20世紀はじめ、イギリスに「スピリチュアリスト」を名乗るウィリアム・ホープという人物が現れた。ホープは科学と超常現象が結びついた独自の力を身につけた、と主張した。死者の霊を写真に撮ることができるというのだ。
ホープは人々と死者の世界を取り持つ霊媒師として一躍名をはせ、心霊写真家集団「クルー・サークル」(Crewe Circle)を立ち上げて評判を呼ぶ。
愛する人を亡くした人々がホープのスタジオへ来て写真を撮ってもらうと、できあがった写真には故人がぼんやりとした幽霊のように現れた。
だが、それもつかの間、1920年ごろには多くの人がホープの「特殊な能力」を疑うようになっていく。呼び出された死者の姿が写っていると考えられていた写真も、やがて撮影のトリックだったことが暴かれてしまう。
ホープが撮影した数々の写真は現在、イギリスのブラッドフォードにある国立メディア博物館に収蔵されている。その「心霊写真」は、写真作品としても、また今でいう「フェイクニュース」の先駆けともいえるユニークな位置づけからも、価値あるものと言える。
同博物館の主任学芸員ジェフ・ベルナップ氏に話を聞き、ホープの写真について、また当時の人々がトリック写真を信じた文化的背景について解説してもらった。
20世紀初頭の当時は、写真が誕生してすでに80年ほどが経っていました。死者の魂や幽霊が写り込んだとされる心霊写真も、じつは19世紀半ばから後半ごろから存在します。
ですが、ホープが台頭した当時、スピリチュアリズムへの関心と信仰は高まっていました。第一次世界大戦で家族や友人など身近な人が戦地へ出かけ、そのまま帰らぬ人となったケースが多くあったからです。
当時、心霊写真を信じるかどうかについてはさまざまな見方が入り混じっていました。どんな時代でもそうですが、物事を疑って見る人もいましたし、自分の感覚しか信じないのはどうか、目に見えない世界だってあるかもしれない、そういう世界を信じる心も必要ではないか、という人もいました。
そのため、スピリチュアリズムに関心を持ったのはいわゆる“騙されやすい人”ばかりではありません。科学に親しんでいる人たちも、超常現象を示す証拠を突き止めようと考え、科学的な手法を用いて未知なるものを解明しようとしました。こうしてホープの写真の真偽を調べた人たちが、やがてその嘘を見抜いたわけです。
カメラの前に現れた霊が写った、というのがホープの説明です。が、現在では、二重露光を使ってこうした写真を撮っていたことがわかっています。まず被写体となる人を撮影したネガを作り、その人の大切な故人の顔が入った別のネガと重ねます。
これはたいてい故人が写った写真を使いました。そうして写真を加工して、亡くなった人が幽霊のように写った写真を作りだしていたのです。
私が非常に興味深いと思うのは、カメラに対する信頼と、人々が写真は真実だと考えていた心理をホープが利用していた点です。当時の人たちはカメラを信用していて、われわれ人間の目には見えないものをカメラは写し出せるのだと思っていました。
人が写真をそうとらえていることを、ホープはうまく利用していたのです。
私たちが第一次世界大戦後のあの時代から学べることは多くあります。当時、亡くなってしまった大切な人とつながりたいという思いを多くの人が抱き、悼み悲しむ気持ちを社会全体が共有していました。
それがスピリチュアリズムへの関心の高まりにつながりましたが、それ自体への関心に加えて、宗教上の信仰や文化的な事象としての側面、さらには科学的な側面もあったのです。私たちの文化と社会が、目に見えないものをいかに信じようとするか、理解しようとするかを示す例だと言えます。
この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan