飢えた赤ちゃん 銃を突きつける子ども 日本人が見たイエメン危機

    2000万人が食料不足に苦しむ国で、人々に食を届けようと奮闘を続ける日本人の国連スタッフがいる。

    「止まれ」。検問で銃を担いでいた兵士は、明らかにまだ幼かった。戦争さえなければ、普通に中学校か高校に通っている年代だ。「子どもが戦争に動員されてる」という情報は、本当だった。

    世界食糧計画(WFP)のイエメン事務所で働く山崎和彦さん(55)は2018年11月、中東のイエメンの首都サナアから、西部の港町ホデイダに向かっていた。

    イエメンでは2015年から、サウジアラビアなどの連合軍に支えられたイエメン政府軍と、イランが支援する反政府軍の間で、激しい内戦が続いている。

    山崎さんの仕事は、内戦によって引き起こされた食料危機にあえぐ人々に、食料を届けることだ。

    しかし、イエメンの主要港湾の一つで、WFPも食料の陸揚港としているホデイダまでの道のりは、厳しかった。

    約20カ所にわたって「子ども兵士」が銃をぶら下げた検問が設けられ、そのたびに書類を出して説明した。戦闘の激しい地域を迂回しながら険しい山岳地帯を走り、ホデイダまで通常の倍近い6時間かかった。

    人口の7割に食糧危機

    検問を設けているのは、主に「フーシ派」と呼ばれるイスラム教シーア派の組織がつくる反政府軍。サナアからホデイダにかけてのほとんどの地域は、反政府軍が支配している。

    イエメンでの山崎さんの仕事は、物流を整備して人々に食料を届けること。この国では今、人口の7割に当たる2000万人が食糧危機に陥っている。うち約24万人は緊急支援がなければ生命の危機に瀕する状況だ。

    現場で人々を支える山崎さんが一時帰国し、BuzzFeed Newsの取材に応じた。

    移動にも上空を支配するサウジ軍の「許可」が必要

    国連職員であっても、車で移動するためには、まずサウジアラビアを中心とする連合軍に行き先と経路、車の種類とナンバーなどを事前に連絡し、「許可」を取る必要がある。

    地上は反政府軍の支配が続いていても、その上空はサウジやアラブ首長国連邦の戦闘機が飛びかい、制空権を握っている。戦闘機から撃たれないためには、事前に連絡を入れる必要があるのだ。

    貧しい人ほど犠牲に

    ようやく山崎さんがたどり着いたホデイダの街は、ゴーストタウンのようになっていた。逃げられる人はすでに逃げ、残っているのは、避難するあてやお金のない人たちだけだった。

    戦争は社会のさまざまなセーフティーネットを剥ぎ取り、貧富の差を残酷なまでに拡大してみせる。貧しい人ほど、社会的に不利な立場に置かれた人ほど、より危険に直面し、犠牲になりやすい構造があるのだ。

    空爆と地上戦が日を増すごとに激しくなり、山崎さんがWFPの事務所にいると、頻繁に轟音や銃声が聞こえた。宿舎から数百メートル先に爆弾が落ちた。基幹病院のある地域の周辺でも、戦闘が起きた。

    忍び寄る飢餓

    2018年12月にスウェーデンで各派の協議が行われ、ごく一部での停戦が決まったが、全体の状況は改善していない。そこに忍び寄っているのが、飢餓だ。

    その惨状は、山崎さんのようにイエメンで働く外国籍の国連職員の目にもなかなか入らないのが実態だという。

    というのも、激戦地や険しい山岳地帯の奥など、食料などの支援を届けるのが難しい地域ほど、被害は深刻だからだ。

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    WFP / Via youtu.be

    WFPのビーズリー事務局長が2018年11月13日にホデイダを訪問した際の報告映像(英語字幕)。この日は国連から各派への要請もあり、市内での戦闘はやや下火になったという。

    保護者がミルク代も出せないほど困窮しているため重湯しか与えられず、栄養失調に陥る赤ちゃんが相次いでいる。

    緑豊かな「幸福のアラビア」が

    イエメンはアラビア半島の南西端にある。

    北部や西部などは山岳地帯が広がって降水量が多く、農業が営まれてきた。サウジアラビアなどに広がる砂漠地帯と異なり気候面で恵まれていることから、古来「幸福のアラビア」と呼ばれてきた。

    とはいえ、近年は増える人口に食料供給が追いつかず、多くを輸入に頼ってきた。その物流が戦乱で寸断され、各地で飢えが広がっているのだ。

    ホデイダは、同国最大の港湾の一つ。WFPもそこから食料を運び込み、倉庫に備蓄してきた。コンテナの陸揚げ施設がすでに破壊されているため、バラ積みでしか運び込むことはできない。

    イエメンには、独特な石焼き鍋の「サルタ」など、豊かな料理の伝統があるが、それを人々が楽しめる日々は去って久しい。

    WFPは一世帯(6人)あたり毎月75キロの小麦粉や食用油、豆類などを支給し、生命を維持するための基本的な食料補給を続けている。

    イエメンで内戦が終わらない理由

    1960年代にも南北内戦が起きたイエメンでは、長く政情不安が続いてきた。

    再び内戦に転落したのは、2015年のことだった。

    国民の4割を占めるシーア派の武装組織「フーシ派」の民兵が、首都サナアの大統領官邸を占拠して政権掌握を宣言。その後も支配地を広げ、イエメン政府軍との内戦となった。シーア派の間では、中央政府に不当に虐げられているという感情が強かったのだ。

    フーシ派には、同じシーア派のイランが支援した。ミサイルなどの兵器も供与しているとみられる。それに対抗し、サウジアラビアなどがイエメン政府軍に付いた。状況の悪化に、サナアにある日本大使館も閉鎖されている。

    同じイスラム教でも宗派の異なるスンニ派の「盟主」を自認するサウジは、、シーア派大国のイランを最大の敵とみなしている。そのイランが、国境を接するイエメンに地歩を築くことは許せない。それが介入の最大の理由だ。

    そして、イエメン内戦への介入を主導したのは、国防相でもあるムハンマド・ビン・サルマン皇太子だ。

    封じ込められた疑惑と国際社会

    ムハンマド皇太子は、2018年秋にサウジのイスタンブール総領事館で起きた反体制派ジャーナリストの殺害を指示したのではないかとの疑惑が浮上した。しかし、サウジ国内では「側近の暴走」として側近らだけが訴追された。

    米国のトランプ大統領も皇太子の関与に関しては不問に付した。トランプ氏が、サウジの膨大な石油資源と資金力の前に目をつむったのではないかという疑いは、拭えていない。

    イエメン内戦も、サウジとアラブ首長国連邦という石油大国が政府軍を支え、米国と対立を続けるイランがもう一方を支えているだけに、米国も「テロ対策」の名目で一部で空爆を続けるほかは、停戦に向けた大きな動きを見せていない。

    こうして、イエメンの国内はズタズタになった。そして忍び寄ったのが、飢餓だ。

    国際社会が無関心を続ければ必ずしっぺ返しが

    イエメンの内戦は、日本人からすれば、遠い地で行われている戦争なのかもしれない。だが、現代の戦争は直接、間接的に何らかのかたちで私たちの暮らしにも必ず影響を与える。

    1990年代、内戦と混乱が続くアフガニスタン情勢に、世界は手をこまぬいた。その間に、アフガンで勢力を広げた勢力がいた。国際テロ組織アルカイダだ。

    2001年9月11日、ニューヨークやワシントンなどでビルに飛行機を突っ込ませる大規模な同時多発テロを行った。日本人も犠牲となり、それ以来、世界情勢は大きく変わった。

    日本も他人事ではない緊急支援

    日本人にとって、WFPの食料支援は決して他人事ではない。

    2016年に熊本地震が起きると、急きょ当時勤務していたアフガンから熊本に飛び、食糧支援を行っている。日本で今後、支援が必要な災害が起きる可能性は否定できないのだ。

    日本政府は、イエメン支援には比較的、積極的だ。2018年はWFPを通じて17億円の支援を表明した。

    WFP / Via Facebook: WFP.JP

    熊本地震の被災地で活動する山崎さん。

    イエメンでの勤務は過酷だ。あまりにも危険なため、宿舎と事務所以外に出かけることはできない。世界遺産のサナア旧市街の町並みを見ることもできない。

    それでも、放置すれば人々の命が失われるだけでなく、日本を含む国際社会もいつか、しっぺ返しを受けかねない。その思いを胸に仕事を続けている。

    イエメンにはすでに、アルカイダ系の「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」や、「イスラム国(IS)」の支部が主に政府軍の支配地域で影響力を広げている。

    山崎さんは言う。「私たちはギリギリのところで踏ん張って支援を続けている。状況がこれ以上悪化すると、食料を届けることができなくなってしまう。関心を持ち続けてほしい」