子どもたちが使い捨てカメラでスラム街を撮る

    「状況が善くなるところを見たい。善良な心を見たい。彼らに、こんな苦痛を味わってほしくない」


    ナイジェリアの都市ポート・ハーコートの川辺に、「プリズン・ウォーターフロント」と呼ばれるコミュニティがある。「水辺の刑務所」を意味するその名称が仄めかすように、そこでの生活は困難なものかもしれない。きれいな飲み水や下水設備など、人にとっての基本的な必需品は無いに等しい。掘っ立て小屋が乱雑に立ち並ぶ中で、子どもたちが育つ。ゴミや人の排泄物、広がる油膜といった環境の中で暮らすここでは、土地のものを食べて暮らすという選択肢はない。

    住民の生活への理解を深めるため、赤十字国際委員会(ICRC)は、プリズン・ウォーターフロントにいる26人の子どもに使い捨てカメラを渡し、生活状況がよくわかるように日常生活を記録するよう頼んだ。

    以下は、子どもたちが撮影した痛切なスナップ写真だ。


    プロジェクトに参加した16歳の少女マーシー・アタナシウスは、こうした写真を通して人々に見てほしい物事について、自分の考えを以下のように語っている。なお、わかりやすいように、彼女の言葉を編集している。

    掘っ立て小屋に住む人たちは、苦痛を味わいながら一生懸命働かないと、食べ物にありつけない。そのことを世界中に伝えたい。状況が善くなるところを見たい。善良な心を見たい。彼らに、こんな苦痛を味わってほしくない。「働かざる者食うべからず」という言葉があるが、私はもっと現代的なやり方で働きたい。ケガをしかねない有害なものを扱う仕事をしたくない。働く場所が安全であってほしい。

    たとえば、この写真の多くでは、働いている者たちが、自分たちが立っている場所を気にしていない。働き場所を嫌だと思っていない。その場所に有害なものがあって、ケガをしそうでも、気にしていない。どうすれば金を手に入れられるかということに、ひたすら関心を注いでいる。それでも、そんな人たちを見るとうれしい。若者の労働は、犯罪と無縁な生活を送るのに役立つからだ。ただ、それと同時に悲しくなる。彼らが苦しんでいるのがわかるから。


    ICRCの写真担当責任者で、このプロジェクトの設計者であるキャサリン・クック=ペレグリンは、プリズン・ウォーターフロントで自分が歩んできた道のりと、子どもの目を通してこの世界を観察する重要性について、BuzzFeed Newsに語ってくれた。

    ICRCの写真担当責任者を務めて2年ちょっとになる。実際の職業は写真家だ。パナマのAP通信でキャリアをスタートし、その後、約10年間にわたってフリーランスで働いた。

    今は、もっと親密で個人的なアプローチを目指して、撮影へのこうした取り組みに力を注いでいる。それが可能なのは、ICRCの立場が独特だからだ。ICRCは80カ国以上に存在し、統合されている。中立で独立しているので、独特なやり方でアクセスし、受け入れられている。


    ICRCは2015年から、ポート・ハーコートにあるこのコミュニティ「プリズン・ウォーターフロント」で働いてきた。プリズン・ウォーターフロントは非公式の集落なので、住民たちは、下水システムや飲料水のような公共サービスをなかなか受けられない。写真を見れば、それがどれほど大変なことであるかがわかる。それに、写真からはわからないが、石油生産とパイプラインが原因で、水は汚染されている。何もかもが石油に覆われているため、漁師たちは、漁が可能な海域にまで数時間航海しなければならない。

    何より大きな問題は、武器を用いた暴力だ。そのせいで住民は不安定な状態に陥っている。特に若者はひどい痛手を負い、非常に傷つきやすくなっている場合が多い。10代の彼らは、教育が未来を左右しうる、人生の重要な決定が下される時期にある。私たちは、思いを打ち明けて理解し合える活動を通じて、彼らと関わりたかった。プロであれ素人であれ、写真撮影にはそういう面がある。

    そこで私の仕事仲間は、ポート・ハーコートで講習会を開いた。チームでの大がかりな取り組みだった。使い捨てカメラを提供し、写真撮影について基本的なアドバイスをすることができた。以下が、その3日後の成果だった。

    プロジェクトを進める前に数回、このコミュニティを訪れたことがあった。だから、そのときの体験から、頭の中にイメージが浮かんでいた。だが、彼らの作品を見ると、私の想像をはるかに超えていた。内輪の関係以外ではめったに目にすることがない、近い距離感と親密さがあるのだ。見ている自分が、彼らの仲間や家族、友人になったようだった――彼らが互いを見て、関わり、やりとりしているのと同じように。サッカー、携帯電話、兄弟姉妹、仕事、学校など、16歳の子どもが何に夢中なのかがわかる。それが、彼らから見た生活だ。正直でのびのびとしていて、困難だが喜びにあふれている生活なのだ。

    彼らの写真には、意外性と、独特な構成も感じられた。カメラレンズの前に指が滑り込んでしまう場合もある。完璧な写真構成について心配するよりも、撮影体験を楽しもうとしている。それが魅力的なのだと思う。


    彼らの写真を見る人々には、家族アルバムの中に入り込んだような気持ちになってほしい。撮影者は、時間や締め切り、テーマに縛られず、導入や中間部、結末についても考えていなかった。私たちは、生活の中で重要と感じるものを撮影するよう頼んだにすぎない。だから、撮影者による写真の切り口やまとめ方を見て、何かを発見した気分を味わってもらえればと思っている。

    ICRCはポート・ハーコートで、下水処理や女性向け小口融資などのプログラムを運営している。給水ポンプを撮影しても、そこに住む人々やコミュニティが抱える問題について、それほど多くのことを物語るとは限らないが、これらの写真は多くのことを物語っている。少なくとも写真のおかげで、そうしたものに少し近づくことができる。

    この記事は英語から翻訳されました。