わたしはタブーを破った。そして、結婚生活を終わらせた

    あざができているのはわかっていたが、私は痛くないと答えた。私は彼に、彼が私を傷つけ、打ちのめしたと思ってほしくなかった。

    ランダ・ジャラル(Randa Jarrar)はパレスチナ系アメリカ人の作家。著書に「A Map of Home」や、The Story PrizeのSpotlight賞 を受賞した「Him, Me, Muhammad Ali」がある。New York Times Magazineなど数多くの媒体にエッセイを寄稿しており、現在は回想録に取り組んでいる。

    ある既婚男性といっしょにベッドに入っていたとき、私は、自分の結婚生活が終わったことがわかった。

    彼の体に身を預ける私の心を、奇妙なノスタルジアの感覚がとらえていた。ノスタルジックになるには少し早すぎたが、過去を恋しく思うこの気持ちをどうすることもできなかった。私たちアラブ人にとって、ノスタルジアはほとんど遺伝的なものなのだ。しばらくの間、私は自分と夫のことに思いを巡らせていた。

    出会ったころはベッドでともに時間を過ごしていたが、夫とはもう1年以上、セックスしていなかった。相手の既婚男性を見おろしながら私は、みんなが言っているのはこのことなのかと思った。恋愛関係が始まった頃について考えるようになると、そのときにはもう関係が終わりに来たということだ。

    私はその日の午後を、この既婚男性といっしょに、湖のそばで過ごしていた。キラキラと輝く湖の片隅で、たき火のそばに腰を下ろしていたとき、既婚男性は私に、この湖は州全体を水浸しにできるほどの深さだと聞いたことがあると言った。彼は手振りを交えて、この湖の深さを表現した。そしてそのジェスチャーは、その晩遅く、彼の指が私のなかを出たり入ったりしたときと同じだった。

    私たちのキャビンの近くにはホテルがあり、そこにカジノがあった。彼の指が私のなかを出たり入ったりする前に、彼はギャンブルがしたいと言って出かけていった。しばらくあとで私は、小さな森を通り抜け、ホテルへと向かった。彼はカジノのバーにいて、すでにひどく酔っていた。

    私は彼に、自分はギャンブルをやらないけど、あなたが楽しんでいる様子をそばで見ていると言った。私がやりたがらない理由を彼が知りたがったので、私はこう答えた。イスラム教が禁じている物事のなかで、私がまだ破っていないのは賭け事だけで、これが自分をイスラム教徒たらしめている最後の砦なのだと。私は豚肉を食べていたし、礼拝もしていなかった。ラマダン月に断食もしていなかったし、婚前交渉もしていた。だけど賭け事だけは一度もやったことがない、と私は言った。

    きっと、これが彼のスイッチをオンにしたに違いない。彼は私の肩に手を置き、「ぼくたちはこれからギャンブルをするんだよ」と言った。

    私が賭け事をしたことがないというのは嘘だった。私は親友といっしょに米ルイジアナでギャンブルを体験していた。私は2005年、4人の友人とともにテキサスからクルマでルイジアナに行き、彼女のバチェロレッテ・パーティ(結婚直前の女性のために開かれるパーティー)で一晩中ギャンブルに興じ、そのあと酔っぱらってモーテルのダブルルームで眠ったのだ。

    私が彼に嘘をついたのは、それが彼のスイッチをオンにするとわかっていたからだ。私の「ギャンブラー」バージンを奪いたい、私からイスラム教徒の皮を剥ぎ取ってやりたいという彼のスイッチを。そして、まんまと作戦は成功した。彼はブラックジャックのテーブルでディーラーに200ドル渡し、チップをふたつの山に分けて、ひとつを私のほうに押しやった。私はそれまでプラックジャックをやったことがなかったが(これは本当)、彼が根気よくルールやヒットとスタンドのタイミングを教えてくれた。

    ディーラーは、ジルという名前のブルネットの中年女性で、私たちが夫婦だと思い込んでいた。私は彼女に、私たちは結婚12周年のお祝いでこの街に来ていると説明したのだ。既婚男性は私をちらりと見て、話を合わせてくれた。

    チップがなくなると、彼はさらに100ドルをテーブルに置き、再びチップを分けた。

    カジノのBGMは、ローリング・ストーンズの「無情の世界」だった。いつも欲しいものが手に入るとは限らないという歌詞の曲だ。私は「この曲、大嫌い。私は欲しいものを絶対に手に入れたいわ」と言った。

    実のところ私は、以前にも賭け事をしたことはあったが、夫を裏切ったことは一度もなかった。私はもう何年も定期的なセックスのない生活を送っていた。それでも、裏切ったことだけは一度もなかった。「ジナ(Zina)」は、コーランのなかで使われている「不倫」を意味するアラビア語だ。それは美しい言葉で、「Z」はまさに最後を意味し、末尾の「a」は女性らしさや魅惑感を醸し出している。私はその夜、「ギャンブラー」バージンを失ったわけではなかったが、「不倫」バージン、「ジナ」バージンを失った。

    私がブラックジャックで勝つと、既婚男性は私のほうに体を寄せて、キスをした。彼は、私が不敬虔なイスラム教徒になったことを喜んでいた。


    子どものころの私は、年に1~2度は、発熱や連鎖球菌に襲われていた。母はベッドのそばに来て、冷たい布を私の額に当て、手の甲で私をなでてくれた。その手首には、母が大学を卒業したときに母の父(私の祖父)がくれたブレスレットが巻かれていた。母は、一族のなかで大学を卒業した最初の女性だった。母は私の額をなでながら、囁くような声で、コーランに書かれている詩を読んでくれた。私のお気に入りは、結び目に息を吹きかけて人を呪う魔女を描く、妬みと邪悪についての詩だった。母は、その詩を何度も何度も読んで私の熱や皮膚の炎症を癒し、私が元気になるように看病してくれた。

    大人になってからの私は、ラマダン月に断食し、1日5回礼拝し、貧しい人々に施しをし、妻としての自分の権利を研究してみた。しかし、成功したのは最後だけだった。私は結婚後まもなく、妻は夫と4カ月に一度はセックスする権利があることを知った。妻にセックスの機会を与えない夫は、妻を拒絶するという罪を犯しているのだ。私は一度、このことを母に相談しようと思ったが、結局は気が引けてできなかった。友だちにも、私のセックスレスな結婚生活を打ち明けたかったが、恥ずかしくて無理だった。おまけに私の夫はイスラム教徒でもなかった。

    話を戻そう。私はこの既婚男性とどうやって知り合ったのか? 私は彼と湖のそばで出会ったわけではなかった。私が彼と初めて会ったのは、ハンブルクからベルリンに向かう列車のなかだった。私は、出版した本についてのブックツアーでドイツを訪れていたのだが、私が乗った次の駅で、彼が列車に乗り込んできた。彼は、ギターケースを抱えて列車に乗ろうとする乗客に手を貸していた。私は立ち上がって2人を手伝ったが、そのあとも、なるべく彼が見える位置をキープした。彼にとても惹かれたからだ。

    私は彼に、あなたはミュージシャンなのかと尋ねた。彼は作家だと答え、私に名前を教えてくれた。私は彼の名前を知っていたが、知らないふりをした。彼は私に、シンガーなのかと尋ねた。私は自分も作家で、自著のドイツ語版が出版されたのでツアーをしていると答えた。彼は、自分もブックツアーでドイツを回っていると教えてくれた。

    彼は、2列うしろだった自分の席に私を招いてくれた。私の隣に座っていた女性をちらりと見ると、彼女の顔は私の大声への嫌悪感でひん曲がっていた。彼女は、私が隣に座った時から、私への嫌悪感を剥き出しにしていた。私の太った体が嫌だったのだ。その既婚男性は私に嫌悪感を抱いていなかった。私は立ち上がって移動し、通路を挟んで彼の隣に座った。彼のすぐ隣には別の女性が座っていたからだ(あとでわかったことだが、彼の広報担当者だった)。

    彼も私も、結婚指輪をはめていた。私たちは2人とも以前に、同じ小さな大学都市で暮らしていたことがわかった。彼は私に、ある男にバーの外でナイフを突きつけられたときのことを話してくれた。そして、彼が20代だったころのこと、アメリカに移住したときのこと、作家になる前に教師になろうとしていたことを話してくれた。その大学都市は、私にとっても彼にとっても避難所のような場所だった。そして、私たちは自分の子どものことを話した。

    私たちはベルリンに到着するまで、ずっと語り合った。列車が止まると彼は、その晩の彼の朗読会に私を招待し、私の名前をチケット売り場のリストに追加しておくと言ってくれた。私は自分もその文芸フェスティバルに招かれていて、すでに名前はリストに入っていると言った。おもしろいことに、あるいは、彼が無意識的な性差別主義者であるからか、彼は私の言葉を無視して私のほほにキスをし、あとで会えるのを楽しみにしていると言った。

    私はベルリンの街なかをあてもなく歩き回った。あれほどの強烈な出会いがつくり出した水分を逃がしてくれるものは何もなく、私はそのなかを泳いでいた。私には彼が必要だった。私は彼の声、彼の話を聞き続けたかった。

    私は自分の担当編集者と会い、彼から朗読会に来るように言われたと彼女に伝えた。すると彼女は叫び声をあげた。その既婚男性は、彼女が称賛する本の作者だったからだ。私が彼女といっしょに会場に行くと、彼はすぐに見つかった。外の芝生の上で煙草を吸っていた。私は緊張しすぎて彼に近づけなかった。それに、彼に私のことを少しでも恋しいと思ってほしいという思惑もあった。

    私はホールに腰をおろし、彼の朗読を聞いた。彼の朗読とおしゃべりは45分続いた。その後、彼は私を見つけると、私のほうに歩いてきた。そして私の腰のくびれに手を当てながら、私の唇の角にキスした。ちょっと待ってくれたらあとでディナーに出かけよう、と彼は私に言った。私は30分待ったが、それから、彼にはもう近づかないようにしようと思った。私は既婚者だった。夫と一緒になってまだ3年だったし、妻になってからはまだ1年だった。何カ月もセックスしていなかったが、風向きは変わると私は期待していた。

    ラマダンの時期だった。会場を出た私は、誰にもあいさつをせず、公園を通り抜けて小さな市場に入り、その後、自分のホテルに戻った。私は血のしたたるステーキサンドウィッチを注文して食べ、その血をパンで拭い取り、あの既婚男性とのセックスを想像しながらベッドに入った。そして朝を迎え、ベルリンを離れた。


    私が家に帰っても、夫は私とベッドをともにしようとはしなかった。私のベルリン行きから1年間、私たちはセックスしなかった。2人でセラピーに行くと、セラピストは、毎晩の習慣をつくるべきだと助言した。性的なことは無理にしなくてもいいので、ベッドに並んで横になり、お互いを愛撫しましょう、というような。でも、夫はこの試みを二度繰り返しただけで、あとはやらなくなってしまった。彼に愛撫をしつこくせがみながら、私は、セックスという元々の願望からかけ離れたところに自分がいることを実感した。この事実には怒りを覚えたが、自分の巨体が愛らしくないことは自分でもわかっていたので、私は別れなかった。

    当時、私は自分を、性的に相手に服従するタイプだと思っていた。私は、何人もの女性がこんなふうに言うのを耳にしてきた。「日々の生活では常に責任に追われている。せめてベッドのなかでは解放されて、ほかの誰かに身を委ねたい」と。同感だった。自分もそんなタイプだと思っていた。だから私が既婚男性と連れ立ってカジノを出て、彼のキャビンに行き、彼から何がしたいか尋ねられたときも、「あなたがしたいことなら何でも」と答えた。そして、自分は服従するタイプだと言った。

    すると、既婚男性は私を浴槽のところまで引っぱっていき、なかに入れと命令した。私は彼にキスした。それは、私が何年も前にベルリンに向かう列車のなかでしたかったことだった。でも、彼は私にキスを返してくれなかった。私を試していたのだ。口の中に動きがないまま、私は待った。そして、ようやく彼の舌が私の舌を求めて伸びてきた。同時に彼は、私の髪をつかんでねじり、乱暴に引っぱった。痛かったが、我慢してこれを受け入れるように自分に言い聞かせた。

    私が服を脱ぐ様子を彼は見守った。そして私が脱ぎ終わると、驚きの声を漏らした。私は太っていたので、彼のそうした反応が怖かった。夫はもう何年も私が太っているとは言っていなかったが、いまだにそう思っていることは明らかだった。私が服を脱ぐときに、彼は目をそらしていたからだ。私はバスタブに入り、胸が見えるよう、仰向けに体を浮かべた。彼は服を脱ごうとはしなかった。彼はバスタブの端に立ち、私の体を洗った。そして私の足をこすってきれいにし、爪先を口で吸った。私は彼の手を取って自分の喉の上にそっと置き、その手に力が加えられているふりをした。すると彼は本当に私の首を絞めてきた。私は怖かった。彼は手を離した。私は深く息を吸い込んだ。そして息を吐き出すと、彼は再び私の首を絞め、私を水のなかに沈めた。私は死ぬと思った。

    私がもがくと、彼は手を離した。

    やめてほしかったが、伝え方がわからなかった。彼は、私の胸と腹をひっぱたいた。彼が自分の顔もひっぱたいてほしいと言うので、私は言われた通りにした。どんどん強く。彼はずぶ濡れになりながら、手を私の首に回した。彼は私の頭を殴った。どんどん強く。ついに私がもうやめてと言うと、やめてくれた。彼はペニスを取り出した。それは小さくて、私は彼に落胆と戸惑いを感じた。彼が私を殴ったこと、そして彼のペニスがとても小さいことに、私は戸惑いを感じていた。私はバスタブから出て、彼のベッドに入った。

    彼は私を指で愛撫した。私が望むよりも強く。それは彼が、自分が望むほど激しいセックスができないからだと私は思った。私が彼のものを口に含んであげたあと、彼は眠りに落ちた。ベッドから出た私は、彼の財布とクレジットカードがキャビンの床一面に散らばっているのに気づいた。私は彼の財布からレシートを取り出して中をチェックした。彼がマンハッタンで食べたブリトー、子どもたちに買ってあげた食べもの。私は、彼が私を傷つけた証拠、私がこの夜を彼とともに過ごした証拠がほしかった。私は共通の知人にメールして、朝、この既婚男性のキャビンに私を迎えに来てくれるように頼んだ。私はベッドに戻って、眠ろうとした。

    私が目を覚ますと、彼はさも誇らしげに、痛いかと私に聞いてきた。あざができているのはわかっていたが、私は痛くないと答えた。私は彼に、彼が私を傷つけ、打ちのめしたと思ってほしくなかった。その後、1週間以上も、首と胸にはあざができていた。ついに私が夫と別れたとき、あざは黄色っぽい色合いになっていたが、彼はそのあざに最後まで気づかなかった。


    私は湖から帰ってきたあと、夫と別れた。ベッドに入っているときに、私は彼に、結婚生活の終わりを告げた。彼は私との愛の営みを5年間で3回しか行わなかったし、助けを得ることも拒否した。この事実が私に、彼に何も問題はない、彼はただ私に魅力を感じていないだけなのだということを納得させた。

    2週間後、彼は荷物をまとめて出て行った。2人で集めた本も半分持って。本の不在はまるで、彼の肉体の不在でもあるように感じられた。


    夫と別れたことを母に知らせたあと、母から電話があった。母は、私が悲しみを克服するのを助けようとしてくれたが、私は彼女の電話を拒否した。母は以前、何年か前に私が絶望とうつ状態にさいなまれていることを打ち明けたとき、祈るべきだと私に述べた。祈ること、そして神に語りかけることで、いくらか気持ちが楽になるだろうと。私のこれまでの人生のなかで、母が祈る姿を見かけたのは1~2度だけだ。私はイスラム教について自分が学び知ったことを母に教えてやりたかった。私の夫は罪人であり、私からセックスする権利を奪っていたということを。


    いままたラマダンの時期を迎えている。そして、いままた私は、あの既婚男性のこと、私が最初で最後の「ジナ」を犯した夜のあと、何日間も肌に残っていた感覚のことを考えている。それはまるで、あの既婚男性の手が、まだ私に触れているかのような感覚だった。この奇妙な他者は、私が、自分を癒し、傷つけ、解放するために、みずから招き入れた存在だったのだ。


    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan