「生きて返してくれ!」麻薬戦争で命を落とした被害者遺族たち 次期大統領の中途半端な政策に反発

    アンドレス・マヌエル・ロペス=オブラドール新政権の方針については、提案が漠然としており、中途半端な案を出しては撤回しているという批判がある。被害者たちも、状況が本当に変わるのだろうかと疑いを持っている。

    メキシコ、アカプルコ発──アカプルコの薄暗いコンベンションセンターは、数百人でいっぱいだった。彼らは、壇上に上がったホセ・ディアス=ナバーロが、自分の家族が味わった恐怖を語るのを聞いた。公立学校の教師であるディアス=ナバーロは、犯罪者グループが兄や弟の手首を切り、首をはね、死体を焼いたときのことを、7分間にわたり語った。

    「われわれの町の道路は、子どもや年配者、家族みんなの血と胴体と頭部で覆われました」と、ディアス=ナバーロは、集まった人々に語った。港湾都市のアカプルコがあるゲレーロ州は、メキシコの麻薬戦争が最も激しく吹き荒れる州のひとつだ。12年前から続く麻薬戦争では、これまでに15万人以上が亡くなり、何万人もが行方不明になっている。

    2018年12月にメキシコの新大統領に就任するアンドレス・マヌエル・ロペス=オブラドールは、前任者2人が取ってきた、武力に頼る強硬なやり方とは一線を画し、根本的に異なった治安維持政策に取り組むことを望んでいる。

    ロペス=オブラドールは、麻薬戦争の被害者たちを表舞台に立たせ、何人かの犯罪者に恩赦を与えることにより、国を「平和に戻したい」と考えている。それ以外の対策としては、マリファナとケシの栽培合法化、犯罪者の資金構造をターゲットにした取り組み、若者の教育と就労機会の拡大を掲げている。過去の大統領を警護してきたシークレットサービスを、特別な訓練を受けておらず、武器を持たない20人の男女に変えたいという意向も示している。

    ディアス=ナバーロが自分の経験を語ったタウンホール・ミーティングは、新政権によるこうした戦略の一環として開催されたものだ。「Listen Forums(耳を傾けるフォーラム)」と名づけられたこのミーティングは、被害者と政策立案者が集まり、最も差し迫った問題は何かを深く理解し、その解決策を出し合おうというものだ。

    しかし、安全対策の専門家たちは、愛と救済と和解を基本とした、「銃弾ではなくハグを」というこの戦略に懐疑的だ。「一貫性がなく、技術的専門性に欠け、この国の複雑な現実を把握していない」と批判する。

    コロンビア大学上級研究員エドガルド・ブスカーリアは、「言葉だけの突発的なもの」と批判する。「即興の政治ショーだ」

    安全対策アナリストのアレハンドロ・オープは、ロペス=オブラドールのもとでは「日常業務に大きな違いは生じないだろう」と述べる。「このような和解という考え方は、幻滅を生むことになるだろう。彼らが提案していることはすべて、殺人事件と関係がないからだ」

    「Listen Forums」は、メキシコ中の40カ所以上で開催されているほか、国外であるアメリカのアリゾナ州フェニックスでも行われている。精神的な浄化作用を目的とする一方、無秩序で危険を孕んでもいる。こうした状況はそのまま、ロペス=オブラドールの治安計画の縮図だ。

    教師をしているディアス=ナバーロは、アカプルコの聴衆の前に立ち、自分の家族を殺害した、地元の残忍な麻薬カルテル「ロス・アルディジョス」と、自警団の特定のメンバーを非難した。

    このイベントには、ゲレーロ州で起こった犯罪に同じように巻き込まれた何百人もの人々の多くが、オンラインで申し込んでいた。彼らは、すべてわかっているという顔で、ディアス=ナバーロを見返した。しかし聴衆の中に、州最大の自警団のリーダーがいることに、ディアス=ナバーロは気づいた。兄弟を殺害したことで今しがた非難した自警団と同様のグループだ。リーダーは、脅すようにディアス=ナバーロを見つめていた。

    誰も、彼に気づいていないようだった。

    ミーティングが長引くにつれ、ディアス=ナバーロは心配になってきた。グループに分かれてセッションを行った部屋に近いトイレで、便器の前に立ちながら、入り口の方をしょっちゅう振り返り、ナイフを持った男が入ってきて襲われるのではないかと心配した。

    ロペス=オブラドールは2018年夏、上下両院の過半数を得て、いくつかの知事選にも勝ち、歴史的な大勝を果たした。彼の勝利は、汚職事件が永遠に続くように思える与党にノーを突きつけたと同時に、これまでとは違う、試されていない道を渇望する国にとって、新たな希望であるとも見られた。

    選挙に勝って以来、ロペス=オブラドールは、定期的に公の場に姿を現しては、任期が終わるエンリケ・ペーニャ=ニエト大統領によって明け渡される仕事を引き継ぎ始めている(殺人事件発生率は記録的に高く、支持率は悲惨なほど低迷し、最近の選挙で政党が惨敗を喫したペーニャ=ニエト大統領は、任期があと3か月残っているにもかかわらず、静かに世間から姿を消しつつある)。

    しかし、ロペス=オブラドールの選挙に伴う高揚感は、困惑と幻滅に取って代わった。「Listen Forums」を含む和平の話し合いが、一時的なガス抜き以上の意味になっていると考える者はほとんどいない。

    犯罪の抑制に力を入れている「犯罪対策のための国家団結(Mxico Unido Contra la Delincuencia)」のリサ・サンチェス代表は、「ミーティングでの話し合いは混沌としている」と語る。ミーティングの成功は、集められる情報がどのように体系化されていくかが基本となるだろう、と彼女はつけ加えた。

    麻薬戦争の暴力によって最も荒廃した州のひとつ、ミチョアカン州モレリアでの和平の話し合いでは、参加者が、州の公共安全を担当する長官にヤジを飛ばして会場から追い出した。ミチョアカン州でも極めて危険な犯罪多発地域ラ・ウアカナで開かれた小規模なフォーラムでは、出席者はおびえて口を開かず、その代わり、無記名のメモを主催者にこっそりと渡した。

    次期大統領は有権者たちに人気はあるが、その治安政策は、以前から一貫性がない。

    ロペス=オブラドールは2017年12月、麻薬カルテルのリーダーたちに恩赦を与えることを検討していると発表した。翌月、公共安全担当の大臣となるアルフォンソ・デュラゾは、恩赦は、貧困のため麻薬を栽培せざるを得ない農民や、経済的チャンスがないためにやむなく犯罪に手を染める若者に適用されるだろうことを明確にした。大物には適用されないのだ。

    それ以来、ロペス=オブラドールは繰り返し、恩赦は「No to forgetting, Yes to forgiving(忘れてはいけない、しかし許そう)」という考えに基づいて行われるだろうと語っている。しかし8月7日、ロペス=オブラドール政権で内務大臣に就く予定のオルガ・サンチェス・コルデロは、スペインの通信社EFEに対し、許すことは被害者にとって難しいだろうと認めた。彼女は、次期大統領が意図した「許し」とは、自身の傷を癒す努力のことだと説明した。犯罪者を許すという政府の考え方に、「Listen Forums」の参加者たちは気分を害していると語っていると、同フォーラムは認めている。

    2018年12月1日に就任するロペス=オブラドールは、麻薬戦争に対して「威圧的な」方法を取ることを批判し、軍隊は「何も解決しなかった」と述べている。しかし2018年8月には、陸軍と海軍は今後も街を警備すると発表した。

    アカプルコで開催されたフォーラム開会式の後、人々はセルフィーを撮り、無料のサンドイッチをつまんでいたが、ディアス=ナバーロは戸惑っていた。テーマごとのセッションが小さな4つの会議室で開催されることになっていたが、どこに行けばいいのかがわからなかったのだ。

    主催者に尋ねると、どこでも、混雑していないところでいいですよ、と言われた。

    その日の夜、アカプルコの中心的な商業地にあるレストランで、BuzzFeed Newsはディアス=ナバーロから話を聞いた。レストランの外では、連邦警察の警察官10人以上が警備していた。ディアス=ナバーロは、テーマセッションのラウンドテーブル参加者たちのプロフィールに驚いたと語った。1人は自然健康サプリメントを販売している人物で、もう1人は政府からの住宅供給を求めていた。犠牲者が1人もいなかったのだ。

    それでハッと気がついた。彼がいたのは、自分たちのような犯罪被害者用に特別に指定されていた部屋「D」ではなかったのだ。

    ディアス=ナバーロは、犠牲者たちの連合「Always Alive」の創設者だ。兄弟たちを殺した麻薬カルテルが、ディアス=ナバーロ自身の首に懸賞金をかけた後、メキシコ政府は彼を、人権擁護者とジャーナリストを保護するための取り組みの対象に加えた。そのため彼は、生まれ故郷であり、殺人事件の多さが国内有数であるゲレーロ州を離れ、首都メキシコシティに移ることを余儀なくされた。

    ディアス=ナバーロは穏やかに、かつ雄弁に、午前中の会合にはがっかりしたと話してくれた。フォーラムは場当たり的に企画されたことが見て取れたし、次期治安相のデュラゾも姿を見せなかったという。

    「(このフォーラムから)何か前向きな展開があるとは思えません」とディアス=ナバーロは語る。背後では太陽が沈みつつあり、彼がブリーフケースから取り出してテーブルに置いた書類に影を落としている。書類にまとめられているのは、兄弟の命を奪った麻薬カルテルメンバーの携帯電話番号と顔写真、そして、兄弟たちが拉致された時に使われたバンの、最後に確認された30箇所ほどの地理座標のリストだ。

    メキシコはどうすれば和解を進めることができるだろうか、と訊ねると、彼は間髪入れずにこう答えた。「正義なしに、どうやって前に進めるというのでしょうか?」

    「一部麻薬の製造を合法化する」

    「一部麻薬の使用を合法化する」

    「犯罪者を含め、すべての関係者と交渉・対話する」

    「軽微な罪を犯した若者、女性、農業従事者などを解放する」

    アカプルコでのフォーラムで、午後の休憩時間に参加者に配布された調査結果から浮かび上がってきたアイディアや、ロペス=オブラドールのいまだ漠然としている治安戦略の中心を成しているこうした考え方については、犯罪撲滅のために毎年何百万ドルもメキシコに供与しているアメリカ政府内から反対の声が上がる可能性が高い。

    和平プロセス調整官のロレッタ・オルティースはBuzzFeed Newsに、恩赦法の内容によっては、アメリカ側から身柄の引き渡しを求められているがメキシコでは釈放されていた犯罪者たちは、アメリカに引き渡されることがなくなるのではないか、と語った。

    しかし、それより厄介なのは、薬物規制の問題かもしれない。アメリカがオピオイド危機の真っ只中にあり、国境を越えてアメリカに入ってくる犯罪者たちについてドナルド・トランプ大統領が真っ向から攻撃しているいま、薬物規制を緩和するという計画には大きな抵抗が生じるだろう。

    アメリカ国務省の広報担当は、BuzzFeed Newsに対して次のように語った。「我々は次期政権と協議し、彼らの優先順位に対する理解を深め、それをこちらがどのように支援できるかを見極めようとしています。アメリカ政府は、今後数ヶ月の間にロペス=オブラドール次期大統領およびその内閣と協力して、その詳しい内容を決定する予定です」

    ホワイトハウスで3月に開催されたオピオイド・サミットでは、アメリカに供給されるヘロインの90%はメキシコからのものだと関係者らが指摘し、アメリカへの流入経路を断つ新たな方法を模索していると語った。7月には、次期メキシコ内相就任予定のサンチェス・コルデーロが、ケシ栽培の合法化を提案した。

    元在メキシコ米国大使のアール・アントニー・ウェインは、麻薬組織対策のためにアメリカがメキシコに資金提供を行う支援パッケージである「メリダ・イニシアチブ」について触れ、「このイニシアチブは必ず、議論と見直しが行われるでしょう」と語った。

    「両国の協力関係を悪化させるのではなく、改善していくことが重要です」

    火曜日の朝、アカプルコのListen Forumで行われた、犠牲者たちが経験してきた恐怖を順番に発表する会は、微妙な雰囲気のなかで始まっていた。

    ある一団は、行方不明になっている親戚の顔をバナーにしたもの4枚を持ってステージに上がり、水のボトルを使ってそれらをステージに飾ると、再び席に戻っていった。最前列の席から彼らを見ていた白髪の女性は、手作りのこんなポスターを持っている。「息子のいない生活はとてもつらい。息子に一緒にいてほしい」

    だが、張り詰めた沈黙は、部屋の高い天井に鳴り響く、しわがれた叫び声ですぐに破られた。

    「生きて返してくれ!」

    「国民に正義がないのなら、政府にも平和はない!」

    「1、2……、35……、42、43……正義を!」これは、2014年にゲレーロ州で行方不明となった43人の学生たちを意味する叫びだ。

    ロメリア・ガレアナは、4年前に行方不明になった22歳の息子の写真を拡大したポスターを持って、最前列に座っていた。このイベントに参加したのは、息子の捜索への支援が約束されるだろうと思ってのことだったが、不満を感じて帰ることになった。主催者が知りたがっていたのは、彼女が恩赦を支持するかどうか、だけだったという。

    百貨店のシアーズで香水販売員をしている彼女は、フォーラム終了前に会場を立ち去った。息子のエドガーを病院や死体安置所、刑務所、野原などに探しにいくために、職場からはすでに、長すぎるほど休みをもらってきた。

    タクシーでシアーズに向かい、上の階まで駆け上がり、犠牲者集団「行方不明者を捜索するアカプルコ家族の会」のロゴが入った白いTシャツを、ベージュのブラウスに着替える。その日の午後は、一本も香水を売ることができなかった。

    翌朝早く、街がまだ眠りに包まれている頃に、彼女は、アカプルコ郊外にある老朽化した公営団地5階の、エドガーが住んでいた部屋を訪れていた。そこにそのまま残してあるエドガーの部屋で、週に一度は床を掃除し、家具の埃を払ってやっているのだ。

    彼のベッドにはきれいにカバーが掛けられ、その上にぬいぐるみの動物が2体並べられている。

    ガレアナは、ゆっくりとキャビネットに歩み寄ると、棚からおもちゃの車を取り出した。孫たちがよく、それで遊んでもいいか訊いてくるけれども、絶対に遊ばせないという。エドガーが戻った時に、何もかもが4年前と同じに見えるようにしておかなければならないからだ。

    「息子を奪った奴ら? 死刑を求めます」彼女はそう言った。


    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:浅野美抄子、半井明里/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan