#MeToo 沈静化のアカデミー賞授賞式に拍子抜け。私たちは一体何に怒っていたのか?

    映画業界は#MeTooムーブメントを過去の出来事として置き去りにしたいらしい。映画を見るわれわれも同じ気持ちなのだろうか。

    結局、セクハラ問題に対する憤りは、怒っているあいだにすっかり収まって陽気な気分になっていた。この1年間、ドナルド・トランプの大統領就任、ハリウッドの著名プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインのセクハラによる失脚(偶然なのだが、同氏は昨今の強引なアカデミー賞獲得キャンペーンを始めた人物でもある)、両氏に対する怒りが爆発して大々的に広まった#MeTooムーブメントという一連の出来事を経験した結果、今年の第90回アカデミー賞ではここ数カ月の報道やインタビューで目にした生々しい感情の高ぶりを上回る光景が繰り広げられる、と予想した人もいただろう。しかし、米国時間3月4日の授賞式を見たところ、ほぼすべての出席者が黒いドレスやスーツで抗議の意志を示したり辛辣な発言をしたりした1月のゴールデングローブ賞から、アカデミー賞までのあいだに、何かが大きく変わったと確信した。

    アカデミー賞の受賞者たちは、全国レベルの問題と映画業界の出来事の両方について1年間を振り返ったものの、実は政治問題にあまり関心がないように見えた。もっとも注目に値する発言は親移民派のメッセージだが、いたって温和なもので、大統領政策への挑戦と読み取ることはほとんどできなかった。司会のジミー・キンメルは冒頭の挨拶で、立場をわきまえて切れ味鈍くセクハラ問題に言及し、ヒロインが活躍する「ワンダーウーマン」と黒人がヒーローとなる『ブラックパンサー』の記録的な興行成績に触れた。受賞者に対しては、「権利や待遇の平等といった大切な事柄を大勢の人に改めて気付かさせられる機会と場所が、みなさんに与えられる」とアドバイスし、スピーチを短くするよう釘を刺すジョークを交えつつ、「あなたが世界を変える必要はない」と話した。1つか2つ例外はあったものの、世界を変えようとした人はいなかった、といって間違いない。ハリウッドが熱狂し続けることなどそもそも期待していなかったが、これほど早く冷えてしまうとは、誰も想像しなかっただろう。

    アカデミー賞の最高峰である作品賞は、下馬評どおり、低予算で作られた人種問題がテーマの風刺映画『ゲット・アウト』と、怒りと復讐を際どく複雑に描いた『スリー・ビルボード』には贈られなかった。ドラマチックな賞イベントを演出する典型的なタイプの両作品は、映画業界の魂をかけた戦いの舞台でライバルと目されていた。しかし結局、作品賞のオスカー像は、第3の有力候補だったギレルモ・デル・トロ監督の神秘的なファンタジー映画『シェイプ・オブ・ウォーター』へ渡った。半魚人の男性とのセックスを含むストーリーが受け入れられると判断されれば、この作品は今回の賞レースでもっとも確実な選択肢だった。

    お望みであれば、今回の授賞式の光景を社会を前に進めるための団結へ向けた希望的なアクションだと呼ぶことはできる。『シェイプ・オブ・ウォーター』のストーリーはこうだ。唖者の女性、ゲイの男性、黒人女性、移民という社会の除け者が一致団結し、酷く悪化していくアメリカンドリームを体現した悪人の手から、囚われの生き物を解放する物語である。ここで描かれたものは、#MeTooムーブメントの騒動から断固として注目をそらせた授賞式にふさわしかった。その先には、映画業界の未来であり、ワインスタインの被害に遭ったアナベラ・シオラが感情の高ぶりで震えながら投げかけた、参加と意思表明を広く呼びかけるメッセージや、アシュレイ・ジャッドがスピーチで触れた、姿を見せ始めている「新しい道」がある。

    お行儀のよかった今回のアカデミー賞から見えるのは、ハリウッドが見苦しい暴露をすべて置き去りにし、そのまま前進し、ハリウッド独特の神話の作り手という居心地の良い環境へ戻ろうとしている姿勢だ。その点で、『シェイプ・オブ・ウォーター』が栄冠を手にしたことには、別の意味もある。この作品は映画を描いた映画であり、オスカーで常に好まれてきたタイプの映画である(例えば、第85回の『アルゴ』、第84回の『アーティスト』、昨年の第89回で惜しくも作品賞を逃した「ラ・ラ・ランド」)。ギレルモ・デル・トロ監督のこの映画には、過去の名作への眼差しがあふれている。ロマンティックな水陸両生の主役が誰もいない映画館の真ん中に佇み、目の前にあるスクリーンの映像を見て畏敬の念に打たれる印象的なシーンは、種を超越した映画の魔法だ。煌びやかに合成された1つ1つの映像と、夢の力と物語を伝えるパワーを前面に打ち出したスピーチから、映画業界が昨日まで自分たちのものだった魔法をどれほど必死に信じなければならないか、感じ取れるだろう。

    例えば、1月のゴールデングローブ賞でオプラ・ウィンフリーは、ためらうことなく、道半ばの取り組みに対する希望を堂々と語った。これに比べると、オスカー受賞者たちのスピーチは、感謝と驚きの気持ちを味わい深く表現していて、圧倒的に洗練されていた。長編アニメーション賞と主題歌賞に輝いた『リメンバー・ミー』の主題歌を作ったクリスティン・アンダーソン=ロペスのスピーチなどでは、すでに変化し始めているとの指摘が繰り返された(同曲の共同制作者で、夫でもあるロバート・ロペスのことを念頭に置いて、「私たちは多様というだけでなく、ジェンダーの面でもほぼ半々」と述べた)。そして、主演女優賞のフランシス・マクドーマンドは受賞スピーチの際、会場にいるノミネートされたすべての女性に立ち上がるよう促し、映画業界にどのような女性がいるのかを見せ、いかに女性が少ないか示した。マクドーマンドは、こうした女性たちの企画へ出資し、出演者やスタッフの多様性確保を目的とする契約条件「インクルージョン・ライダー」にこだわるよう聴衆に力説した。きっぱりと実践的な発言がなされたこの瞬間、授賞式の会場に存在した分裂を実感させられた。マクドーマンドは、ほとんどの人(そう、脚本賞のクメイル・ナンジアニ以外)が避けるなか、金の話をしたのだ。

    今年の授賞式には、進歩の総括と革新の自認という基本的な流れがあった。移民のジョーダン・ピール監督が『ゲット・アウト』でオリジナル脚本賞を取り、女性監督のグレタ・ガーウィグがノミネートされたことについては、とても胸が躍った。ところが結局、候補者たちに見られる硬直したジェンダーの差が指摘され、そのうえで変化に向けてのかなり具体的な提案をしたことで、パーティーの空気を壊してしまったようだ。マクドーマンドには、公の場で問題について話す段階は終わった、という方針を伝えるメモが渡されていなかったのかもしれない。おそらくマクドーマンドは、たとえ誰もが重要と認識していても、放置していたら簡単には状況が変化しないことを認めるべき、と感じたのだろう。そうでもしないと気にかけてくれないことを実行させるために、人々の背中を押す必要がある、と。それとも、もしかしたらマクドーマンドは、自宅で授賞式の中継を見ていた一部の人と同様、レイプ疑惑のあるコービー・ブライアントと家庭内暴力(DV)で元妻から告発されたゲイリー・オールドマンが受賞し、セクハラ疑惑のライアン・シークレストがレッドカーペットでレポーターを務めた授賞式にちぐはぐさを感じ、自分たちは本当に変化へ向けて前に進むことができたのか、半信半疑となったかもしれない。

    そもそも授賞式というものは、政治的なメッセージの発信に向いていない。注目される舞台が用意されるものの、業界が自分を褒めたたえる目的で開催する自画自賛イベントの顔も持つ。#MeTooが注目に値したのは、業界の出来事であったと同時に、広く浸透する運動だったからだ。ショービズ界で長く続いた不均衡な力関係によって生まれたムーブメントであり、粘り強い対話を誘発させることで、ハリウッド以外にも広く自省と変化の流れを波及させられた。その一方、#MeTooのこうした性質は、2018年のオスカーで見られた温厚さにすっかり落胆させられた要因でもある。#MeTooは、癒やし目的で発生したというよりも、自己防衛の本能から生じたムーブメントとしての一面がある。そして、激しすぎる怒りは、すでに距離を感じている人をさらに遠ざけてしまう危険と隣り合わせだ。

    映画を見るスタイルは、変わり始めている。アカデミー賞の脚色賞にノミネートされていたディー・リースが授賞式の前日、インディーズ映画に与えられるインディペンデント・スピリット賞の授賞式で話したとおり、ストリーミング配信へと移行してきた(ちなみに、リースは監督作品『マッドバウンド 哀しき友情』でインディペンデント・スピリットのロバート・アルトマン賞に輝いた)。リースはどのオスカー受賞者よりも力強いスピーチで、映画を見る技術的手段とかかわりなく存在する映画そのものの価値について論じた。もっとも、この映画の主要配給手段は、配信サービスのNetflixなのだが。かつてアカデミー賞で大きな領域を占めていた、中程度の予算で作られるしっかりした内容の作品は、今やテレビで見ることができる。ところが、映画スタジオの大多数は、アカデミー賞が渋々と映画配信技術の枠組みを取り払ってきた、興行向け大作の制作で消耗しているようだ。90年の歴史を持つオスカーの視聴率は下がり続けており、先行きの不透明さが目立った。チケットを買ってくれる人に繰り返し感謝する表舞台では、セレブが隊列を組んでぞろぞろ歩きながら、ディズニー新作映画『五次元世界のぼうけん』の試写会に来た何も疑わない参加者たちにホットドッグや綿あめを振る舞う、といった派手な演出が行われたりした。ところが、舞台背後の見えない場所では、このようなチケット販売は減ってしまうのではないか、という恐怖が渦巻いていた。

    昨年後半にハリウッドで注目された激しい怒りは、人々を刺激すると同時に、人々の心を遠ざけたのだろう。そして、後者に対する恐怖(それと同時に、極度の消耗)が、今回のオスカー授賞式に影響を及ぼしたのは明白だ。#MeTooそのものは終わらないだろうが、映画業界は今後の歩む道のりを隠すようになり、ワインスタインの持つ会社の身売りなどを都合のよい落し所とみなし、身をかがめてやり過ごし、世間の注目を映画自体に戻そうと必死だ。つまり、映画をスクリーンで見る観客により良い作品を届けることで、目を逸らさせようとしている。確かに、映画そのものに価値はあるが、そこにはこぼれ落ちてしまっているストーリーが必ずある。慣れ親しんだシーンの組み合わせで構成された映像を、ただのスクリーン上の出来事だと高を括ることもできるが、映画の魔法と同じくらい誤った神話がまかり通っていることを忘れないようベストを尽くすべきだ。●

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:佐藤信彦 / 編集:BuzzFeed Japan

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