アメリカの48州では未だに児童婚が合法なまま 法改正へ向けて声を上げ続けるのは18歳未満で結婚をした女性たちだ

    10代で親の決めた結婚をした女性たちが18歳未満の結婚を禁じる法改正を目指しているが、実現したのは2州にとどまる。どんな人が反対しているのか。

    1984年、ブリジット・コムズはテキサス州サンマルコスの裁判所で法的な結婚の手続きをした。わずか15歳、青と白のサンドレスの下には妊娠7ケ月のお腹を抱えていた。自分がどういうわけでここにいて何をしているのか、よくわからなかった。もうすでに結婚しているものと思っていた。38歳の夫とは前年、14歳のときにハーレクリシュナ教の熱心な信者として結婚の儀式を行っていた。そして今、この結婚話を持ってきた母親が二人を法的に夫婦とするために必要な親の承諾のサインをするかたわら、15歳のコムズは裁判官の前に立っていた。

    母親が書類にサインしたことで、コムズは書類上、自分より4歳しか違わない少年の母親になった。まだ車の運転さえできない。それでも初めはこの結婚に異議を唱えなかった。望ましい形とはずれているものの、厳格な両親に縛られた家を出る手段だととらえていた。結婚前、「婚約者」とのデートで初めていちごミルクシェイクを飲み、初めて映画に連れて行ってもらった。ジョン・トラボルタの「ステイン・アライブ」だった。結婚して家を出ればもしかしたらようやく学校へ通えるかもしれない、と期待した。両親に禁じられ、学校へ行ったことは一度もなかった。

    その後学校へ行ったのは授業に出るためではなく、4歳下の息子の保護者会に出るためだった。未成年のため、自分で入学の手続きができないのだとわかった。ほどなくして2人の子を出産した。18歳の誕生日が近づくにつれ、この結婚は「袋小路」なのだと気づいていった。この目で世界を見たいと夢見ていたし、学校へ行くこともあきらめていなかった。夫は妻には家にいて「いい奥さん」でいてほしい、という考えだった。離婚を考えたが、自分では公的な届けなど一切出せないのだと思い至る。未成年者は契約書などの書類にサインできない。必要なときのために偽の身分証明を作ってあったが、弁護士や裁判官の目はごまかせない気がした。

    ついに18歳になって夫のもとを離れたが、事態はさらにややこしくなった。実家には受け入れてもらえず、「よくない仲間とつるんだ」。何カ月かは身を寄せる家がなく、ホームレス状態を経験した。やがて男友達の家のソファで寝かせてもらったのち、その彼と結婚した。やがて4人の子が生まれ、また破綻へと向かう結婚だった。

    「上へ這い上がるための戦いでした」。現在49歳になるコムズはそう振り返る。「パートナーとの健全な関係とか正しい判断力とか、何もわかってませんでしたよ。社会へ出てちゃんと経験を積む機会を許されていたら、普通の人がどうしているかもっと知ることができたかもしれません。男性との関係についてももっと学んでいたかもしれません。もっとまっとうな判断が自分でできたかもしれません」

    米国務省は2010年、「すべての児童婚は児童虐待である」と非難する見解を出している。ここで国務省が指していたのは海外での事例だったが、実は米国では、さまざまな法の抜け道を含めるとすべての州で児童婚が法的に可能な状態だった。結婚できる法定年齢の18歳への引き上げを求める支持者がよく矛盾していると指摘する点だ。以来、18歳未満での結婚を禁じる決定を下したのは2州しかない。19の州では、結婚できる年齢の下限を定めていないままだ。

    統計によると、米国の場合、若年で結婚した人には学校を中退する、貧困生活を送る、精神的身体的な健康を害する、最終的に離婚に至るといった傾向が高い。男女ともに18歳未満では投票、銀行口座の開設、喫煙、飲酒が法的に許可されていない。性的同意年齢を18歳とする州もある。にもかかわらず、大半の州で、人生を大きく左右する結婚を18歳未満でも法的に可能にする方法が存在するのだ。

    だが、各州で実際に児童婚を禁じる法を審議する段階までくると、議員らは及び腰になって譲歩しがちだ。例えば結婚できる年齢を18歳未満まで引き上げるのでなく17歳未満としたり、親や裁判所の許可があれば未成年でも結婚できるといった例外規定を設けたりする。2016年以降、18歳未満の結婚を完全に禁じる法案が提出された州は少なくとも15州にのぼる。うち可決されたのは6州にとどまり、さらにそのうち4州では規定を緩め、未成年者でも結婚を可能にする抜け道が用意されている。今年5月、デラウェア州が全米で初めて18歳未満の結婚を例外なく違法とする決定を下した。6月にはニュージャージー州が続き、2年かけてここまでこぎつけた活動家にとっては大きな成果を勝ち取ったことになる。残る48州でも法改正を目指す活動は続く。

    児童婚や強制結婚の廃絶を目指す支援団体「アンチェインド・アット・ラスト」(本部:ニュージャージー州)の推定では、2000年から2010年にかけて米国内で25万人近くの子どもたちが結婚しており、4分の3以上が未成年の少女と成人男性の結婚だという。同団体の創設者フレイディ・レイスは、州議会への働きかけを始めた2015年当時、この数字が何よりも実態を物語っていると感じていた。ファミリーカウンシルのような保守団体から左寄りの市民権団体の連合まで、州ごとに形の違う反対勢力をはじめ、いかなる反対にもあわないだろうと考えていた。1州で正統派ユダヤ教会の反対にあい、別の州ではカトリック団体から支援を受けた。また、人工妊娠中絶をめぐる団体では、賛成・反対双方の側から異議が出るというめずらしい事態を経験した。中絶反対の立場をとる地域の団体「ライト・トゥ・ライフ」が、妊娠した10代の少女が「未婚の母になることを強制される」べきではないと述べる一方、推進派のNARALは、結婚する権利を、少女たちが悲惨な家庭環境から脱するきっかけになる「人権」としてとらえる姿勢を表明した。敵は単体でなく、体系的な壁が行く手を阻んでいた、とレイスは言う。大勢のロビイストを相手にするより格段に難しい。単純に2派からなる構図ではなかったのだ。

    「性差別なんです」とレイスは明確に言い切る。男性中心の議会では、議員は「この問題を聞いても『だから何なんだ?若い女の子の話だろう、そんなにおおごとか?』という感じです」。国も地方も選挙で女性候補者がたくさん送り込まれるようにはなったが、州議会での変革は遅々として進まない。#MeTooの流れも児童婚にまでは及んでいない。

    未成年で結婚した人数の統計をとることまではできても(2014年の場合、15~17歳で57800人)、どの程度が強制的に結婚させられているかを把握するのは不可能だ(暴力からの女性の保護を支援する全国的な非営利団体「タハレイ・ジャスティス・センター」は2009~2011年の統計で約3000件の強制結婚が確認されたと報告している)。児童婚の廃絶を目指す人々が心配しているのは、「いとも簡単に強制されてしまうこと」だとレイスは言う。

    子どもには法的な権利も成年者の保護もない。例えば結婚している少女が18歳未満の場合、家庭内暴力の保護シェルターに入るのが難しいケースがある(身近なパートナーから暴力を受ける率は16~24歳の女性に高い)。弁護士に依頼したり、自分で離婚届を出したりも簡単にはできない。駆け落ちを擁護する法があるせいで、児童婚被害者の支援団体が困っている少女に手を差し伸べる妨げになっている。アンチェインド・アット・ラストでは現在、全米で強制結婚を迫られたりさせられたりしている女性95人ほど(少女、成人女性合わせて)について、コンタクトをとりながら支援している。

    ニュージャージー州で18歳未満の結婚を禁じる法が可決された今、次はオハイオ、ペンシルベニア両州で同様の法案が審議されている。2019年にはさらに複数の州で同様の法案が提案されるか、過去に否決された児童婚禁止法案の見直しが行われる予定だ。多少は機運の高まりが見られるが、議員の動きにはまだ緊迫感が足りない、とレイスは言う。

    「もしこれが少女ではなく少年に起きている問題で、10代の少年たちが学校をやめさせられて結婚を強要され、結婚した当日にレイプされ、それが繰り返されて、将来の夢も希望も未来もみんな奪われるような事態になっていたとすれば、もっと迅速な動きが起きていたと思います」

    15歳で結婚したコムズはやがて学ぶチャンスをつかみ、教育を受けた。高校卒業認定資格を取り、学位を取得して医療補助の仕事に就いた。2016年、タハレイ・ジャスティス・センターは、コムズが新たな人生を歩み出したバージニア州で婚姻年齢を18歳に引き上げる働きかけを始めた。法案は、(親権から解放される、軍に入るなどにより)法的に成年者扱いとされる未成年者の例外を除いて可決された(この扱いは16歳未満には適用されない)。この結果にコムズは大枠では満足している。法案が可決される前年の2015年、バージニア州で結婚した子どもは200人近くにのぼる。2017年、その数は20人を切った。前進だ。

