IS支配から解放されたモスルで、全てを失った人々が思うこと

    かつては繁栄していたイラク北部の都市、モスル。IS(イスラム国)による支配と戦争の3年間で失ったものについて、生き延びた人々は何を思うのか。

    IS(イスラム国)によってZiad Salem が失ったものはあまりにも大きい。 石油省の警備員としての仕事を失い、ISの賛同者であると判明した妻との結婚生活を失い、カリフの反逆者だとして彼を中傷し隠そうとする彼女の家族のせいで、家も失った。その後、モスル解放のための戦争が本格的に始まると、街までも失った。

    「バグダッドからフィリピンまでを支配するカリフ体制を築くとISは約束しました」崩壊した故郷に残っているものを眺めながら、48歳の彼はこう語った。「ISの野望の代わりに、私はすべてを失いました。自分の街を、国を、失ったのです」


    7月9日、イラクのハイダル・アル=アバーディ首相は、ISからのモスル奪還作戦に勝利したと宣言し、今こそ再建に取りかからなければならないと強調した。苦痛、喪失、そして破壊の地であるモスル西部の中にあっては、Salemはまだ難を逃れた方かもしれない。輝かしい歴史を持ち、2014年には推定130万人の人口を抱えるまで繁栄した都市は、今やがれきと化し、すっかり人の姿がなくなった。古代から続く旧市街地の多くは、もつれあうように積み上がったセメント、ねじれた梁や電線の中に埋もれている。

    Firas Moayed(41歳)は、イラク民兵防衛官の代表団に同行し、街の残骸の中を歩いた。兄弟のLeith一家の遺体を収容するためだ。遺体の中には子供も数人いた。男性、女性、子供……。9人の死体が集められ、収容車の後ろに寝かされていた。「もちろん悲しいです」とMoayedは言った。「兄弟を愛していましたから。でも30人の親戚があの建物に暮らしていたことを考えると、全員が死んだわけではないというのは奇跡です」

    数百メートル先にある、ISが最後まで抵抗していた地帯では、旧市街の下を通るトンネルと近くの建物が活動拠点になっていた。狭い路地を下ると、殺されたIS兵士の死体が戸口にぶら下げられていた。銃撃戦と時折の空爆が、この都市のあちこちを揺るがし続ける。14日、少なくとも1人のイラク軍兵士が殺害された。旧市街のユダヤ人地区で、狙撃兵の弾丸に頭を撃ち抜かれたのだ。最前線に留まっていた近くの医者に運び込んだが、その途中で死んでしまった。そう語ったのは、小売店の店先に作られた仮設クリニックで働く看護師のAmr Jabbarだ。

    その日早くに、兵士たちが8歳の女の子を連れて来たとJabbarは言った。少女は腕と足にひどい火傷を負っていたが、片言のアラビア語を使ってなんとか自分の話をした。戦闘で死んだIS夫婦の娘だった。おびえる少女に包帯を巻き、国際援助団体に引き渡したと話しながら、その写真を収めた携帯電話を彼は見せた。「彼女の名前はKhadijaです」

    それぞれが暮らす場所で、住民たちはISの支配と激化する戦争によって失った3年間を振り返った。Hani Musa(53歳、大工)は、2014年6月にISがこの都市を乗っ取ってまもなく起きた自爆テロで、妻の Falenを失った。44歳だった。この3年間、6人の子供を育てるのに苦労している。末の子供は母親を失った時まだ3歳だった。「母親を思い出すことすらありません」とMusaは言った。「私は子供たちの父親であるだけでなく、母親役も務めなくてはならないのです」

    Amr Khaledは、3カ月前の特に戦闘の激しかった日に避難所を探していた。その時、迫撃砲が落ちた。数時間後に意識を取り戻すと、腹は18針縫われ、上腹部全体が爆弾の破片による傷だらけだった。この29歳の整備士は生きのびることができてほっとしたが、他に4人が同じ迫撃砲で殺され、うち2人は子供だったと知り、愕然とした。

    Fatma Kamel(42歳)は、ISの支配下に置かれていた間、10歳、11歳、12歳、16歳の4人の娘を3年ものあいだ学校に通わせることができなかったので、将来を案じていた。しかし、戦闘が終わった今も夫に職はなく、教科書代や交通費があまりにも高いので、今後も娘たちを学校に通わせることはできないのではないかと心配している。「娘たちは本当に賢いんです」と彼女は言った。「あの子たちは、勉強したいと望んでいます」

    避難した数十万人の民間人のほとんどは、モスル西部にまだ戻っていない。町にいるのは、Ali Ahmad(47歳)のように一度もこの町を離れなかった人たちだ。金曜日の祈りのため、この都市で機能している数少ないモスクへと、彼は7歳の息子と歩いていた。小学校教師の彼は、「水もないし、電気もない。公共サービスもないのです」と語った。イラク軍が入ったらすぐにこの街を去るつもりだったが、お金がなかった。ISは彼が働くのを妨害した挙句、以前に得ていた月給400ドルの10分の1の給料で、前の仕事に戻ってくるように命じたのだ。

    「つらいです」と語ったのはイラクの国家警察署員のMustafa Hilalだ。爆破された11階建てのホテルの屋上から破壊された街を見ていた。ISが狙撃兵のねぐらとして使った場所だ。「この破壊を見るために、いくつもの家族が街を離れ、子供たちが殺されました」

    Ali Mahmoudの15歳の孫、Mohammedが頭部を撃たれたのは、ISが支配を始めてまだ数日しか経っていないころだった。ミルクとチーズを買いに出ていたところだった。「彼らは何か言い、孫は言葉を返しました。次の瞬間、孫は撃たれたのです」と、77歳のMahmoudは言った。

    Mahmoudの家はISの命令で壊された。ほんの数日前にようやく戻ってきたばかりの家族は、リビングルームでここ数年の悲しみを語りあった。Mahmoudの息子の一人は地雷を踏んで、足を吹き飛ばされた。もう一人は、迫撃砲による爆撃で内臓が粉砕された。もう1人はISに逮捕され、魔術師であるという疑いをかけられ数カ月ものあいだ拘留、拷問された。Mohammedの高齢の妻Baheraは、イラク中から集めた貴重な鳩を飼っていた巣箱を見せてくれた。ISの兵士たちが無理やり家を奪い、すべての鳩を殺してしまった。

    「動物まで殺すなんて。彼らはたたられるでしょう」とBaheraは語った。「私たちの孫も殺されたのです。どうか神様がISを罰してくれますように」


    この記事は英語から翻訳・編集されました。

    訂正

    ハイダル・アル=アバーディ首相はイラクの首相です。当初の日本語版の記事では、イスラエルとなっており、誤っていました。訂正いたします。