ラップがナショナリズムのサウンドトラックになった国。陰謀論と移民排斥を訴えるラッパーの話

第二次世界大戦を見直し、EU批判や白人ナショナリストが組織するデモを支持するような曲を作るラッパーたちの世界がある。ホロコーストを巡る争いが続き、歴史が「武器」となったポーランドで、こうしたラッパーが大きな影響力を持っている。

    ラップがナショナリズムのサウンドトラックになった国。陰謀論と移民排斥を訴えるラッパーの話

    第二次世界大戦を見直し、EU批判や白人ナショナリストが組織するデモを支持するような曲を作るラッパーたちの世界がある。ホロコーストを巡る争いが続き、歴史が「武器」となったポーランドで、こうしたラッパーが大きな影響力を持っている。

    ポーランド、クラクフ——中世にはポーランドの首都だったクラクフの街で、子供の頃のTadekはレコード屋でウータン・クランをはじめとするヒップホップ・アーティストのアルバムを漁っていた。

    Tadek(本名Tadeusz Polkowski)は、90年代にポーランドではまだ新しい輸入品だったラップと出会った。共産主義の統制により、1989年まで西側諸国のポップカルチャーに触れることはできなかったのだ。彼は16歳の時にニックネーム名義で自作の曲をレコーディングし始め、20代になってからは「The Hard Life of a Street Rapper」のような曲を作るギャングスタ・ラップスタイルに憧れるグループの一員として、国内で有名になった。

    2017年、ポーランドの偉大な作家たちを称える伝統がある独立記念日に、Tadekが大統領官邸に招待されてパフォーマンスを披露した時には、主要メディアから激しい抗議が起きた。

    そのパフォーマンスはその場にいた誰にとっても居心地の悪いものだった。Tadekは普段のミュージックビデオでよく着ているパーカーではなく、チノパンにマスタード色のVネックセーターという格好だったが、彼の細身の体には数サイズ大きすぎるように見えた。硬い表情で見つめるスーツ姿の要人たちの視線を遮断するかのように、彼はきつく目を閉じ続けていた。

    だが、いまの彼がこのような立場を得たのは、若い頃のように「くたばれ警察」などという言葉を吐き散らさなくなったからだ。その日の彼が披露したのは彼の妻のことを歌った曲だったが、そこには驚くべきメッセージが込められていた。

    「俺たちは強くなってる、家族も大きくなってる、男と女がいなかったら——みんな絶滅だ。俺たちの息子は素晴らしい。だからもっと子供がほしい」と彼はラップし、「でもキミには1人ライバルがいる、許してくれ——それはポーランドだ!」と曲の最後で謝った。


    Tadekのようなラッパーたちは、現在のポーランドが過去の歴史によってどれだけ深く分断されているかを象徴している。ここ数年のナショナリスト・ラップの盛り上がりの一端を担う存在として、彼は自分自身を改革した。彼は曲の中で、第二次世界大戦時のナチスやその後の共産党政権と戦ったポーランド人を称え、メインストリーム・メディアやリベラル派の政治家たち、EUを批判している。彼の動画はYouTubeで数百万回再生されたこともあり、文化省フェローシップ支援を受け、今年は3枚の新作アルバムのリリースを予定している。

    彼の道のりは、ナショナリズムが近年のポーランドをどれだけ変化させてきたかを反映している。2015年の選挙では、攻撃的な極右政党で、PiSの略称を持つ「法と正義」が勝利した。PiS政権は司法を脅かし、EU法によって義務付けられている移民の受け入れを拒否し、長い間ポーランド人は自分たちの歴史について嘘を教えられてきたと主張し文化戦争を引き起こした。

    今週はじめ、大統領は、ホロコーストはポーランドにも責任があったと語ることを違法とする法律を制定した。第二次世界大戦中、ポーランドでは600万人が亡くなり、そのうちの半数はユダヤ人だった。議員らはポーランドがナチス侵略の犠牲者だと見られることを望んでいるが、この法律によってユダヤ人の死に対するポーランド人の関わりについての議論が沈黙させられてしまうという批判の声もあがっている。

    ヨーロッパの民主主義に対する最大の試練は現在ポーランドで起きており、その根底には歴史を書き換えてしまおうという流れがある。

    ポーランドを支配しようとする奴らは全員、俺たちが弱くなることを、俺たちが自分たち自身に誇りを持てなくなることを望んでいる」。クラクフの街を煙霧で覆い続ける工業地帯の谷を見渡す自宅のアパートで、Tadekは先月BuzzFeed Newsのインタビューに応じた。「誇りがあれば、自分の国のために何かをしようというパワーが生まれる」

    1982年、Tadekの両親が彼を病院から家に連れて帰ろうとしていたその夜、正面ドアの外側では民主主義派の活動家が共産主義の民兵組織と衝突して暴動が起きていたが、彼は眠ったままだった。

    Tadekが生まれる直前、民主主義団結運動に関わったとして、彼の父親で詩人のJon Polkowski氏は7カ月の禁固刑を受けた。共産主義政権の崩壊後、Polkowski氏はポーランドの新たな民主主義政府で職を得たが、その後、最終的にPiSとなる右派政党で働いた。

    Tadekはポーランドのために戦った先人たちの思い出に囲まれて育った。彼の両親は、失敗に終わった帝国ロシアに対する1863年の蜂起に参加したうちの一人である祖先の肖像画を飾っていた。1918年のポーランド独立後、ソ連と戦った彼の曾祖父についての話をTadekは聞いた。祖父についての話も聞いた。祖父はナチスと戦った数千人のポーランド人兵士の1人だったが、戦争終結時に共産主義傀儡政権樹立を目論む赤軍によってソ連の強制収容所に送られた。

    BuzzFeed Newsの取材に答えた父Polkowski氏は、Tadekが反抗的な若者に成長し「スラムの黒人の表現手段」に引きつけられたことに失望したと語った。その音楽は「彼の生活の現実を語っていなかった」と彼は不満を口にし、「自身のルーツから切り離された」外国のサブカルチャーのようだったと語った。

    「それは私の過去への拒絶でもありました」とPolkowski氏は言う。



    数年以内にTadekはFirmaというグループを結成した。大麻やウォッカ、女の子についてラップするグループだった。

    Polkowski氏は、Tadekを90年代とそれに続く2004年のEU加盟をもたらしたリベラル政権下で育ったポーランドの若者世代の象徴と見ている。ポーランドのリベラル派は自国の過去の暗い面だけを語ろうとし「ポーランド人のアイデンティティはEUと一体になるべきだ」と考えているのだ、と彼は言う。

    Polkowski氏は息子にポーランドの歴史について学んでほしいと思っていたが、Tadekは叔父から譲り受けたオーディオ機器の操作をマスターするのに没頭していた。プレイステーションや子供用の音楽、ブラームスやベートーヴェンなどのクラシックをサンプリングし、カセットテープに曲を録音した。ライブショーでパフォーマンスを始めたとき、彼はまだ高校生だった。

    「ものすごくビビってた」。最初のパフォーマンスを思い出してTadekはそう言った。「ステージの上で顔が真っ白だったってみんなに言われたよ」

    数年以内にTadekはFirmaというグループを結成した。大麻やウォッカ、女の子についてラップするグループだった。2000年代半ば頃には、年間約50公演をこなすようになった。

    しかし30代に近づいた頃、Tadekのすべてが変わった。「馬鹿でいないために」自分を高めようと決心したと彼は言う。彼の父は1万冊を超える本を持っていたので、Tadekはお薦めの本はないか尋ねた。父はポーランドの歴史に関する本を読ませた。

    第二次世界大戦終盤にワルシャワからナチス軍を追放したポーランド反乱軍の蜂起を称えたエンブレムで飾られた自宅のリビングルームで、Tadekはその時のことを振り返った。ポーランドの歴史についてあまりにも知らないことが多すぎた自分に腹を立てた。

    「ユダヤ人はホロコーストを多くのことに利用してきた」

    彼はポーランド独立のために戦った多くの英雄たちのことを知り、彼らの記憶は恥ずべきものではなく、現在のポーランドの財産にすべきだと決心した。

    「何が悪い? なんで俺たちはこの歴史を利用しないのか?」と彼は言った。ポーランドは「長年の戦争による悲劇的な歴史の上に大きな成功を築いた」ユダヤ人をお手本にできたかもしれないと彼は語った。

    「ユダヤ人はホロコーストを多くのことに利用してきた」と彼は言い、それは例えば「ユダヤ人について何か悪口を言うと、それが反ユダヤ主義と呼ばれる」ことだという。

    Tadekをはじめとする多くの人々の考え方は、1941年にイェドヴァブネ村で起きたユダヤ人虐殺はポーランド史歪曲の一例だ。その年の7月、ポーランド人の集団がその村のユダヤ人住民たちを納屋に追い込み、ナチス兵士が見ている前で火を放った。

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    イェドヴァブネの事件は、ナチスがポーランドを東に進軍する中で起きたいくつものユダヤ人虐殺事件のうちの1つだ。しかし2001年にアメリカ人歴史家のヤン・トマシュ・グロスがこの事件についての本を出版したことで、ユダヤ人の死にポーランド人の一部が加担したかどうかについての議論が広まった。イェドヴァブネ村には記念碑が建てられ、10年間隔で2人の大統領が供養式典で謝罪した。しかし同件に関する2003年の調査では、死者数と加担したポーランド人の数について、実際よりも多い数字をグロスが提示していたという結論が出た。それ以来ナショナリストの多くは、同著をポーランドの評価を貶めるためのいかさまだとはねつけるようになった。

    Tadekは、グロスが「第二次世界大戦中に最も多くのユダヤ人を殺害したのはポーランド人であり、戦時中のポーランド人はユダヤ人の血だけを求めていた」と述べたと主張する。だが実際は数千人のポーランド人が、死刑にされる危険を冒しながらも、ナチスからのユダヤ人の逃亡を助けたのだと、Tadekは語る。

    第二次世界大戦はユダヤ人だけの悲劇ではない、と彼は言った。ポーランドで殺害された600万人のうち約200万人がポーランド人だと言われており、ヒトラーもスターリンも国家としてのポーランドを壊滅させようとした。1944年のナチスに対するワルシャワ蜂起は、第二次大戦中のドイツ軍に対する地下組織による最大の武装蜂起で、ここでも数多くの英雄譚が残されている。

    「俺たちは第二次世界大戦で戦っていた」とTadekは言った。「俺たちは最大の敗北者になった」

    Tadekは、強力な利益団体が歴史の真実をポーランド国民から隠そうとしてきたと信じるようになった。

    彼は、ポーランドをEU加盟に導いた中道左派政党の一員となった元共産党のメンバーを挙げ、彼らが共産党の犯罪を隠蔽し続けようとしてきたと考えている。その他の元共産主義者たちはメディアで強力な力を持つようになった。例えば、ポーランド最後の共産主義政党で報道官を務め、現在は週刊紙の編集者であるイェジー・ウルバンもその1人だ。現在のポーランド経済では多くの外国企業が強い影響力を持っており、その中にはナチス時代に利益を得ていたアリアンツ保険などのドイツ企業も含まれている。

    「誰かを奴隷にしようとした時に、その相手が知性を身につけて賢くなるのは困るはずだ」と彼は言った。「なんでこんなことになったのか。なぜみんな第二次世界大戦最大の英雄たちのことを知らないんだ?」

    それはポーランド人を分断する第二次大戦と共産主義の記憶にとどまらない。

    2010年、第二次世界大戦中にソ連軍によってポーランドの将校らが虐殺された地を訪問していたレフ・カチンスキ大統領ら複数の政府上層部関係者が、ロシアのスモレンスクで起きた航空機の墜落によって死亡した。その日何が起きたのかについては、まったく異なる見解が示されている。

    航空機の専門家とリベラル派のドナルド・トゥスク首相が率いる政府による公式調査では、本件は悪天候によって拙速な着陸を試みたことによって起きた事故だと結論づけられた。しかし、亡くなったカチンスキ大統領の双子の兄で、PiSの党首であるヤロスワフ・カチンスキは、これはロシアによる暗殺であり、トゥスクがそれを隠蔽したと確信していた。

    PiSはこの主張を元に1カ月間の徹夜祷を組織してスモレンスクの「真実」の解明を求め、右派メディアの新ネットワークは陰謀説を拡散させた。彼らはトゥスクが敵対勢力の駒であり、彼がポーランドを離れて欧州理事会議長に就任した際には彼を反逆罪で訴えた。2015年までに、約25パーセントのポーランド人が、スモレンスクで隠蔽が行われたと信じるようになっていた。

    同年PiSは議会の過半数を獲得し、ポーランドの誇りを取り戻し、ムスリム難民を国内に入れないと公約した。同党は、野党が指摘するところのメディアと歴史的記録への継続的な攻撃姿勢を強めることになった。

    もし前政権がロシアによるポーランド大統領暗殺を隠蔽していたと考えるなら、その他のあらゆることに関しても政府当局が嘘をついていると考えるのも当然の成り行きである。右派ニュースサイトやSNSといった新しいネットワークが、国民は長い間騙されてきたのだと訴えた。


    PiSの党員にとってスモレンスクの隠蔽は、ポーランドの歴史について嘘を語り、外国の搾取によって利益を得ようとする親ヨーロッパ政府による、より広範囲にわたる陰謀の一部にすぎない。リベラル派は国民に自分たちの歴史を恥ずべきものだと思わせ、反抗しないようにしたのだと彼らは主張する。

    ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領は、リベラル派の前大統領によるイェドヴァブネのユダヤ人虐殺への謝罪は「歴史的記憶を破壊するもの」だと述べた。PiSの議員候補だったある人物は、2012年に教育省がより柔軟なカリキュラムの一貫として歴史の授業時間削減を発表すると、全国規模でのハンガーストライキを組織した。

    こうした騒動が最高潮に達する中で、Tadek初の歴史をテーマにしたアルバムが発表された。彼はそれを『An Inconvenient Truth (不都合な真実)』と名付けた。タイトル曲で彼が歌っているように、「この国を内部から破壊するクズ共」に対するメッセージが込められているからだというのがその理由だ。

    「ポーランド人の若者から彼らの祖先たちの記憶を奪っていいなんて誰も同意してない」教育カリキュラムの一新をテーマにした曲の歌詞の中で、彼は当時のトゥスク首相に言及しつつそう歌った。「あいつは自分が首相だってことを忘れたのか?...やつらはこの母国とブリュッセルのどっちを愛してるんだ?」

    同アルバム最大のシングルは、大戦中にナチスと戦い、1945年にソ連がポーランドを占領した際には森に身を隠し、赤軍に全滅させられるまで戦ったいわゆる呪われた兵士たちについての曲だ。同曲はYouTubeで公開されるとすぐに数千回再生され、現在では様々なバージョンの合計で4百万回以上再生されている。この数字はポーランド全人口の10パーセント以上にあたる。

    ある曲では、ポーランドのレジスタンスに看護師として参加し、共産主義軍に逮捕され処刑されるまで医療品で呪われた兵士たちを支援した、Danuta Siedzikównaの物語が語られている。別の曲では、第二次世界大戦中にナチスのアウシュビッツ強制収容所で2年間を過ごし、その内部で秘密のレジスタンスを組織したヴィトルト・ピレツキという兵士について語られている。彼は1943年に収容所から逃亡し、1944年にはポーランド軍と共にワルシャワ蜂起で戦ったが、1948年、共産主義政権に西側のスパイとして逮捕され処刑された。

    「なぜ奴らは学校であなたたちのことを教えてくれなかったんだ?」Tadekはそう嘆いた。「今はメディアや政治エリートたちがポーランド人のようなふりをして、歴史を欺こうとし続けている」

    このアルバムによりTadekのキャリアは最盛期を迎え、年間100公演近くを行うようになっていた。彼はポーランドで生まれ育った第二次世界大戦のレジスタンスを讃えたクラクフ博物館と協同するようになり、同市の交響楽団は彼の音楽をクラシック音楽にアレンジしたコンサートを開催した。そして政府からの表彰を受けた

    Tadekの『An Inconvenient Truth』の宣伝コピーは、「National Radical Camp」と呼ばれるグループが運営する、アメリカ右派のブライトバートに似た「Magna Polonia」というオンラインポータルサイトによって拡散された。ポーランド語の略称でONRと呼ばれる同サイトは、1930年代に人種的に純血なポーランドの実現を目指した右派グループにちなんで名付けられた。

    ONRのメンバーらは、ヒトラー式の敬礼を行ったことで、ポーランドの反全体主義法違反で起訴されている。しかし2010年、ポーランドの独立記念日にワルシャワでONRをはじめとする団体が共同開催した行進が、高まるナショナリズムの中心となり、数千人が集まった。

    「お前には1つのライバルがいる、許してくれ――それはポーランドだ!」

    Tadekは2012年にこの行進の支持を公表し、主要メディアによるこの行進の報道は、ナショナリストに悪印象を与えようとする左派メディアのプロパガンダだという考えを語った。昨年の行進では主催者らは自分たちを 「人種隔離主義者」だと称し、「All Different, All White」のようなスローガンが書かれた横断幕を堂々と掲げ、他国からの自称ファシストに目立つ場所での演説の機会を与えた。

    Tadekはこの運動の露骨に人種差別的な面とは距離を置いているが、その影響については認知していないようだった。彼自身は行進に参加したことはないというが、「参加している人のほとんどは、普通の人々」であることは確かだと語った。彼は主催者が自分たちを「権威主義者」だと称し差別主義的なスローガンやナチスのエンブレム入りの横断幕を掲げていた参加者がいたことを知らされると驚いたようだった。それは「起きてはならないことだ」と彼は言った。

    ポーランドの右派メディアは今では国有のテレビネットワークや権力を持つカトリックの司祭が所有する放送局にまで広がり、そのような事実を無視または否定しているようだ。アメリカ企業が所有し、右派からは外国の工作員だと一蹴されているポーランドの主要独立報道機関であるTVNが、これらの事実を詳細に報じている。

    ナショリストのラッパーの一部はプロパガンダ担当としての自分たちの役割を熱烈に歓迎しており、暴力を呼びかける者もいる。2016年、工業都市ウッチのラッパー集団が、大量の武器とともにムスリム移民に対する「Polish Jihad (ポーランド人のジハード)」を呼びかける動画を公開したことで逮捕されたと報じられた

    Tadekはナショナリスト・ラップ界の人種差別的な面について否認しているが、彼がその責任から逃れることはできない。YouTubeでTadekの動画を視聴すると、サイトのアルゴリズムは極右ラッパーのBastiの曲をすぐにおすすめ欄に表示する。Bastiには「Stop Islamizing Europe (ヨーロッパのイスラム化を止めろ)」などの曲があり、『Hate Speech(ヘイトスピーチ)』というタイトルのアルバムも発表している。

    「俺たちの主な役割はポーランドの良い雰囲気づくりをすることで、他人に対する悪感情を煽ることではない」とTadekは語った。

    だが、歴史を武器へと転換するナショナリスト・ムーブメントの動きは、ほんの数年前では不可能だったほどの速さでポーランド極右の急進化を後押ししたと、ポーランド・ユダヤ人の歴史博物館(POLIN)館長Dariusz Stola氏は語る。

    5年前に同博物館が開館した当時は、「ネオ・ファシストが各都市の大通りを行進したり、旗を掲げて教会に現れるなど考えてもいませんでした」

    ナショナリストは歴史に関するあらゆる議論を愛国主義を測るテストに変えてしまうという、高い抜け目の無さを持っていると彼は言う。

    「それは恐ろしいことで、遅かれ早かれ暴力が起きるでしょう」と彼は言う。「誰かが死ぬことになるのです」

    英語版動画 「極右はいかにしてポーランドを支配したか?」

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    この記事は英語から翻訳されました。

    BuzzFeed JapanNews