犬のために100万円を超える借金を抱えた でも後悔していない

    飼っていた犬が命に関わるがんと診断されたとき、私は治療のために1万ドル(約110万円)以上の借金を抱えた。私はそれを後悔していない。

    私のシティバンクのクレジットカード請求額は、1万7000ドル(約190万円)弱。その大部分、正確に言えば、1万1000ドル(約120万円)は、X線、CTスキャン、心エコー、化学療法の費用だ。ただし、いずれも私のために行ったことではない。すべて私の犬、パールのためだ。

    レイバー・デー(アメリカの祝日、9月の第1月曜日)の週末、パールの口の中にイチゴ色の腫瘍があることに私は気付いた。パールが特大のあくびをしたときに見えたのだ。数週間前に健康診断を受けたときはなかったが、この不穏な赤い塊をやり過ごすべきでないのは明らかだった。

    これからの数ヶ月を想像した私は、台所の床に泣き崩れた。パールは管や針を体に刺され、恥ずかしいエリザベスカラーを首に巻かれ、命懸けで腫瘍と闘うことになるのだろう。そうした最悪の暮らしが待ち受けていることなどつゆ知らず、パールは幸せそうにしている。私はその事実に安心し、同時に、とても悲しくなった。

    その先のビジョンはなかったが、正式な診断を待つしかなかった。月曜日はレイバー・デーで、動物病院が開くのは火曜日だ。ボーイフレンドの誕生日もあったが、悪いニュースがやってくるかもしれないということに頭を支配され、祝福どころではなかった。

    私はその週末、なるべく考えないように努めながらも、取りつかれたようにGoogleで検索し続けた。10歳のペットのがんを疑っているときには決して検索すべきでないあらゆることを。パールはいつもと同じように見えるが、私は確かに塊を見た。パールは死んでしまうかもしれない。

    火曜日の朝、何かがおかしいという私の予感は正しかったと証明された。動物病院に行った日から、世界は完全に変わってしまった。私には選択肢があった。次の段階に進み、治療を受けるか、死を前提にした緩和ケアを選択するかのどちらかだ。

    2010年、パールは全速力で私の人生に駆け込んできた。「手に負えない」という理由で誰かに捨てられ、テキサス州コッペルの殺処分施設にいたところを、アニマルレスキュー組織に保護されたのだ。

    ほとんどの人に「手に負えない」と思われている私にとって、「手に負えない」パールは完璧な犬だった。元気すぎると思う人もいるだろうが、私には生きる力そのものに見えた。世話が焼けると思う人もいるだろうが、私には忠誠心と共感力に見えた。私たちはとても強い友情で結ばれた。共依存に近いものがあった。何と言えばよいのだろう? 人間とは全く違う方法で、パールは私のために存在してくれた。

    パールを引き取った当時、私は「大うつ病エピソード」のさなかにあった。母親は肺がんで、3年半にわたる闘病生活の2年半目だった。近い将来、母親がいなくなると知りながら、卒業後の大人の生活に適応しなければならないというプレッシャーもあり、私の感情は限界に達していた。

    多くの人がやさしく警告してくれた。現状を考えると、犬を飼うことは賢い選択ではないというのだ。しかし私は無視した。私は愛する人を失おうとしている。私がそれを乗り越えるとき、そばにいてくれる誰かがどうしても必要だった。パールはまさにそのような存在であり、それ以上だった。

    パールは、母親の思い出を共有できる貴重な相手だ。さらにパールは、母親がいたときの私を知っている。パールはどん底の状態にあった私を知っていて、最もつらい日々でさえ、ベッドから起き上がる理由になってくれた。パールを救ったのは私だが、パールも私を救ってくれた。陳腐な表現だが、私の本心だ。

    自分が気分よく生きられるように犬を飼う、というのは自分勝手なことではないか、とはしばしば思った。ただ私は、自分の親友でいてくれることへの感謝を示すため、パールに最高の毎日を贈ろうとしてきた。だからこそ私は費用のことなど考えず、パールに新たなチャンスを与えようと思ったのだ。

    引き取ったとき、たちの悪い耳の感染症だったことを除き、パールは10年以上にわたって健康そのものだった。私は誰よりパールのことを知っていた。パールは無限のエネルギーや、果てしなく前向きな姿勢をもち、出会ったすべての人と触れ合い、挨拶したがる犬だった。そうしたことを考えると、パールは病気と闘いたいに違いないと私は思った。

    パールは心身ともに強い犬だったから、私は治療を受けさせることにした。パールを生かすためであれば何でもするつもりだった。ペットの飼い主にとっては当たり前の決断だが、犬のためにこれほど大きな金額がかかる決断を下したということは罪悪感を生んだ。この決断は銀行口座もむしばみ、その結果、私はさらに良心をむしばまれた。心を消耗させる悪循環だった。

    治療は高額なもので、精神的につらいものだとは知っていたが、どの程度になるかは全くわかっていなかった。まずは歯のX線撮影(全部で3回、1回140ドル)から始まり、それから、生検(顕微鏡診断を含むIDEXX社の生検、336.38ドル)、歯肉の塊の除去(25ドル)、門歯4本の抜歯(1本80ドル)、CTスキャン(造影剤、麻酔込み、2カ所1125ドル)と続いた。

    言うまでもないが、検査(1回65ドル)、診察(1回180ドル)、点滴(カテーテルと薬剤を使用、1回75ドル)、麻酔(吸入200ドル、注射52.14ドル)、薬(クリンダマイシン75mg、28カプセル35.16ドル、カルプロフェン5カプレット15ドル)の費用もかかる。しかも、これらは私の安眠を妨げた治療費の一部にすぎない。

    数回の病理診断を経て、ついに正式な診断が下された。上あごの線維肉腫、つまり、あごの骨をむしばむ悪性腫瘍だった。この時点で、私は数千ドルを投じたが、パールの口の中にはまだ腫瘍があった。それでも、私たちはここまで来た。今やめてどうなるというのだろう? 私は、いつも予想外で、呪文のように名前が難しく、それでも必要な診療項目の海を泳いでいた。

    なかでも最悪だったのが、上顎骨切除術という難しい手術だった。診療項目は1ページに収まらず、5326.58ドルを請求された。動物病院の集中治療室(ICU)に2泊3日で入院しなければならなかったが、目障りな赤い塊はついに除去された。

    わずかながら残されていた私の正気とともに、パールの上あごの大部分は消え去った。パールの顔の一部は垂れ下がってしまった(実際の外見はそれほどひどくない)。

    こうしていろいろと重なり、気付いたころには、犬のために深刻な借金を抱えていた。あっという間の出来事だった。診療項目は5、10、50と増えていき、私は借金で首が回らなくなっていた。

    パールはペット保険に入っている。仕組みは人間の医療保険と同じだ。保険証券番号、月々の保険料、年間の自己負担額があり、人間と同じように、アプリで保険金を請求する。自己負担額を超えたら、保険の対象となる治療について、一定の割合で払い戻しを受けることができる。自己負担額と払い戻し率は、保険に入るとき、ペットの年齢や病歴、既往症などの要素を基に算出される。

    ペットが若くて健康なうちに加入すれば、保険料と自己負担額は低く、払い戻し率は高くなる。私のように、高齢期に加入した場合、払い戻し率は悪くないが、それほど良くもない。最も重要なのは、悲劇に見舞われる前に加入しておくことだ。

    すべてのペット保険が同等につくられているわけではない。ワクチン接種は対象で、避妊・去勢手術は対象外という保険もあれば、年1度の健康診断は対象だが、年間または生涯の払戻額に上限を設けている保険もある。

    自分のペットに何が起きるかを予測するのは不可能だが、ペット保険に入っておくこと、それも早いうちに加入することをお勧めする。ペットが高齢になるか、最悪のことが起きたら、数年にわたって毎月支払い続けてきた保険料は取り戻すことができる。

    動物病院の治療費が雪だるま式に増え始めたとき、払い戻しの小切手は、借金整理の郵便でいっぱいになったポストの明るい光になる。ただし、小切手は助けになったが、私の金銭問題が魔法のように消え去ったわけではない。

    私の当座預金口座には、パールの緊急鎮痛剤である、メサドンの注射やフェンタニルのパッチに数千ドルを支払う余裕は残っていなかった。細胞診や手術の費用を支払う余裕もない。しかし、私には信用があった。

    そのため、私はクレジットカードを使い続け、借金を増やしていった。親友を失うことに比べれば、クレジットスコアが一時的に低い状態で生きる方がましだったからだ。私が湯水のように投じていた金は、使う必要のない金だったのだろうが、使うのをやめようと思うことは一度もなかった。いったん犬の健康状態を調べ始めたら、それを続けない方が難しい。

    どうすればいいのだろう。親に助けを求めるという選択肢は私にはない。特に、親が1人になってしまってからは。

    クラウドファンディング「GoFundMe」で治療費を集めるのは嫌だった。もし治療してもらうなら、ぐずぐずしている暇はない。

    治療しない選択はありえなかった。だから私は、クレジットカードを使い続けた。

    もっと良い方法はあっただろう。それは認める。でも本当に、ほかの選択肢はないと思った。そして今もそう思っている。パールを失うよりは、借金をする方がマシだ。

    私はすべてをとても深刻に受け止めた。パールよりも深刻に。パールは、たくさん点滴や注射をされたにもかかわらず、獣医さんのいる動物病院に通うのが大好きだった。病院では多くの人間に会い、かわいがってもらえたからだ。

    私は、パールの健康問題は自分のせいだと思い込み、自分を激しく責めていた。

    もっと頻繁に歯を磨いてやればよかった。毎朝毎晩口の中をチェックして、何か悪い兆候がないか確認してやればよかった。そうすれば、こんなことにはならなかったのに。

    何週間も寝られなかった。私にできるのは、夜中にパールを抱いて、息をしていることを確認し、自分が愛されていると感じるようにしてやることだけだった。

    私は、お金のことを考えながら、眠れない夜を過ごした。

    精神的な支えを友だちに求めたが、すぐには見つからなかった。

    治療を続けるという私の決断に、多くの人が(とても気軽に)水を差した。「本当にそうしたいの?」「いくらかかるか、考えたことある?」「それ払えるの?」

    私のことを思って言ってくれたのはわかるが、彼らの意見は彼らの胸にしまっておいてほしかったと今でも思う。

    自分の犬でなければ、アドバイスするのは簡単だ。自分が気になることや、自分の決めつけを口にすることなくサポートするのは難しい。

    クレジットカードで数千ドルも借金することに、罪悪感はない。

    そして、罪悪感がないことに、罪悪感を感じている。私は、自分の財政状態やクレジットスコア(信用度)を考えることなく、カードを通している。

    私に何か問題があるのだろうか。自分の犬を生かしておくためにクレジットカードを使うことは、奇妙な形の特権だということはわかっている。

    誰もがそれだけの信用を持っているわけではないし、誰もが犬の口の手術が必要だと考えるわけでもない。

    しかし、私はそうすることができたので、そうしたのだ。

    私は、自分と同じ考えの人はほかにはいないと思い始めた。そこで、友だちに精神的支えを求める代わりに、インターネットで見知らぬ人に相談し始めた。

    Twitterで「vet bills(動物病院の請求)」と検索するだけで、私と同じような状況に陥っている、犬、猫、モルモット、ハムスター、爬虫類の飼い主が無数に見つかった。

    彼らはペットのために、悪びれもせず深刻な借金をしていた。

    学生のトム・ニールは、セラピーキャットの治療のために借金をしている。

    「飼っている猫が不健康になるくらいなら、自分が飢える方がマシだと考えるのは、ちょっと変だということはわかっています。でも、彼は僕の親友なんです」とニールは私に語った。

    「僕は彼のことが大好きです。治療しないで苦しませたくありません。でも、2週間後までに治療費を支払えるだけのお金が手に入らなかったら、もう自分には何ができるのかわかりません」

    編集者のレイチェル(本人の希望により、苗字は公表しない)は、数年前に両親が辛い決断をしたことを覚えている。

    家で飼っていた猫のガスが、1万ドルほどかかる緊急手術が必要になった。

    「動物病院で、私たちはすっかり途方にくれました。あまりに高額です。でもガスを死なせることはできません。そんな選択はあり得ません。とはいえ1万ドル?わが家では、ペットの治療費で、1度にそんな大金を払ったことはありませんでしたから、衝撃を受けました。でも数分後、父は、翌日の手術の支払いに使える新しいクレジットカードのアカウントを開設することに決めたのです。父がそのカードを、ガスの手術にしか使わなかったことは確かです」とレイチェルは私に語った。

    「今、私は1人で猫のチェスターの面倒を見ていますが、もし同じ状況になったら、すぐに自分のクレジットカードを使うか、新しいカードをつくるだろうと考えています。ほかに何ができるというのでしょう」

    フリーランスのライターで、アーティストのディアナ・ピンギチャは、飼っている猫のジューバスが膀胱結石と診断されたとき、切羽詰まった状況に陥った。

    治療は、診察や緊急検査、レントゲン、手術、それに1泊の入院が必要だった。

    「私は何週間もパスタとツナ缶だけを食べていましたが、同じ状況になればまた同じことをするでしょう。そうしなければ、ジューバスが死んでしまうからです」とピンギチャは語った。

    多くの飼い主が、ペットの高額な医療費の足しになればと、「GoFundMe」でクラウドファンディングを開始している。

    物やサービスを提供して資金を集める人もいる。私が調べたところ、Twitterではたくさんのユーザーが、クローゼットの洋服からハンドメイドのアクセサリー、音楽のプレイリストまで、あらゆるものを売っていることがわかった。

    たとえばピンギチャは、新しいビジネスにつながることを期待して、自分のスケッチを割引価格で提供している。私が話をした人はみな、口をそろえてこう言った。

    「バカバカしいと思われるかもしれませんが、ペットのためなら何でもします」

    同じ経験をしている飼い主に話をしたことで、ペットのために負った破格の借金のことで、自分がどんなに居心地の悪い思いをしてきたかが意識された。

    でも、もふもふした毛の生えた友だちのためなら、金銭的に不安定になってもかまわないという人が私だけではないことは明らかだ。

    わたしはパールと出会ったその日から、パールがいつか死んでしまうことが悲しかった。

    その日が来ることを常に知っていた。いずれパールは年を取るか、病気になるか、その両方になって、私は難しい決断を迫られるのだと。

    でも私には、その決断は信じられないほど簡単だった。

    多くの人にとって、老犬を生かしておくために数千ドル払うという状況は、最悪のシナリオだろう。しかし私の考えはずっと変わらない。「死んでしまったら、それよりもっと悪い」

    ペットを飼うことを自分勝手な行動だと考える人もいる。自分が満たされたいがために動物を家に連れてきて、辛いときには頼りにし、何かあれば、ペットの気持ちを考慮することなく、彼らの代わりに重大な決断をしてしまう。

    評論家のジョン・バージャーが、1980年に書いたエッセイ「Why Look at Animals? (なぜ動物を見るのか)」の中で指摘しているように、家畜をペットとして飼うことは、「近代の」概念だ。時間とともに動物が周縁に追いやられてきたことについて研究してきたバージャーは、動物をペットとして飼うことは、「動物を不妊化もしくは性的に孤立させ、運動を極端に制限し、ほかの動物とのほぼすべての接触を奪い、人工的な食べ物を与えること」だと論じている。

    彼の考え方はちょっと極端だと思うが、言いたいことは理解できる。

    パールと私の関係を考えると、自分がいかに自己愛的であるかがわかる。

    自分が気分良くあるために犬を飼い、パールがもっと私の気分を良くし続けられるよう、金銭的に無責任な選択をした。

    それは本当だろう。だが、何よりも私は、美しくて賢い、好奇心いっぱいの元気な自分の友だちに、生きていてほしかっただけだ。

    彼女は何年も前、人生で私にもう1つのチャンスをくれた。私は同じことを彼女にしてやりたい。

    待合室で待っていた私のところに、獣医の助手が、上顎骨切除手術が終わったパールを連れてきた。2泊3日離れて過ごしたあとで、とうとう私はパールの前足をなで、耳の後ろをかいてやることができた。涙があふれた。寂しかったからではなく、私が、私たちにとって正しい選択をしたことがわかったからだ。

    7日間悶々と過ごしたあと、電話があった。手術は成功し、腫瘍はすべて取り除くことができた。

    この件はまだ終わっていない。医療費は下がってきたが、今も続いている。パールは現在、3週間おきに化学療法(アドリアマイシン、173.25ドル)を受けながら、同時に、転移の可能性を減らす、あるいは少なくとも遅らせるための一連の治療(静脈内カテーテル100.43ドル、化学療法48.50ドル)もしている。それでも、彼女は幸せで健康で、勇敢に治療を受けており、副作用はほとんどない。診察に行くのは大好きだ。手術のあとのパールが見せる笑顔は少し歪んでいるけれど。

    私は少しずつ、治療費による借金を減らしている。けれども、クレジットカードの支払いが5桁から4桁になるのは、もうしばらくかかりそうだ。

    私は、治療費を払い終えるころには、パールは元気になるだろうと楽観視している。けれども、もしそうならなくても、またためらうことなく、クレジットカードで治療費を払うだろう。高額な一連の治療費のすべてを。


    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:米井香織、浅野美抄子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan