8年前のあの日、消防団員として住民に避難を呼びかけていた父は、まだ帰ってこない。
震災直後、たくさんの人から寄せられた目撃情報は、どれも頼りにはならなかった。
東優希さん(仮名、21歳)は今、仙台の大学に通う。母親、祖母、そして弟と一緒に生まれ育った町を離れて避難生活を送り、3度の引越しをした。父は今も、行方不明のままだ。
「2533」という数字の重み
警察庁によると、震災と津波で行方不明となった人々は、2019年3月1日現在で2533人。
その2533人の一人ひとりに豊かな人生がある。そして、今もその人を想い続け、行方を案じる家族がいる。
「2533人」の1人である父への思いを、東さんに聞いた。
この記事では、とても1人の思いを伝え切ることはできないのを承知の上で。
そして、この記事を2533倍の長さにしても、いまも行方の分からない人々と、その家族の思いを伝えることは、到底できないのも承知の上で。
震災で生まれた「隔たり」
東さんの家族の間では、いつからか父についての話題がタブーとなった。
いまも家族や親しい人の間で「あの日」について語ることができない人々は、誰とも共有できない孤独を抱え続けている。
「まだ父が見つからないことを不安に思っているって、家族に知られたくないんですよ」
多くの人にとって誰よりも距離が近く、なんでも相談できる存在の代表格が家族かもしれない。だが、震災は家族の間にすら「隔たり」を生んだ。
東さんは慎重に言葉を選びながら、その「隔たり」を説明してくれた。
「私の中では骨も入っていないのに、なぜそこにお墓参りをするのかも理解できないんですよ。仏壇に手を合わせたところで、そこにはいない。魂入れをしたとか言うけど、そこにはいないじゃないですか。でも、まだそんなことを考えているのかって思われたくないから、拒まないようにしています」
なぜ、そこまで自分の気持ちを素直に伝えることがはばかられるのだろうか。
「距離が近いからこそ、今後があるからこそですね。近いからこそ喋りやすいではなくて、近いからこそ喋れない。これからもきっと一緒に生きていくので、まだあの子は…って思われたくない」
一緒に生活していて、ふとした瞬間に辛くなる。そんなときは自分の部屋やお風呂に籠って涙を流した。
幸せそうな家族が登場するドラマや保護者会に参加する友人の親を見て、羨ましく感じることもあった。「ないものねだり」とそのときの気持ちを彼女は表現する。
高校時代、父親の話題を振られたときに咄嗟に口をついて出たのは離婚をしたという嘘。父が「死んだ」とは言いたくない。きっと行方不明の父がいることを知れば、友人たちに気を使わせてしまう。彼女なりの噛み切れない思いが胸の内にはあった。
前へ進もうとする人と比べてしまう自分がいた
行方不明の父のことは、まだ大学の友人や知人に打ち明けることはできそうにない。そのため、この記事でも東さんのことは、本人と話し合ったうえで仮名にして個人を特定しうる情報をできるだけ削ぎ落としている。
「震災からもう8年と考える人もいれば、まだ8年と考える人もいる。もう8年も経ったと感じている人が私がまだ父親のことで悩んでいると知ったら、まだそんなことを言っているのかと思われそうで…」
震災報道のなかで前へ前へと進もうとする人のストーリーが紹介されるたびに、どこかで比べてしまう自分がいる。なぜ、私は前へ進めないのか、後ろを振り返ってばかりいるのだろうかと。
「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんを震災で失った後輩がいるんです。残ったのは彼女と弟だけ。その子のことを考えたら、父親ひとりを失っただけって言うとおかしいですけど…そんな自分が被害者面をするなんて申し訳ないじゃないですか」
悲しいならば悲しいと、辛いならば辛いと、寂しいならば寂しいと口にすることは誰にでも許されるはず。だが、彼女は身の回りの人が抱えた喪失を目の当たりにして口を閉ざすしかなかった。
「行方不明」と向き合う
大学では、震災に関するフィールドワークとインタビュー調査を行うゼミに所属している。インタビューを行う上で、自分自身の過去と向き合うことは避けられない。
取り組むテーマは「行方不明」だ。
辛い過去とあえて真正面から向き合うことを、彼女はあえて選んだ。その選択の裏には「震災を引きずっていたい」という思いがある。
きっと、震災で父を失ったことを忘れる日が来ることはない。それでも、自分の中のどんなに小さな記憶も消したくなかった。
フィールドワークの一環で、自分と同じように行方不明の家族を持つ者へのインタビューを2度行った。心のどこかに、自分と同じようにあの日の出来事を引きずっている人の声が聞ければという思いがあったと東さんは明かす。
「自分だけが置いてけぼりになってしまったと感じてしまうこともあるので…諦めきれないことへの同意を求める気持ちがありました。インタビュー相手の言葉の中に答えを求めてしまっているんだと思います」
たとえ、生まれ育った街へ物理的に戻ったとしてもあの頃の楽しかった日々が帰ってくることはない。だからこそ、彼女は震災前の日々に思いをはせ、そこにたしかに存在していた生活との接点を持ち続けようとする。
いつかは笑顔で語れるように
8年がたち、東さんはこれから先、父を失った事実とどのように向き合っていくのだろう。
「たぶん帰ってきて欲しいと言うべきだと思うんですけど…」と苦笑しつつ、彼女の口をついて出てきたのは「父が見つかって欲しいとは思わない」という言葉だった。
最初に父の死を意識したのは、震災から数ヶ月後に警察署でDNA鑑定を行なったときのことだった。鑑定の結果、その人は父ではないという結果が出た。
それ以来、頭の中では父親の「死」を理解してはいる。それでも、本当に遺体が見つかれば、今度は半ば強制的にその現実を受け入れなくてはいけない。
東さんがインタビューした行方不明者の遺族は昨年12月、7年間帰ってこなかった妻との再会を果たした。
もしかしたら、次に見つかるのは自分の父かもしれない。そんな現実を目の前で突きつけられ、怯える自分がそこにいた。
以前は父のことを考えただけで涙が溢れて止まらなかった。でも、少しずつ、父との思い出を語ることができるようになりつつある。最近は父の話題を家族へ振ることも増えてきた。
「この前、数年ぶりに父の友人に会ったんです。その人に、笑い話にしてやった方があいつも喜ぶよと言われて、楽しかった頃の思い出も喋れるようにならなきゃなって思ったんです」
「まだ父のことを思い出すだけでダメなときはダメ。でも、泣いちゃダメなんだって我慢する自分がいなくなればいいなって」
BuzzFeed Japanでは、あの日から8年を迎える東日本大震災に関する記事を掲載しています。あの日と今を生きる人々を、さまざまな角度から伝えます。関連記事には「3.11」のマークが付いています。
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