• lgbtjapan badge

脚を何度も砕かれた なぜなら私がゲイだから

クリス・ベルハーストは、2017年7月にロンドンでひどい暴行を受けた。加害者の裁判が結審する12月、ベルハーストはBuzzFeed Newsに対して、ゲイ憎悪の犯罪によって人生をめちゃくちゃにされた経緯を語ってくれた。

2017年7月16日、クリス・ベルハーストはロンドン北部にある友人の家を出て、煙草と水を買おうと近くの店へ向かっていた。日曜日の午前10時45分だった。彼が友人の家に戻ることはなかった。

その前夜、即興で始まったお別れパーティのあと、ベルハーストは友人の家に泊まった。それは、マドリードへ引っ越す前の最後のパーティだった。彼の顔は喜びに輝いていた。子どものころの夏休みのように、目前には可能性が大きく広がっていた。

ベルハーストの顔が輝いていた理由は、ほかにもある。その夜のワインと笑い声のなかで、ある青年に出会ったのだ。ふたりはキスをして、再会を約束した。

だが、友人の家を出た15分後、ベルハーストは胎児のような姿勢で道に転がっている状態になっていた。右脚の4か所が骨折していた。足首は粉々に砕けていた。彼がマドリードに着くことはなかった。

5か月後、ベルハーストはマドリードに行くかわりに、近隣地区の法廷に立ち、責めを負うべき男性の罪を暴く証言をすることになった。その男性が問われているのは、殺人未遂の次に重い、故意に重大な身体的危害を加えた罪だ。男性の名は、カミル・スニオス。ベルハーストはスニオスのゲイ憎悪の犠牲になり、ほぼすべてを失った。その事実を、スニオスは認めていた。

ベルハーストの脚は、まだ癒えていない。癒えることはけっしてないだろう。

以前のベルハーストにとって、ゲイの人々が直面している敵意は、特別に大きな関心事というわけではなかった。中国系のイギリス人である彼は、人種差別的な攻撃を受けながら育った。同性愛嫌悪に起因するヘイトクライムの話を耳にしたときも、その意味するところの重大さをよくわかっていなかった。

15分で、彼は大きく変わった。

暴行の5週間後、ベルハーストはロンドン東部のとあるベンチで、砕けて腫れ上がった脚をのばして座りながら、あの日の出来事とその影響をBuzzFeed Newsに語ってくれた。

ベルハーストは、過去1年間に発生した8万件のヘイトクライム事件の被害者の1人にすぎない。LGBTの5人に1人は、標的になったことがあると述べている。そうした憎悪が何をもたらし、どこから生まれているのか。ベルハーストは、それをほかの人たちにも知ってもらいたいと願っている。

「いままさに起きていることを、みんながきちんと知るための方法が必要です」とベルハーストは言う。

だが、ベルハーストとの対話で現れてきたものは、ほかにもある。憎悪の対極にあるものの姿だ。

ベルハーストが想像もしていなかったやり方で、彼を助けてくれた人たちがいた。そして数か月後、彼が証言台に立ったときには、支えてくれる人がいた。暴行の前夜に出会った、あの青年だ。

これは、憎しみと愛、そしてそれがどのようにすべてを狂わせるかをめぐる物語だ。

7月15日の週末、36歳のベルハーストはロンドンに戻っていた。マドリードに発つ前のほんの数日だけ、ロンドンに滞在するつもりだった。

ほぼ20年にわたって接客の仕事をしてきた彼は、180度の変化を欲していた。人の成長を助けられるような仕事を求めていたのだ。彼は、英語を母語としない人たちに対して英語を教える講座に通い始めていた。

「もっと意味の感じられることがしたかったんです」。暴行の5週間後、ハックニーの道路から奥まった空き地にあるベンチに座ったベルハーストは、そう語った。短パンと白のシャツといういでたち。実際の歳よりも若く見えるが、穏やかな自信に満ちた声からは、上品な威厳のようなものが伝わってくる。

それは、5か月にわたって続くことになる対話の始まりだった。この段階では、ベルハーストは過去形と現在形を行き来しながら、ほとんど第三者のように、事実に即して語っていた。サフォークとロンドンでの子ども時代を振り返り、自分の家族には複雑な背景があると語った。幼い子どものころから、鬱につきまとわれていた。

ベルハーストは、あの襲撃に至るまでの出来事を語り始めた。

英語教師の講座を修了し、マドリードで就職口を見つけたベルハーストは、新たな人生に向かって進んでいた。あの夜、トッテナムで開かれたパーティは、とりたてて大きな意味のあるものではなかった。ほとんどは古い友人だったが、彼らの友人たちも何人かいた。そのうちの1人が、彼がキスをした青年だ。名前はサンティアゴ。まだ20歳だが、魅力的どころではなく、ベルハーストの興味をそそるにはじゅうぶんだった。ほかにも、ほとんど知らない男性がいた。アダムという名のストレートの男性だ。

翌朝、アダムとベルハーストは、ブロード・レーン近くのスタンフォード・ロードを歩きはじめた。すぐそこの店で買いものをするためだ。その途中、2人はいつもと違うことに気づいた。近くのビルの2階で、ホームパーティがいまだに盛り上がっていたのだ。騒ぎ声がバルコニーから漂っていた。

そこを通りすぎるとき、ベルハーストはおしゃべりをしながら、アダムの背中を親しげにぽんぽんと叩いた。新しくできた友人にするジェスチャーだ。

牛乳と水、煙草を買い、2人は帰路についた。

「スタンフォード・ロードに入ってすぐに、通りの反対側に彼(カミル・スニオス)がいて、こちらにまっすぐ歩いてきました。何か使命を帯びているように見えました」

スニオスは筋肉質のがっしりとした体格で、頭を丸く刈り上げ、ジーンズにトレーナー、ネイビーのジップトップショルダーという格好だった。2人に近づいてくる彼は、肩からまっすぐに片腕を突き出し、その手には帽子を持っていた。おかしな身ぶりだ、とベルハーストは思った。

「興奮していて、視野狭窄に陥っているようでした。一晩中、酒を飲んでいたみたいな」。ドラッグもやっていたのだろうとベルハーストは考えている。それほどまでに、スニオスのふるまいは狂気じみており、常軌を逸したものだった。

「彼は『何か文句あるか?』と言いました。僕のほうが彼に近いところにいたので、『いや、ないよ』と答えました――会話に引き込まれないように、目を合わせないようにしながら。帽子は僕の頭の高さくらいにあって、彼はそれで僕の顔をはたきました。そのあと、怒鳴り声を上げ、僕の身体を押し始めたんです」

怒鳴り声はポーランド語だった――スニオスの母語だ。そのため、ベルハーストは彼が何を言っているのかわからなかった。これから何が起きるのか、考える余裕もなかった。

「彼は僕の右脚を蹴った」。それは普通の蹴りではなかった、とベルハーストは言う。きわめて正確かつ破壊力の大きい蹴りだった。ただひとつの目的――相手を抹殺するという目的を果たすために、訓練で身につけたテクニックを思わせるものだ。その一撃で、ベルハーストは地面に倒れた。

「どれくらい痛かったかは覚えていません」とベルハーストは言う。「でも、彼はいきなり僕の脚を折ったんです」脚の骨が完全に折れていた。

それは始まりにすぎなかった。スニオスは蹴り続けた。ひとつの標的を徹底的に攻撃した――ベルハーストの右脚の膝から下だ。スニオスは何度も蹴った。膝の下を、脛を、足首のまわりを、何度も、何度も、何度も。狂ったような攻撃で、骨を1箇所また1箇所と折り、砕いていった。

そのあいまに、スニオスはベルハーストたちの買い物が入った袋をつかみ、地面に投げつけた。はじめのうち、ベルハーストにはスニオスの動機がまったくわからなかった。

「何が起きているのか、さっぱりわかりませんでした。ただ地面に倒れ、『立ち上がって逃げなければいけない』とだけ考えていました。でも、立ち上がろうとしたときに、なぜ自分の脚が折れ曲がっているのか、その理由が理解できませんでした」

通りかかった中年の男性が割って入り、ベルハーストとアダムを助けようとしたが、暴行の獰猛さを見てとり、すぐに離れていった。

ベルハーストが左脚1本でどうにか立ち上がると、スニオスは素早く反応した。「近づいてきて、左脚を蹴りあげた。それで、僕はまた地面に倒れました」。ベルハーストは何度も立ち上がろうとしたが、そのたびにスニオスに蹴り倒された。

スニオスがそうしているあいだ、例のパーティの騒ぎ声が漏れていた近くのビルの2階バルコニーから、別の男性がポーランド語で叫んでいた。

「声援を送っていました。スポーツ観戦か何かのように大声で叫び、僕が蹴り倒されるのを見るたびに笑い声をあげていたんです」

スニオスと、その応援者との会話は、一種のコール・アンド・レスポンスだった。ポーランド語だったが、全体として何を言っているかは、ベルハーストにもはっきりとわかった。もう1人の男性は、スニオスを鼓舞し、煽り立て、一撃一撃に大喜びしていたのだ。

「骨が脚のなかで動くのを感じました。完全にばらばらになっていたんです」

「彼はすごく興奮して、有頂天で目前の出来事を見ていました」とベルハーストは言う。まるで「史上最高のエンターテイメントだとでもいわんばかりに」。

ベルハーストが地面に倒れ、動けなくなると、スニオスはアダムのほうを向いた。

「一度か二度、(アダムを)地面に倒しました――同じ動きです」とベルハーストはスニオスの蹴りを説明する。だが、同じようにはヒットしなかった。脚を折るには至らず、アダムはまた立ち上がることができた。

「どこかの時点で、アダムは僕にどうにか近づいて、助けてくれました」とベルハーストは言う。「僕は彼の肩に腕をまわし、脚を軽く地面に置こうとしましたが、あまりの痛みに、2人一緒に地面に倒れてしまいました。僕はもういちど試みました。スニオスが近づいてきて、また僕の脚を蹴りました。僕は2、3回、アダムの肩にしがみつこうとしましたが、結局ふたりとも地面に倒れてしまった。スニオスに蹴り倒されたり、僕が痛みに耐えられなかったりしたせいです」

ベルハーストはスニオスを説得しようと試み、自分の脚は折れている、もうやめてくれ、そうしたらこの場を離れるから、と伝えた。「被害者ぶっていると見られないように努めました」

それから、ベルハーストはアダムの背中によじ登った。そうすれば逃げられるだろうと思ったからだ。「でも、足がぶらぶらしていて、あちこちにぶつかりました。あまりにも痛くて耐えられず、アダムもろとも倒れてしまった。骨が脚のなかで動くのを感じました。完全にばらばらになっていたんです」

スニオスは気づいていなかったが、この時点から、近所の住人が現場の動画を携帯電話で撮影していた。

ベルハーストは最後の手段として、地面を這い、両手を使って身体を引きずった。アダムも協力し、ベルハーストを引っぱった。どうにかして角を曲がって逃げようとした。だがそのとき、暴行に別の要素が入り込んできた。

「スニオスが近づいてきました。僕がその(座り込んだ)体勢だったから、彼の股間は僕の頭の高さにありました。彼はズボンのベルトを外しはじめました。彼が何を言っているのかはわからなかった。ポーランド語でしたから。でも、声の調子がそれまでとは変わっていました」

言葉の壁にもかかわらず、ベルハーストはスニオスが言っていることを直感的に理解した。それは性暴力の脅しだった、とベルハーストは言う。だが、そのうなるような声には、ベルハーストがそれを喜んでするだろうというほのめかしが含まれていた。「これがほしいんだろ?」と言っているかのようだった。

「何かが彼を止めました」とベルハーストは言う。スニオスはそれ以上ズボンを脱がなかった。そして、おそらくは長々と続けた暴行に疲れたと見られるスニオスは、ベルハーストが買ったばかりの煙草を手に取り、警官の1人がのちに使った表現を借りれば「戦利品のように」それを頭上でひらひらと振ると、その場を歩き去り、アパートの立ち並ぶ区画に戻っていった。

ベルハーストとアダムは、どうにか曲がり角まで這っていった。だが、まだ50メートルしか離れていない。ベルハーストは、スニオスが戻ってくるのではないかと恐れていた。

アダムが電話で救急車を呼んだ。数分後、通りかかったパトカーが停まり、2人を助けた。警官たちは応援を要請した。なにしろ容疑者は凶暴で、まだほんの数メートルのところにいるのだ。ほどなくして、さらに2台のパトカーが到着した。

スニオスとバルコニーにいた男性の特徴を把握した4人の警官は、逮捕すべく例の建物に踏み込んだ。

いっぽう、ベルハーストはストレッチャーで救急車に運び込まれ、ホマートン病院へ向かった。病院に着くと、警官が調書をとるのと同時進行で、医師たちがベルハーストのズボンを切りひらき、脚に牽引治療を施した。

「2人がかりで僕の脚をのばし、骨を比較的まっすぐに配置しようとしていました。そのあとで、3人目がギブスをはめました」とベルハーストは説明する。

レントゲン診断の結果、膝から足首にかけて、脛骨と腓骨が複数の場所で完全に折れていることがわかった。脛骨遠位部と脛骨幹部、それに腓骨近位部には転位骨折が見られた。さらに、骨が完全に分断され、どこにもつながっていない骨の断片が散らばっている箇所もあった。足首は粉々に砕けていた。すべてをつなぎあわせるには大手術が必要だった。

その夜遅く、病院のベッドで横になっていたベルハーストのもとに、警官から電話がかかってきた。その電話は、ベルハーストの抱いていた疑念を裏づけるものだった。彼らは、ある理由があって標的にされたのだ。

「警官は奴(スニオス)を逮捕したと言いましたが、ショックを受けていました。というのも、(スニオスが)犯行動機をはっきり認めたからです。通りを歩いていた僕らを見て、僕らがゲイのカップルだと思い込み、むかついたらしい。それが、あんなことをした理由です。(電話をかけてきた)警官は、17年のキャリアのなかで、そんなことを耳にしたのは初めてだと言っていました」

その警官が初めて耳にしたのは、同性愛嫌悪そのものではない。自分は正しいとあれほど完璧に信じきっている人間を、いまだかつて見たことがなかったのだ。

だがそれは、暴力行為の自白というだけでなく、動機の自白でもある。疑いの余地はない――あれはヘイトクライムだったのだ。

2日後、ベルハーストがパーティで出会った青年、サンティアゴが病院に見舞いに来た。彼の存在は、続く数日、そして数週間にわたって大きな変化をもたらすことになる。

ベルハーストの脚の手術では、チタン製の釘を脛骨の全長に沿って挿入し、脚と足首にずらりと並んだスクリューで骨の断片を固定し、つなぎあわせなければならなかった。大がかりな理学療法を、ほぼ即座に実施する必要があった。

だが、最初の治療前には、看護師が遅刻し、鎮痛剤をもらえなかったという。

「30分後、理学療法士からこれ(歩行器)をもらって、どうにかゆっくり立ち上がり、歩行器で身体を支えましたが、目もくらむほど痛かった。1.5メートルくらい歩いただけで、戻らなくちゃなりませんでした」。その治療の終わりに、痛みの激しさからいまにも何かが爆発しそうになっていることに気づき、ベルハーストはカーテンを閉めてほしいと理学療法士に頼んだ。

「できるだけ縮こまって、30分泣き続けました」とベルハーストは言う。「ひどい気分でした」

たったひとつだけ、ベルハーストを支えているものがあった。「パーティで会ったあの青年のことを思いました」とベルハーストは言う。「彼の顔を思い浮かべました。あれほど素敵な人に出会ったときに感じる、単純な喜び。それが、そのときの僕に見つけられた、唯一の逃げ場でした」

ベルハーストは5日間入院し、7種類の投薬を受けたあと、次のステージに移った。回復のステージだ。当時彼を担当していた外科医は、傷が癒えるまでには1年を要する可能性があり、近いうちにスペインへ引っ越せる望みはまったくないが、それでも最終的には完治するだろうと話していた。この診断がどれほど楽観的だったか、当時のベルハーストにはわからなかった。それに、さしあたりは、ずらりと並んだ現実的な数々の障害に立ち向かわなければならなかった。

裁判の数週間前に、彼は心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。

マドリードへの引っ越しに備えてアパートを解約していたベルハーストには、いまや住むところがなかった。さらに、スペインでの仕事を失い、怪我のせいで働くこともできないため、金もなかった。こちらに1週間、あちらに2週間という具合に、友人の家を泊まり歩いた。1日中ソファに座り、脚を高く上げてテレビを観てすごしたが、自分の世話は自分でしようと努めていた。

サンティアゴは、どこにいても必ず訪ねてきた。「すごく嬉しかった」とベルハーストは言う。「彼がいつもそばにいて、隣に座って、僕を助けようとしてくれたんです」

とはいえ、いつも誰かがそばにいられるわけではない。動かない脚と矯正靴、杖との毎日の格闘が、ベルハーストを打ちのめしつつあった。あらゆることを学び直さなければならなかった。洗濯や料理、買いものの仕方、そして食べ方まで。

「電子レンジで温めることはできても、それをどうやって、食事したい場所まで運べばいいでしょう? 無理です。片手で食べものを持って、片脚で立つか、カウンターに腰かけるかして食べるしかありません」。あるときには、電子レンジで温めたスープをソファに運ぼうとしたが、落として火傷をしてしまった。こぼれたスープで杖が滑り、ベルハーストはまた引っくり返るはめになった。

「杖が滑る」。ベルハーストは支援機関の援助を求めたが、そのいきさつも、それと同じイメージを喚起するものだった。

暴行の直後に被害者支援組織「ビクティム・サポート」から届いた自動送信のテキストメッセージには、7日以内に改めて連絡すると書かれていた。だが、連絡は来なかった。ようやく連絡がつくと、電話カウンセリングを紹介された。だが、カウンセラーから電話がかかってきたのは、ベルハーストがスーパーマーケットにいるときだった。「『5分後にかけ直してもらえませんか?』と言ったら、『無理です。来週の木曜はどうですか?』と言われました」。翌週の木曜は9日後だった。

翌週の木曜になっても、電話はかかってこなかったとベルハーストは言う。かかってきたのは、その5日後、つまり2週間後のことだ。正式に苦情を申し立て、謝罪を受けたが、ベルハーストにすればもう遅すぎた。そのあいだ、同性愛嫌悪によるヘイトクライム被害者の支援組織「ギャロップ」は、彼の境遇を理解し、支えになってくれたが、ギャロップにできるのは、ほかのサービスを案内することだけだった。たとえば、住宅手当と雇用・生活支援手当だ。

「(政府は)週73ポンド(約1万円)の雇用・生活支援手当を給付すると言っていました」とベルハーストは話す。「でも、何ももらっていませんでした。どういうつもりなのか、さっぱりわかりません。最初の2か月のあいだ、収入なしでどうしろというのか」。クレジットカードがなければ進退極まっていただろうとベルハーストは言う。しかし、借金が膨らみはじめ、支援金を募る「GoFundMe」ページを立ち上げた。

住宅手当はもらえず、賃貸の敷金を払うための貯金もない。こうしたケースの負傷の賠償金が支払われるまでには、数か月がかかる。公営住宅には空きがない。そうした状況で、住宅支援団体がベルハーストに提案できる選択肢はひとつしかなかった――ホームレスシェルターへ行くことだ。

その時点で、4回しか会ったことのなかったカップルが名乗りをあげた。自宅の空き部屋を無料で提供してくれたのだ。

「本当に感動しました」と言ったとき、ベルハーストの声が初めて途切れた。「ストレートのカップルです。あるとき、花束とチョコレートを持って訪ねてきて、ランチへ連れ出してくれて、その部屋の提供を申し出てくれたんです。本当に驚きました」

2か月後には、ベルハーストの兄が、自身で所有しているが、それまでは人に貸していたアパートに住まわせてくれた。そして、できる範囲でその部屋を改良するように、ベルハーストを後押しした。体力を回復させるという意味あいもあった。これを機に、兄弟の関係が復活した。

心理面では、暴行が複雑な影響を及ぼしている。最初に会ったとき、ベルハーストは実際の出来事に焦点を絞り、事務的にうまく対応していた。だが、裁判の数週間前に、彼は心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。

「パニック発作を起こしました」とベルハーストは12月に語った。「不安。過覚醒。フラッシュバック」。公共の場でパニックを起こすようになったという。以前は穏やか、少なくとも無関心だと感じていた世界は、いまや潜在的な脅威がつねに潜む場所のように思えた。地下鉄の駅で列車を待っていると、誰かに列車の前に突き落とされるのではないかと怖くなった。

「そのせいで、僕は変わりました」とベルハーストは言う。「元に戻るために、しなければならないことが山ほどあります」

ベルハーストは、定期的な理学療法に加え、心理療法も受けるようになった。だが、ヘイトクライムが与えるダメージのなかには、とらえどころがなく、より深く心を切り刻むものもある。

「事件が起きる以前は、自分のセクシュアリティを理由に攻撃されるという恐怖のなかで生きてはいませんでした」とベルハーストは言う。「自分自身をセクシュアリティで定義する必要はないと思っていました。でもいまは、どうしてもそれを考えてしまう。それがすべての人にどんな影響を与えるのか、考えざるを得ないんです。攻撃を受けるかもしれないゲイの人たちだけの問題ではありません――僕の友人はゲイではないのに、攻撃されました」

ヘイトクライムを経験したことのない世間の多くの人たちは、以前の自分がそうだったように、その重大性をわかっていないのではないか。ベルハーストはそう考えている。もっと広く理解されなければいけない、とベルハーストは言う。その思いが彼を突き動かし、声を上げさせたのだ。

「ヘイトクライムによって、目下の人生をめちゃくちゃにされています」とベルハーストは言う。「僕は毎日、それを体感しています。することすべてが影響を受けている。僕はいま、ほかの人たちに完全に頼っています。現時点では、働くこともできません。将来しようと考えることのすべてが、影響を受けているんです」

「どのような形であれ、同性愛は許容できない」

ベルハーストは一瞬、口をつぐみ、スニオスと、来たる裁判の話に戻った。「彼は報いを受けなければいけない」

だが、それはスニオスだけではない。バルコニーにいたもう1人の男性は、いまだ見つかっていない。警察があのアパートに踏み込んだときに、なぜ彼を見つけてスニオスと一緒に逮捕しなかったのか。ベルハーストにはそれが理解できず、いらだちを覚えていた。だが、その理由は、暴行そのものの理由とともに、すぐに明らかになった。

12月18日、スニオスの裁判がウッド・グリーン刑事法院で始まった。8月の予備審問では、スニオスは比較的軽い重傷害罪(GBH)については罪状を認めたが、より重い故意のGBHについては無罪を主張していた。加害者が相手に重傷を負わせただけでなく、意図的にそうした場合には、故意のGBHが適用される。

故意のGBHは証明するのがきわめて難しいが、刑罰は大幅に重く、刑期は最長で16年になる。ベルハーストにとっては、さらなる攻撃を避けるために、スニオスを故意のGBHで有罪にし、できるかぎり長く刑務所に入れておくことが重要だった。

法廷で被告席についたスニオスは、グレーのトレーナーにジーンズという格好だった。ベルハーストは、カーテンの後ろに立って証言した。陪審団には見えるが、スニオスには見えない場所だ。そのあいだずっと、スニオスは無表情で座り、あごを上に傾け、まっすぐ前を見つめていた。

ベルハーストは、7月16日に起きたことのすべてを詳らかに語った。帽子ではたかれたこと、蹴られたこと、そしてバルコニーからの声援。

「彼はあらゆるところを蹴っていました……ひどい痛みで……私はまた地面に倒れ、痛みはさらにひどくなりました。閃光を浴びたように、目が見えませんでした」

近所の人が撮影していたビデオ映像が法廷で流された。映像は、暴行の終わり近くから始まっている。ベルハーストが地面に倒れ、立ち上がろうとするが、果たせない。スニオスが見下ろすように立ち、バルコニーからの笑い声が現場に響いている。

だが、そのすべての根底にあるものが明らかになったのは、事件を担当したマーク・ニコルス巡査が証言台に立ったときだった。

ニコルス巡査と検察側の法廷弁護士は、スニオスが逮捕された日の警察による事情聴取の記録を読み上げた。この記録は、ポーランド語から翻訳されたものだ。

事情聴取の冒頭で、スニオスは、前日の午後6時から酒を飲んでいて、大麻も吸っていたと話している。3年前にポーランドからロンドンに移り住み、引っ越し業者で働いていることも事実と認めている。

あの朝については、次のように語っている。「たまたま見かけた2人の男が、妙なことをしてみせた……女がよくするような動きと仕草だ」。その男たち――アダムとベルハーストーーは、「ホモみたいに振る舞っていた」

スニオスはさらにその男性たちの様子を説明しようと試み、こう続けた。「はっきり言おう。奴らはホモだ……奴らが俺を怒らせた」。ニコルス巡査は、彼らがどんなふうに怒らせたのかと尋ねた。

スニオスは「キスと手のジェスチャー」と述べ、「人間じゃない」と続けた。

同性愛の男性であることは非人間的なのか、とニコルス巡査が尋ねた。

「そうだ」

その憎悪はどこから生まれているのか?

「憎悪ではない」とスニオスは答えた。そして、こう言った。「あれ(彼らの行為)は、意図的な挑発だ」

では、同性愛的行為は、どのような形のものであれ、非人間的で許容できないということか?

「そうだ」

彼らはあなたの目の前でキスをしたか?

「いいや」とスニオスは答え、「普通の男だったら、子どもたちがまわりにいる場所でキスはしない」と続けた。「あの2人に敵意を持っていたわけではない。だが、これみよがしの振る舞いをしてほしくなかった」。自分は「挑発された」のだと、スニオスは述べていた。

ベルハーストの脚が折れていたとは思っていなかったとスニオスは話し、誰かがバルコニーから叫んだり声援を送ったりしていたことを否定した。さらに、あのアパートにいた者たちの名前を挙げることも拒んだ。

スニオスの協力が得られず、その場には複数の人がいたため、警察はバルコニーにいた男性を特定できなかったのだ。

翌日、スニオスが証言台に立った。終始通訳を介して証言したスニオスは、途方もない主張を展開した。法曹やLGBTコミュニティで悪名を馳せている防衛線を張ったのだ――いわゆる、「ゲイ・パニック・ディフェンス」だ。

1990年代から2000年代はじめにかけて、米国などを中心に、同性愛男性を殺害した罪に問われた者が、犯行動機について、「被害者に言い寄られてパニックになり、反射的に攻撃してしまったから」と主張する複数の事例があった。なかには、その主張が功を奏して無罪判決につながったケースもあり、広範囲で激しい怒りを巻き起こしていた。

イギリスの法律では、そうした弁護は有効と認められていない。だが、スニオスは法廷で、警察の事情聴取では言及していなかったにもかかわらず、あの朝、アダムとベルハーストが自分に向かって手を振り、ジェスチャーをしていたと主張した。そして、2人のうちの1人が「身をかがめ、尻をぴしゃりと叩いた」と説明した。2人が「何かをほのめかそうとしていた」ので、それが何かを確かめるために近づき、喧嘩になったとスニオスは話した。

同性愛者は非人間的だとの事情聴取中の発言については、スニオスは法廷で「誤解」と述べた。事情聴取の終盤で泣いたことを問われると、スニオスはこう答えた。「自分の子どもたちに申し訳なかったからです。誰よりも、あの子たちが傷ついているから」

スニオスの涙は、ベルハーストのために流されたものではなかった。

法廷では、アダムが異性愛者であることに言及した者はいなかった。それは、アダムとベルハーストにとって、スニオスの主張を無にするチャンスになるはずだった。だが、スニオス側の法廷弁護士は、依頼人は同性愛者を嫌悪していないと主張し、その根拠として、過去に二度、ゲイパレードに参加したことがあると述べた。

3日間の裁判の最後に、検察側はベルハーストの陳述書を読み上げた。それは、彼が受けた暴行の影響を語るものだった。もはや彼にはできない動き。いまだに猛威を振るい、眠りを妨げる痛み。相変わらず飲みつづけなければいけない薬。引き受けられない仕事。そして、公共の場で毎日感じている恐怖と心許なさ。そのときはじめて、スニオスが恥じ入ったように見えた。

2017年12月19日、3時間半にわたる評議を経て、陪審団は全員一致の評決を下した。結論は、有罪だった。

20日午前、グレゴリー・ペリンズ裁判官は、スニオスに判決を言い渡し、こう語りかけた。「あなたは、彼らが同性愛者だと思い、それを理由に攻撃した。それはヘイトクライムです」

毎日のように向きあうものこそが、トラウマ

裁判官はさらに、スニオスはゲイの人たちに反感を持っていなかったとする弁護側の法廷弁護士の主張を退けた。被害者らを同性愛者だと思い込み、「非人間的」だと考えたとする事情聴取での被告の発言を指摘したのだ。そうした考え方は「きわめて汚らわしく、恥ずべきもの」であり、「寛容な現代社会には、存在する余地はない」と裁判官は述べた。

裁判官はスニオスに「悔恨の念」が見られないとし、10年の刑を言い渡した。

判決後、ベルハーストはBuzzFeed Newsに対し、自分がどれほど安堵したか、その長さの刑期を確保することにどれほど大きな意味があったかを語った。その後、ベルハーストからは、自身の反応を詳しく綴ったメールが届いた。

「飲み込むのは難しい……僕たちは2人とも、生涯ずっと、彼の憎悪と残酷さがもたらした結果とともに生きていくことになります。刑期のあいだに彼が更生するとはあまり期待していませんが、少なくとも、自分のしたことをじっくり考えるだけの時間が、彼にはあります」

ベルハーストからは、治療状況の最新情報が届くようになっている。担当の専門医は、脚の回復の見込みに関する見解を修正したという。「元通りになることはないでしょう」とベルハーストは言う。特に足首は、以前のように動くようにはならないだろう。また、医師によれば、20年後には、術部周囲の軟骨が退化し、変形性関節炎になる可能性があるという。

「トラウマとは、過去に実際に起きたことではありません」とベルハーストは言う。「そのあとで、毎日のように向きあうものこそが、トラウマなんです」

ベルハーストはまだ、週73ポンドで暮らしている。いまもフラッシュバックに襲われる。膨大な量の理学療法と心理療法の歩みは遅く、マドリード行きを検討できるようになるまでには、少なくともさらに6か月はかかるだろう。

それでも、自分の人生に関わってくれた人たちは素晴らしかった、とベルハーストは言う。「予想もしていなかったところから」愛情を示してくれたという。全体としてみれば、回復は「進行中」だとベルハーストは語っている。「世界や、そのなかの自分の居場所の感覚は変わってしまいましたが、いまは、トンネルの先に光が見えています」

それにもうひとつ、とベルハーストは言う。

証言をした日の夜、ベルハーストはサンティアゴと会った。いちばん必要としていたときに支えを見せてたくれたことに、感謝を伝えたかっからだ――その支えがあったから、いちばん闇が深かったときにも、前へ進み続けることができたのだ。ベルハーストは一瞬、言葉を切った。その一瞬に、彼が耐えてきたすべてのことを中和する「解毒剤」を思い浮かべていたのだろう。「彼はいまも、そばにいてくれています」

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:梅田智世/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan