治安が改善、夜の町に繰り出すバグダッド市民

    米軍の侵攻から15年、昨年末には首相が「ISに対する勝利」を宣言したイラク。首都バグダッドでは、レストランなどで夜遅くまで家族や友人との時間を楽しむ人々の姿が急速に増えている。

    ゼイナブ・ムハンマドが10代の少女だったころ、日没後の外出は家のすぐ近くでも禁じられていた。爆撃、銃撃、誘拐が絶えないバグダッドは危険すぎたからだ。毎日、学校が終わればまっすぐ帰宅し、翌朝登校するまで家から出なかった。10年前、大学を卒業した日も、友人たちとパーティをしたり夜遅くまで街へ繰り出したりするなどありえなかった。家で静かに卒業を祝った。

    だが今年3月のある水曜日の夜、30歳となり旅行会社に勤めるムハンマドは、バグダッド西部にある高級レストラン「ピアノ」で楽しい時間を過ごしていた。家族と親類が10人以上顔をそろえ、食事とケーキでおじの誕生日を祝った。時刻は夜10時。7歳の甥の姿もある。

    「今は私の若いときとは違います」とムハンマドは言う。「以前は仕事や学校が終わったらただ帰るだけでした。最近はどんどんいい方に変わっています。24時間営業のレストランがたくさんできて、カフェも遅くまで開いているし、夜のパーティだってある。朝の4時まで夜通し出かけられます」

    バグダッドは今や、夜もにぎわう「パーティタウン」だ。

    人口800万人に迫るこの町は、2003年の米軍侵攻以来15年におよぶ内戦と混乱の日々を経験し、つい最近もイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」との戦いで多くの血が流されたが、劇的な変化を遂げている。

    明け方までにぎわっているのはカフェやレストランだけではない。

    商業地区の通りにも車があふれ、音楽が流れ、子どもたちの楽しそうな姿がある。「夜になるとますます町が活気づいていきます」。そう話すのは、イラクの人気アイスクリームチェーン店「ファクマ」で夜間マネジャーを務めるムンタサル・マシャダニ(29)だ。2017年12月にハイダル・アバディ首相がISに対し勝利宣言をして以来、夜の売上は25パーセントほど増えたとみる。「あれ以降、状況は大きく変わりました」

    とはいえ、危険がまったくなくなったわけではない。昨年、同じチェーンの別の店舗が自爆攻撃にあい17人が犠牲になったとき、マシャダニは近くでかろうじて難を逃れた。

    バグダッド市内では今も爆弾による攻撃が起きており、1月にはISの関与が疑われる攻撃で35人の死者が出たが、その頻度はかなり下がったと治安問題の専門家はみる。例えば宗派対立がもっとも激しかった2006年や、ISの部隊が迫撃砲の射程距離まで迫っていた2014年に市内を訪れたことのある人なら、現在のバグダッドの雰囲気、そして夜の町の変貌ぶりには、目を見張るはずだ。

    これまでも、ダウンタウンのサドゥーン通りには、ウイスキーをがぶ飲みする男たち相手のあやしげなナイトクラブが、建物の半地下に押し込まれるようにして営業していた。年配のエリート層は昔から、いくつかあるカントリークラブの会員になっていて、遅くまで開いているクラブで過ごした。労働者階級の若者なら、川沿いのカフェ「ベイルーティ」でドミノに興じ、シーシャ(水タバコ)を吸った。

    これまでと違うのは、夜でも家族連れが町に出ていることだ。

    トルコのチェーン店「マド」をはじめ、新しいレストランが次々と進出して、市内のあちこちに増え続けるショッピングモールを中心に出店している。酒類を出す店はあまりないが、夜までシーシャを出すところは多い。

    治安の改善にともない、店の閉店時間を日付が変わる午前0時以降まで延ばした、とレストランの店主らは話す。その時間でも従業員が安心して帰宅できるようになったことが大きいという。「以前は夜9時か10時には閉店の準備をしなくてはいけなかった」と話すのは、イラクの高級レストランチェーン「サージ・アッリーフ」マンスール店のマネジャー、ディア・アデル(34)だ。「今は違う。私が帰宅するのは朝4時ですよ」

    町が住みやすくなった背景には、アバディ首相も一役買っている。夜の町がにぎわいを取り戻すようになったのは、それまで長く続いていた午前0時から5時までの外出禁止令を同首相が3年前に解除したのがきっかけだった。

    ISとの戦闘が沈静化してくると、アバディ首相は市内の各地域を分離していたとび色のコンクリート製防壁の取り壊しに着手した。政府はこの壁の多くをシリアとの国境へ移設し、IS戦闘員を国内へ入れないための壁を設けている。

    また、当局は検問所の数を減らし、シーア派民兵や治安部隊が気まぐれで行ってきた交通検問を禁じた。政府は市内へ向かう交通がスムーズに流れることを目指し、にぎわう夜の街へ市民がアクセスしやすいようにした。

    「以前は警察にしょっちゅう呼び止められて聞かれた。どこから来た、どこへ行く、何しに行くんだ、と。もう、そういうことはなくなった」とアデルは言う。

    アバディ首相はバグダッド市内にある「グリーンゾーン」の開放についても繰り返し意欲をみせている。

    「グリーンゾーン」とは2003年の米軍侵攻以降、国の主要機関が置かれている要塞のような壁に囲まれた広い区域で、特別に厳重な警戒態勢が敷かれてきた。緑豊かなカラダ・マリアム地区と呼ばれる地区や、国連、英国や米国の大使館などが含まれる。

    「いずれも、バグダッドを非武装化したいというアバディ首相の強い願いです」。イラクのシンクタンク、バヤン研究分析センターのアナリスト、サジャド・ジヤドは説明する。

    背景には政治的な狙いもあるだろう。アバディ首相は5月12日に行われた議会選挙で政党連合を率い、続投を目指してきた。バグダッド市民の生活を改善できれば、敬虔なシーア派イスラム教徒だけでなく、生活スタイルの向上を求める中流階級や若者まで支持層の拡大が望める。「そうした期待は高まっています。若い世代だけでなく、年齢が上の世代でも同じです」とジヤドは言う。

    イラクの人々は夜に町へ出かけ、家族や友人と過ごすのを好む。

    暑い夏の間はとりわけそうだ。アバディ首相が夜間の外出禁止を解いたとき、人々は町へ出て明け方まで祝ったという。めいっぱい楽しむことを意味する「Yetbaghdad」という言葉も生まれた。

    「安全だと思えるようになれば、みんな外出するようになる」。国会議員のシルーク・アバヤーチはそう言った。「モールへ行き、レストランに行く。状況が悪かったころはみんな暗くなる前に帰宅していた。今は夕方6時になれば、映画でもライブでもどこへでも行く。イラクの人々は、人生を楽しんでいるんです」

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan

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