「部族の者は皆、いなくなった」 ISから奪還された町で起きた集団拉致事件とは

    ISからの奪還後、1200人の男性たちがイラク治安部隊に連れ去られた。半年が過ぎた今も、その半分以上は行方不明のままだ。

    2016年6月3日、イラク、サクラウィヤの町。モハマド・カリル・ハッサンは、家族とともに白旗を振りながら、ファルージャから約8キロ離れた、サクラウィヤのはずれにある墓地にいた。農民の多いこの町の墓地には、何百人もの人々が集まっていた。

    サクラウィヤはIS(イスラム国)の支配下から取り戻されたばかりだった。ハッサンと妻のニダル・アリ、そして3人の子供たちは、一刻も早く普通の生活を再開したいと考えていた。友人や隣人もみな、サクラウィヤを立て直したいと願っていた。シリアとの国境からアンバル州の砂漠を抜けて流れるユーフラテス川が育むサクラウィヤの農地を、再び豊かにしたいと思っていたのだ。

    ISの黒い旗が町からなくなり、ほとんどの住民は、赤白黒の3色をベースにしたイラクの旗が縫いつけられている軍服を来た男性たちが彼らを救いに来たのを見て、安心した。

    容赦ない領土拡大を続けるISは、2014年1月、ファルージャ周囲の地域を掌握した。サクラウィヤはこの年の9月、ISのジハーディストたちの手に落ちた。だが、この地域の問題は、2003年の米国によるイラク侵攻直後から始まっていた。

    ファルージャとその周辺は、サダム・フセイン政権が崩壊したあと、米軍と戦った反政府勢力の本拠地となったのだ。スンニ派アラブ人が多いこの地域は、米軍にとっても、シーア派が多数を占めるバグダッドのイラク政府にとっても、常に頭の痛い存在だった。

    その後2010年までの間、この地域はある程度の落ち着きを取り戻した。米国の支援を受けたスンニ派の部族が、最も過激な反政府勢力をアンバル州から追い出すことに成功したからだ。しかし、2014年、ISがイラク全土で攻勢をかけると、再びこの地域に注目が集まった。ISは首都バグダッドまであと数マイルのところまで迫り、アンバル州の東端から空港を爆撃した。首都さえも陥落するかに見える勢いだった。

    それから2年近くにわたり、空爆や、軍事演習に続く攻撃作戦が行われた。イラク軍はファルージャとその近郊を包囲し、さらにここ数カ月でこの地域を奪還した。イラク軍、国家警察、民兵組織「ハシド・シャービ」(別名「国民動員部隊」)がこの地域に押し寄せ、立てこもっていた抵抗勢力を叩き潰し、隠れていた工作員たちを探し出した。

    ISからのアンバル州奪還は、米国の空爆に援護されて、大方の予想より簡単に終わった。そして、当局者の多くが望んだような、現在進行中の作戦の青写真となるものを残した。イラク第2の都市モスルからジハーディストたちを排除する作戦だ。

    イラク軍がサクラウィヤに侵攻した後、ISにより多数の住民が殺害されていたことが明らかになった。しかし、近郊のファルージャと比べると、破壊は限られていた。「住民たちは皆、ISが排除されたことにとても満足し、治安部隊を出迎えに行きました」。サクラウィヤの評議会メンバーであるヤヒヤ・マハムディはそう語る。

    イラクのハイダル・アル=アバディ首相は、アンバル州の住民に呼びかけ、イラク軍に従うよう公式に求めた。住民たちは話し合い、部族の長老とも相談した結果、到着した軍隊を歓迎するため町の墓地に集まった。

    その場にいた人によれば、最初に歓声が上がり、集まった住民たちは、軍服の男性たちを抱擁し彼らにキスした。軍隊の一部には、しばしばスンニ派に恐れられてきたシーア派の民兵もいた。イラクで多数派を占めるシーア派と、少数派のスンニ派の宗教的対立は、両者が協力してISと戦った2年の間に薄れてきていたのだ。

    そのとき、治安部隊が住民たちを動揺させる命令を下した。兵役適齢期の男性は、女性や子ども、年配者と分かれて集まるよう、指示されたのだ。このあとに起こった事件を調査している人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の調査員ベルキス・ウィルは、「これが事件の始まりだった」と言う。

    墓地に集まった少なくとも1250人の男性たちと、家から連れてこられた男性たちが、数時間をかけて、バスやトラックに乗せられた。残された人々は疑いを持ち、兵士たちに説明を求めた。夫が1000人以上もの男性たちと一緒に連れて行かれるのを見ていたニダル・アリは、どこに連れて行くのかと尋ねた。「でも、『名前をコンピュータでチェックするだけだから、心配いらない』という答えでした」

    アリによれば、夫は、自分がもう終わりであること、妻や子どもたちには2度と会えないだろうことを悟っていたという。「子どもたちを頼む」。それが、35歳のイラク人農夫が、連れて行かれる前に妻に残した最後の言葉だった。

    そして半年近くが過ぎた。あれ以来、夫からは何の知らせもない。ほかの男性たちとともに、夫は消えてしまった。イラクで最近起こった中で、最大の集団拉致とされている。

    サクラウィヤで起こった事件から見えてくるのは、1000人以上もの男性たちがいとも簡単に消えてしまった現実だ。6月に起きたこの事件は、モスルからISを排除する作戦が重大な副次的問題を抱えている可能性を示しており、イラクの将来に不吉な影を落とすものだ。

    ISに対するイラクの作戦自体は、世界中が支援していると言っても過言ではない。しかし、「IS支配下で生きていた人々への報復は、次世代のジハーディストを生む危険性がある」と、国際社会もイラク自身も憂慮している。

    「これらの犯罪は忌まわしいだけではありません。将来、望ましくない結果を生みうるものです」。ゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官は2016年7月、サクラウィヤをはじめとする近隣地域で起こった残虐行為について述べた。「彼らの行為によって、ISは宣伝戦に勝利し、ISの戦闘部隊に入隊する人を生み出してしまうのです。彼らの行為は、宗派間の新たな徹底抗戦を生み出す可能性を増大させています」

    ひとつの町から1200人以上の男性たちがいなくなったことは、アンバル州中で大きな話題となった。何時間たっても男性たちが戻らなかったため、取り乱した妻や母親たちが、バグダッドやアンバル州の州都ラマディの政治家たち、そしてアンバル州の行政機関に電話をかけ始めたのだ。「軍服の男性たちが、町の健康な男性たちをほとんど連れ去ってしまった」と彼女たちは訴えた。

    女性たちからの訴えを聞いた人物の中に、アンバル州の統治評議会で議員を務めるサクラウィヤ出身のマハムディがいた。40歳のマハムディは地元の農村出身だが、都会で成功を収めて故郷に戻った人物だ。仲間たちとは違い、大学で政治学の学位を取ったマハムディは、成人した後しばらくはバグダッドとラマディで暮らしていたが、故郷の農夫たちと一緒にいる方が心が和んだ。

    サクラウィヤに戻って高校教師をしたあとは、アンバル州周辺の民間援助団体で働き始め、2010年に州の評議員として選出された。長年をかけて、ラマディやバグダッドの政界エリートや治安部隊とのつながりを作りつつ、住民たちから信頼を得てきた。

    マハムディは、墓地に集まっていた人々から、男性たちに何が起こったかを聞き、一刻の猶予もないことを悟った。男性たちが連れ去られている時間が長くなればなるほど、彼らが生き延びる確率は低くなる。マハムディは地元の警察官と一緒に、いなくなった男性たちを必死で探し始めた。

    いなくなったうちのひとりは、マハムディの友人だった。43歳のナエマ・ナジ・ファイド・アリは、マハムディとかつて机を並べた級友で、教員として働く、家族思いの人物だった。マハムディによれば、ISが占拠していた間、町を解放しようとする親政府勢力に重要な情報を提供してくれていたという。「彼とは電話で連絡を取っていました」とマハムディは明かす。「ISの居場所と動きを教えてくれていたのです」

    多くの人は、すぐにシーア派民兵の仕業だと疑った。米国のイラク侵攻後に組織され、対ISの戦いによって力をつけたこれらの武装勢力は、多くの場合、イランから資金援助と訓練を受けている。彼らは、バグダッドの有力な政界関係者とつながりがあると豪語し、IS相手に共に戦う正規軍に対して、しょっちゅう威張り散らしていた。サクラウィヤの男性たちを連れ去った治安部隊の少なくとも一部は、最も悪名高いシーア派民兵組織のひとつ、「カタイブ・ヒズボラ」の兵士であると考えられた。

    マハムディは、地元や州、国中の知り合いに電話し、民兵組織のリーダーにも接触して、友人を含む行方不明の男性たちを見つけようとした。2日間必死で電話をかけ続けたが、成果は乏しかった。ほかの治安部隊に協力を頼むこともした。ここ2年間、ISと戦う中で、協力者であるシーア派民兵に憤りを感じている者も多かったのだ。

    ファルージャとその周辺地域は、反政府組織に対して特に好意的であることで知られている。バグダッドの政府関係者たちは、ラマディの住民や部族によるISへの抵抗作戦を歓迎する一方で、ジハーディストを招き入れてしまったファルージャの人々のことは非難している。

    「ファルージャは非常に特殊な地域です」。サクラウィヤの男性たちが連れ去られた事件について語ってくれたアンバル州の治安当局高官は、筆者にそう語った。「あの地域の人々は、何年もの間、戦ってきました。米国人に対してもです。だからイラクの人々は、ファルージャを特殊な目で見ているのです」

    時間切れになりつつあり、マハムディはますます不安を募らせた。だが、必死に電話をかけ続けて、ようやくイラク政府内の情報筋からある情報を得た。マハムディらは、行方不明者の一部が、ファルージャの南東、サクラウィヤから約32km離れたところにあるタリクの軍事基地に拘束されていると知ったのだ。こういった基地は、内務省やイラク軍、民兵組織ハシド・シャービの部隊がそれぞれ展開するもので、統制がとれているとは言いがたい。

    マハムディは、警察官など地元当局者の一団を集めて、基地に向かう部隊を組織した。

    マハムディは、死に物狂いで捜索する中で、連れ去られた町の男性達のほとんどが、自分と同じマハムダ部族に属するアルブ・カッシュ一族の人間であることを知った。他の治安当局者や研究者によると、特定部族を標的にするのは、ISが部族の分裂につけ込むやり口だ。ISは、自らの前身である「イラクのアルカイダ」にとっての敵に対して戦っていた一部部族に味方した。目下の懸念は、形勢が逆転して、ISが味方していた部族に、ISの標的にされていた部族が復讐するのではないかということだ。

    アムネスティ・インターナショナルが記録している例では、ISから奪取したモスル周辺地域のある村で、政府寄りであるスンニ派のサバウィ部族の一員が、敵対するスンニ派部族の若い男性や少年を棍棒や電気棒を使って殴ったり拷問したり辱めたりした。

    6月5日朝、マハムディと地元警察官の分遣隊は、基地に近づきながら、そこで出くわすかもしれない状況に備えた。

    マハムディらはすぐに、道端に投げ捨てられている4人の死体を発見した。何かがおかしいことを示す最初の兆候だった。「同じ部族の男性4人の死体が地面に転がっているのを見たあの悲しい瞬間は決して忘れられないだろう。棺にすら入れられていなかった」とマハムディは当時を振り返る。

    最初のうち、マハムディと同行の警察官は、基地に入ることを許されなかった。だが、バグダッドとラマディにいる当局者に電話しながら抗議し、制服姿の兵士たちを言いくるめて、ようやく検問所を通過することができた。

    一行は、サクラウィヤから拉致された男性達の様子を見て震え上がった。野外で檻に閉じ込められている者もいれば、基地内の狭い部屋に押し込まれている者もいた。BuzzFeed Newsがインタビューした地元当局者やヒューマン・ライツ・ウォッチが集めた報告によると、一行は番兵に対して全員を解放するよう要求し、多くの重傷者を近くの病院に送ることができた。

    「40人くらいの人たちが意識を失いかけており、かろうじて生きている状態だった。頭や鼻、耳を殴られていた。写真に撮って、国連に渡した」とマハムディは語る。

    ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「レイプや火傷、ナイフによる切り傷、殴られた痣など、拷問の形跡」だと主張した。

    サクラウィヤの墓地から連れ去られたひとりに、34歳の農夫マジド・ハミド・アブドゥーラがいた。後に、その日の出来事をBuzzFeed Newsに語ったところによると、最初は怖かったが、イラク軍の管理下なら安全だ、自分は何も悪いことはしていないのだから、と自分に言い聞かせたという。「イラク軍に受け入れられ、最初はとても良い扱いを受けた」とアブドゥーラは語る。

    だが、アブドゥーラは、事態は暴力と剥奪へと急変していったと述べた。「目隠しされ、見知らぬ場所に連れて行かれて手を縛られた」

    ヒューマン・ライツ・ウォッチと国連の調査報告によると、少なくともタリクの一部はシーア派武装組織カタイブ・ヒズボラの支配下にあった。他の区域はイラク軍の管理下にあり、スンニ派民兵組織や警察もいた可能性がある。

    基地にいた部隊は、拉致された男性達を、投降した市民扱いするどころか、サクラウィヤの住民がISに協力していたと確信していたようだ。ISは、2014年にサクラウィヤを占領した後、混乱した数週間のあいだに2度、町の隣にある軍の基地を包囲して占領した。それで、町の住民たちの忠誠心に疑念が抱かれたのかもしれない。

    制服姿の男達は、捕虜を怒鳴りつけながらも、サクラウィヤでの出来事を尋ねたり、IS支配下での行動を問いただしたりはしなかった。かわりに、160km以上北にあるティクリート市近郊のイラク軍基地「キャンプ・スパイカー」で起きた出来事の件で、罰を受けることになると告げた。前述のアブドゥーラと、部族長のシャイフ・アブドゥーラ・イスマイル・マクダフが集めた情報によると、キャンプ・スパイカーでは、2014年6月に1500人以上のイラク兵がISに処刑されたようだ。

    国連によれば、サクラウィヤから拉致された男性達は、空気のよどんだ小部屋に押し込められていたという。男性達は、棒やシャベル、金属パイプで1日に数回殴られた。アブドゥーラは、自分の人生は終わりに近づいていると恐れた。「自分は死ぬのだと確信した」

    別の被害者はヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、「大声でスンニ派を罵る」100人近くの番兵に数時間にわたって殴られ、その間に目の前で3人以上の男が死んだと述べている。

    「ひどい扱いだった。食べ物も飲み物もなく、自分の尿を飲む者もいた」。拘留されていた40代の男性は、アムネスティ・インターナショナルに対してこう語った。

    基地で見つかった男性達の名前を聞いて人数を数え始めたマハムディらは、約600人しか身元を確認できないことに気付いた。幼なじみを含め、少なくともあと643人がまだ行方不明だった。

    マハムディらは再び、バグダッドの当局者や議員、様々な治安部門の責任者と連絡を取り始め、行方不明者の居場所を突き止めようと、むなしく努力した。そのことは首相官邸にすぐに伝わった。首相はサクラウィヤの件も調査対象に加え、国連は独自調査を開始した。

    「最悪の事例のようだ。だが、これが初めてというわけではない」とアル・フセイン国連人権高等弁務官は言う。「政府軍とともにISと戦う非公認の民兵組織が絡むこうした事件は、これまでにも数多くあった」

    行方不明者たちに何が起きたのかを探ろうとしても、結局、明確な答えは出なかった。政府トップの関係者は、自分たちにはほとんどわからないと述べている。アンバル州のアハメド・アル・ジュマイリ副知事は、「ファルージャとサクラウィヤを解放した際に、一部の男性たちが行方不明になった」と語る。

    アル・ジュマイリ副知事は、首相直属の委員会のメンバーとして、サクラウィヤの件と、アンバル州で男性たちが行方不明になったり殺されたりした他の2つの事件を調査している。「これまでのところ、居場所はまったくわからない」

    一部のイラク当局者には、サクラウィヤでの出来事を矮小化する者もいる。アンバル州での大規模な虐殺と行方不明事件が報告されると、モスル内外で続く攻撃作戦への国内外からの支援と、シーア派が支配するイラク政府の支援が減ると心配したのだ。

    「何かが起きたのは確かだが、数百人規模ではない」と、シーア派議員で元国家安全保障問題担当顧問のモワファク・アル・ルバイエは言う。「行方不明者はおそらく10人か、20人、30人程度だ」

    だが、サクラウィヤの件で何より気がかりなのは、現在モスル奪還を目指して戦闘を率いている正規軍とスンニ派部族の民兵組織が、拉致に協力したか認識していたと思われる点だ、とイラク人たちは述べる。

    「サクラウィヤの件で恐ろしいのは、軍が関与していることだ」と、アンバル州のある治安当局者は匿名を条件に語った。

    サクラウィヤの一件は、部族間および地域間に潜む憎悪が、イラクのシーア派・スンニ派間の憎悪と同じくらい危険かもしれないことを示している。アンバル州のスンニ派の治安当局者と民兵組織のリーダー10人以上と話したところ、多くの者は事態を軽く見ており、疑われている大虐殺を正当化しようとする者もいた。

    アンバル州のスンニ派部族の民兵組織リーダーであるモハメド・アル・シャバーンは、「問題は、アンバル州の部族の半分がISに協力したことだ」と指摘する。サクラウィヤの行方不明者に何が起きたのかはわからないが、ISの支配におとなしく従った者には、たとえ同じスンニ派であっても同情しないという。

    「シーア派の民兵組織なら、拘束した者をその場で殺すかもしれない。だが、シーア派の民兵組織が50%の確率で相手を殺すとすれば、スンニ派の民兵組織は100%の確率で相手を殺すだろう」

    サクラウィヤで起きた拉致事件は、ISの打倒を試みる米国の次期政権が直面するかもしれない事態の陰鬱な前触れだ。イラクを再び崩壊させる危険を冒さずに、大規模展開する米軍の規模縮小を検討すれば、そうした事態に直面する恐れがある。国際社会の厳しい監視下にあっても、イラクという国は変わらない。

    正体不明の武装した男達が、何百人もの人々を消し去ることができ、部族間、宗派間の血の復讐が続いて、治安部隊と地元住民が互いに不信感を抱き、政治指導者を疑いの目で見ているのだ。アンバル州の多くの者は、サクラウィヤでの拉致事件について話そうとしない。少なくとも公には、つまり、治安当局者に聞かれる可能性があるところでは、報復を恐れて沈黙している。

    サクラウィヤでの出来事に、ひそかに注目を集めようとする者もいる。ある者はBuzzFeed Newsに対して、行方不明者の名前が記された集計表を提供した。国連やイラク政府、人権団体にも手渡された集計表だ。

    マハムディのように、大っぴらに話すのをいとわない者もいる。部族長のマクダフも、他の12人の長老を集めて委員会を設置し、集団拉致生存者の証言を集めてきた。600人以上の男性達が行方不明のままであり、これ以上失うものはほとんどないという現状なので、進んで公表するのだという。「拷問されたり行方不明になったりした者のうち90%は、私と同じ部族の者だった」とマクダフは語る。

    「恐れることはもう何もない。部族の者はみな、いなくなってしまったのだから」


    翻訳:浅野美抄子、矢倉美登里/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan

    この記事は英語から翻訳されました。