銃乱射を二度と起こさないために。立ち上がった高校生たち

    事件からわずか数日後、生き延びた高校生たちは仲間の自宅に集まり、革命を起こす準備を着々と整えていた。#NeverAgain

    米フロリダ州パークランド— 2月18日日曜の夕刻、キャメロン・カスキーさんは、マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校からそう遠くない公園にあるピクニックテーブルにもたれながら、しばし思いを巡らせていた。14日に発生した同校での銃乱射事件で、クラスメートや教師ら17人が死亡し、14人が負傷した。

    カスキーさんは疲労困憊していた。事件以来、ざっと計算すると、すでに50件以上のインタビューに応じている。全ては彼と仲間たちが立ち上げた、銃暴力に反対する運動を広く伝えるためだ。自分たちが通う学校で起こった惨劇の直後から、彼らはこの運動をスタートさせた。

    「私たち生徒、学校全体にとって、1つの目標が必要でした」と、カスキーさんは語る。みなが悲しみに打ちひしがれるなか、彼は友人たちと同じ目的を共有するために、グループを作って結束しようと考えた。

    グループを率いるカスキーさんはまだ17歳。新しい運動「Never Again(二度と起こすな)」の名前を思いついたとき、彼は『ゴーストバスターズ』のパジャマを着ていたそうだ。

    事件からわずか数日ながら、生き残った高校生たちはプレジデンツ・デー(大統領の日)の週末にかけて、集会の先頭に立ち、新聞に論説を寄稿し、各局のニュース番組に出演するなど、あらゆる手段で銃規制のための行動を訴えた。もう彼らの存在は無視できないものとなっている。

    そんな彼らも、素顔はやはり子どもだ。両親と暮らす仲間の家に集まると、みなで輪になり、ベイクドパスタを食べたり、ツイートを送り合ったり、自分たちの投稿をシェアしてくれたセレブを確認し合ったり。笑い、涙し、ザ・キラーズの『Mr. Brightside』を聴いていたかと思えば、今度はビジネス然とした議論を交わす。取り組むべきことは山のようにあり、電話はひっきりなしに鳴っていた。

    18歳のソフィー・ホイットニーさんは、「十分な睡眠はとれていますが、昼夜やることに追われています」と語る。彼女の計算では、48時間のうち7割を、取材対応に費やした。「慣れていないので大変ですが、必要なことだと思います」

    ホイットニーさんはBuzzFeed Newsに、「連邦政府が、何かしらの進展を示さない限り、学校に戻る気にはなれません」と話す。グループの他の生徒たちも同じ意見だ。両親はなんと言っているのか、ホイットニーさんに尋ねると、「親とは、このことについて話し合っていません。でも、なんとか説得するつもりです」と答えた。

    20日火曜、高校生たちはフロリダ州の州都タラハシーに向かう。銃規制に関する法律の改正を求めるためだ。21日水曜の夜は、彼らが国会議員たちと対話する特別集会をCNNが放送する。また、3月24日には、銃規制強化を求める全米規模の抗議行進「March for Our Lives」を敢行する予定で、彼らはこのデモを、自分たちの運動を公に宣言する場にしたいと考えている。

    グループの大半は、マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校の演劇プログラムに参加していて、お互いに以前からの顔見知りだ。しかし、事件後の混乱のなか、彼らは当初バラバラに行動を開始した。

    17歳のデヴィッド・ホッグさんは、銃撃犯から身を隠している間、クラスメートたちにインタビューした。事件翌日にはテレビ出演し、国に対して銃規制への具体的な行動を嘆願。CNNのインタビューに、「お願いです! 私たちは子どもだけれど、あなたたちは大人なのです」と語りかける彼の姿は、全米に放送された。「動いてください。みなさんで協力して、政治に変化を起こしてください。何か行動してください」

    しかし残念なことに、実際にすぐさま行動を起こしたのは学生たちの方だった。

    カスキーさんは事件直後、ほんの数人とグループメッセージを始めたが、メンバーの数はすぐ19人に膨れ上がった。そのうちの1人はウェブサイトを立ち上げ、また別の1人はロゴをデザインした。「私も、グループが立ち上がった1時間後からチャットに加わっています」と、ホイットニーさんは語る。「キャメロンは何か行動しなければと、居ても立ってもいられなかったんです。ただ、1人では変化を起こすことはできません。組織化する必要があるのです」

    17日土曜、彼らは各自分かれてテレビ出演し、できる限りのインタビューに応じた。

    フロリダ州フォートローダーデールでの集会で、エマ・ゴンザレスさんはトランプ大統領と全米ライフル協会(NRA)を非難する力強いスピーチを披露。この動画はインターネット上に瞬く間に拡散され、世界中の何百万という人々がこれを視聴した。「投票によって選ばれ、権力を与えられた政府の人々が、私たちを欺いています」と、彼女は涙を流しながら群衆に訴えた。「そして、そのことに気づき、いい加減にしろと叫ぶ覚悟ができているのは、どういうわけだか私たち子どもだけなのです」

    日曜の夜には、彼らの名前や運動は世界中でトレンドワードとなり、学生たちは仮の「本部」であるリビングルームに集結した。彼らのうちの何名かは、学校でリーダー的な肩書きを担っており、委員会や会議を進行することに長けている。(ツイッターには、ゴンザレスさんを大統領に推す人々の書き込みが寄せられたが、私はすでにトップに就いていると、彼女はジョークを飛ばした。事実ゴンザレスさんは、学校の「ゲイ・ストレート・アライアンス」というセクシャル・マイノリティを支援する学生クラブのトップを務めている)

    リビングルームは十分に広かったが、学生たちは絨毯の上で顔を寄せ合い、さまざまな決定事項を確認していった。インタビューの日程確認のため、メディアから電話がかかってくると、ときには通話を一旦保留にし、グループでスケジュール調整して対応した。その様子は、何年も前からこの作業にあたっているような熟練ぶりだった。

    時折、彼らは事件のトラウマに襲われることがあった。あの日、学生の1人は一時的にパニック発作に襲われ、別の学生は数時間後に床に倒れるように泣き崩れた。

    17歳のジョン・バーニットさんは、クラスメートたちが「事件現場からできるだけ早く逃げられるよう、バックパックを投げ下ろして、サンダルを脱ぎ捨てた」様子を、今でもはっきりと覚えている。彼がもう大丈夫だと気づいたのは、目に涙をためて無事を祈っていたと思われる母の顔を見つけたときだった。

    グループのほかのメンバーたちと同様、カスキーさんにとってこの運動は悲しみに立ち向かう手段となっている。「事件にまつわるおぞましい感情や記憶が、最悪のタイミングでまざまざと蘇ってくるのです」と、カスキーさんはBuzzFeed Newsに明かす。

    そんなとき、彼らは合言葉を唱え、この運動は同じ学校に通っていた生徒たち、バレンタインデーに命を落としたクラスメートたちのためなのだと、お互いに確認し合った。ほかの「子どもたち」を同じ目に遭わせたくない、と話す彼ら。その口ぶりは、まるで自分たちはもう子どもではないかのようだ。

    スーパーで購入した複数のホワイトボードには、1週間先のスケジュールがみっちりと書き込まれている。ボード上では、その週の役割がメンバー毎に割り振られ、緑のテープで日にちが分けられている。主要テレビ局各社とのアポイントメントは、葬儀の合間に組み込まれている。

    ほかのメンバーが電話応対しているなか、フロリダ州タラハシーでの集会の準備を担当する17歳のジャクリン・コリンさんは、プレスリリースを作成していた。しかしプレスリリースも彼女にとっては、「小論文」の一つでしかでないようだ。学生たちは、フロリダ州の検事総長、下院議長、また上院議長と対面する予定だ(フロリダ州リック・スコット知事も学生たちと会うと、州知事事務所が20日、BuzzFeed Newsに語った)。最終プレスリリースで、コリンさんは「ご留意ください。これは国家レベルの重要行事です」と強調した。

    夜10時を回る頃、心配した親たちからの電話が鳴り始めた。メンバーのうち、ある少女はもっと早い時間に帰宅すると、親に約束していたようだ。別の少年は親から少し休むよう促されたが、うまく話して家を出てきたという。

    夜11時、ようやく学生たちはそれぞれの家に帰った。ホッグさんは眠りに就こうと、緊張をとくためにクーリオの『Gangsta’s Paradise』を聴き始めた。それでも、数時間後にはもう起きなければならない。彼には翌朝、別のインタビューが待っていた。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:本間綾香 / 編集:BuzzFeed Japan