「見つけた遺体はみんな埋めた」モスル近郊、集団墓地の村の住人語る

    ISの残虐行為の証拠の、ほんの一部

    それは墓だった。土に掘られたひとつの穴だ。この小さなAl-Hudの村に住む人々は、そういった墓をいくつも知っていた。

    穴の中に横たわる男が死亡してから、すでに2年以上が経過していた。2014年の夏、元警察官のモーシンがこの墓を発見した時、遺体の外見はまだ損なわれていなかった。

    IS(イスラム国)がモスルを占有し、続いて南へと向かい、Al-Hudを通過し、バグダッド城門へと激しい攻勢をしかけていった後のことだった。その遺体は肌の色が白く、金髪だった。モーシンは、遺体を、ISがネット上で公開した残虐な動画の1つの中で処刑された、クルド人戦闘員のものだと認識した。

    モーシンは目にした光景を不快に感じた。「人間の死体じゃないか」。そして、シャベルを持って戻り、遺体に土をかぶせた。

    この恐ろしい作業は、その後、何週間も何か月間も繰り返されることとなった。 埃っぽい村に、数多くの墓が次々と現れるようになったからだ。墓は、まったく土で覆われていないものもあれば、少しだけ見えているものもあった。

    モーシンやAl-Hudの他の住民が遺体を見つけるのは、ウサギや鳥の狩りに出た時だ。モーシンは、過激派組織の支配下で急速に失われつつある人道のかけらを少しでも守るため、遺体を見つけるとシャベルを取りに家に帰り、また戻って、土をかぶせた。

    最初のころは、一つの穴に5人の民間人の遺体があった。それが、やがてすぐに7人へと増えたのを覚えている。15人見つかった穴もある。彼は、自分は全部で約30人の遺体を見つけたが、遺体を発見した人は他にもいるという。

    遺体の何人かは知っている村人で、他は見知らぬ人の遺体だった。「彼らが誰なのかは知らない。ヤジディ教徒かもしれないし、誰なのかはわからない」。そう語る彼は、安全上の理由で、苗字は表に出さないよう求めてきた。「見つけた遺体はみんな埋めた」

    Al-Hudはモスル奪還の攻勢により、今月に入ってすでにISから解放されたが、遺体の確認や発掘はまだ行われていない。行く手の道の先には爆弾が隠されている可能性があった。そのため、イラク軍がBuzzFeed Newsの記者2人に見るのを許可したのは、クルド人戦闘員の墓のみであった。

    村の周囲で見つかった集団墓地は、イラク軍兵士たちが重要なIS本拠地へと踏み入るにともない、目にしていくであろう残虐行為の証拠の、ほんの一部に過ぎない。「おそらくもっとたくさんあるだろう。 まだ見つけていないだけだ」と、車両を墓まで運転したイラク人兵士のアブドゥルサラム・バヤティは語った。

    石や、風で飛んできたゴミで覆われたクルド人男性の墓場は、IS支配下で人々が耐え忍んだであろう苦しみを暗示するものだ。荒地には墓の目印となるものは一切なく、イラク人兵士たちは、モーシンや他の地元の人の記憶を頼りに、現場へとたどりついた。現場を示すGoogleマップのロケーションピンを確認すると、単に「イラク、無名の通り」と表示されている。

    モーシンは、犬が墓を荒らしたため、何度も土で覆い直すした遺体が何体かあったと話した。そう語る様子からは、消えない恐怖感が垣間見えた。悪臭について牧羊者が苦情を言ったことが何度かあったたため、ISが一部の墓をブルドーザーで覆ったのだ、とモーシンは付け加えた。

    集団墓地は、モスル近郊以外では、シンジャル山周辺地域でみつかっている。シンジャル山周辺の被害者の多くは少数派のヤジディ教徒で、国連が大量虐殺と指摘する行為により過激派に殺害された。

    モーシンは、これまでに彼が土で覆ってきた遺体が正式な埋葬のため、掘り起こされる日を心待ちにしている。「これらは被害者の遺体です。彼らには家族がいます。家族のもとに戻ることができれば、彼らも安らかに眠ることができるでしょう」とモーシンは語る。「そして私も、安らぎを得ることができるでしょう」