パークランドの銃乱射事件を生き延びたエマ・ゴンザレスさんは、全米に拡大している銃規制を訴える活動 #NeverAgain のリーダーだ。彼女はマジョリー・ストーンマン・ダグラスハイスクールで犯人が銃を乱射したのと同じ長さの時間、6分20秒、ステージに立ち続けた。
エマ・ゴンザレスの心の叫びに一度耳を傾けてみてほしい。
命を落とした犠牲者一人ひとりの名前を挙げたのち、17人の犠牲者に祈りを捧げるため沈黙を貫く。微動だにせず、前を向く彼女の目からは涙が流れていた。周囲から巻き起こる「Never Again」のコール。6分20秒が経過し、最後、エマは「他の誰かに任せるな。自分たちの命のために戦おう」という言葉でスピーチを締めくくった。
この日、ステージに立ったナオミ・ワドラーは11歳。「ニュースや新聞の一面を飾ることの少ないアフリカ系アメリカ人」を代表して、言葉を発した。
「私は今日、幸運にもこの場に立つことができています。そして声を届けることができています。今日ここに立っているのは、犠牲となった人々のストーリーを伝えるためです。彼らの名前、そして一体何が起きたのか、伝えることができるからこそ、伝えなくてはいけないと思っています」
「人々は自分の考えを持つには私はまだ若すぎると言います。政治的な主張を持つ大人の操り人形だと言う人も。でも、それは全くの嘘です。
確かに私や友人は11歳で小学校へと通っています。でも、人生は必ずしも平等ではないことを、そして何が正しく、何が間違っているのかくらいは知っています」
「トニー・モリソンは言いました。『もし自分の読みたい物語をまだ誰も書いていないのなら、自分の手で記すべきだ』と。私は今日、ここに黒人の女性や少女たち、不平等に奪われる命について伝えられていない物語を伝えるために立っています」
March for Our Lives の行われた3月24日はパークランド銃乱射事件で命を落としたニコラスさんの誕生日。銃撃事件を生き延びたサム・フエンテスさんはこの日集まった人々にハッピーバースデーを歌うよう呼びかけた。
パークランド銃乱射事件の犠牲者 アレックス・シュヒターの父親は息子は「友人3人と英語の授業の課題を解いている時、ドアの向こうから放たれた銃弾によって致命傷を負った」と語る。
コネチカット州・ニュータウンで2012年に起こったサンディー・フック小学校の銃乱射事件を生き延びた生徒たちは銃規制のための法律改正へ向けて一歩を踏み出した。
この抗議活動には9歳になるキング牧師の孫も参加。「銃による悲劇はもうたくさん。私には銃による悲劇のない世界を作るという夢があります」
今回のワシントン D.C.での抗議活動の会場は国立公園ナショナルモールの近く。1963年、祖父のマーティン・ルーサー・キング牧師が「I have a dream (私には夢があります)」という有名な言葉で知られる歴史的スピーチを行った重要な場所だ。
「祖父には4人の子供が肌の色で人生を決められることのない世界を作るという夢がありました。そして、いま私には銃による悲劇のない世界を作るという夢があります。銃による悲劇はもうたくさんです」
「今日ここで聞いたことを世界中に広げていきましょう。私たち若者の力で成し遂げましょう」
パークランド銃乱射事件の被害者の親たちは彼らの子どもを忘れないためにサインを残した。
1999年コロンバインハイスクールで起こった銃乱射事件の被害者の一人の葬儀を取り行った男性はデンバーでの抗議活動で、「ごめんね、子どもたち。これは全部大人たちのせいだ。私たちは君たちと共にいる」というボードを掲げた。
デンバーでの抗議活動にはコロンバインの銃乱射事件を生き延びた人々も参加している。
マーティン・ルーサー・キング牧師と共に公民権運動を闘ったジョン・ルイス下院議員もアトランタで抗議活動に参加。
抗議活動の中には教師たちの姿も。
フロリダ州のパークランドで行われた抗議活動に参加していたストーンマン・ダグラスハイスクールのサマンサ・メイヤーはパークランド銃乱射事件で膝を撃たれた。彼女と並んで歩いた母親は「これ以上、子どもの口から撃たれたなんてニュースを聞く親を増やさないで」とボードに記し、掲げた。
フロリダ銃乱射事件から1ヶ月。「March For Our Lives」に参加した人々の想い
「僕が学校で心配すべきなのは、中間テストと期末テスト。ライフルなんかじゃない」
この記事は英語から翻訳されました。翻訳:千葉雄登