「ISISに加わった疑い」で10回逮捕されたチュニジア人男性

    身に覚えがないのにISISに加わった疑いをかけられ、10回にわたり逮捕されたチュニジア人男性がいる。中東や北アフリカでは、ISIS関連の実績を上げるプレッシャーにさらされた警察が、適当な捜査で場当たり的に無実の人を逮捕する例が後を絶たない。

    チュニジア、チュニスーーその日、自宅にいたシャウキー・ブーマルーガは、地元の警察から事情聴取をしたいと電話を受けた。

    ブーマルーガが警察署に着くと、警官はすぐにブーマルーガを伴って家へ向かい、所持品をくまなく調べた。衣類、書類、家具、電子機器。特に何も見つからなかったが、ブーマルーガを連れてまた警察署へ戻った。

    そこで尋問が始まり、ブーマルーガは寝耳に水の話を聞かされた。以前、ブーマルーガが地域のモスクで教えを説いていたときに、シリアで活動するISISの戦闘員を勧誘したことを示す証拠がある、というのだ。ブーマルーガは1年前までモスクでイマーム(指導者)を務めていた。

    ブーマルーガはあっけにとられた。「『どうして?私に何か恨みでもあるのか?』と聞きました」

    警察によると、シリアで戦闘に加わったのちチュニジアへ戻ったある若い男性が、以前モスクで礼拝に参加したことがあり、そこでブーマルーガに誘われ、チュニスからISISの支配地域への渡航を手配されたと訴えていた。

    「私には仕事があります。妻もいます。娘も2人います。生活をめちゃくちゃにされました」

    ブーマルーガは刑務所に入れられた。記憶をたどり、チュニスのマディーナ・ジャディーダ地区にあるモスクで説教をしていた3年間を振り返った。人を殺しISISのために命を捧げよ、と若者たちを戦場へ送り込もうとしていると受け取られるような言動をしたのだろうか。「神よ、シリアにいる兄弟たちをお助け下さい、とは言ったかもしれません」とブーマルーガは振り返る。シリアで今も続く、主に反体制派イスラム武装勢力とアサド大統領の独裁政権との間で繰り広げられている戦闘のことだ。アサド大統領を批判する発言はしたかもしれないが、それは当時チュニジアを率いていたモンセフ・マルズーキ大統領も同じだった。

    2015年4月、2日間拘束されたあと、自分を訴えたという若い男性と対面し、証拠が示されることになった。だが男性はその場で早々に主張を撤回した。発言が操作され、間違った解釈をされた、という。

    男性はこう話したという。「僕はシャウキーが僕をシリアへ送り込んだとは言ってません。彼の話を聞いて思うところがあり、シリアへ行くことを考えるようになった、と言ったんです」

    ブーマルーガはさらに5日間刑務所に勾留されたあと、裁判官の前に立たされた。裁判官は証拠書類を一瞥すると、その日のうちに釈放するよう命じた。2週間後、裁判所から送られてきた書類には、本件の嫌疑は晴れたとあった。ブーマルーガはほっとし、この件は解決したのだと受け止めた。

    だがこれは始まりにすぎなかった。その後2年半の間、警察に呼ばれ、勾留され、尋問された回数は10回以上に及ぶ。拘束された期間は合わせると2か月を超える。

    「私には仕事があります。妻もいます。娘も2人います。生活をめちゃくちゃにされました」今年1月、チュニスのカフェでそう語った。

    2年以上に及ぶ戦争を経て、ISISは彼らが「カリフ国家」と呼ぶ、イラクとシリアにおける支配地域を失った。今、多くの人々が感じているのは、攻撃を重ねてきたISIS戦闘員が自国へ戻り、テロ攻撃を仕掛けたり戦闘員を勧誘したりするのではないかという不安だ。中東からアフリカ北部にかけての警察、兵士、スパイらは、ISISとの関与が疑われる人物を見つけ出して身柄を拘束しなければならないプレッシャーにさらされている。検察側や裁判官はそうした人物を投獄することで、市民の不安を和らげ、政府に対する信頼を高めようとする。報道機関への発表や記事では、ISISに関与したとして拘束した人数や有罪判決が出た人数、さらには処刑された人数までがさかんに伝えられる。

    BuzzFeed Newsが調査したところ、ISIS関連で被告人とされたケースでは、当該地域の警察や検察側がISISの捜査にかかる裁量を任された結果、ずさんな手続きででっち上げられたものが非常に多いことがわかってきた。罪のない可能性が高い人々を当局が逮捕し、ほとんど証拠のないまま刑務所に送り込んだり場合によっては死刑を宣告したりするケースが少なくない。同じ労力を真に危険な戦闘員の捜査や摘発にかけた場合を考えれば、貴重なリソースを無駄に費やしていることになる。

    警察や治安当局は政治腐敗や暴力行為、能力不足から機能不全におちいり、嫌疑をかけられやすい層の人々――すなわち低所得地域に住む貧困層で宗教的な動機を持つ若者か、移民――をまとめて検挙する傾向にある。法律専門家や人権活動家によると、そうした人々は多くの場合、拷問にかけられて自白を強要された結果、重罪に問われる。

    「リソースに乏しく、訓練や教育が十分にできていない警察組織では、警察として適切な職務を行う時間も訓練も設備もありません。自白さえさせれば良いと思っているのです」中東の法制度に詳しい研究者のネイサン・ブラウンはそう話す。

    インターネットでシャウキー・ブーマルーガの名前を検索すると、出てくるのはプログラミングやビジネス用のソフトウェアシステムに関する投稿やサイトばかりだ。彼のLinkedInのページにはTシャツ姿で子どもと一緒に写った写真があり、チュニジアのビジネススクールでIT部門を率いる、とある。

    チュニスの自宅近くのカフェに座るブーマルーガはジーンズに革のジャケット姿で、よく笑い、身に降りかかった災難について不信感を述べた。子どものころにコーランの教えを学び、日に5回祈りを捧げ酒も口にしない敬虔なイスラム教徒だというが、戦闘的ではない。

    警察や治安当局は政治腐敗や暴力行為、能力不足から機能不全におちいり、嫌疑をかけられやすい層の人々をまとめて検挙する

    初めて警察とのトラブルに巻き込まれたのは10年以上前にさかのぼる。武装したイスラム過激派と治安部隊の間の衝突が国内で何度かあったときだ。当時はチュニジアを長く支配してきたベンアリ大統領による独裁政権の時代だった。過激派の疑いがかけられた人々が一斉に検挙され、ブーマルーガもその一人だった。告訴されないまま、1年を刑務所の過酷な環境で過ごした。

    再び抗議行動の波が起きたのは2010年12月、地位や職業を問わずあらゆるチュニジア人が町へ繰り出し、腐敗と暴力に満ちたベンアリ政権に反対する大規模なデモに発展したときだ。2011年1月14日、ベンアリ大統領は国外へ亡命、民主化を求める運動「アラブの春」に火がついた。長く独裁政治の続いたチュニジアに新たな息吹が生まれ、1000万人が暮らす国のいたるところで希望ののろしが上がった。新たな政党がいくつも生まれた。ニュースメディアが立ち上げられた。労働組合が再び声を上げた。そしてベンアリ政権に鎮圧されていた過激派勢力が市民の前に姿を現した。

    大規模デモから数か月後、ブーマルーガは政府の宗教省を訪れ、以前からの夢だったモスクでの説教師になるため、申請を出した。申請は認められ、金曜にモスクで教えを説くようになった。

    だがまもなく、説教師としての務めと昼間の仕事とがぶつかった。2014年、勤務先からチュニジア南部でのプロジェクトに加わるように言われ、神の言葉を伝える役目と家庭人としての務めのどちらかを選ぶことになったのだ。難しい決断ではなかった。ブーマルーガは信心深いが、そこまで信心深いわけではない。妻と子がいて、もうすぐ2人目の子も生まれる。モスクを離れ、仕事をとった。

    2015年の春に警察から電話が入って以来、同年から翌年にかけて、2、3か月おきに警察に呼ばれ尋問されたという。毎回、有罪を証明できる証人がいるんだと警察から告げられた。そして毎回、立件には至らなかった。だがそのつど数日から数週間、塀の中へ入れられ、勤務先との関係に支障が出、家族も緊張にさらされた。家族と休暇を過ごしていたホテルから連行され、妻と子どもたちが見ている前で辱められ、投獄されたこともあった。

    どういうわけでこんなことになっているのか、なぜ繰り返し警察に追及されるのか、状況を把握しようと必死になった。警察に追われるようになった2015年、チュニジア国内ではISISによる襲撃事件が何度か起き、大きな被害をもたらした。3月にはチュニスのバルドー博物館が襲撃されて22人が死亡し、ISISが犯行声明を出した。その3か月後には海辺のリゾート地スースでISISの戦闘員が発砲、英国人30人をはじめ計38人が犠牲になった。チュニジアの重要な産業である観光業は大きな打撃を受け、過激派と疑われる人物に対して厳重な取り締まりが行われるようになった。

    それでも、アラブの春を唯一成功させた国といわれるチュニジアは、治安にかかわる懸念事項、例えば帰還したISIS戦闘員や西部国境地帯にくすぶる小規模暴動などについて、市民の権利と法の適正な手続きを尊重し、本気で調整しようとしてきたようだ。昨年には、逮捕から1時間以内に容疑者の尋問に弁護士を同席させることを認める法律が制定された。被告弁護人らの話では、一部の裁判官は警察の言い分に疑問を呈し、証拠を細かく精査したという。それでも取り調べを主導するのは警察だ。多くの裁判官はメディアから「ISIS寄り」とみなされるのを恐れ、脅威を感じている。これまで、裁判で釈放を認められた人物がのちにテロ攻撃に関わるのを許した、適切に事態を処理する能力が危うくなっている、としてメディアからさんざんたたかれてきたのだ。

    「警察と司法の間に緊張があります」と、国際危機グループ(ICG)でチュニジアを専門にするミカエル・アヤリは話す。「警察は、裁判官自身がテロリストだからだと主張しています」

    2017年、ブーマルーガのもとに警察から連絡が入ることはほとんどなかった。だが緊張は続いているという。警察がまた、もしかしたらこれまでより重大な罪状を用意しているのではないか。中でも好意的な態度の警官からは、治安当局の担当官がブーマルーガをよく思っておらず、これまでISISへの勧誘を行ったとしてたびたび連行された背景には、それがあると聞かされた。

    それでも、チュニジアが経験した民主化革命と民主主義的な試みが何らかのプラスの変化をもたらしたとすれば、普通の市民が恐れずに国に立ち向かう勇気を持った点だろう。ブーマルーガは従兄弟のアフマド・ベルギートを弁護士としてつけ、反撃の準備を進めた。ある程度の正義がもたらされる可能性はある、と二人は踏んでいた。だが、すでにこれまで彼を痛めつけてきた警官との関係をさらに悪化させる恐れもある。

    いずれにしても簡単な話ではない。「内務省のある人物が彼をよく思っていないんです」とベルギートは言う。

    中東地域の刑務所には、不十分な証拠しかないままISISのメンバーであるとして訴えられたり有罪とされたりした若者(主に男性で、たまに女性も混じっている)が数千人単位でいる。Facebookの投稿をシェアした、「いいね!」をつけた、あるいは疑わしいとされた人物の連絡先リストに入っていた、というだけでISISに加わったとして告発されたケースもある。

    「襲撃事件が起きれば、警察にできるのは容疑者の動きをたどることだけです」トルコで刑事弁護人を務めるアタヌール・デミールは説明する。デミールは2017年1月1日にイスタンブールで起きたナイトクラブ襲撃事件など、ISISが絡んだ重大な襲撃事件に関わったとして捕らえられた人々の弁護を担当してきた。「実際できることは一つしかありません。携帯電話の通信記録をたどってコンタクトをとった番号を特定するんです。警察は事件前に襲撃犯が電話していた相手を一人残らず逮捕します。事件には何も関わっていないのに、容疑者の連絡先リストに入っていたというだけで被告人扱いされる人が40人ほどいる場合もあります」

    裁判所と検察側が検証を行い、経験を積んだ戦闘員と法的にグレーな捜査網にかかった無関係の人とをふるいわける場合もある。だがそこまでやるケースは少ない。法廷の段階までいけば、世界の基準では認められないような証拠が証拠として提示される。嫌疑がないとされた場合でも、その後も長きにわたって警察にマークされ、外出したり働き口を見つけたりする際に支障が出る。

    NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの調べでは、2014年にISISが支配して「国家」を樹立しのちに陥落したイラクのモスルでは、弁護士の立ち会いもないまま長期にわたり拘束され尋問を受けたケースは5500件に上り、その多くが拷問を受け自白を強要されたという。

    殺されたりレイプや拷問を受けたりした可能性のある戦闘員と、ISISの支配下におかれた後も自分の仕事を続けた一般市民とを裁判官が正しく見分けられない場合は多い。イラク情勢を専門にするヒューマン・ライツ・ウォッチのベルキス・ウィルは、勤務先の病院がISISに掌握された後も仕事を続けていた形成外科医がISISに加わったとして逮捕された例があった、と言う。2014年以降に有罪判決が出された7000人のうち92人は、それぞれわずか15分ほどの裁判を経て、ISISのメンバーだったという理由に基づきすでに処刑されている。イラク北部では推定で少なくとも2万人がISISに加わった容疑で勾留されているという。

    「相当な数の人が巻き込まれていることになります」ウィルはイラクからの電話でそう話した。「こうしたやり方はまったくもって不当で許されるものではありません。結果として家族はさらに追い詰められ、子どもたちは新たに出てくる過激派から勧誘の標的にされてしまいます」

    ISISがそこまで台頭していない国でも、ジハードに協力的とみなされたコミュニティを司法と警察が集中的に処罰する動きがある。エジプトでは、過激派の拠点というステレオタイプで見られがちな貧困地域の若者が数十人単位で定期的にまとめて検挙されている、と弁護人は話す。容疑者とされれば合同で裁かれ、重い刑を言い渡される。死刑を宣告される場合もある。

    ISIS関連の案件は、テロの脅威を感じている市民の不安を取り除くことを意識して、目を引く見出しがつけられ、政治的なプレッシャーを軽くする。だがISISに関わった疑いをかけられた人の弁護にはかなりのマイナスイメージがつきまとうため、弁護士の多くはそうした案件を扱いたがらないのが現状だ。

    「もちろん苦労しますよ」カイロ在住の弁護士ハリド・アリ・ヌールアッディンは言う。現在、ISISがらみの裁判を5件抱えている。うち170人と200人を対象とする2件の合同裁判は、著しく公平性を欠くとして人権活動家から非難の声が上がっている。被告人とされている若者の多くが地域の人や親類の子息であるため、自分が引き受けなくてはいけないと感じた、とヌールアッディンは話す。「ほとんどの弁護士はこうした案件の担当を拒否します。国の治安当局を恐れているからです」国の治安当局とはつまり秘密警察だ。

    「実際に罪を犯した人がいなければ、この人がこういうことをした、と嘘の報告書を作成するのですが、多くは無実の人たちです」

    「以前は、警察が誰かを逮捕するときはいつもムスリム同胞団員だから、という理由でした」カイロ市の北部にある貧困地区、アイン・シャムスに構えた事務所でヌールアッディンはそう続ける。「2014年以降はそれがISISだから、になりました。ただ適当に手当たり次第に逮捕して投獄します。それから『アイン・シャムスの人間は誰だ?』と聞いて、手が挙がると、その人たちをまとめて『ISISのアイン・シャムス支部』ということにするのです」

    エジプトの警察と秘密警察には、ノルマを果たさなくてはいけないという上からのプレッシャーがあるのではないか、と弁護士たちは推測する。匿名を条件に取材に答えたある警察の高官は、この推測を裏付ける発言をしている。「警察署はそれぞれ管轄省に報告をあげなくてはいけません。今年はこれだけの件数を扱って、有罪確定にこぎつけたのが何件、不起訴処分が何件、継続中が何件、と報告するのです」

    逮捕件数は年末が近づくと増える傾向にあり、警官たちが駆け込みで実績を増やそうとするためだという。「実際に罪を犯した人がいなければ、この人がこういうことをした、と嘘の報告書を作成するのですが、多くは無実の人たちです」

    治安当局の警官も同じように数字を上げなければならないプレッシャーにさらされている。1年間に30人逮捕した者は、各案件の内容を問わず、20人逮捕した者よりも評価される。先の高官は次のように説明する。「熱心にやっているように見せたい、上層部のためにしっかり仕事をしているところを見せたい、そのためにできるだけたくさんの案件を用意したい、という構図です。そのせいでばかげたおかしな事件が大量に出てきています。とにかく件数を増やすことがすべてなんです」

    警察の仕事ぶりはあらゆる点が素人レベルで場当たり的だ、と弁護士らは評する。先日、ヌールアッディンの甥がバスで仕事へ向かおうとしているところを警察に連行された。警察のミニバンが10台ほど待ち構えていて、他の大勢の人とともに押し込まれた。バンがいっぱいになると、内務省管轄の中央保安部隊が管理する収容所へ連れて行かれた。その後、治安当局の担当官は、しゃれた革ジャケットに後ろへなでつけた髪、きれいに髭をそった顔という甥の姿を一瞥すると、尋問することなく釈放した。これだけ現代風の若者がISISメンバーのはずはない、と判断したらしい。ISISやアルカイダの戦闘員は治安部隊の目をすり抜けるためにきちんとした身なりをするのだが、それを知らないのだ。

    また、警察が若い男性を自宅から連行したあと、2週間後にまた家へやってきて同じ男性を呼び出そうとすることもあったという。ヌールアッディンの知っているケースでは、ある男性が逮捕され、2日後に治安部隊との衝突で命を落としたと伝えられた。だが8か月後、警察は再び彼を探しに訪ねてきたという。

    「担当者や部署の間の申し送りがないんです。指揮官が代わっても連携をとって引き継ぎをしないんですね」

    エジプトのあるケースでは、10人余りがISISの支部に加わっていたとして死刑判決を受けた。判決は自動的に控訴裁判所の判断にまわされたが、うち6人とその他を別々の裁判官が担当することになった。結果、6人は無罪とされ釈放されたが、残りは死刑判決が下された。司法の判断がいかにいい加減に下されているかを示している。

    同じくエジプトで弁護士をしているハリド・マスリは、北西部の町マルサ・マトルーフの男性グループの弁護を担当する。男性らは2015年にリビアでコプト正教会の教徒の移民労働者が殺害される動画を公開した件に関わったとして、死刑を宣告されている。拷問で強要された自白だけを証拠に裁判が進められたケースだ。「中にはリビアへの渡航歴のない人もいます。動画が公開された時点ですでに刑務所にいた人もいます」

    戦闘員であることが確定とされた2名はすでに死亡している。ISISに加わったとして数十人が身柄を拘束されているケースも、理由はISISの活動を宣伝する動画をシェアしたりSNSの投稿にいいねをつけたりした程度にすぎないという。「拘束されている人のうち実際にシリアやイラクへ行ったことがあるのは1割にも満たないのではないでしょうか」

    リスクは高い。ISIS自体、戦地と同様、イスラム教の厳格な解釈に基づく正義の遂行も重視しており、裁判所が立て続けに厳罰を科す事態につながっている。国際的な権利関係の専門家は、ISISがもたらした被害を緩和し、彼らを生む土壌となったイスラム教スンニ派の地域で軍事勢力にこれ以上基盤を築かせないためには、法の規定を公正に適用することが鍵だという。

    裁判が正当に行われていなければ、人の命が失われ、もとから不安定な政府への信頼も低下する。22歳の青年アイマンは2年前、出身地のチュニジア西部カスリーンで、近くの山中でISIS兵士を支援したとして逮捕された。当時学生だったアイマンの有罪を示す証拠は弱いものにみえた。アイマンと担当弁護士によると、以前、近隣のリビアの地域で活動していた武装グループに加わろうとした隣人が、アイマンが通っていた学校で職を得ようとしたときに協力したという理由だったという。

    担当官らはFacebookのアカウントとパスワード、携帯電話を出すよう求めたが、結局何も見つからなかった。アイマンは、執拗に身辺を探り追及する彼らの熱心さに驚いた、自分は政治的でもなく敬虔な人間でもないのに、と言う。暴行され隔離された日々がしばらく続いたあと、法廷へ連れて行かれた。その際、警察は暴行でできた顔の傷を隠す細工をしたという。自分は潔白だと訴えを始めると、裁判官がさえぎった。あなたが無実だと信じている、拷問を受けたのもわかっている、と言う。だが、それでもあなたは刑務所へ入れられるし、警戒措置として尋問を受けることになる、と告げられたのだった。

    結局1年8か月を獄中で過ごしたあと釈放されたが、国外への渡航は禁じられ、定期的に警察へ出向かなければならない。一連の逮捕の影響で、兄弟までパスポートの取得ができなくなった。

    今、人生を立て直そうとしている。まずはチュニスでコンピューターの修理を学ぶコースを受けるところだ。「不当な扱いを受けたと感じています。この国に自分の未来はない気がします。国が僕を負け犬にしようとしているのです」

    先述した法研究者のブラウンによれば、アラブ地域の司法担当官からは、エジプトのような国では容疑者の権利や濡れ衣を懸念するようなレベルは到底望めない、国家の安全に対するリスクになるから、と繰り返し言われたという。だが、ISISとの関与が疑われる人物を軽率に釈放することにリスクがあるとすれば、罪のない人を罰することも同様のはずだ。

    「無実の人を刑務所に送り込んだり、場合によっては処刑したりすれば、もちろん問題です」とブラウンは言う。「よくあるのが、反対や抵抗の動きを全部いっしょくたにするんですが、そうすると実際にその通りになるんです。こういうテロ行為という難題があるぞ、とひとくくりにしておくと、体制側は対抗勢力や政治的に異を唱える人間を扇動的だ、テロリストだと言える。そうなると抵抗するのはさらに難しくなります。これが鈍器のようにじわじわと効いて、こうした社会における対立をもたらすのです。そしてこうした分断こそが、過激派の勢力を伸ばす土壌を生むのです」

    2017年12月5日、ブーマルーガは警察との面会に呼ばれた。そこで、治安当局の担当官が自分をおとしめようと動いているのではという懸念が正しかったのを知った。

    ブーマルーガと担当弁護士によると、一連の件の背後にはナビール・ビン・オスマンという内務省の役人がいて、この人物が個人的な粛清運動を繰り広げていた。振り返ってみると、ブーマルーガが法廷や警察署に出入りしていたとき、長身で体格のいい40代のこの男を見かけたことがあった。

    今回、ビン・オスマンはさらに3人の容疑者を連れてきて証言させるという。ブーマルーガがISISメンバーを勧誘していた、と改めて言わせるつもりだった。ブーマルーガは不安になった。いくら自分は潔白で何もしていないと言っても、たいした証拠もないままテロ行為に関わったとして有罪になる件は増える一方で、国内のメディアがさかんに報道している。

    ISISがもたらした傷を癒すためには、法の規定を公正に適用することが鍵になる

    ところが、3人が現れると、全員がブーマルーガがISISと関連していたとは主張していない、と否定した。うち1人はさらに踏み込んで、ブーマルーガに不利な証言をするようビン・オスマンに強要されたと発言した。

    警察側も一連の件に疲れ、ブーマルーガに同情的になっていたようだった。釈放が告げられた。直後にもう1名訴えている者がいるとしてもう一度呼ばれた。だがその人も、ビン・オスマンがでっち上げたとして、ブーマルーガに対する申し立てをすぐに撤回した。

    「この地域の警察官は全員、それに地元警察、反テロを訴える人たちも、この件は訴えた方がいいと言います」

    数日後、再び警察に呼ばれた。だが今度は訴えを起こす側として呼ばれたのだった。

    対テロ対策の検察官がこの件でビン・オスマンを告訴する方向で同意したのだ。4時間近くにわたってブーマルーガは経緯を話した。不安の中での生活、刑務所で過ごした夜、悪夢が仕事や家族の身におよぼした影響。テロ対策の裁判を担当する裁判官は同情を覚えているようだった。ビン・オスマンはその強権的なやり口で他の数名からも訴えられていた。現在、証拠捏造の疑いで取り調べを受けていると地元メディアは伝える。

    チュニジア内務省に対し、治安問題および過激派対策について尋ねる問い合わせをアラビア語と英語による文書と電話で行ったが、回答は得られていない。ブーマルーガの件とビン・オスマンに対する申し立てで言及された内務省職員3人に電話取材したが、コメントする権限がなく、コメントできる人間も知らない、との答えを得た。

    つらい経験もたくさんあったが、先入観にとらわれずに今回の件を検証してくれた警察と裁判官には感謝している、とブーマルーガは言う。「民主化革命の前は、警察は理由もなく市民に暴力を振るったり痛めつけたりしていました。でも今は、人道的にふるまい、人権を尊重しようとする人たちも出てきています。告訴する側として呼ばれたとき、警察は友好的な態度でした。いろいろあるけれど、状況は変化しつつあるんです」


    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan

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