トルコでのロシア大使殺害は、シリア情勢の悪化を進めるだけだ

    「我々は、シリアでの対立やそれを取り巻く環境に関して、より複雑で一層予測のつかない危険な段階に突入しようとしている」

    その若い警官は、世界に衝撃を与える暗殺を行うつもりだった。そしてそれは現実になった。

    「アレッポを忘れるな! シリアを忘れるな!」 メブリュト・メルト・アルトゥンタシュは発砲のあとでこう叫んだ。弾は11発発射され、うち7発が駐トルコ・ロシア大使に命中。流血し息絶えた大使を足元に、アルトゥンタシュは続けた。「われわれの同胞が安全でない限り、おまえたちも安全ではない! 残虐行為に加担したものはすべて、ひとりひとりがその代償を払うことになるだろう!」

    12月19日午前(現地時間)、トルコの首都アンカラで、ロシアの在トルコ大使アンドレイ・カルロフが殺された。この事件が起きたのは、シリア情勢をめぐって、反政府勢力の最終的な敗北を許し、バッシャール・アル=アサド大統領に政権を維持させようという合意に、世界が近づきつつあるタイミングだった。

    1914年に、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であったハプスブルク家のフランツ・フェルディナント大公が殺害されたサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発したのとは異なり、ロシア大使が殺されても新たな戦争が起こったりはしないだろう。だが、今回のロシア大使殺害は、アサド政権が軍事的に勝利しても、この地域の安定にほとんど何の貢献もしないということを示している。実際には、シリア国内における反政府勢力の軍事的敗北は、中東にも世界にも大きな影響を及ぼし、イスラム世界の若い世代の人々にとって「アレッポ」は新たな団結のスローガンになるだろう。

    イスタンブールにあるマルマラ大学で国際関係を教えるエムレ・エルセン准教授はこう話す。「シリアの危機はまだ続いており、今回のような事件もすべてシリアに関係している。すべての陣営が合意する最終和平協定ができない限り、われわれがこの地域の平和を見ることはないだろう」

    ロシア公使が国外で初めて暗殺されたのは、今からおよそ90年前のことだ。1927年、ロシアからポーランドへ派遣されたピョートル・ヴォイコフが殺され、すでに緊張状態にあったモスクワとワルシャワの関係にダメージを与えた。今回、モスクワはすぐにでも報復するかに思えた。でも、トルコ側との合同捜査で事実が明らかになるまで、誰が、何がターゲットだったのかはわからないのだ。

    実行犯は「下位中産階級に属する、ごく普通の男」

    大使殺害の数分後に警官に射殺された22歳のアルトゥンタシュについて、情報はほとんど公開されていない。アルトゥンタシュは、エーゲ海に面したトルコ西部の街アイドゥンの出身だ。彼の両親と兄弟、おじが身柄を拘束され尋問を受けている。地元メディアによるとアルトゥンタシュは、12月16日に別の展示会が開催されていた際に現場のギャラリーを訪れており、殺害当日は近くのホテルに滞在していた。アルトゥンタシュは、周到に殺害計画を練っていたものとみられる。非番だったが、警官のIDを利用してセキュリティーを通過。拳銃をギャラリー内に持ち込んだ。

    「犯人には、これといった犯罪歴などはないようだ」と話すのは、ブラウン大学ワトソン研究所でトルコ情勢を専門に研究するセリム・サザクだ。「彼が以前に過激派だったという証拠はない。下位中産階級に属する、ごく普通の男だ」

    ロシアもトルコも、今回の暗殺事件を、対シリア政策の副作用ではなく、非道なテロ運動の結果として描きたいと思っているようだ。トルコ政府はアルトゥンタシュを、現在米国にいる宗教指導者で、2016年7月15日にトルコで発生したクーデター未遂事件に関与したとされるフェトフッラー・ギュレンと結びつけようとしたといわれる。

    トルコとロシアは、2015年11月にトルコ空軍がロシアの爆撃機「スホーイSu-24」を撃墜させて以来、関係修復の努力をしてきた。62歳だった故カルロフ大使は、両国間の関係改善に向けた話し合いと、包囲下にあるアレッポから一般市民を避難させる交渉の両方で重要な役割を担っていた。

    大使射殺は、イラン、ロシア、トルコの外相がモスクワに集まりシリア問題を討議する前日に起きた。3か国の外相は事件発生にもかかわらず会合を開き、共同声明を出した。共同声明では、シリア政府と反体制派との対立の政治的解決を求めるとともに、ロシアやイランの要求通りに、イスラム教スンニ派の一部の反乱者をテロリストと特定した。だが、イランの支援を受けたシーア派武装勢力はテロリストと特定されず、トルコの要求は聞き入れられなかった。

    「大使殺害は、ロシアとトルコの新たな和解を標的にしていた。ロシアとトルコの関係に亀裂を作り出すことが目的だったのだろう」とエルセン准教授は指摘する。

    しかし、暗殺犯の動機や背後関係は判明していない。ギュレン運動とのつながりが主張されてはいるが、地元メディアは、アルトゥンタシュは、7月のクーデターで命を狙われたレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領警護の任務に、クーデター未遂後に8回ついたとも報じている。トルコの専門家のなかには、アルトゥンタシュに複雑な狙いはなかったとし、シリアでの惨劇についてのマスコミ報道に触発された一匹狼の可能性を示唆する者もいる。

    ロシアや、シリアのアサド政権がアレッポの一般市民に対して行ったとされる戦争犯罪は、トルコの世論を掻き立てている。テレビのニュース番組は、毎日相当の時間を費やして残虐行為を伝えているし、ロシアやイランの公館前では抗議デモが行われている。ロシア大使殺害は、シリア内戦が他国にまで影響を及ぼすことと、トルコの軍事的・政治的安定の土台が揺らいでいることを示す、ひとつの例だと見る人は多い。

    米シンクタンク「大西洋協議会」(Atlantic Council)のフェローであるアーロン・スタインは、「犯人は自分で過激思想に走り、暗殺した」と述べる。「これは本質的には自爆攻撃だ。われわれは今回のことと、トルコで起きている現実とを切り離すことはできない」

    アレッポをめぐってトルコとアラブ世界全体の両方で怒りを掻き立てることは、反政府勢力に対する大きな裏切りだと、多くのシリア国民は、考えている。米国はもちろん、トルコやサウジアラビア、フランスなど多くの国が、何年も前から、シリアの反政府勢力に武器を提供し、後方支援を行ってきた。スタインはアレッポでの戦闘を、シリアで行われてきた「隠された戦争」の「もっとも目立つ部分」と描写する。

    削減されていた反政府勢力への支援

    だが、トルコ政府や、トルコ南東部にあるCIAの支援を受けた作戦指令センターは数か月前から、反政府勢力に対する資金や弾薬の提供を削減しているようだ。トルコは、国境近くの町、ジャラーブルス周辺で同盟軍のための安全地帯を設けることに力を集中させ、IS(イスラム国)やトルコからの分離を訴えるクルド人と戦うために、ロシアと暗黙の協定を結んだと考えられている。

    トルコ国内での軍事衝突を専門に研究する、シェヒール大学(イスタンブール)の社会科学者メスト・イェゲンは、「状況を変えられないと気づいたトルコは、シリアへの要求のレベルを下げ、照準も絞ることにした。トルコにとって、アサドはもはや重要ではなく、クルド人民防衛隊(YPG)やクルド民主統一党(PYD)のほうが重要になった」と語る。YPGやPYDは、シリア北部で小国の独立を目指しているクルド人組織だ。

    「トルコは、アレッポ東部にいるいくつかのイスラム武装勢力への支援から手を引く代わりに、クルド人問題で、ロシアやイラクがトルコの利益を考慮してくれることを期待している」とイェゲンは言う。

    トルコの方針転換は、反政府勢力を支援してきた他の国々と、同じタイミングで起こっている。湾岸地域で反政府勢力を支援してきた国は、自分たちがイエメンで動きが取れなくなっていることに気づいている。米国もフランスも、ロシアにより友好的な政府に力を与え、イスラム教に傾倒した反政府勢力の目的には敵対するつもりのようだ。シリア反政府勢力の指導者たちは、支援国の寝返りに失望したと言っている。一方で、国内での移動や海外への避難を余儀なくされたシリア国民はおよそ1100万人にのぼる。

    ベイルートで発行される経済ニュースレター『シリア・レポート』の編集長を務めるシリア人経済学者、ジハード・ヤジギはこう話す。「辱めを受け、ストレスをため込み、完全に打ちのめされて、することが何もない若者たちが山のようにいる。家族や社会機構が破壊されたことが、彼らを過激思想へと向かわせるきっかけになりうる。今は、過激派集団を形成しそうな人々が世界中に大量にいる」

    シリアでの対立の歴史を通じて、政権側の軍事的勝利がさらなる安定につながったケースはほとんどない。2011年の大規模抗議行動を武力制圧した結果、アサド政権に対する武装反乱が激化し、国外からも戦闘員を呼び込んでしまった。2013年に一般市民に向けて化学兵器を使用したと報じられた時も、米国による軍事行動をなんとか回避したものの、何百万人というシリア国民が祖国を捨て西へ向かったため、ヨーロッパの難民危機に拍車がかかった。シリア国民の希望が打ち砕かれ、戦争が激化するなかで、2014年には、失敗した革命のニヒリズムの具象化とも言えるISが誕生した。

    中東研究所(Middle East Institute)のチャールズ・リスターは、「アレッポ陥落は、テロリズムの脅威とその広がりという意味では、事態を安定化させるというよりは悪化させるものだ」と指摘する。リスターは長年、シリア国民の蜂起の目的を支持してきたが、同時に内戦の開始以来ずっと、シリア革命の中で過激派が生まれる兆しについても警告を発し続けてきた。

    「この地域のスンニ派コミュニティ内部でアレッポが持つ象徴的な意味を軽視することはできない。ここ数週間に現地で目撃された、残虐行為や破壊行為以外の何物でもない光景も、見過ごすわけにはいかない」とリスターは語る。「悲しいことだが、我々は、シリアでの対立やそれを取り巻く環境に関して、より複雑で一層予測のつかない危険な段階に突入しようとしている」


    翻訳:藤原聡美/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan

    この記事は英語から翻訳されました。