ロシア空爆で傷つく市民ら シリアの現実

ロシアは彼らの空爆がシリアのISISを標的にしたものであると主張するが、子供や一般市民が殺害されているというのが、地上の現実である。BuzzFeed Newsは空爆の被害者たちと話をした。

    ロシア空爆で傷つく市民ら シリアの現実

    ロシアは彼らの空爆がシリアのISISを標的にしたものであると主張するが、子供や一般市民が殺害されているというのが、地上の現実である。BuzzFeed Newsは空爆の被害者たちと話をした。

    トルコに住む2人の少年は、街が戦火に包まれる前、いつも一緒に過ごしていた。

    Abdel Rahman Rahmounは水泳と鳩の飼育が大好きだった。Thaer al-Zeinは車、数学、そして道具やエンジンをいじることが好きだった。現在17歳と14歳の2人の少年は、シリア北西部イドリブ県の丘陵に農地が広がる地域にある近隣の街で育った。

    戦争が始まってからは、武装集団が彼らの街を進軍していたが、2人の家族はできる限り、その被害を受けないよう彼らを遠ざけようとした。

    最初に、シリアの政府軍の軍隊がやって来た。次に反アサド勢力の自由シリア軍が、それに続いてイスラム教徒を含む別の反政府グループがやって来た。その間ずっと、シリアの爆撃機が頭上を飛行していた。

    そして昨年10月、ロシア軍機が空を飛び回り始めた。

    11月のとある午後に、Abdel RahmanがシリアのMarayanという小さな村にある自宅の外に立っていたところ、ロシアのロケット弾が着弾し彼を地面に叩きつけた。ちょっとした間があって、彼は「大丈夫」といって立ち上がろうとした。その時に彼の両脚が吹き飛ばされていることに気づいた。「見上げると弟が叫んでいましたが、僕は気を失ってしまいました」と、彼は回想しながら語った。

    およそ1か月後、Thaerが薪を集めていたところにロシアのミサイルが着弾した。彼は立ち上がろうともがいたが、立ち上がることができなかった。父親は、息子をまず地元の医者に連れて行き、そこでその医者は息子のつま先に針を刺してみた。反応はなかった。父親は息子を車に乗せ、トルコ国境沿いの野戦病院に連れて行った。そこの医療関係者もThaerを助けることができなかったため、父親はトルコ入国の許可を取得した。ついに医師がThaerの脊椎に爆弾の破片が突き刺さっていることを突き止めた。このとき、Thaerは、生涯にわたって下半身不随になってしまったことがはっきりと、わかったのだ。

    この2人の若者は今でもつるんではいるが、Thaerは一生障害を抱えることになってしまった。彼らは、現在住んでいるトルコのレイハンルにある街の賃貸アパートのリビングルームに横たわっている。Thaerはベッドに横になっており、その体にはカテーテルが通っている。そして数フィート離れたところには、Rahmounがマットの上に横たわっている。 一人は両脚が切断され、もう一人は下半身不随である。

    「最後には神のご加護があることはわかっています」とThaerは話した。

    2人の少年たち以外にも、ロシアによる紛争への介入以降、体の一部を失ったり、負傷したり、強制的に退去させられた何万という人たちが存在する。ロシアが掲げる目的は、IS(イスラム国)と対峙するシリア政権を支援することである。しかし、11月にアメリカ議会で証言した国務省当局者の話では、ロシアによる爆撃のほぼ90%が反政府勢力の支配地域に向けられたものであった。それによってシリア政府とISの双方が、西側諸国、トルコ、アラブの支援を受けた反政府軍より優位に立つことが可能となった。

    750人の一般市民ならびに百人の子供を含む2千3百人超が、ロシア軍の空爆で殺害されたと報道されている。このようなことが起こっても、戦争が終わる気配はない。

    ロシアの独立系観測筋は、ロシア政府にとっての明確なメリットは、後になってから出てくるもので、大部分は防衛的なものであったことを認めている。「当面の目標は、ダマスカスの政権が確実に存続するようにすることでした」と、モスクワにある非営利のシンクタンクであるRussian International Affairs CouncilのAndrey Kortunovは語った。「目的は主要道路の確保や、配送ネットワーク、供給チャンネルを確保することでした」

    「我々のロケット弾では空軍力に対峙できません」

    トルコとカタールから支援を受けていると言われるイスラム教原理主義系の反政府勢力Ahrar al-ShamのスポークスマンAhmed Zaki Assiは「以前はもっとひどい状況でした」とSkypeを通じて語った。「革命がロシア軍などの攻撃で終わることはありません。地上では革命勢力が前進しています。しかし、我々が太刀打ちできない武器は空軍力です。我々のロケット砲では空軍力に対応できません」

    シリアのアザズという街に住んでいたAbdul-Salaamは昨年12月の初め、弱っていた彼の母はHanifaを、クルド人が支配するアフリンという北西部の街にいる親戚と暮らすために移すことであると決心した。

    彼らが出発すると、地獄が待ち構えていた。通常は車で30分で到着するにもかかわらず、Hanifaと彼女の子供がアフリンにたどり着くまでに4日を要し、戦闘を避けるために毎晩、寒空の中で身を寄せ合っていた。湾岸諸国が提供した武器で武装したシリア反政府勢力は、ロシアと事実上の同盟を結んだクルド人とIS双方に反撃した。多くの命が失われ、人々が大混乱に巻き込まれた。

    ロシアは、介入を「テロリスト」の残虐行為からシリアを守る試みと述べている。同国は、一般市民を誰一人として傷つけていないと主張し、トルコやヨーロッパに安全を求めてやってくる難民の増加など、介入による人道的結末についてほとんど無視してきた。

    21歳のYousserは、かつてアレッポ大学で法律の勉強をし、24歳のIbrahimはラタキアで土木工学を勉強していた。自国の危機悪化とともに、2人とも自分たちの勉強を断念し、ロシアの爆撃機によって彼らの家が燃やされるまで、生まれ育ったアタレブで日用品を販売する小さな店をやっていた。彼らはシリアから離れる決心をした。

    「ロシアとシリアの空爆の違いは、シリア軍はそれほど正確ではないということです」とYousserは言った。「ロシア軍にビルを攻撃されたら完全に破壊されます。建て直す術はありません」

    国際支援グループは、国境を越えることができる人はほとんどいないと語る。海外・国内からの圧力で、トルコが取り締まりを厳しくしたことで、シリアを出入国できるのはごくわずかの人だけである。

    「ロシア軍がビルを攻撃すると完全に破壊される。建て直す方法はない」

    YousserとIbrahimは密入国斡旋人を探し当て、国境を越えられるよう、数百ドルを支払った。彼らは夜の12時直前に氷点下の気温を物ともせずに国境を越えた。トルコの警備隊に見つかった場合でも、少なくとも何人かが突破できるであろうとの考えのもと、彼らはグループで行動した。彼らは、国境を越えようとしているところを警備隊に狙撃されて亡くなったシリア人の話を聞いたことがあった。何時間もの間、慎重に警備隊から巧みに逃げ、彼らがようやく国境の街キリス近郊の野原でお互いを見つけたときには、まさに夜が明けようとしていた。彼らは安堵して涙を流した。

    「自分たちの命を危険に晒しました」とYousserは語った。「とても困難で、とても危険でした」

    彼らは現在、キリスのはずれにあるトルコ人貧困層とシリア人難民が多く生活するスラム街の一階建て賃貸あばら屋に住んでいる。ここで彼らは、ヨーロッパでのより良い暮らしを願うシリア人に加わるという、次なる行動を画策している。しかし彼はいずれはシリアに戻りたいと語る。「僕には、自分で『人生の夢』と呼んでいる決心があります。それは自分がヨーロッパに行ったとしても、母国に戻って国を建て直すということです」


    「パン屋さん、学校、病院が標的になることで、人はあらゆる希望を失う」

    シリア人を中心にシリアの国内で医療介護や人道支援を提供している専門家たちからしてみれば、ロシア介入はすでに地獄のような状況を、さらにもっと困難なものにした。シリア系アメリカ人医師会のチーフ・プロテクション・オフィサーとして11月に入国したMohammed Katoubは、ロシア介入以降、負傷者数や人や物の移送といった問題が劇的に増大したと語る。昨年の9月30日以来、医療施設への攻撃は1日おきに起こっており、それ以前の倍の数に増えている、とKatoubは言う。

    アザーズの婦人科医院に務める26歳の麻酔医Zakaria Ibrahimは、同施設から10メートル圏内がロシアのミサイル攻撃を受け、施設の一部が火災を起こした時、ちょうど勤務中だった。彼の勤務する病院は今は閉まったままだ。

    「市民から力を奪い、反政府勢力の支配する地域 で生きる人々に、そこでの暮らしは地獄だと感じさせるのが狙いなのです」とZakariaは話す。「パン屋や学校や病院を狙えば、すべての希望を失わせることができますからね」

    シリア政権の医療施設を狙った攻撃は長い間批判の対象にされてきた。だがロシアのより強力な精密誘導兵器の使用は打撃の影響を劇的に悪化させ、患者の数も増大させた。その患者の1人となってしまったのが、45歳のAbu Steifだ。11月22日の午後4時頃、イドリブのパン屋を襲ったロシアのものと思われる爆弾により、あわや両足を失うほどの負傷を負った。

    「12歳になる息子を散髪に連れていこうと外に出ていました」と彼は言う。「いとこを見かけたので挨拶しようと思い、手を上げたところで爆弾の攻撃を受けたのです」

    息子がその衝撃で亡くなったことを彼に告げられる勇気のある者は誰もいない。彼もまた、息子のことを尋ねる勇気を奮い起こすことができないでいる。

    「被害はより限定され、ずっと大きくなっています」と言うのはアレッポ郊外で医療に従事する36歳のAbdul-Razzaq Darweだ。キリスでトルコ国境を超える直前、彼の顔は蒼白になった。シリア国内で長期に渡る医療任務を終え、疲労が襲ったのだ。

    「空爆に合うと、患者の数が3倍にも4倍にも膨れ上がります」と彼は言う。「作業がより大変になります。スタッフが足りないのです。道具や施設も足りない。ワクチンも不足、手術も不足、何から何まで足りません」