「人種を考慮した入学選抜方式」に異議を唱える中国系アメリカ人たち

新世代の中国系アメリカ人たちは、白人保守派の活動家と手を組んで、アファーマティブ・アクション(差別是正措置)を終わらせようとしている。ハーバード大学に対して起こした訴訟に勝利すれば大きな前進だ。

    「人種を考慮した入学選抜方式」に異議を唱える中国系アメリカ人たち

    新世代の中国系アメリカ人たちは、白人保守派の活動家と手を組んで、アファーマティブ・アクション(差別是正措置)を終わらせようとしている。ハーバード大学に対して起こした訴訟に勝利すれば大きな前進だ。

    22歳のマイケル・ワンは、威勢がよく自信に満ちている。まさに、アファーマティブ・アクションに反対するアジア系アメリカ人として期待されるような人物だ。「このポリシーは時代遅れで古いものであり、物事は変えていかなければなりません。そういう考えに、誰もが賛同できるはずだと思います」。5月のある日、マイケルは私にそう語った。彼がパラリーガルとして働く法律事務所にほど近い点心の店でのことだ。ワンはさらにこう続けた。「もしこの考えに同意できないとしたら、まるで話が見えていないということです」

    マイケルの父、ジェフも息子に同意する。「今こそ、この問題について話し合うべきです。そうでしょう?」。人種に関する大学側の考え方は、息子のような中国系アメリカ人を傷つけているとジェフはいう。「中国人はマイノリティだとされて、歴史上不当な扱いを受けてきました」とジェフは語る。「我々は良い待遇を受けるべきです。罰せられるのではなく」

    一人っ子のマイケルは、両親と従兄弟と一緒に、カリフォルニア州サンフランシスコから南に1時間ほどのユニオンシティに住んでいる。マイケルは、中国で教師をしていた教育のプロである父親によって、成績上位者になるべく育てられた。マイケルがハーバード入学を目指すと決めたのは8歳の時だ。その頃、両親やその友人たちが口にするハーバードの名前を聞き始めたのだ。

    「自分が目指すべきだということはわかっていたので、自分のレジュメを良いものにしていく必要がありました」とマイケルは語る。

    放課後に友達がビデオゲームをしているときも、彼はピアノを練習したり、父親から数学を教わったりした。マイケルが小学生の時、ジェフは学区を説得して、息子が地元の中学校で数学の授業を受けられるようにした。ジェフは毎日マイケルを小学校に迎えに行き、中学校まで送った。マイケルが7年生になった時も、同じように毎日地元の高校で降ろして上級クラスを受けさせた。マイケルは8年生を飛び級した。

    ところが2013年、マイケルは米国内のいくつかの一流大学の入試で不合格になった。これに対して彼は、プリンストン大学、イェール大学、スタンフォード大学が、人種のみを理由に入学を拒否したとして、教育省に対して、市民的権利の侵害だとして申し立てた(彼は、ペンシルベニア大学、カリフォルニア大学バークレー校、ウィリアムズ大学には受かっており、ハーバードとコロンビア大学は、最終的には受からなかったものの順番待ちリストに掲載されていた)。

    マイケルは申し立てのなかで、自分の業績をリストアップしている。ジェームズ・ローガン高校の卒業式で、学年代表として、来賓に対する歓迎の辞を述べたこと。GPAスコアが優れていたこと。ACTスコアが満点だったこと。SATスコアが2230点だったことなどだ。とはいえ、彼は単なるありがちな受験ロボットのような中国人学生だったわけではない。ピアノも弾くし、高校では数学クラブも立ち上げた。学校の討論チームに所属し、「サンフランシスコ・ボーイズ・コーラス」の一員としてバラク・オバマ大統領の就任式で歌ったこともある。大学では国際関係を志望し、将来は大使になりたいと願っていた。

    紙面上は申し分ないように見える。だからこそ、自分が人種差別の被害者だと考えない限り説明がつかないという結論に至り、そのことを様々なインタビューで主張している。ごく最近では、『ザ・ニューヨーカー』のインタビューでも同様に語っている。

    筆者自身のことを振り返ってみよう。様々な点で筆者は、差別の被害者だと訴える成績優秀な中国系アメリカ人学生の描写にあてはまる。テキサス州サンアントニオにある高校の最上級生だった時、輝かしい出願書類にもかかわらず、申請したアイビーリーグの大学はすべて不合格だった。学年の卒業生総代で、SATスコアは、受けた年の受験者全体の上位1%に属していた。高校の学校新聞では編集に従事し(スポーツ欄の編集担当)、学校対抗コンテストである「学業的十種競技」の校内選抜チームに属していた。

    筆者自身は、これまで一度も、人種が自分の妨げになったと感じたことはない。少なくとも大学に行くようになるまでは。私はラッキーだったのだと思う。両親は私に、学校で良い成績を取るようプレッシャーをかけるようなことはなかった。自分が、両親になりすまして成績表に署名をしたこともあった。

    私は、役に立たないテストで良い点を取るという、まるで役に立たない能力が私に備わっているというだけのことで、自分には何かにふさわしい価値をもつと感じたことはまったくなかった。結局私は公立大学に通い、自分は何をやりたいのか、どんな大人になりたいかを考えながら4年間を過ごした。アイビーリーグに入らなかったことで理論的にいえばなんらかの損失を受けたのかもしれないが、私にはその証拠を見つけることができない。

    だが、アファーマティブ・アクションを軽蔑すべきものと考えているのはワン一家だけではない。新世代の中国系アメリカ人活動家に属する彼らは近年、同政策の反対派を集めている。これは、以前からアジア系アメリカ人を仲間にしたがっていた保守派にとっては喜ばしいことだ。

    2014年には、カリフォルニア在住の中国系アメリカ人数万人が、ある法案に反対して集まった。一般にSCA5として知られるその法案は、州内でアファーマティブ・アクションを復活させようとするものだったが、彼らは法案を無効にすることに成功した。当時ウィリアムズ大学の学生だったマイケルは、のちに広く知られるようになった論評記事を執筆。その中で同法案を激しく非難し、むしろ「人種で区別しない公正さ」について議論を深めるべきだと主張した。

    SCA5をめぐる論争に勝利した後、マイケルの父親ジェフや、彼と志を同じくする国内の中国系アメリカ人の移民たちは同年、アジア系アメリカ人教育連合(AACE)を創設。カリフォルニア州の法案への反対を契機とした怒りを具体化して、国民運動に発展させるという目標を掲げた。

    AACEは、中国からの移民ユーコン・ザオが始めた団体だ。中年男性である彼の前職は、フロリダ州にある大手多国籍企業国際企画部門のディレクターだが、現在はAACEのプレジデントで、ボランティアの立場にある。ザオは、SCA5の反対票を集めようと熱心に活動していた(ザオたちは同法案を、「スキン・カラー・アクト」と軽蔑的に呼んでいた)。アメリカ有数の中国語新聞「世界日報」に論評記事を執筆し、中国系アメリカ人たちに向けて、彼の言葉を借りれば「アメリカを、機会の平等を支持する国から、結果の平等を支持する三流国」に変えかねない同法案に組織的に対抗するよう、強く呼びかけていた。

    アファーマティブ・アクションとの闘いを、国内で増加しているラテン系アメリカ人との闘いとみなす彼は、中国系アメリカ人に対して、白人と力を合わせるよう熱心に勧めている。彼の考えによれば、白人もまた逆差別の被害者だという。

    アメリカの人種構造において、アジア系アメリカ人はこれまでずっと、不安定で相容れない立場に置かれていた。作家ジェフ・チャンが著書『We Gon’ Be Alright』で、アメリカ在住のアジア人を「中間の人(in-betweenness)」と呼んだように、黒人でもなければ白人でもない、緊迫した2つの人種の中間にいる存在だ。

    それがなにより明確になったのが、アファーマティブ・アクションに関する何十年にもわたる論争である。10月15日には、長年待ち望まれた、ハーバード大学で行われている「人種を考慮した入学者選抜方式」についての訴訟の審理が連邦地裁で始まった。マイケルのようなアジア系アメリカ人が大学申請時に直面する、差別が疑われる行為が、初めて大きな注目を浴びる出来事だ。この訴訟に成功すれば、AACEのような団体が求めている成果が得られることになる。つまり、大学の入学者選抜において人種を考慮する措置が廃止される可能性がある。

    こうしたポリシーがこれまで存在してきたのは、高等教育の可能性が閉ざされてきた有色人種の学生に恩恵を与えるためだ。こうしたポリシーに中国系アメリカ人が反対するのは気がかりだとする向きがあるとしても、ワンやザオのような活動家たちは、公民権運動の名残のようなレガシーを廃止するための自分たちの運動が、本当の平等に向かう一歩となると固く信じている。

    他の多くの懸念される問題もそうだが、この論争で最終的にどちらの立場に立つかは、事実というよりは、考え方やイデオロギー、そして、人種や公正さ、それに能力主義をどうとらえるかによって異なってくる。アファーマティブ・アクションをめぐる論争で中国系アメリカ人がセンターステージに立ち、自分たちの利益は他の有色人種ではなく白人と一致していると感じる人が増えている今、この国の人種的構造におけるアジア系アメリカ人の複雑な立場に、この論争はどんな光を当てるのだろうか?

    「人種を考慮した入学者選抜」という方針に熱心に反対の声を上げる、中国系アメリカ人の新しい団体が出現したことは、保守系の活動家エドワード・ブラムにとってちょうど良いタイミングだった。

    66歳のブラムは以前から、大学の入学から政府の雇用に至るすべてにおいて、人種を考慮した審査に反対してきた。彼は、「1965年投票権法」を骨抜きにした2013年の最高裁判決(少数派市民の投票権を保障するために作られた「投票権法」の主要条項を違憲とするもの)の立役者だ。

    ブラムは2014年、アファーマティブ・アクションをなくすために、多くの原告を探していた。アファーマティブ・アクションに反対する動きは、もともとは2008年に、「自分の人種が理由で、テキサス大学オースティン校を不合格になった」と主張した白人学生アビゲイル・フィッシャーの訴訟事件によって火がついたものだ。

    ブラムが公言していた目標は、「入学審査において、人種を考慮するのをきっぱりとやめること」だ。2014年当時、フィッシャーの訴訟はまだ続いていた。第5巡回区控訴裁判所は大学側の主張を認めたが、その後、最高裁が再審理を命じ、第5巡回区控訴裁判所に差し戻されていた(最高裁は結局2016年、テキサス大学オースティン校の入学審査方針を支持し、フィッシャーに不利な判決を下した)。

    この一件でフィッシャーは、広く批判を受けていた。また、ぱっとしない成績や、学歴にまったく見合わない強い権利意識が嘲笑されていた。アファーマティブ・アクションに異議を申し立てる原告兼旗振り役としては、理想的とは言い難い人物だ。ブラムが以前語ったように、次の挑戦には「アジア系の原告が必要だった」。

    2014年4月、ブラムはいくつかのウェブサイトを立ち上げた。ハーバード大学、ノースカロライナ大学、ウィスコンシン大学マディソン校を不合格になった若者に、体験談を送るよう呼びかけたのだ。各ウェブサイトには、物思いに沈む東アジア人の若者の写真とともに、「不合格? あなたの人種のせいかもしれません」という文章を載せた(ブラムは、ハーバード大学を相手取った訴訟が、SCA5に対する反対運動にヒントを得たわけではないと主張している。だが、この法案に抗議の声を上げた人々のほとんどが、中国系アメリカ人だったということに気づかなかったはずはない)。

    ブラムは、ハーバード大学に不合格となった数百人の若者から投稿を受け取った。ブラムは2015年に「Houston Chinese Alliance(ヒューストン中国同盟)」で行ったスピーチで、「こうした若者たちは、卒業生総代でした」と述べた。「テストの成績はずば抜けており、アドバンスト・プレイスメント(高校生に大学のカリキュラムを提供するプログラム)でも優れていて、学科の成績も素晴らしかった。科学の試験で優秀な成績を収めた者もいれば、ディベートで優れていた者もいました。テニスのトーナメントで勝った人や、ゴルフをやっていた人もいました。彼らは、国内有数のトップ校で研鑽する若者たちに期待されるような、あらゆることをやっていたのです」

    ブラムが語ったような若者たちは、特定のアジア系アメリカ人たちの近くで育った人なら、誰もが見かけるような若者たちだ。彼らの親は移民であり、自分の子どもに家庭教師をつけて教育を受けさせ、どこから見てもアイビーリーグにふさわしい人間にするだけの財産を持っている。

    自分の体験談を送ってきた生徒の1人は、カリフォルニア州に住む10代の中国系アメリカ人で、ブラムがつくったウェブサイトのことを聞いたのはナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)のローカル局だった、と述べた。卒業生総代に選ばれた彼は、試験の成績は満点で、テニスでは学校代表チームのキャプテンを務め、さまざまなボランティア活動にも献身的に参加していた。その彼も、ハーバード大学を不合格になった。ブラムは、彼を新たな原告にすることにした。

    ほどなくして、ブラムは彼の家族に連絡し、カリフォルニア州サクラメントに飛んだ。当初家族は、ハーバード大学相手に訴訟を起こすかどうか決めかねていたが、ブラムが、過去数十年間のアジア系アメリカ人の厳しい状況について、ユダヤ系と比較して説明すると、心を決めた。ワシントンDCでの訴訟の弁護人となる人たちと会ったあと、家族はゴーサインを出した。ただし、自分たちの名前を伏せることが条件だった。アビゲイル・フィッシャーと彼女の家族が浴びたような、周囲からの軽蔑を避けるためだ。ブラムは同意した。

    2014年11月、ブラムと被害者家族は、ブラムが同年につくっていた「Students for Fair Admissions(公正な入学選考を求める学生たち、SFFA)」という組織のもとで、ハーバード大学を告訴した。告訴状は、ハーバード大学において、「優秀な成績を収めるアジア系アメリカ人の志願者の合格率が極端に低い」事実を激しく非難し、大学当局が、非公式の配分を用いて、アジア系アメリカ人の学生数を故意に低く抑えていると主張した。

    さらに、こうしたSFFAの訴訟に影響を受けた結果、1年もたたないうちに、ザオが率いるAACEが、ハーバード大学に対する同様の苦情を教育省と司法省に申し立てた。

    最初の訴えから4年近く経った現在、SFFAの裁判が始まろうとしている。正面から最高裁をめざす訴訟における、次の局面がスタートするのだ。最近になって、すでに右寄りな法廷に、保守派のブレット・カバノーが連邦最高裁判所判事として加わったことを考えると、この訴訟は、アファーマティブ・アクションを決定的に消滅させることはないにせよ、さらに弱体化させる可能性がある。

    1960年代に初めて法律化されたアファーマティブ・アクションの政策は、最初は、継続する人種差別の影響に取り組むための対策としてとらえられた。その後、長年にわたる一連の訴訟により、このプログラムは弱体化し、現在のような形になっている。つまり大学側は、「多様化」を追求する中でのみ、そして極端に限られた状況の中でのみ、人種を考慮している。だが、この弱体化したプログラムでさえ、反対する者にとっては許しがたいものだ。2018年夏、匿名の原告の父親と話をしたとき、私は、訴訟の結果がどうなってほしいと思うかと尋ねた。父親は率直に答えた。「とても単純なことです。人種による枠をなくしてほしい」

    一方で、ハーバード大学の入学者選抜ポリシーを支持する立場からSFFAの訴訟に介入した、アジア系アメリカ人学生の団体もある。そうした団体である「Asian Americans Advancing Justice - LA(アジア系アメリカ人の前進する正義-ロサンゼルス支部)」で弁護人を務めるニコル・オチは、大学の入学者選抜に人種を考慮することをやめさせようとするブラムの取り組みの中で、アジア系アメリカ人は、聞こえの良いカモフラージュとして使われていると考えている。

    調査によると、ほとんどのアジア系アメリカ人は、人種を考慮した入学者選抜に賛成しているとオチは指摘した。また、ハーバード大学のポリシー、つまり、全体的な評価をすることで知られ、生徒のGPAや試験の成績だけでないさまざまな要素を考慮し、志願者の人種はそうした要素の中のひとつにすぎない、というポリシーは、幅広いアジア系アメリカ人の生徒たちの利益になっていると確信してもいる。ハーバード大学学部1年生のクラスは、現在、アジア系アメリカ人が約20%を占める。アメリカ全体におけるアジア系アメリカ人の人口を厳密に反映するなら、この割合は6%未満に激減するだろう。

    オチは私に、「入学審査の過程で、アジア系アメリカ人に対してバイアスがかかっているということは、考えられないことではありません」と言った。「しかし、それを正す方法は、人種を考慮した入学者選抜を廃止することではありません。構造的な『白人至上主義』と『白人優位の選抜条件』に取り組むことです」

    ある調査の結果、2021年度卒業生となった学生の8人に1人において、少なくとも片方の親が、ハーバードに通っていたということがわかった。なぜ、アファーマティブ・アクションの反対者は、アイビーリーグの「レガシー制度(卒業生の親族・子孫が優先的に入学できるシステム)」に目を向けないのだろうか、とオチは問う。レガシー制度は白人にとって、事実上のアファーマティブ・アクション・プログラムとして機能している、と主張する人もいる

    「1つのパイをどう分けるかという問題なのに、なぜ、4分の3を占める白い部分に目を向けないのでしょうか」とオチは述べる(ハーバード大学の全学部生は、白人が50%近くに上る。2022年度に卒業生となる2018年の入学者選抜では、大学側は、白人の学生よりわずかに多い、52.8%の有色人種の学生を合格させた)。

    オチは、ブラムのような人たちの動機に疑問を持っている。「アジア系アメリカ人としての私たちの役割は何でしょうか」とオチは私に尋ねた。「私たちは、アジア系アメリカ人を、この議論の糸口として利用することに反対なのです」

    ブラム側は、アファーマティブ・アクションを廃止させる目的のために、アジア系アメリカ人を利用していることを否定する。「SFFAを、アジア系アメリカ人の訴訟に力を入れる会員制の組織として位置づけることはできません。そうではないのです」とブラムは私に説明した(ただし、SFFAを会員制の組織として位置づけることが正しいかどうかは別の問題だ。2015年の会計報告によると、メンバーから集めた会費はわずか430ドルである一方で、『マザー・ジョーンズ(Mother Jones)』誌が「ダークな資金を扱う保守派のATM」と称する「ドナーズ・トラスト(Donors Trust)」のような資金提供者から80万ドル以上の寄付が集まったとされている)。

    ブラムの異議申し立てはさておき、大学入学者選抜において人種を考慮することを廃止させる運動のなかで、彼が中国系アメリカ人に熱心に働きかけていることは明らかだ。ハーバード大学を起訴して以来、彼は全米を回り、ニュージャージー州からテキサス州、カリフォルニア州に至る地域の中国系アメリカ人に話をしてきた。そして彼らの中に、耳を傾ける者を見いだした。

    マイケル・ワンはブラムについて、「平等を求めるこの戦いにおける盟友です」と私に言った。ワンが最初にブラムに接触したのは、アビゲイル・フィッシャーの訴訟事件を調査していたときだ。それ以来、2人は連絡を取り続けている。ブラムの政治思想のなかには、マイケルを躊躇させるものもある。例えば、投票権法を骨抜きにするような政治思想のことだ。「けれども、最終目標が正しい限り、あまり気にならないと思います」と彼は言う。

    マイケルは、人種の多様性の大切さは認識しているという。マイケルは、ウィリアムズ大学に在籍していた頃のことを思い出して、「白人ばかりのキャンパスで、私も居心地の悪い思いをしました」と言った。それでも、彼も、父親のジェフも、キャンパスに黒人やラテン系の学生が少なくなる(人種を考慮したアファーマティブ・アクションが廃止されれば、おそらくそうなるだろう)という見通しに満足しているようだ。それが、アジア系学生の利益になるなら、と考えているのだ。

    「彼らは本当に、アジア人のように一生懸命勉強していますか?」。ジェフは疑問を投げかけた。アジア系アメリカ人学生が大多数を占めるキャンパスに戸惑いはあるかと尋ねると、「それの何が悪いのですか?」と彼は答えた。

    結局のところ、大学入学は「ゼロサムゲーム(各参加者の得失点の総和がゼロになるゲーム)」だとマイケルは言う。つまり「誰かが勝つためには、誰かが負けなければならない」のだ。

    東アジア系、とりわけ中国系のアメリカ人学生は、1971年に『ニューズウィーク』誌が「白人以上に白人」と評したように、たとえ人種差別に直面していても、懸命な努力によって達成できることを体現する人たちと見なされてきた。(おもに)東アジア系の人たちを「模範的なマイノリティ」と見なすこうした思想は、論争における露骨な武器として、以前から振りかざされてきた。つまり、私たちは肌の色で差別されない能力主義の世界に生きているという考え方を支え、国家における人種差別や排除の現実を矮小化するために使われてきた。

    1965年のワッツ暴動(黒人たちによる暴動事件)の翌年に、『USニューズ&ワールド・レポート』誌が中国系アメリカ人の労働倫理を褒め称える記事を掲載したのは、偶然ではない。記事には次のように書かれている。「ニグロやその他のマイノリティの生活向上に数千億ドルを費やすことが提案されている時代にあって、この国の30万人にのぼる中国系アメリカ人たちは、みずからの力で、ほかの誰の助けも得ずに前進しつつある」

    AACEのユーコン・ザオにとって、アファーマティブ・アクションは、アメリカでは懸命に努力をする者なら誰でも成功できるはずだという自助努力思想に対する公然の侮辱だ。なにしろ、彼がアメリカに来たのは、まさにそれが理由だったのだから。

    ザオは、人種差別の根強さを認めつつも、「唯一の対策は、すべての子どもを肌の色ではなく、その特性や長所にもとづいて扱うことです」と主張する。ザオがしばしば指摘しているのが、プリンストン大学の社会学者2名が2009年に実施した、引きあいに出されることの多い研究だ。この研究の狙いは、学生選抜方式をとる大学への入学に際して、アジア系アメリカ人学生がほかの人種の学生と同程度の勝算を得ようと思ったら、SATで白人よりも140点、ラテン系よりも270点、黒人よりも450点高い点数をとらなければならないという事実を証明することにある(ただし、著者のうちの1人は、テストの点数以外のいくつかの要素を考慮していなかったことから、この研究は「決定的な証拠」ではないと認めているが、それについてはザオは言及していない)。

    ザオの不満は、自分たちが不当な扱いを受けていると思っている白人のあいだに広がる、いわゆる「憤りの政治」とほぼぴったりと一致する。そうした白人たちは、白人を犠牲にして有色人種が恩恵を受けていると不満を漏らし、入手可能なあらゆる証拠に反して、白人こそが人種差別の真の被害者だと考えている。

    ザオはこう指摘する。「都市の中心部には、黒人だけでなく、貧しい中国系学生も数多くいます。その一方で、黒人コミュニティにも、特権を持つ家族が存在します。たとえば、オバマ前大統領の家族のような存在です。彼らは、チャイナタウンの労働者階級の貧しい子どもたちより優遇されるにふさわしいのでしょうか? 答えはノーです」

    「それが腹立たしいのです」とザオは続け、中国系アメリカ人は、ラテン系アメリカ人よりもはるかに大きな差別に直面していると思うと語った。「ヒスパニック系アメリカ人はなぜ、中国系アメリカ人や日系アメリカ人よりも優遇されているのでしょうか?」

    典型的なアジア系アメリカ人の物語は、抑圧と差別に対する苦闘の物語として語られる(そもそもそうした物語があればの話だが)。それは偽りの物語というわけではない。その点については、歴史をどう大雑把に解釈しても明らかだろう。だが、そうした物語は限定的なものでもある。その紋切り型の構成のなかで、あまりにもしばしば無視されていることがある。つまり、平等を求める思いは多くの場合、心の底では白人により近づきたいという欲求として存在していることだ。さらにこうした物語では、アメリカに暮らす中国系アメリカ人やその他のアジア系の利益が、本質的にその他の有色人種の利益と一致するものとして描かれているが、詳細に掘り下げた調査では、そうではないことが明らかになっている。

    2016年、ニューヨーク市警察の警察官だった中国系のピーター・リャンが、武器を持たない黒人のアカイ・ガーリーを射殺し、有罪判決を受けた。その後、この判決に抗議するために、数万の中国系アメリカ人が街路に押し寄せた。その行動の理由を説明できるものは、前述のような感情をおいてほかにない。黒人を射殺してもごく軽い罰しか受けてこなかった白人警官たちと同じ扱いをリャンも受けるべきだと、彼らは考えていたのだ。

    歴史を見ても、それを示す事例がいくつもある。1870年代には、中国から移住し、サンフランシスコに定住した商人アー・ヤップが、市民権を得るために、自分は法律のうえでは白人だと主張した。当時は、市民権が与えられるのは、「自由白人」と「アフリカ出身、またはその子孫」の人たちに厳密に制限されていた。ヤップの言い分は認められなかったが、それでも、ほかのアジア系移民が、自分も白人だと主張しようと試みる妨げにはならなかった。

    数十年後、日本生まれのカリフォルニア住民、タカオ・オザワが、失敗に終わったものの、市民権取得を申請した際に、次のように主張した。「アメリカ合衆国最高裁判所の解釈では、白人とは、黒人の血を受け継いでいない人を意味する」

    1920年代にミシシッピ州に住んでいた移民の夫婦、ジェウ・ゴン・ラムとキャサリン・ラムの事例もある。夫妻は1924年、娘のマーサとベルダが地元の白人学校への入学を認められなかったことを不服とし、ミシシッピ州の一学区を相手に訴訟を起こした。教育委員会は、ラム家の娘たちを「有色人種」としていた。

    その後の法廷闘争で、ラム夫妻はその分類に反論し、「有色人種」とはほど遠く、「むしろ白人種のほうに近く」、したがって白人に与えられている恩恵を受けてしかるべきだと主張した。その主張は認められず、その後、最高裁に上訴した際も同様だった。そのかわりに、夫妻にはふたつの選択肢が提示された。黒人生徒のための学校に入学するか、私立学校へ行くかのどちらかだ。打ちのめされたラム一家は、結局はミシシッピを去ることになった。

    ラム夫妻の事例を最も寛容に解釈すれば、彼らは娘の教育を受ける権利を守るために勇敢に闘った人たちということになるだろう。だが、この事例の経緯を追うにあたっては、ラム夫妻の動機についても検証する価値がある。キャサリンは何年も経ってから、「私の子どもたちを、有色人種の学校に入れたくなかったのです」と説明した。「もしそうなったら、地域社会は私たちをニグロと分類したでしょう」

    娘のマーサ・ラムとベルダ・ラムは、最終的にはテキサス州に定住した。娘たちが取材を受けた記録は見つからなかったが、ミシシッピ州の中国系アメリカ人の歴史に関する本のなかに潜りこんでいたベルダの写真には、こんなキャプションがついている。「彼女は、最初はミシシッピ州の学校から受け、のちにはヒューストンの自宅近隣で受けた、白人による差別に激しく憤慨している。その一方で、公民権運動を嫌っており」、「自分の子どもたちには黒人と結婚してほしくないと思っている」。中国系アメリカ人である彼女は、まちがいなく公民権運動から恩恵を受けられるにもかかわらず、だ。

    ラム夫妻やアー・ヤップ、タカオ・オザワの行動を、どう考えるべきなのだろうか? 彼らに与えられた選択肢の少なさを考えれば、白人に権力が偏る構造から生まれた彼らの選択を責めることができるだろうか? 

    ノーベル文学賞を受けた黒人女性作家トニ・モリスンは1993年に、「(移民たちが)アメリカのメインストリームに進出するとき、彼らはつねに、黒人こそ真のよそ者であるという考え方を受け入れる」と書いている。「どの民族であっても、どの国の出身であっても、移民たちは、アフリカ系アメリカ人こそ自分の敵だと理解する」。白人でない者がアメリカで出世するためには、黒人の背中を踏み台にしなければならない。移民たちはこのことを理解したうえで、意識的な選択を行うのだ。

    1965年移民法の成立後にアメリカに渡ったアジア系移民の子どもたちが成人するのに伴い、1970年代後半と1980年代はじめには、記録的な数のアジア系アメリカ人が大学に出願するようになった。だが、アジア系アメリカ人の出願数が急激に増加したにもかかわらず、多くの上位校では、こうした学生のうち実際に入学した数は、年々減少するか横ばいだった。

    1960年代のアファーマティブ・アクション・プログラムには、当初はアジア系アメリカ人が含まれていたが、10年後にはおおむね除外されていた。「アジア系アメリカ人はマイノリティと見なされていなかったのです」と、映画監督のレニー・タジマは語る。かつてハーバード大学で学生運動をしていたタジマは、1976年の入学当初、有色人種の学生を対象としたオリエンテーションに行ったが、参加を拒まれたという。「私たち(アジア系学生)は、制度的な人種差別を受けている、保護すべき階級やグループとは見なされていなかったのです」

    だが、タジマはこう指摘した。「数字の上でも体験談の上でも、私が大学にいた当時、私たちは明らかに、実際よりも低く評価されていました」

    1983年夏、アイビーリーグの中国系アメリカ人学生、マーガレット・チンとデイビッド・ホーが、「アドミッション・インポッシブル(不可能な入学)」と題したレポートを発表した。大学内のアジア系学生の数を意図的に制限している全米のエリート大学を告発する内容だった。

    ほどなくして、東海岸のエリート大学や、西海岸の同等の大学に在籍する全米のアジア系の学生や教授が、アジア系学生に対して上限数を設けているとして、それぞれの大学を糾弾しはじめた。

    そうした活動家たちは慎重に主張を展開し、自分たちはほかの有色人種の学生のためのアファーマティブ・アクションを支持していると述べ、おもな不満は、自分たちが直面している白人の出願者と比べた場合の差別にあると訴えた。だが、当時すでにアファーマティブ・アクションは、逆差別の一形態として、おもに白人から広く批判されていた。そのため、全国的な議論が巻き起こると、保守派の識者たちは、彼らの言う「不公平な人種優遇措置」を攻撃するために、アジア系学生の不満に素早く飛びついた。

    当時の司法省公民権局のトップを勤めていた人物の言葉を借りれば、アジア系アメリカ人に対する不公平な扱いは、「別の優先すべき人種的マイノリティの優遇を目的とした、大学のアファーマティブ・アクション・ポリシーに影響されているように見えた」。こうした意見は、ニュースメディアに取り上げられやすかった。そしてこの物語、つまり、「ほかの有色人種の学生を支援する政策により損害を受けた非白人学生のグループ」という筋書きは、一般市民の想像のなかに根を下ろし、そのまま今日まで至っている。しかしこれは、最初にこの問題を提起したアジア系アメリカ人にとっては不本意なことだった。

    1980年代の著名な活動家の1人で、カリフォルニア大学バークレー校の教授を務めていたリン・チー・ワンはいま、自分の活動について後悔していない。現在のワンは退職し、ベイエリアで暮らしている。大学がアジア系アメリカ人の出願者を差別している、といまも考えているのか、と筆者がワンに訊ねてみたところ、「私にとって、この問題は80年代に解決済みです」とワンは答えた。

    当時、アジア系学生を偏向的に扱っているとされたハーバード大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)およびバークレー校を教育省は調査した。最終報告書では、ハーバード大学では差別はなかったと結論づけられた。UCLAについては、1つの大学院課程で公民権法違反が見つかった。バークレー校の総長は、学内のアジア系学生の数を抑制していた入学条件について正式に謝罪し、是正を約束した。

    ただし、アファーマティブ・アクションの撤廃を目指して闘っている現在の中国系アメリカ人活動家の意図については、ワンは疑問を呈している。「自分さえ良ければいい、という類の運動だと思います。これにはとても失望しています。というのも、自分の子どもたちのことだけしか考えず、何が社会のためになるのか、何がアメリカのためになるのかを考えていないように見えるからです」

    80年代の学生活動家の1人で、「アドミッション・インポッシブル」レポートの共著者でもあるマーガレット・チンは、いまは時代が異なり、入学者数の制限はもはや問題ではないと考えている。SFFAがハーバード大学を提訴する際に、自分が執筆に関わったレポートが引用されたことに、チンは困惑している。

    「当時を振り返ると、いまとはまったく違う時代でした。ハーバード大学のアジア系学生は、いまよりもはるかに少なかったのです」とチンは言う。「当時は、単に大学に入ることが問題でした。いま、同窓会に出てみると、とても……まったく違うのです。同窓会会場のアクティビティ・ルームへ行くと、ひと握りのアジア系の1人、という感じです。でも、部屋を出ると(キャンパスには)アジア系がひしめいています」

    現在はニューヨーク市立大学ハンター校で社会学教授を務めているチンは、「多様なハーバードのための連合」を自称するハーバード卒業生のグループに参加し、10月15日に審理が始まった今回の裁判では、母校の支援に動いている。チンは、ユーコン・ザオやマイケル・ワンなどを突き動かすモチベーションについては当惑している。「彼らは、『SATの点数は完璧だった、自分はあれをした、これをした、だから入学して当然だ』と言う。でも、あなたたちだって、立派な大学に通っている」とチンは言う。「ハーバードが全員を受け入れることはできません。なぜ、あなたたちはこんなことをしているの? 私には理解できません」チンは笑い始めた。「本当に、『いったいどうして、こんなことをしているの?』と言いたいですね」

    2018年5月、ある曇り空の日、私はワシントンD.C.でユーコン・ザオに会った。全米記者クラブで、「フェデラリスト・ソサエティ」と「センター・フォア・イコール・オポチュニティ」が開催するパネルディスカッションが開催される日で、ザオは、アジア系アメリカ人の入学者選考について話すことになっていた。彼はこのところずっと忙しくしていた。その数日前にはユタ州のソルトレークシティを訪問し、他の中国系アメリカ人たちと、大陸横断鉄道の建設を祝っていた。

    私たちが話そうと座るやいなや、ザオは、息子のヒューバートの話をし始めた。2016年にヒューバートは、コロンビア大学、コーネル大学、プリンストン大学に入学を拒否された。ザオはこのことを「悲劇」と表現した。ヒューバートは全米育英会奨学金を受け、学校のディベート部と科学コンテスト部のキャプテンを務め、ロボット部のメンバーだった。また、地元のがん治療病院のボランティアにも時間を費やしていた。

    「それでも、これらの大学は息子の入学を拒否しました。息子の経歴からして意味不明です」とザオは話す。このことで、彼の胸中では、自分の息子のような学生は差別の犠牲者なのだという考えが確固たるものとなった。

    ザオによると、2016年の夏にザオらが教育省に届け出た申し立ては、オバマ政権が終了する少し前に退けられた。ヒューバートは現在、フロリダ州の大きな州立大学に通い、エンジニアリングを学んでいる。

    人種的多様性の重要性に関して、ザオは納得がいかない。「第一優先事項は、考え方の多様性だと思います」とザオは話す。「すべてのエリート校を見ると、ほとんど自由主義的な理念を教えています」

    アジア系アメリカ人に関する移民政策はずっと変化を重ねてきた。そのため、世代が直面する政策はある意味、世代ごとに異なっている。1965年の移民法は、アジアからの移民に対してほとんど閉鎖されていた門戸を大きく開放した。1990年には、技術を持った学位をもつ移民へのビザを増やすことで、移民政策は再び転換した。

    ザオは、1992年に中国南部の雲南省からアメリカに移住し、バージニア工科大学大学院を経て、サウスカロライナ大学のビジネススクールに入学した。AACEメンバーの多くがそうであるように、彼も高度な教育を受けた移民という新たな世代の一人だ。ザオは当初、政治にほとんど注意を払っていなかったという。経営学修士号の取得と、その後は家族を養うことに集中していたのだ。しかし、2008年に金融危機が発生した結果、彼は第二の故郷における政治問題に、より関心を抱くようになった。まもなく彼は、アメリカを悩ませている多くの問題は、個々の家族の意思決定のまずさと、アメリカの学校システムの質が悪化してきていることにまで遡るのではと考え始めた。

    2013年、彼は「成功のための中国系の秘密(The Chinese Secrets for Success)」という本を自費出版した。その中で彼は、儒教の家族観や勤勉さ、教育への熱意、自立について奨励した。こうした姿勢があれば、誰でもアメリカで成功できると彼が考えていたものだ。それ以来、彼は自身を公民権的なリーダーと位置付けている。

    そうした公民権的運動への関心の一部は、2013年の暮れに生じた。トークショーのホスト、ジミー・キンメルが、あるスキットを取り上げた時だ。白人の子どもが、アメリカは「中国にいる全員を殺す」のがいいという提案するものだった。ザオのような中国人移民はそのシーンに憤慨し、キンメルに謝罪を求める全国的な抗議運動が始まった。「それが、私が初めて参加した公民権運動でした」とザオは言う。

    ザオは、中国系アメリカ移民の仲間に関して、「私たちはめったに声を上げません。自分の権利のために闘うことはめったにないのです」と話す。ザオによればAACEは、「人々が声をあげ、アメリカンドリームに向かって闘う」よう促す団体だ。

    彼の取り組みはうまくいっているようだ。アジア系アメリカ人に対してアファーマティブ・アクションを支持するかどうかを尋ねた場合、中国系アメリカ人は、支持率が近年減少している唯一のエスニックグループだ。AAPIのデータによると、2012年の75%以上から、2016年には41%に低下した。

    現在の連邦政府機関には、アファーマティブ・アクションに対して以前から反対してきた者たちが揃っている。教育省公民権局長のケン・マーカスから、同じく教育省所属のキャンディス・ジャクソンまでだ。ジャクソンはかつて、アファーマティブ・アクションは「人種差別を助長する」と書いていた。そうしたなかでAACEはついに、人種を考慮する入学政策の廃止活動に協力的なパートナーを見つけた。ザオによるとAACEは、教育省および「アジア系アメリカ人と太平洋諸島住民に関するホワイトハウス・イニシアチブ(White House Initiative on Asian Americans and Pacific Islanders)」のスタッフと、何度も面会してきた。彼らは、彼らの主張を受け入れる意思があると示したという。

    先述したように、AACEが教育省に対して行ったハーバード大学に関する申し立ては、同省によって退けられた。しかし2017年の夏、同じ申し立てを司法省が調査しているという発表があり、AACEの人々は歓声をあげた。

    司法省と教育省は現在、イェール大学の入学ポリシーについても調査中だ。両省は2018年7月、入学選考時に人種的多様性を重視するオバマ政権時代のガイドラインを廃止した。そして8月末には、ハーバード大学に対するSFFAの訴訟審理に司法省が公的な立場で参加し、「ハーバード大学の人種に基づいた入学者選考プロセスにより、アジア系アメリカ人志願者は、白人や他の人種的マイノリティを含めた他の人種グループの志願者に比べて著しく不利になる」という公的な主張(statement of interest)を提出した。

    その後、ザオが記者クラブのステージに着席すると、聴衆はほとんどが白人と中国系だった。このイベントを主催した保守的なシンクタンク2社は、唯一のアファーマティブ・アクションの擁護者として、「法の下の公民権のための弁護士会」の教育機会プロジェクトディレクターであるブレンダ・シャムも招いていた。彼女は、まるで厳しい闘いに構えるように、終始無表情だった。

    ザオは、公の場で話す際には、闘争的な性格が現れる。彼はよく他者を遮り(先日のナショナル・パブリック・ラジオのインタビューでは何度も他者に喋らせるように言われていた)、要点を理解してもらうため、箇条書きで話す傾向がある。

    パネルディスカッションが終わった後、ザオのもとに、聴衆として参加していた2人の中国系アメリカ人がやってきた。近くのメリーランド州からやってきたという。シャムによる、慎重で思慮に富んだアファーマティブ・アクション擁護は、彼らを揺さぶらなかった。かわりに彼らは、ザオの手に1枚のチラシを押し付けた。チラシには、彼らの地区の「ギフテッド・アンド・タレンテッド」プログラムに参加するアジア系アメリカ人中学生の人数が近年どれほど減少し、そのことが中国系アメリカ人コミュニティの間で「大きな人種的懸念」を生み出していることについて詳しく書かれてあった。

    筆者は彼らとマンダリン(中国の公用語)で喋った。「これは全くもって不公平です」と一人が話した。「なぜ私たちの子どもがこうした差別を受けるのか」

    それから数週間後にザオと会ったとき、彼はすでに先に目を向けていた。「私たちはエリート校から始めますが、そこにとどまりません」と彼は述べた。8月末にザオとAACEは、カリフォルニア大学バークレー校に注意を向けた。キャロル・クライスト総長が最近、同校の人種的多様性に関する取り組みを改めて表明したためだ。今後10年で、同校はラテン系の学生人口を最低でも25%に増やし、より多くの黒人やネイティブアメリカンの学生の入学を認めることを目標としている。

    ザオは、クライスト総長と教育省公民権局に宛てた書簡のなかで、総長の声明への憤りを表し、アジア系アメリカ人学生の「入学可能性を害する」であろう「人種割当」だと呼んだ。そして彼は、法的な対抗措置の可能性を次のように示唆した。「私たちはあなた方の機関に対し、必要な措置を取るためのあらゆる法的権利を保有している。アジア系アメリカ人の子どもたちの、平等な教育を受けるための憲法上の権利を守るために」


    本記事の取材の中で筆者は、アイビーリーグに入学を拒まれたアジア系学生の両親たちと話したのだが、驚いたのは、彼らが、自分たちの子どもが本当に苦しんでいると感じるその度合いだ。実際それとは反対の証拠があるのをよそに。ある親は、カーネギー・メロン大学を経てカリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部に進んだ義理の娘が、「上位20大学」に入れなかったことでどれほど侮辱されたように感じたか、怒りに満ちた声で話した。

    筆者は2018年夏に、SFFAの訴訟における匿名原告の父親と話し、ハーバード大学からの入学拒否で、息子がどういった影響を受けたかを尋ねた。息子は、カリフォルニア州トップの公立大学の一つをエンジニアリングの学位で卒業したばかりで、出願したほぼすべての博士課程プログラムに合格していた。どんな合理的な基準を用いても、彼はうまくやっているようだった。しかし、この訴訟が成功すれば、不完全なポリシーを打ち壊す上で、彼は極めて重要な役割を果たしたことになるだろう。こうしたポリシーは、さまざまな欠点がありながらも、未だに人種差別が存在していることを主張し続けている。そしていまは、そうした主張はますます重要だと思われる情勢になってきている。

    筆者は、サンフランシスコのチャイナタウンでマイケル・ワンと一緒にランチをしたときの、ある会話を思い出した。カリっと焼けた三角形の葱油餅をかじりながら、筆者は彼に、アイビーリーグに入ることがどうしてそんなに重要なのか、尋ねてみた。彼の答えはすばやかった。「コネのためだよ」というのだ。この国のエリート層に仲間入りしたければ、ハーバードかイェール、プリンストンの学位がほぼ必要不可欠だというのだ。「入学することができたなら、ハーバードが入学を許可するほどの何かをこの人は持っているに違いない、と人々は考えるんだ」

    2017年にウィリアムズ大学を卒業したマイケルは現在、法科大学院への進学を考えており、週末は法科大学院進学適性試験(LSAT)の勉強に費やしている。ウィリアムズ大学で築いたコネを通して今の仕事を確保したという事実をよそに(彼の上司は同大学の同窓生なのだ)、彼の望みは再び、ハーバードに入ることなのだ。



    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan