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5人に1人が食糧不足の国で。人々が何を食べているか、知っていますか?

最貧国の1つであるニジェールは、国境の内外で起きる暴動にも苦しんでいる。国際支援では十分食べられず、なんとか食料を調達する難民たちの生活をレポート。

西アフリカにある内陸国のニジェールは2016年10月、これまでにない注目を浴びた。武装勢力に襲撃されて米兵4人が死亡する事件が起きたためだ。だがその後、新たな悲劇が周期的に起こってはニュースになるなかで、すでに人々の関心は薄れ始めているように見える。米兵の死亡事件が起きたのは、北西部の狭い地域だった。だが、国の反対側、遠く離れた南東部の都市ディファでは、それとはまったく違う悲劇が展開しつつある。

最貧国の1つであるニジェールでは、5人に1人近くの人が食料不安に苦しんでいる。これには、人為的な理由と、無理からぬ理由がある。同国の国土は広大で農業が主産業だが、雨季が毎年2カ月間しかない。しかも、気候変動による異常気象で、もはやそうした雨季が訪れる保証もない。変則的で散発的な降雨により、この20年間に4回も深刻な食糧危機が起きている。

さらに、国内と近隣3カ国(ナイジェリア、チャド、マリ)で続く紛争が追い打ちをかけた結果、現在の食糧危機はより危機的なものとなっている。

最も深刻なのは、ナイジェリア北東部で起きたイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」との戦闘だ。この戦闘により、チャド湖地域では数万人の人々が住む場所を失った。特に問題が際だっているのは、ニジェール南東部の都市ディファだ。ナイジェリアからの難民やボコ・ハラムによる襲撃を逃れた国内難民計約3万人が、非公式の難民キャンプに暮らしているのだ。こうしたキャンプは、この地域で唯一の舗装道路沿いに点在する。ディファの人口のおよそ4分の3は現在、生き残れるかどうかは人道支援次第という生活を送っている。彼らの身の安全と食料、水、精神衛生はもっぱらさまざまなNGOにかかっているのだ。

ディファの約1600キロメートル西では近年、警察や治安部隊の力が不足し、別の種類の反乱が急増してきた。国連によると、2016年2月以降に46回以上、武装勢力が地元の治安部隊を襲撃したという。2016年10月4日に米兵とニジェール軍兵士が襲撃された地域を含むニジェール北西部も、隣国マリからの難民数万人を受け入れている。

2017年には、300万人のニジェール人が日々の食事に苦労していると推定されている。この数字は、降雨量が少ない時期や、収穫期の合間の収穫が少ない時期には、全人口(約2000万人)のほぼ3分の1にまで急増する。たとえ食べ物があっても、良好な健康状態でいられる保証はない。栄養不足の食事のせいで、同国に住む5歳未満の子どもの73%近くが貧血に苦しんでいる。

ナイジェリアを拠点に活動するフォトグラファーのアンドリュー・エシーボは、ディファの各地にある集落で1週間を過ごし、自分たちの村を離れてそこに定住することを強いられた家族たちを取材した。農民であった彼らは、かつては食べていくだけの十分な食料があった。今は、食料が乏しく、仕事で稼いで食べていける見通しはなく、寄付に頼り、見つけられる数少ない物資で間に合わせている。母親は、子どもが食べた後にしか食事をしない。つまり、食べずに過ごすことがしばしばあるということだ。

食料不安が高まる中で、人々は以下のようにして生き延びている。

ボーヤ・カロマが作った、すりつぶした雑穀とバオバブの葉のスープ

ボーヤ・カロマは、ニジェール南東部ボッソ出身の国内難民の女性で、夫と8人の子どもとともにディファに移り住んだ。バオバブの葉のスープは家族の主食の1つで、1日に1~2度食べる。NGOから30万CFAフラン(約6千円)の月額給付金を受け取っているが、生き延びるのに必要な金額からはほど遠い。

ヤコーワ・バワ・アーバカが作ったパスタ

ヤコーワ・バワ・アーバカは、5人の子どもと夫とともに、ディファにある非公式の国内難民キャンプで暮らしている。彼女自身には、このマカロニ料理を作る金銭的余裕はほとんどない。家族が十分食べていけるよう、子ども達はしばしば、ディファにある主要な市場に食べ物を乞いに行く。

ヤコーワ・バワ・アーバカが作った、つぶした米とバオバブの葉のスープ

ファルマータ・アダムーが作った、ソース付きミックスパスタ

ファルマータ・アダムーと夫のハブー・アダムーは、ディファのキャンプにある小さな日用雑貨食料品店で材料を買っている。ファルマータが、4人の子どもと主にキャンプで過ごしている間、ハブーは低賃金の仕事をし、時々、キャンプでテントの組み立てを手伝っている。

アイサ・ウマルが作った、肉入りチリスープをかけた米

アイサ・ウマルと7人の兄弟姉妹は、ディファの労働者階級が多く住む地域で、両親とともに暮らしている。ウマルの父親は、ボコ・ハラムの反政府活動のせいで漁業の仕事を失ったが、それまでは成功した漁師だった。

アディーサ・イサが作った豆ケーキ

アディーサ・イサは、3年前に4人の子どもと夫とともに、ディファのガガマリ・キャンプに避難してきた。ナイジェリア北東部のダマサックにあった集落がボコ・ハラムに襲撃されたからだ。

ファティマ・アバカーが作った、小麦粉のパスタ

ファティマ・アバカーは、ディファのソーシャルワーカーだ。子どもや夫と一緒に、労働者階級が多く住む地域に住んでいる。


この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:矢倉美登里/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan