ナチス強制収容所の元看守、50年暮らしたアメリカからドイツへ送還

    ナチスの強制収容所で看守を務めた95歳の男性が、過去を隠して市民権を得ていたアメリカを退去させられ、受け入れを表明したドイツへ送還された。

    第2次大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったポーランドで強制収容所の看守を務め、終戦後にアメリカへ渡り市民権を得ていたニューヨーク在住の男性が、このほどドイツへ強制送還された。

    男性は95歳のジャキーブ・パリー氏。8月20日、パリー氏は移民税関捜査局の職員によって、ニューヨーク市クイーンズの自宅から車椅子で連行された。

    パリー氏は1943年、ドイツ占領下にあったポーランドのトラブニキ収容所で看守を務めた。アメリカ当局は10数年前から同氏の国外退去に向けて動いてきた。

    ジェフ・セッションズ司法長官はプレスリリースで「ジャキーブ・パリーはナチスに関わっていた過去を偽ってアメリカへ移住し、不正に市民権を得ていた。彼にはアメリカ市民権を得る資格はなく、この国にいる権利もない」と声明を出した。

    セッションズ司法長官は「残虐行為や戦争犯罪、人権侵害行為を犯した者にとって、アメリカが安住の地となることはない」とも述べた。

    パリー氏は1949年に渡米し、第2次大戦中はドイツで父親の農場や工場で働いていたと申告していた。

    2002年、ニューヨーク州東部地区連邦検事局がパリー氏の市民権取り消しを申し立て、2003年に市民権は剥奪された。2004年にブルックリンの移民裁判所が国外退去を命じ、翌年、パリー氏の上訴は棄却された。

    しかしパリー氏はその後も、移民が多く暮らすジャクソンハイツ地区の自宅で静かに暮らしてきた。アメリカ側が再三要求したが、ドイツ、ポーランド、ウクライナをはじめいずれの国も同氏の受け入れを拒んできたためだ。自宅近くでは追放を求める抗議行動も起きた

    リチャード・グレネル駐独米大使は電話取材に対し、米関係者がドイツ政府の新しい担当者と話し合った結果、ドイツでの受け入れが決まったと説明した。

    「法的な義務というより、道義的な責任から今回の判断になったそうです」

    パリー氏はドイツの市民権を持たず、ドイツ国内で戦争犯罪を問われ、起訴されることはないとみられる。

    トラブニキ収容所では、収容所が閉鎖された1943年11月3日に、子どもを含む約6000人のユダヤ人が銃殺された。生き延びたのはわずか2人だった。パリー氏はこの虐殺行為に直接関わってはいないが、収容者が逃げられないようにしており、結果的に多数の死につながっている。

    パリー氏はみずからの責任を否定し、ナチスに強制されて仕事をせざるを得なかったと主張していた。

    ナチスの戦争犯罪者を、現在の戦争犯罪法に基づいてアメリカで起訴することはできない。理由として、犯罪行為があった時点で同法が存在しなかった点、本人がアメリカ国民ではなく、行為が起きたのも国外だった点、犯罪行為の被害者がアメリカ国民ではなかった点が挙げられる。

    セッションズ司法長官によると、アメリカではこれまでに67人のナチス関係者が国外へ追放されている。

    司法省の人権・特別検察担当課長を務めるイーライ・ローゼンバウム氏は長年、ナチスの犯罪行為に関わった者を追い、裁きにかけることを職務にしてきた。パリー氏の国外追放についても長年働きかけてきた。

    ローゼンバウム氏は電話取材に対し、今回の国外退去処分は「今後、この文明世界においては、人権侵害を犯す者は必ずや捕らえられるという警告になります」と答えた。

    「今回の国外退去は、ホロコーストを二度と繰り返さないという誓いが単なるぼんやりした願いではなく、いつかそうした世界を現実のものにするための一歩になるかもしれません」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan