10歳のサトシに大人二人が学ぶこと

    「ネガティブ」とか「陰キャ」って、客観的っていうか冷静なだけだと思うんだよね。

    クラスの中心にはいられなくて、友だちがあまりいない陰キャ。キラキラしている人が羨ましいと思いつつ、そっちにはいけない。

    ヒャダインさんと栗原類さん。この2人はスクールカースト下位として暗い学生時代を送ってきた。

    大人になってから出会った2人は、共通の趣味であるポケモンを通して深い友情で結ばれている。年齢こそ離れているが、大切な友だち同士だ。

    陰キャである2人に、根暗な大人の生き方について話を聞いてみた。

    青春って何歳からでも味わえるんだな

    ――お二人は、どうやって仲良くなっていったんでしょうか?

    ヒャダイン:ポケモンですね。『ポケモンの家あつまる?』(通称「ポケんち」)で共演させてもらってるっていうのがあるのですが、14歳くらい離れているけど、年齢差を感じたことないよね。ご飯を食べに行っても3時間くらいポケモンの話してる。

    栗原:そうですね。このポケモンのここが好きっていう話で人間性もわかりますからね。平成最後の夏は、ポケんちのメンバーでポケモンのリアル脱出ゲームに行きましたからね。

    ヒャダイン:走り倒して。笑って悩んで汗かいて。

    栗原:学生時代に味わえなかった青春を体験した感じでしたね。

    ヒャダイン:青春だったよね。我々は残念ながら10代に青春はなかったけど。このタイミングで青春が来た。

    栗原:青春って何歳からでも始められるんだなって。学生時代って人間関係が狭い分、空気を過度に読まなきゃいけなかったり、周りには理解してもらえなかったり、自分しか感じられないような悩みや痛みがありますからね。

    ヒャダイン:学校ってただの寄せ集めだからね。でも大人になってから周りに悪い人がいなくなった。どうしたんでしょう? 駆逐されたのかな? 大人は自分で人間関係を選べて楽だよね。

    主人公なのに負けるサトシ

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    1997年から放送がはじまったアニメ『ポケットモンスター』。今からでも追いつけるYouTube動画が公開された。栗原さんによる熱のある解説がわかりやすい。 / Via youtube.com

    栗原:SNSとかオフ会とかあるし、趣味で繋がるって大きいんですよね。僕は、学校に馴染めなかったんですけど、支えてくれたのがポケモンだったのかなって思います

    ――支え?

    栗原:中学生のとき……2006年くらいかな。『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』で初めてインターネット対戦ができるようになって、Wiiの『ポケモンバトルレボリューション』でも同じことができるようになった時期だったんですね。

    それで、学校外の世界中のポケモンファンの人たちと一緒にゲームをしたり、YouTuberの人と対戦したりもして。

    リアルな世界ではないところでポケモン好きの人たちとコミュニケーションがとれたので、つらい学生生活を乗り越えられたのかなと。

    ヒャダイン:それちょっとサトシイズムっぽくない?

    栗原:いやいや。

    ヒャダイン:サトシって主人公なのに定期的に負けるんですよね。ピンチになっても、主人公だから「どうせ最後は勝つんでしょ」と思うけど、負ける(笑)。

    栗原:確かに。1シーズンごとに必ず1回ぐらいの頻度で、ジムバトルとか大会で負ける。でも、そこでちゃんと葛藤するし、成長するし、また旅に出る。

    ヒャダイン:腐らないよね、サトシさんは。

    栗原:アニポケを観てきた人でサトシの美学に影響された人もいるかもしれない。不屈の闘志みたいな。

    ヒャダイン:アニメのポケモンってトレーナーも一緒に傷つく点が共感してしまうんだよなぁ。バトルって、ポケモン同士が戦うわけだから、ポケモントレーナーって傷つかないはずじゃないですか。でも、ピカチュウが傷ついたらサトシも痛がるんですよ。これが自分にもすごく重なるところがある。

    ――どういうことでしょう?

    ヒャダイン:僕は楽曲提供をしているから、アイドルちゃんたちは僕の曲をもって戦ってくれているんです。僕はステージには立たないけれど、なるべく一緒の気持ちでいたいし、戦いたいし、彼女たちが傷ついた時は一緒に傷つこうって思う。ポケモンイズムはいろんな人に影響を与えてるよね。

    ヒャダイン:アニポケは子どもが観ても楽しいし、大人が観たら違う捉え方もできる。子どもたちが楽しんでる様子を見て自分たちの幼少期を思い出したり、今の自分に投影したり。

    そもそも、「子どものモノ、大人のモノっていう区分は誰が決めたんだろう?」っていつも思ってる。

    栗原:その言葉、僕が10代の頃に知りたかった……。変な話、成長期になるとポケモンとかアニメそれ自体から離れる人もいて。時代もありますけど、10代の時は学校にポケモンの話をできる人が周りにいなくてつらかった。「子どものモノ」と決めつけるのは、もったいない。

    ヒャダイン:結果的に今、ポケモンを通して皆繋がって楽しくワイワイしてるしね。大人だけど。

    「陰キャ」「ネガティブ」は悪いことではない

    栗原:ポケんちに初めて出演させてもらったとき、うまくやれるか心配だったんですね。でも、スタッフさん含めてその場にいる人たちが「ポケモンが好き」っていう共通事項があったので、素に近い自分でいられました。

    ヒャダイン:そういえば最初は「ネガティブモデル」って言われてたよね。最近、あんまり聞かなくない?

    栗原:確かに……「ネガティブモデル」っていうのは、覚えてもらいやすいようなキャッチフレーズだったと思うんですけど、ポケんちでは一回も「ネガティブ」って言われたことないですね。テロップでもない。

    ヒャダイン:「ネガティブ」とか「陰キャ」って、客観的っていうか冷静なだけだと思うんだよね。

    栗原:用心深いだけです。

    ヒャダイン:そうなんですよ。「プランA」がダメだったとき用の「プランB」を考えてる、用意周到な人間なだけなんだよね。それを否定されたら元もこもないよね。

    失敗した時のことを考えてなかったら、本当に怪我した時に大怪我ですよ。失敗しても致命傷にならないよう、傷が深くならないようにプランBを用意しているだけ。

    栗原:そう、痛い目にあうのは自分だから。

    ――陰キャっぽさやネガティブ性は誇れる点でもある? 

    ヒャダイン:陰キャが無理やり陽キャになることほど悲しいことはないですからね。ポケんちで「Let's陽!ヒャダイン」というコーナーがありまして。無理やり陽キャラになった僕を見せしめのようにこすり倒してるんですけど(笑)、出演者のみんなで『めざせポケモンマスター』の替え歌を歌った時、「きのうの陰はきょうの陽」という歌詞に思わずグッときてしまったんです。

    ――どういう意味なのでしょうか?

    ヒャダイン:鬱屈の思いや羨望の眼差しって、いつか絶対に明日の陽にはなると思うんです。つらいかもしれないけれど、何かしら意味がある。無理やり陽キャにならなくてもいいけれど、もがく気持ちだけは持っていると、いつかいいことがある。

    ヒャダイン:でも、陰キャであることは何も問題ないけど、人に迷惑かけるのはよくないと思う。人見知りで「私は話せません」と言って周りの人に不愉快な思いをさせるとか、場の空気を異常なまでに乱すとか。それは陰キャじゃなくて、ただのわがままな人だよね。

    栗原:妥協ラインがありますよね。

    ヒャダイン:そう、妥協ラインを見つけて人を不愉快にはさせないようにする。陰キャのままでいいけど、社会性は持った方がいいと思う。

    栗原:「陰キャの何が悪い」っていう。陰があるから陽があるわけですし。対人関係上、ネガティブなのは良くないと言われるかもしれない。でも、他人から自分のパーソナリティをどうこう言われても信念を曲げるのは良くないと思うんです。

    確かに、暗い性格を「直したほうが良い」と言われたこともありました。でも、変に自分を変える必要はないと思うんです。だって自分は自分。周りにどうこう言われたら「そうですか」って受け止めればいいと思います。

    ヒャダイン:僕も類くんと同じ意見だけど、自分が今学生の身でこの話聞いたら「強者の意見」って思わなくもない。才能ある人はいいな、みたいな。

    栗原:僕は才能ないですよ。ヒャダインさんは才能あるけど……。

    ヒャダイン:僕も自分が才能あると思ったことは1回もない。ただやり続けただけ。

    栗原:才能って要は努力なのかも。好きなことに対して努力する。僕の場合、勉強はできなかった分、芝居だったり仕事だったり。好きなことで努力できなかったら、いつ努力できるのか。

    サトシって10歳じゃないですか。10歳でいろんなところを旅して、自分の好きなことのためにいろんなものを吸収したり勉強したりしている。僕、10代の頃にもっと勉強しとけばよかったなって後悔してるんですよね。だから、最近は古典とか本を読むようにしてるんです。正直、魅力がわかりかねるときもあるけど、やっぱり役者もやるからには努力したい。

    ヒャダイン:本当だよね。好きなことに頑張れなかったら、お前の人生何に努力するんだよってなる。

    栗原:努力は必ず通らなきゃいけない道なので、自分が本当に好きと思えることに120%以上注ぐのがいいと思います。