戦火の中、IS支配下のモスルから脱出する市民たち

    「行き先はわからない」

    マームード・ハミッドとその妻は国際都市モスルで、公務員として穏やかに暮らしていた。だが、過激派組織IS(イスラム国)が2014年6月、モスルに侵攻した。それから2年以上が経ったいま、ハミッド夫妻は2人の幼い息子を連れ、スーツケースひとつで戦争で荒れ果てた街から逃れようとしていた。

    ハミッド一家は長い列をなして歩く多くのイラク人の家族とともに、イラク軍が占領確保したばかりの街路を、疲れ果てた様子で歩いていた。ISの迫撃砲弾が自宅の周囲に飛んでくるようになったため、1マイル(約1.6キロメートル)の距離を徒歩で逃げてきたのだ。

    息子2人は砲弾によるストレス反応を起こしているようだった。「息子たちは怯えている。精神状態は良くない」とハミッド。「ここにはきっと、迫撃砲弾は落ちてこないだろう?」

    街路を歩き続けたハミッド一家は、イラク兵が市民たちをトラックの荷台に乗せている場所に到着した。新たに設置されたキャンプへと向かうトラックだ。「行き先はわからない」とハミッドは言い残し、家族を連れて群衆のなかに消えた。

    ゴグジャリの郊外では先週、すみかを追われた市民たちが脱出する姿が、昼も夜も、繰り返す波のように続いていた。しかしこの脱出の「波」は、予想されるモスル市民の大量脱出のはじまりにすぎない。

    先週、イラク軍の特殊部隊が投入された5日間のあいだ、家を失い、戦火を逃れてきた住民たちの絶え間ない波が出現した。ゆっくりと歩みを進める彼らは、今後予想される市民たちの苦難を垣間見せている。

    ときおり、群衆とともに運ばれていく負傷者たちの姿がある。迫撃砲弾の犠牲になった女性が、意識不明のまま手押し車に横たわっている。仮設の診療所では、12歳の少年が、金属片が当たって負傷した胸の治療を受けている。彼らの住んでいた地区は、銃撃や迫撃砲弾、自動車爆弾、そして空爆に見舞われていた。

    「家のまわりのいたるところが攻撃されているんだ」。キャンプに向けて出発しようとしているトラックの荷台から身を乗り出しながら、ある男性はそう語った。

    ハミッドは、彼の住む街を襲った変化を言葉にするのに苦労していた。イラク第2の都市モスルは、かつては大学や古代遺跡、独特の料理などで知られていた。「モスルで起きたことを、どのように語ったら良いのか分からない」。兵士たちから煙草1箱を受けとり、火を所望しながら、ハミッドはそう語った。「なにしろ2年間のできごとだ。街にジャーナリストはいなかったし、外の世界に伝える手だてもなかった」

    ハミッドは、モスルの住民たちが耐えてきた恐怖の一端を伝えてくれた。何組もの家族がISに殺され、市民は人間の盾にされている。モスルに加えられたダメージは永遠に癒されないのではないか、とハミッドは心配している。一家がいずれ戻れるかどうかもわからない。「歴史ある都市であるモスルが、破壊されている。大学も、学校も、病院もなくなった」とハミッドは言う。「モスルが復興できるように、世界に支援をお願いしたい」

    アメリカの支援するモスル奪還作戦が始まってから1カ月以上が過ぎたが、イラク軍の前進は、モスルの東端までにとどまっている。イラク政府の推定によれば、無秩序状態に陥っているモスルには、100万人を超える市民が残されているという。その大半は、まだ今回の戦闘による被害を受けていないので、居住地区でのISの支配力が弱まれば、逃げ出すチャンスはまだあるはずだ。

    国連は今夏、モスルとその周辺での戦闘により、最大100万人の市民が家を追われるおそれがあると警告を発した。加えて、先月にモスル奪還作戦が始まるまで、イラク国内ではすでに320万人が住む場所を失っている。国連によれば、モスル奪還作戦開始後、これまでに5万4000人がすみかを追われているという。

    モスルの救援活動を監督するアメリカ政府関係者2人が、バグダッドからの電話取材に答えてくれた。数カ月前から「今年に限っては世界最大、長年のあいだでも最大級の人道的危機」とされる事態が予想されており、戦闘による市民の被害に対応するための取り組みが数カ月前から進められているという。

    「まだ初期段階だ」と、その関係者は語った。「イラク軍は一部の地区を奪還したにすぎない。今後の道のりは長い」

    いずれも匿名を条件に取材に応じたアメリカ政府関係者によれば、攻撃開始前にキャンプが設置され、さらにいくつかが現在建設中だという。物資も備蓄されている。アメリカだけでも、先ごろ年度末を迎えた2016年会計年度に5億1300万ドル(約590億円)をイラクの人道支援のために投じている。

    「少なくとも、我々には多少の準備がある」ともう一人の政府関係者は語っている。「モスルを逃れてきた人々を保護したい。彼らはすでに、ISのもとでじゅうぶんに苦しんできた」

    このアメリカ政府関係者はモスルの状況を「人質事件」に例えた。そして、市民が街を離れるのをISがしばしば妨害している、と指摘している。戦闘によりISの支配力が弱まれば、そうした地区に住む人たちも脱出するチャンスをつかめるはずだ。「市民の大多数は、意に反して街にとどまっている。逃げ出すチャンスがあれば、すぐにそうするはずだ」と、この政府関係者は言う。

    とはいえ、すべての住民が逃げようとしているわけではない。モスルに残る人々にも支援が届くようにしなければならない、と取材に応じたアメリカ政府関係者は語った。ISが一掃されたあと、自宅に戻る人々についても同様だ。だが、救助活動の関係者が危険な状況に置かれていることが、問題を複雑にしている。

    「ISはすでに、通常の人道主義に類するものは、全く考慮する様子がない」と政府関係者は語っている。「ISは赤新月も赤十字も認めていない。救助活動の関係者は、彼らにすれば、もうひとつの標的にすぎない」

    イラク軍にとって、人道面の影響への対応は、戦闘に伴うきわめて困難な課題のひとつになっている。現場の指揮官たちは、市民の犠牲を避けるための試みが進軍のペースを落としている、と述べている。その一方で、モスル奪還後にイラク政府がスムーズに街を統治するためには、市民の犠牲を最小限に抑えなければならない。

    モスルに展開するイラク特殊部隊の最高司令官で、モスル侵攻を指揮しているアブドゥル・ワッハーブ・アルサーディは、住民がモスルの悲運を政府と軍のせいだと考えるのは仕方がないだろうと語る。また、この地域に住む市民の多くが、キャンプへ逃げることを拒否しているとも述べている。そうした状況も、現地での軍の活動を難しいものにしている。

    「我々のためにも、彼らのためにも、住民が脱出し、戦闘終結後に帰還してくれることを期待している」と司令官は言う。「だが、難しいだろう。キャンプでの暮らしは、普通の暮らしではない。狭いテントのなかで、大勢の人たちとひしめきあって暮らす生活に、慣れている人などいない」

    モスル奪還作戦に複数の勢力が参加していることも、モスル市民が直面する選択をさらに難しいものにしている。アルサーディ司令官が率いるエリート特殊部隊は市民の生命を守る姿勢を示しているが、彼らは現地に展開する対IS連合の一部にすぎない。

    イラクのシーア派民兵組織も、モスル奪還に一役買う意欲を強く示している。しかし彼らは、ISから逃れてきたモスル周辺の市民に対して、拷問や虐殺を含む人権侵害行為を働いたことで告発を受けている。さらに、イラク連邦警察の制服を着た集団がモスル南部の村で、ISとの関係を疑われた住民を拷問にかけ、処刑したとの報告もあり、アムネスティ・インターナショナルが詳しい調査を求めている。



    ゴグジャリでは先週、戦闘を避けて街の中心部まで逃げてきた市民でさえ、時おりISの迫撃砲弾や銃撃の脅威にさらされた。近くで爆発があると、街路を逃げる市民は不安に足をとめるが、しばらくすると新たな切迫感を漂わせながらまた歩き始める。ルート沿いに存在するある家では、子どもたちが石の壁ごしに、すぐそばに落ちた迫撃砲弾から立ちのぼる煙を覗きこんでいた。

    キャンプへ向かう市民は、新たな不安に直面している。兵士たちの話によれば、イラク軍は市民のなかにISの紛れこんでいることを警戒し、ときおり男性市民に対してシャツをまくりあげるよう求め、自爆装置のついたベストを着ていないかどうかを確かめているという。

    キャンプへの移送をとりしきっているイラク軍大佐によれば、兵士たちはセンターで受け入れる大勢の市民の氏名を確認し、ISとの関係が疑われる者の名前が記載されたデータベースで照会しているという。大佐の担当する地域に逃れてくる市民の波は、その日の前夜は真夜中まで途絶えることがなかった。そして、夜が明けてからも1日じゅう続いているとのことだった。

    大佐が話していたちょうどそのとき、何人かの市民が集まり、次のトラックを出してほしいと訴え始めたが、兵士が待つように、と答えた。頭上で、イラク軍の放ったロケットが空を切りさく音が響いた。「あれが聞こえるか?迫撃砲を撃っている。あのうちのどれかが、あなたや家族の上に落ちるかもしれない」



    翻訳:梅田智世/ガリレオ、編集:Buzzfeed Japan

    この記事は英語から翻訳されました。