    コムズが納得できないのが、親の署名があれば未成年でも結婚できる例外規定だった。自身もそれで結婚に至った。テキサス州はこの抜け道を禁じたが、親の同意があれば子どもが結婚できる州はまだいくつかある。

    「どれだけ親が子どもの代わりにものごとを決めれば気がすむんでしょうか。それ自体が問題の一部なんです」

    サラ・タスニーム(37歳)も、15歳で親から結婚を押し付けられた。高校1年目を終えた直後だった。父親がカリフォルニア州にある規律の厳格な宗教団体(コムズの希望で名称は伏せる)のメンバーで、1996年、同じくメンバーだった28歳の男性との結婚を勝手に決められた。相手の男性と顔を合わせたのは、教団が執り行う結婚の儀式の当日だった。翌年、16歳で妊娠中だったタスニームは夫にネバダ州リノへ連れていかれ、そこで法的な結婚の手続きをした。夫はタスニームの父親がサインした書類――タスニームの言葉でいうと「許可書」――を持っていた。

    ずっと、自分が子どものような気分が抜けなかった、とタスニームは言う。リノへ向かう途中、夫にどこか雪山に寄ってそり遊びをしたい、と頼んだのを覚えている。離婚して別の州で暮らす母親と連絡を取るのを禁じられていたため、母親は娘の身に起きていることを知らなかった。結婚後、学校へ通うことはかなわず、ROTC(陸海空軍等の将校を養成する大学の課程)で学んで空軍士官学校へ進んでからロースクールへ行く夢はあきらめた。代わりに成人教室へ通い、高校卒業認定資格を取った。子どもは2人いる。車の運転をするようになったのは22歳になってからで、それも自力で習得した。「あらゆることを自力でやろうともがく日々」だった、とタスニームは振り返る。力関係の不均衡は果てしなく大きかった。自分名義の銀行口座すら持っていなかった。

    だが23歳でついに大学の授業を受けることが許され、仕事を始めると、夫のもとを離れようと決心する。離婚までには3年かかった。弁護士をつける費用は出せなかったため、夫が立てた弁護士を相手に自分で裁判に臨んだ。それから10年が経った今、タスニームはサンフランシスコのゴールデンゲート大学でビジネスマネジメントを修め、行政学の修士号を目指して勉強を続けている。カリフォルニア州が児童婚を禁じる措置の検討を始めたのを受け、1年前から公の場で自身の体験を話す活動を始めた。

    「私は経験者でありながら、今のいままで児童婚が合法で今日まで続いているのを知りませんでした」。タスニームはそう話す。しかし地元カリフォルニア州では、18歳未満の結婚を非合法化する法案は「粉々に砕かれ」てしまう。

    法案に大きな亀裂が入ったのは、アメリカ自由人権協会が(初めて、かつこのときだけ)公に反対の意を表明したときだった。「これが広くみられる問題であることを示すデータに欠ける」というのが理由だった。18歳未満の結婚を禁じるのは「結婚の自由という基本的人権を、十分な理由なく不必要にかついちじるしく侵害する」という見解が示された。最終的には新たに修正が加えられ、未成年者の結婚には事前に裁判官による面談を行う等の条件が盛り込まれた。最終的には、結婚できる年齢を18歳と定める法律ではなくなっていた。

    法案を支持するため2度証言に立ったタスニームは、修正版を批判する。「議員の人たちには、実際には問題が解決されていないのに解決できたと思わないでほしいんです」。今回の経験は「つらいが勉強になった」と受け止めている。現在、法案はほぼ死んだも同然の状態だ。他の活動家とともに、タスニームも次の会期には新たに手を加えた案を審議に持ち込みたいと考えている。セクハラや性的虐待に対して女性たちが声をあげた#MeTooの流れは、児童婚をめぐる動きを後押しするものになるはずだ。今、女性たちはわずか1年前よりも多くの政治的資本を手にしている。少なくともタスニームはそう信じている。

    ここまでに紹介した女性たちと違い、レイスが結婚したのは19歳のときだった。相手は同じブルックリンの正統派ユダヤ教徒のコミュニティの中から選ばれた男性だった。結婚したその週にはすでに出て行きたかった、とレイスは振り返る。しかし正統派ユダヤ教の教えでは、宗教上の離婚は夫からしかできない。夫に離婚を拒否され、ユダヤの文化でいう「agunah(アグナ)」(夫から離婚してもらえず「夫につながれた(chained)」状態の女性を指す)となったレイスは、家族から受け入れを拒まれた。やがて2人はニュージャージーへ移り、2人の子が生まれた。

    32歳のとき、大学の学位を取った。家族で大学まで修了したのはレイスが初めてだったが、夫や親族からはあまりよく思われなかったという。やがて新聞社で職を見つけた。経済的に自立できるという実感を得、夫と法的に離婚して自分の家族からも正統派ユダヤ教コミュニティからも離れてやっていく自信が芽生えた。レイスは結婚を押し付けられた当時も未成年ではなかったが、自身の体験を公の場で話すうち、未成年で結婚させられた女性たちと出会った。

    「19歳のとき、私がちゃんと分別と勇気があって、外に助けを求めていたら、助けてもらえたんだと思います。でも16歳や17歳だったら…助けてあげられる手段がほとんどないんです」

    18歳未満での結婚をなくしたい。それが自分がなすべき仕事だと考えたレイスは、自分が自由を手に入れたニュージャージーから始めることに。当時同州では、16歳と17歳は親の同意があれば、15歳以下は親と裁判所の承認があれば結婚できた。州の統計によると、1995~2015年の20年間に州内で3600人を超える未成年者が結婚している。レイスの議会での証言によると、うち150件以上は15歳以下の子どもが含まれている。州の記録では、2004年の例として15歳の少女と43歳の男性が結婚したケースもあった。

    レイスの熱意は、確認の取れていない事実の誇張と紙一重になることも少なくない。レイスはBuzzFeed Newsの取材に対し、未成年で結婚させられた少女がアンチェインド・アット・ラストに救いを求めて電話をかけてくるが、身を寄せるシェルターや法的措置の適用が未成年者には難しいためにとれる選択肢があまりないことを知ると「ほぼ全員が自殺してしまおうと思いつめる」と答えている。不安をかきたてる話だが、事実かを確認するすべはない。

    それでもレイスの熱意はニュージャージーで実を結ぶ。2017年春、レイスも作成に加わった法案は上下両院とも賛成多数で通過した。ニュージャージー州は全米で初めて児童婚を禁じる一歩を踏み出した。

    しかし当時のクリス・クリスティ知事は法案に対し拒否権を行使、結婚を禁じる年齢を18歳から16歳に引き下げるよう提案した。共和党のクリスティ知事は若者を信じようと訴え、「州法の規定では、同じ16歳で、性行為への同意も妊娠中絶も親の同意どころか親に知らせることなく可能なことを考えると、16歳で結婚が認められないのは偽りになるのではないか」との見解を示した。

    クリスティ知事はレイスの訴えに対し、法案は妊娠中絶問題を再燃させるのではないかと述べた。今年に入り、同州のジェラルド・カーディナル州上院議員(共和党)もクリスティ知事の拒否権に同意し、次のように述べている。「13歳の少女は親の紹介なしで中絶手術をする病院へ行くことができます。でもその子が結婚したいと言ったら、だめだと突き返すのでしょうか。それこそ時代錯誤です」。同じく共和党のマイケル・ドハティ同州上院議員も「妊娠中絶が増える恐れがある」と懸念を示した。

    妊娠中絶をからめた議論に、レイスは冷ややかな視線を向ける。「結婚の法定年齢に関する法と中絶に関する法は無関係です」。結婚できないと中絶が増えるとの主張を裏付けるデータはない、とレイスは指摘する。両者の相関関係を明確に示す統計はなくても、児童婚の議論に妊娠中絶問題が持ち込まれると、向かう先は明らかだ。超党派だった議論が各党の既定路線へと分裂してしまう。

    デラウェア州でも、18歳未満の結婚禁止をめぐる議論の中で、結婚の形が許されなければ10代の妊娠中絶は増えるとの見方を示した議員が少なくとも1名はいた。同州では、児童婚を禁じる提案に対しあらゆる方面から議論が尽くされ、多くの反論が展開された。

    親や祖父母を引き合いに出した議論もあった。うちの両親は母が16歳、父が18歳のときに結婚して以来、ずっと幸せな結婚生活を送っている。であれば、今の10代からが同じように結婚する権利を奪う必要がどこにある? それに軍に所属する若者はどうなる? 何歳だろうと配属される前に愛する恋人と結婚できるべきじゃないか? そもそも未成年の子が結婚していいかどうか最終的に決めるのは、政府じゃなくて親であるべきでは?

    児童婚の禁止を検討している州なら、中絶問題に加え、どれに重点を置くかはそれぞれながら、こうした点も含めて検討しているだろう。だがどの州にも共通する点がひとつある。州議会を覆い、どっしりとたたずんで長い影を落とす存在。

    「結局行き着く先は妊娠した10代の少女です。妊娠した10代の少女が行き着く先は性差別です。女の子の子宮は大事、でもそれ以外には価値を見いださない考え方なんです」とレイスは訴える。

    結婚の法定年齢引き上げに反対する議員にとって、議論の焦点は児童婚そのものというより、妊娠した少女の権利の保護にある。米国は先進国の中でも10代の妊娠率がきわめて高いが、反対派の議員はこうした境遇にある大勢の少女に対し、中絶するか養子に出すかシングルマザーになる以外の選択を確保するべきだと主張する。

    デラウェア州議会議員、ティム・デュークス(共和党)は州議会の討論で次のような見解を述べている。「10代の子が妊娠したら、あなたはまだ結婚できないし、温かい家庭で子どもを育てることも、子どもが父親か母親と同じ名字を名乗ることもできないよ、と言うつもりなのでしょうか? それが正しいとは私には思えません」

    デラウェア州下院議員キム・ウィリアムズ(民主党)が妥協せず起草した法案を知事に突きつけ、ついに法案が可決されたとき、レイスは人目をはばからず涙した。そしてアンチェインド・アット・ラストのスタッフ2人と一緒に、国内で初めて児童婚を禁じる法案を成立させた記念のタトゥーを施した。レイスの細い手首を巻くように描かれたチェーンは、真ん中で細かく砕けている。別のスタッフは、マーガレット・アトウッドの同名小説を基にしたドラマ「侍女の物語」で主人公を勇気づけたフレーズ「Nolite te bastardes carborundorum」(あんなやつらに虐げられることはない)と刻んだ。

    レイスらはニュージャージー州でも法案可決に向けて再三取り組んだ。クリスティ知事による拒否権の発動から1年後、フィル・マーフィー新知事(民主党)のもとで法案は復活した。だが、正統派ユダヤ教徒のグループから例外規定がないとの反対を受け、再び瀕死の状態に。レイスにとっては個人的に深く傷つけられる思いだった。かつて離婚した自分を死んだも同然とみなしたのが、自身が所属していた正統派ユダヤ教コミュニティだったからだ。

    その後マーフィー知事が法案に署名、ニュージャージーで勝利を勝ち取った活動家の戦いの場は新たな州へ移っている。そのひとつペンシルベニア州では16歳未満は裁判所の許可があれば、16歳と17歳は親の許可があれば未成年でも結婚できる。もう一方のオハイオ州では、妊娠した少女は親と裁判所の許可があれば何歳でも結婚できる。来年にはワイオミング、ワシントン、ユタ、ジョージア、コネチカット各州で法案の提出を目指す。

    しかしこうした州でも、ワシントンやコネチカットのように、すでに法案を検討していながら、否決される、審議が行き詰まる、あるいは通過しても大きな抜け穴が設けられる、といった経緯がある。児童婚廃絶を目指す活動家は、これらの州をはじめ各地で長年にわたる努力を重ね、疲弊している。例えばメリーランド州では、児童婚廃絶に向けた法案が3度にわたり否決されている。

    この先、現状を打破するためには、議員の側に未成年の少女の立場から事態を見つめさせ、少女たちが自分で自分の身を守れるだろうと考えるのをやめさせることだ、とタハレイ・ジャスティス・センターのジャンヌ・スムートは指摘する。「望まない結婚を逃れようとする少女の立場に議員が立ってみること。未成年者が自分でみずからを守るのは難しい現実を認識させることです」

    だが、レイスやタスニームをはじめ、児童婚廃絶を目指す人々の認識が正しいとすれば――すなわち、議員たちが児童婚問題を軽く見ているのが、しょせん一部の少女たちの問題であってそれほど多くが影響を受ける問題ではないと考えているからで、それが一番大きな障壁なのだとすれば、#MeTooの時代でも現状を変えるのは容易でない。

    レイスはこう言った。「ときどき、これは現実なのだろうかと自分をつねってみる思いです。16世紀の法の話ではなく、今の時代の法の話をしているのに、と」

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed