世界のロイヤルウェディングに関する豆知識10選

    世界各国のロイヤルウェディングをめぐる歴史的なエピソードをご紹介。

    1. 花嫁が純白のウェディングドレスを着るようになったのは、イギリスのヴィクトリア女王が結婚式で白いドレスを着たのがきっかけだ。

    ヴィクトリア女王は、1840年2月10日にザクセン=コーブルク=ゴータ公の次男アルバートと結婚したとき、ブライダルファッションに革命を起こした。オレンジ色の花の刺繍が施され、レースの縁取りがついた真っ白なシルクサテン製ドレスを身につけたのだ。当時の花嫁は、富裕層であれ貧困層であれ、色鮮やかで華美なドレスを好んでいた。ヴィクトリア女王の白いドレスは、それらとは大きくかけ離れたものだった。純白のドレスをまとった、若くて無垢でうっとりするような女王の姿は、そのころ急増していた活字媒体によって広く拡散され、大衆の心をとらえた。

    ファッション史の専門家スザンナ・コードナーは、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のブログで、「新聞や、手ごろな印刷物や土産物などを通じて、社会のあらゆる層の人々が、雲の上の存在である女王の姿を目にすることになった」と述べている。「色のついたドレスもまだ一般的ではあったが、それ以降は、スタイル画やバレンタイン用カード、楽譜のほとんどに、純白のドレスを着て頬を赤らめた花嫁が描かれるようになった。そうして、花嫁が初婚で、なおかつ経済的に余裕があれば、真っ白なウェディングドレスを着るのが一般的になった」

    2. 世界最大のロイヤルウェディングのひとつが、レソトの国王レツィエ3世とAnna Karabo Motšoenengが2000年に挙げた結婚式だ。会場となったレソトの国立サッカー場は4万人の観客で埋まった。

    レツィエ3世と、23歳の南アフリカ出身女性Karabo Motsoenengは、2000年2月18日にカトリック式の結婚式を挙げた。花嫁は、結婚後はマセナテ・モハト・セーイソ王妃と呼ばれるようになり、民間人として初めてレソト王室の一員になった。報道によると、結婚式には150万ドル以上の費用がかかったという。

    3. 昔のロシア皇帝は、100年以上にわたり、婚活サバイバル番組「バチェラー」とかなり似たやり方で花嫁を選んでいた。

    1505年から1689年まで、モスクワ大公国(現在のロシア)皇帝の妻は、「花嫁ショー」と呼ばれる方法で選ばれていた。花嫁ショーは、皇帝の妻にふさわしい若い女性たちが集められ、審査され、最終的に1人が皇帝の花嫁として選ばれる仕組みだった。

    こうした方法がとられるようになったのにはいくつかの理由がある。そのひとつに、ヨーロッパ各国の王室が、はるかかなたにあるモスクワ大公国に娘を嫁に出したがらないという事情があった。花嫁ショーは、政治的に公平であることを演出し、敵対勢力をだまらせる効果もあった。事前に「勝者」が決まっている場合であっても、このショーは行われた。

    裏で妨害工作が行われることは珍しくなかった。1616年には、ミハイル・ロマノフ大公の花嫁に選ばれた女性が、病気で子どもが産めないように見せかける目的で毒を盛られた。子どもが産めないことに失望した大公は、その女性をシベリアに追放すると、花嫁ショーで2位になった女性と結婚した。その女性はロマノフ大公の母親のお気に入りだった。

    4. 現在のイギリス女王であるエリザベス2世は、まだ王女だった1947年にフィリップ・マウントバッテンと結婚するとき、衣類用の配給切符を使ってウェディングドレスを購入した。

    エリザベス王女は、1947年11月20日にフィリップ・マウントバッテンと結婚した。しかし、当時のイギリスは第二次世界大戦直後で、緊縮財政政策が敷かれており、布地や衣服を購入する際には、衣類用の配給切符を使わなくてはならなかった。各国民には、年齢をはじめとしたさまざまな事情に応じた数の配給切符が毎年配られていた。成長期にある子どもがいる場合には、より多くの切符をもらうことができた。

    エリザベス王女は、自分の配給切符を貯めて、アイボリー色のシルク生地など、ドレスの材料を購入。王室お抱えのドレスメーカーだったサー・ノーマン・ハートネルがそれを使ってウェディングドレスを仕立てた。王女が結婚式のために配給切符を貯めていることが知れわたると、多くの人が、自分の分も使ってほしいとバッキンガム宮殿に配給切符を送ったという(他人の配給切符を使うことは違法だったので、送られてきた配給切符はお礼の手紙とともに返送された)。

    言うまでもないが、王位継承者である王女は特別扱いを受けており、政府はウェディングドレスのために配給切符200枚を余分に提供していた。

    5. 2011年に行われたブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王との結婚式で、花嫁のジェツン・ペマが着た伝統的な民族衣装「キラ」は、完成までに3年かかった

    「キラ」はブータン女性の民族衣装で、足首まで長さがあり、体に巻き付けて着用する。花嫁のペマ妃は結婚式の日に、クシュタラと呼ばれる特別なタイプの生糸製キラを着た。伝えられるところによると、21歳だった花嫁は、ブータンで名の知れた何人かの職工に、手の込んだ結婚式用の衣装を注文したという。

    6. 2002年にモロッコ国王のムハンマド6世と結婚した24歳のサルマ・ベナニは、同国史上で初めて、正式な称号を持つ王室配偶者となった。

    2002年3月21日に執り行なわれたムハンマド6世とサルマ・ベナニの結婚式は、モロッコ王室に大きな変化をもたらした。現在はラーラ・サルマ王妃と呼ばれる花嫁は、モロッコ王室史で初めて、正式な称号を持つ国王の配偶者となった。ムハンマド6世の母親を含むこれまでのモロッコ国王の妻たちは単に「王室の子どもたちの母親」と呼ばれていた

    7. 1923年以降、イギリスの王位継承権を持つ人とその配偶者の結婚指輪は、ウェルシュゴールドと呼ばれるウェールズ産の希少な金で作られている。

    1923年にエリザベス・ボーズ・ライアン(エリザベス女王の母親)がのちのジョージ6世と結婚したときに贈られた結婚指輪は、イギリスのジュエリー・ブランドのクロガイ社がウェールズに所有する「セント・デイビッド」と呼ばれる金鉱で採掘された純金の金塊から作られたものだった。指輪は同社から結婚祝いとして献上された。

    BBCによれば、金塊はかなりの大きさに違いないという。「1947年にエリザベス女王、1960年にマーガレット王女、1973年にアン王女、1981年にウェールズ公妃ダイアナが指にはめたすべての結婚指輪が、同一の金塊から作られている」

    エリザベス2世には1981年に、新しいウェルシュゴールドが献上された。今後の王室メンバーが結婚するときの指輪用としてだ。こちらの金塊は、2005年に再婚したチャールズ皇太子とコーンウォール公妃カミラの結婚指輪のほか、2011年にウィリアム王子がケイト・ミドルトンに贈った結婚指輪を作るために使われた。

    8. スウェーデン王室の花嫁は結婚式で、王室に代々伝わる家宝のティアラを身につけるのが伝統だ。

    この「カメオ・ティアラ」はもともと、ナポレオンが皇后ジョセフィーヌに贈ったもので、1932年以降はスウェーデン王室の花嫁がかぶるようになった。

    直近でこのティアラを人々が目にしたのは、2010年6月19日に皇太子ヴィクトリア(現国王の長女であり第一子)が、ダニエル・ベストリングと結婚したときだった。

    9. アメリカ人女優のグレース・ケリーと、モナコ大公レーニエ3世が1956年に執り行なった結婚式は、「世紀の結婚」としてテレビで生中継され、3000万人が視聴した。その後、MGMスタジオとの契約の一部として、ドキュメンタリー映画も製作された。

    グレース・ケリーが1956年にモナコ大公レーニエ3世と婚約したとき、彼女がMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)スタジオと交わした7年間の契約のうち3年間がまだ残っていた。MGMスタジオは、2人の結婚式をテレビで生中継する権利、ならびにドキュメンタリー映画を制作する権利と引き換えなら、契約を解除すると提案した(ウェディングドレスのお手本と言われるようになったドレスは、同スタジオからのプレゼントだった)。2人はその提案に同意したが、あとになってから、結婚式は大変骨の折れるものだったと語った。ケリーは「世紀のカーニバル」と称したという。

    MGMスタジオは、モナコに映画制作のプロを派遣し、ロイヤルカップルが結婚を誓うシーンを完璧にカメラにおさめるべく、照明からカメラの位置まで抜かりないよう設定した。それから何年も経ってから、ケリーの付添人を務めた女性の1人はこう冗談を言っている。「花嫁同様、あの日自体も、MGMスタジオと神が手を組んで、偉大なる意志の力を使ってともに作り上げた作品だった」

    10. 日本では法律で、皇室の女性が一般人と結婚したときは皇族の身分を離れなければならないと定められている

    もっともよく知られているのが、現在の天皇と皇后の末子である紀宮清子内親王が2005年に東京都庁職員の黒田慶樹さんと結婚し、一般人になったケースだ。

    36歳だった紀宮内親王は、結婚式の日に、皇籍と皇族費を受け取る権利を失い、一般人の黒田清子さんとなった。皇族の身分を離れた女性は一般市民となり、選挙権を獲得するほか、税金を支払う義務が生じる。

    2014年には、高円宮家の典子女王が、千家国麿さんと結婚して皇籍を離れた。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

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