• medicaljp badge

受動喫煙被害、国の対策で大丈夫ですか? 厚生労働省の元担当官に聞く紆余曲折の内幕

受動喫煙対策、法案は骨抜きにされたように見えましたが、ちゃんと進んでいくのでしょうか?

たばこ対策、予防接種政策など国の重要な公衆衛生政策を司る厚生労働省健康課。

その課長を2018年8月まで務め、受動喫煙対策を強化する改正健康増進法を成立させ、HPVワクチンの積極的勧奨の再開に踏み出せなかった、環境省大臣官房審議官の正林督章(とくあき)さんに今だから話せることを伺いました。

正林さんは医師免許を持つ「医系技官」で、受動喫煙対策を定めた健康増進法を2002年に成立させるのにも関わった人です。

2018年7月に成立した改正健康増進法は、100平方メートル以下の飲食店は喫煙可能とする経過措置を取り、小中高校など教育施設でも屋外に喫煙所を設けられるようにし、加熱式たばこの規制を緩くするなど当初の案よりもかなり骨抜きにされた印象です。

これで本当に国民の健康は守れるのか、じっくり聞きました。

なぜ当初の案よりも後退したのですか?

ーーそもそも正林さんは2002年の「健康増進法」の成立にも関わられていますから、かなり思い入れのある法律だと思います。今回、改正するにあたって、当初案は30平方メートル以下の飲食店のみ喫煙可能とする例外措置を認めますが、厳しい案でした。しかしその後、30平方メートル以下から100平方メートル以下と緩く変更されました。なぜ、自民党案に屈する形になったのですか?

国会なので国会議員が了承しないと法案は通りません。通らない法案に固執して、何も得られないのが果たしていいことなのか、考えなくてはなりません。

ーー誰が一番頑迷に反対したんですか?

誰かということではなく、集団ですから。葉たばこ生産やたばこの小売販売など、たばこに関わる産業や事業は全国にあるので多くの議員が関与しています。葉タバコ農家やたばこ小売店、飲食店の生活にも配慮してのご意見だったのだと思います。

ーー飲食店に面積での例外規定を設けずに原則屋内禁煙としていた元々の「塩崎案」(塩崎恭久元厚労大臣の案)も長く維持していたと思います。変わる潮目は何だったのでしょうか?

自民党の厚労部会であの案をベースにして3、4回議論してもらったのですが、ほとんどの意見が反対でした。毎回議論する度に、発言する人の9割が「この法案じゃだめだ」「こんなものは通さない」というご意見でしたから、前に進まないと感じました。

ーー当時、塩崎大臣とはどういうことを話していたのですか?

我々に対してはもっとしっかり説明するようにという指示でした。我々は一生懸命、議員さんを回って説明していましたが、「よしわかった」と言ってくれる人はなかなかいなかったです。

ママさん一人のスナック・バーぐらいならと妥協したが...

ーー当初案の「30平方メートル以下」という例外基準は、なんらかの根拠があって出している数字だったのですか? むしろ狭い店の方が煙の濃度は高くなるので、受動喫煙の害は大きくなると思いますが。

当初案と言いますが、最初に議論していたのは、面積基準も設けず全ての飲食店を屋内禁煙にする案でした。せいぜい喫煙専用室を作るんだったらその中で吸ってもいい、という案で、2016年10月に厚労省のたたき台という形でまず出しました。

それをベースにして自民党の厚労部会で何回か議論してもらったのですが、全く埒が明かなかった。例外がほとんどない案でまず公表したが、それではどうにもならないから塩崎大臣が考えたのが30平方メートル以下を例外とする案です。

「ママさんが一人でやっているような30平方メートル程度のバー、スナックだったら、お客も固定客だし、元々たばこを吸いに来ているような客だから、禁煙にするのも厳しすぎるだろう」という判断でした。

その案で、2017年3月に厚労省案として公表したわけです。でも、それでも全く立ち行かなくて、とにかく先生方に説明して回れということでぐるぐる回りましたが、みなさん「この程度じゃダメだ」という反応でした。

専門家の意見や議員の失言 影響なかった

ーー当時、受動喫煙の健康被害を訴える専門家が議論に参戦していました。がん患者団体も、規制を緩めたら、健康被害を予防できないと声をあげていましたが、規制強化の後押しになりませんでしたか? メディアもかなり頑張って報じていました。

がん患者団体のご意見やマスコミによる報道はいくらか効果があったかもしれませんが、先生方の考えを変えるには至らなかったですね。

ーー喫煙者は2割程度で全体としては少数派です。煙を嫌う人の方が日本ではマジョリティなのに、なぜ世論をリードする声にならないのでしょうか。

喫煙者もですが、今回の法改正による規制の場合、一番影響を心配したのは飲食店です。議員の先生方が休みに地元に帰ると、地元の飲食店の組合などが、先生方を訪ねて行って、「この法案だけはやめてくれ」と陳情していましたから。それが一番影響力があったのでしょうね。

ーー飲食店も一斉に全面禁煙にしたらみんな横並びですから、自分たちだけが損するということはないはずです。どこも禁煙にすれば、自分だけ売り上げが落ちるということにはなりません。それなのに、なぜあれほど頑迷に反対していたのでしょうか。

それは、かなり説明したのですが、懸念を払しょくするまでに至らなかったですね。

ーー海外でもこれほど反対が強い国はあったのですか? イギリスでさえパブを屋内全面禁煙にしたのに、なぜ日本だけこんなに反対の声が強いのかと思いました。

そこはよくわかりません。ただ、段階的に規制を強化していった国があることは承知しています。

ーー健康増進法の改正案を議論している時に、政治家の失言がいくつかありました。自民党の大西英男議員が、受動喫煙の被害を訴える三原じゅんこ議員に、「(がん患者は)働かなくていい」と、衆議院の厚生労働委員会で参考人として呼ばれた肺がん患者に穴見陽一議員が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばす問題が起きました。あれはマイナスに響かなかったのでしょうか?

多少マイナスには働いたかもしれませんが、規制に反対する声を吹き飛ばすまではいかなかったのでしょうね。

煙に甘い日本の国民性 屋外が先に規制された影響は?

ーーたばこを吸っている人は少数派で、嫌煙者はたくさんいるのに、なぜ、その声が政策の議論で重視されなかったのだと思いますか?

外国と比較して日本社会はたばこに寛容なところがあるかなとなんとなく感じることがあります。ヨーロッパなどに行くとたばこに対しては厳格ですが、日本はまだそこまでの厳格さは求めていません。

「吸いたい人は吸ったらいいじゃん」という空気がありますし、隣の席で吸われても、そこまで気にする人は少ない印象です。

ーーでも、屋内規制は厳格なヨーロッパでも、公道での歩きたばこはすごいですよね。屋内は完全禁煙にしているけど、歩きたばこは多いし、店の外でもスパスパ吸っています。

そこは若干、特殊事情があって、日本の場合は主に環境美化の観点から屋外から規制していったので、今回、我々が屋内を規制しようとすると、「どこでも吸えなくなるじゃないか」という反発は多かったですね。

ーー屋外から先に規制したのは日本だけなんですか?

おそらくそうです。あまり他の国では聞いたことがありません。

ーー屋外の規制は国というよりも自治体の条例で先行しましたね。

そうです。東京・千代田区の条例から始まりました。

ーーそれは、受動喫煙の戦略として、まずかったと思いますか?

全然そんなことは思いません。

ーー屋内を完全禁煙に厳しく規制するならば、屋外が多少緩くなってもいいじゃないかと、受動喫煙の健康被害に注目する専門家は言ってます。先に屋外を吸えなくしたから、屋内の規制がやりにくくなったという側面はあるのでしょうか?

屋外規制が先だったから大変だったとはとあまり感じませんでしたが、規制強化に反対する人からよく言われたことは事実です。「日本は外で吸えないんだから、中を規制されたらどこでも吸えないじゃないか」というのは、規制強化に反対している人たちが強く主張した点ではありました。

ーーそれが反対する理由として利用されたという感覚はあるわけですね。

使われましたね。でもそう言われたから、「屋外規制はやり過ぎだった」と思ったことはありません。そもそも環境美化の観点から屋外規制は導入されることが多いですから。

塩崎大臣では会期切れ

ーー結局、30平方メートル案に反対は続き、自民党が提示した客室面積100平方メートル以下の妥協案と塩崎大臣側との調整は難航して2017年の国会提案は断念されました。あの時、厚労省内部でも激しい議論になっていたのですか?

あの年、国会が終盤になりかけてきた時に、このままだと会期切れだけどどうしようかというのはみんなで悩んでいました。確かにあのままの案では立ち行かないのは事実でしたから。塩崎大臣としては、「自分としてはどうしてもこの案で行きたい」という思いは強かったと思います。

覚えているのは、2017年5月の自民党厚生労働部会だと思いますが、冒頭、塩崎大臣が自分の案の正当性をずっと演説したのですが、色々意見が飛び交って、まとまる雰囲気ではなかった。どうにもならなかった。

(続く)

【正林督章(しょうばやし・とくあき)】環境省大臣官房審議官(水・大気環境局担当)

1989年3月、鳥取大学医学部卒業。都立豊島病院での勤務を経て、1991年2月厚生省(当時)入省。厚生省大臣官房厚生科学課長補佐(ロンドン大学留学)、WHO(世界保健機関)出向などを経て、健康局結核感染症課新型インフルエンザ対策推進室長、結核感染症課長、がん対策・健康増進課長、健康課長を歴任。2018年8月に国立がん研究センター理事長特任補佐、2019年7月、現職。