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遺伝性がん「家族性大腸ポリポーシス」と生きて 息子の幸せを願う母が遺した手紙

親から子へ50%の確率で遺伝し、遺伝子変異を受け継ぐと100%の確率で大腸がんを発症する「家族性大腸ポリポーシス」。最愛の我が子に自分と同じ運命を受け継がせてしまった母は、息子に生き抜くことを願う手紙を遺していた。

雅也君が私の子供としてこの世に生まれてきた 

それはとてもすばらしくこのうえないよろこびです

だけどそれは一方であなたに苦しみをあじあわせる事かもしれない

でもね 考えようひとつでどうにもなる事です

あなたが私と同じ病気をするなら やっぱり親子だなぁーと思ってください

お母さんが頑張ったんだから自分も頑張ろうと考えて下さい

お母さん元気だったでしょう? やる気だったでしょう?

雅也君にできないはずないじゃない ネ

息子が幼い頃からそんな遺書を書いて死を覚悟していた母が、相次ぐがんを乗り越えながらも、2018年1月、58歳で命を終えた。

遺伝性がんのひとつ、家族性大腸ポリポーシス(FAP)。親から子へ50%の確率で遺伝し、その遺伝子変異を受け継ぐと、ほぼ100%の確率でおびただしいポリープが大腸にでき、大腸がんを発症する。消化器などその他の臓器にも繰り返しできやすくなる。

母と同じ体質を抱え、一人残された山崎雅也さん(37)は、病気とうつに苦しみながらも、母からの手紙を支えに今日も生きる。

母方の祖父、母の姉も同じ病気で死亡

山崎さんの母、恵子さんの父は41 歳で、姉も23歳で大腸がんによって亡くなった。当時はこの体質を引き起こす遺伝子変異を検査することもできなかった時代だ。

不安を抱えながら、恵子さんは16歳で准看護師になり、広島で働いていた。22歳の時に、結婚はせず、一人で産んだのが雅也さんだ。

「生まれる前に父は交通事故で亡くなったと聞かされて、一度も会ったことはありません。あとで戸籍を取った時に、父の欄に名前がなく、母が未婚で産んだことを知ったのですが、『嘘ついていたんじゃ。隠しててごめん。けど母さんは母さんじゃけえ』と言われてそれ以上は聞けませんでした。母と二人きりで生きてきました」と山崎さんは言う。

1988年、恵子さんが28歳の時、職場の健康診断で大腸の精密検査を受けるように言われ、内視鏡検査で調べた。大腸におびただしい数のポリープができていた。調べると大腸がんだった。

その時に医師とはこんなやりとりがあったという。

「ご家族で大腸がんで亡くなった人はいますか?」

「姉と父です」

「お子さんの大腸も調べてください。家族性大腸ポリポーシスの可能性が高い」

母は大腸と直腸を全て摘出する手術を受けた。

その手術の前に6歳だった雅也さんに向けてノートに書いたのが、冒頭に紹介した手紙だ。

「母は死を覚悟したのでしょう。私にノートを書き、自分の親友と実母、つまり私の祖母にも手紙を遺していました」

親友と祖母の手紙には、雅也さんの将来を頼み、病院に行くように指導してあげてほしいと書かれていた。

遺していくかもしれない息子に ノートに書いた手紙

手術は成功したため、このノートはその後、20年以上、雅也さんの目には触れることはなかった。

28歳の若い母親が幼い我が子に向けて遺した手紙。息子の成長する姿を想像しながら、伝えたいこと、教えてあげたかったことを詰め込んだのだろうか。

息子の成長を見守れないかもしれないという母親としての切ない思い、息子の病気を心配する気持ち、そして幸せに生き抜くことを願う愛情にあふれている。

雅也君へ

元気な子に

うそはついても 人をだましてはいけません

友達はたくさん作りなさい

何でも話せる長く付き合っていける親友を一人は作りなさい

本はたくさん読みなさい

趣味もたくさん いろいろな事に興味を持ちなさい

勉強はしっかりとやりなさい

あそべるうちはしっかりとあそびなさい

年齢に関係なくたくさんの人の話を聞きなさい

音楽もたくさん聞きなさい

映画もたくさん見なさい

何かスポーツをやるといいね

無理に習わなくても学校の中で(クラブ、部)で充分だから

「悲しい事さみしい事があったなら空を見上げなさい」

何かつらい時があったらそっと目を閉じて何も考えず心に祈りなさい

悲しい事さみしい事があったなら空を見上げなさい

悩み事があるなら決して夜考えてはダメです

空が明るい時に考えなさい

大事な事を決めなくてはいけない時には

身体が元気で気分が良い時に決めなさい

たとえそれがまちがいだとしても反対する人がいても

自分が決めた道なのだからどこかで誰かがきっと見ていて下さるから

きっといつかわかってくれる日が来るから決して後悔のないように

「病院へ あなたの人生においてさけて通れない道なのです」

雅也君

あなたが病院へ行くのはとてもいやだと思います

けれどこれはあなたの人生においてさけて通れない道なのです

他の事ならどんな事でも許してあげましょう

自分の命だけは大切にと言う 私の気持ちに逆らわないで

自殺行為だけはしないで

病院に行かないという事は

自殺と同じ......

と考えて下さい

「大人になるまでそばにいたかった」

あなたが年を重ねるたびに話をしてあげたい事がたくさんある

その年、その年によっていろいろな事......

いろんな事 話をして 笑って 泣いて...... 悩んで......

だけどそれが出来ない

あなたがどんな人生を送るのか どんな考え方をしていくのか

今の私にはわからない

だから何を書いていいのかわからない だから何にも書けない

これから先ずっとずっと長くあなたがりっぱな大人になるまで

そばにいてあげられると思ってた

そばにいたかった...

悪い親だね 何にもしてあげられないなんて

ただできるのは幸せを祈るだけ

いつの日も見守っていたいと思う

今までも これからも 考えているのは雅也の事だけ... それだけ...

雅也君 いつまでもお母さんの事忘れないで

一緒に笑って 泣いて......

怒った事もたくさんあったね よく泣いてたね 泣かしたね......

いつまでもドジでまぬけでおっちょこちょいのお母さん 忘れないでね

手術は成功 雅也さんにもポリープが見つかる

そんな手紙を書いたことを伏せたまま、母の手術は成功し、親子二人の生活は続いた。

そして、母は主治医に注意されていた通り、この体質を遺伝したら大腸がんを発症し始める10代になる前、山崎さんが小学校4年生になった時に大腸内視鏡の検査を受けさせた。

小さな体の大腸に、数百個のポリープが見つかった。同じ体質を受け継いでいることが明らかになった。

「主治医には『びっしりあったよ』と言われました。子どもでしたから、ショックを受けるわけでもなく、ああそうなんだ、ぐらいの感覚でした。むしろ好奇心の方が強かった」

手術はまだ後でいいと言われ、小学校6年生の夏休みに広島大学病院で大腸と直腸を摘出する手術を受けた。一時、人工肛門(ストーマ)をつけ、のちにそれを外す手術も受けた。退院は10月になった。

「『手術が怖い』とか『自分は死ぬのかもしれない』とは思いませんでした。母から言い聞かされていたので、『大腸を取ったら治るんだ』とだけ思っていました」

母と共に、この病気と付き合う人生が始まった。

(続く)