるようなことをした。

    髪の毛を抜かれたし、お尻も何度か蹴られた。彼女は、年齢のわりにはずいぶん大人びていた。実際、セックスをしたか、しようとしたことがあると思う。オーラルセックスをしたのは確かだ。まだ4年生だったのに。それより前に、僕はほかの男子と実験したこともある。男子が集まれば、よくやるような実験だ。

    その女の子と別れたあとは、長いこと、誰とも付き合わなかった。女の子と親密な関係になりたいとは思っていたけれどね。女の子の近くにいられるように、あえて女の子の友だちをつくっていた。女友だちはつねに1人か2人はいた。それが僕にはちょうどよかった。

    高校生になると、ある女の子と大親友になった。何が何でもつきあいたいと思っていたんだけど、自分の気持ちとか、彼女にキスしたいという思いを知られないようにしていた。そのほうが、親友のままでそばにいられるからね。

    彼女も、幼いときに虐待を受けた経験があった。僕とつるんでいた頃も、よく被害を受けていた。彼女の両親は極端に厳格で、古い考え方を持っていたんだ。

    そんな感じの日々だったんだ。次にガールフレンドができたのは19歳になってから。正式に童貞を卒業したのはその子が相手で、僕は20歳だった。彼女とは、短かかったけれど激しい関係だった。いろいろなドラッグに手を出して、LSDを試したり、マリファナを吸ったりしたよ。

    その女性との関係で強く印象に残っているのは、実は、セックスについて話をしたときのことなんだ。彼女はこんなことを言った。「私のこと、レイプするの? いまここで? あなたに犯されたい。あなたにレイプされるのが怖い」

    それが冗談だったのか、それとも、彼女が僕のことをどこか悪人みたいに感じていたのか、よくわからなかった。いまでもわからない。だから、2人の関係はなかなか進展しなかった。最終的にはセックスしたよ。1年間のつきあいで、たぶん2回くらいしたと思う。

    そのすぐ後に、僕の人生は一気に下向いた。17歳になるころには、家族代わりの仲間を見つけ、家を出ていた。女性と再びつきあい出したのは、それから6年か7年が経ってからだ。

    僕はパンクロッカーだった。音楽活動に追われ、普通の人とは違うライフスタイルにどっぷりと浸かっていたから、男女の恋愛にはあまり興味がなかった。あまりにも普通で古すぎたからだ。両親のようなパターンには絶対陥るまいと必死だったよ。それに当然、父親のようにはけっしてならないぞと思っていた。

    ありがたいことに、パンクには両性具有的な面があったから、男女の差ははっきりしていなかった。変わり者にとっては最適の居場所だったよ。でも、自分がクイアだと自覚するようになったのはここ1年のことだ。パンクはクイアなんだとわかるようになった。

    僕は、あちこちのバンドを転々とするようになった。麻薬にも手を出し、深みはまってしまった。どういうわけかそのころ、ある女性とかなり真剣な交際を始めた。情事のようでいて情事ではない、とてもややこしい関係だ。彼女とは2年くらい続いた。彼女のことは、人生でいちばん後悔していることのひとつだ。

    僕たちは毎晩、同じベッドで寝ていたけれど、セックスは一度もしなかった。彼女に対しては、深い愛情を抱いていた。高校生のときに親友の女の子に抱いていたときのような感情だ。彼女は最高だった。自分の生活のすべてに僕のことを巻き込み、受け入れてくれたんだ。でも、感謝の気持ちを彼女に伝えたことはない。

    僕の知っている限り、当時の彼女はアセクシュアル(無性愛者)でもあった。だから僕たちは、深い関係にならないつきあいを長く続けた。たぶん彼女もあのころは、僕と恋人になることをあれこれ想像していたんだと思う。僕らは、とても似通った感情パターンを経験していたんじゃないかな。彼女と過ごしていたあいだずっと、僕は自分の気持ちを恐れていた。感情をひたすら抑え込み、閉じこもっていた。

    ある夜、いや、朝だった。目を覚ますと彼女が泣いていた。眠っているあいだに、僕が彼女の腰か太腿かに触れたらしく、そのせいで、何年も前に継父から受けた虐待のことを思い出してしまったのだという。眠っている状態のまま、僕が自分の思いを行動へと移してしまったとしか考えられない。彼女に触れたという記憶はまったくないのだから。夢みたいなものだ。

    その日はとても気まずい思いをした。それから数日間、彼女はそのことに触れようとせず、男性からの仕打ちには心底うんざりしているのだと言っていた。そのときを境に、僕らの関係は変わった。

    その直後、僕の前にもうひとりの女性が現れて、彼女は普通の関係を望んだ。なので僕は、それまでの彼女とは別れる感じになった。やりとりをしなくなったんだ。

    次の女性とは4年つきあった。僕らは2人ともひどいアル中だった。サンディエゴで一緒にレコード店を開いた。当時のことはあまりよく覚えていない。つらい出来事が多かったことは記憶にあるけれど、よくあることだ。

    僕は女性に対して、父と同じような態度をとるようになった。つまり、女性を辱めてセックスに持ちこむような行為をした。たとえば、僕はセックスしたいのに彼女がしたがらなかったときは、許しを請うことから始まるんだ。いま思えば、ただ待てばよかったんだろうけれど、辱めてしまった。

    本当に記憶がぼんやりしている。お酒のせいで、他の人に暴力的に言うことを聞かせる感じになっていたのだと思う。あのころは15年間、ウィスキーを毎日欠かさず浴びるように飲んでいた。

    のちに結婚して、養護施設からきょうだい2人を養子として迎えた。行政が家族から保護した子どもたちを養子にしたんだ。僕は本気で断酒しようと考え、2~3年努力したけれど、できなかった。2013年にはリハビリ施設に自ら入り、給料をそのために注ぎ込んだ。その施設に入ったおかげで、酒を断つことができた。

    妻は理解してくれなかった。家には幼い子どもが2人いるし、家族と1カ月も離れて僕が施設に入ることを喜ばなかった。僕が毎晩ウィスキーを浴びるように飲んだあとで、子どもをミニバンに乗せて走り回っていたにもかかわらず、妻は僕のことをアル中だとは思っていなかった。僕は隠れて飲んでいたんだ。だから、夫婦にとってとてもつらい時期だったよ。

    でも、夫婦仲は改善した。いまではオープンな関係だ。妻は、いまの僕を以前よりも好ましいと思い、愛してくれている。僕の人生は、以前よりもずっと充実したものになった。

    5年前に完全に断酒し、もう飲んではいない。アル中で麻痺していた状態から目が覚めた、僕の人生において本当に重要な時期に、MeToo運動は起こった。それを見て僕は、自分の過去と、これまでの女性への接し方をじっくり振り返っている。

    報道を見ていると、男性のほうはその出来事を忘れてしまっている一方で、女性は忘れられずにいるというケースが多い。僕も、これまでの日常生活でどんなことをしたのかをあまり覚えていない。けれど、そうした報道を参考に、予期せぬ事態がいつか起きたときに備えておかなくてはならないのかもしれない。自分のしたことを受け入れ、話に耳を傾け、それを信じ、同意し、謝罪し、対処するしかない。

    僕は、父のような人、つまり、誰かを傷つけたいという衝動に駆られてしまう人に共感を覚える。虐待の連鎖はきっと、父の代よりもはるか昔に始まっている。その連鎖にピリオドを打たなくてはならないんだ。


    Illustrations by Calum Heath for BuzzFeed News.

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan