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「あなたのために」をまとう力に抵抗して 「夜更けにバナナ」はわがままか?(後編)

『こんな夜更けにバナナかよ』の著者、渡辺一史さんの講演詳報の後編は、支援する側と支援される側が豊かに逆転していた鹿野靖明さんとボランティアたちの関係から、渡辺さんが受け取ったものをお伝えします。

『こんな夜更けにバナナかよ』で、自立生活をした筋ジストロフィーの鹿野靖明さんとボランティアの交流を描いたノンフィクションライター、渡辺一史さんの講演詳報。

後半は、ボランティアに容赦なく、自身の要求を突きつけてきた鹿野さんから、ボランティアや渡辺さんが学んだことを伝えます。

外出が大好き 講演をしながらボランティアを集める

鹿野さんは18歳のときに足の筋力低下から車いす生活になります。そして、35歳のときには呼吸筋の低下により、人工呼吸器をつけました。

私が取材を始めた頃には、すでに首や背中の筋力も低下して寝たきりの生活でしたが、それでも外出が大好きな人で、リクライニング型の車いすに乗って、大名行列のようにボランティアと出かけていました。

前にもいいましたが、1日24時間を3交代制でローテーションを組み、来る日も来る日も有償・無償のボランティアで埋めるというのは本当に大変なことです。

ですから、チラシをまいたり、大学や専門学校などの授業のひとコマを借りたりして、ボランティアがいなくては生きていけない現状を訴えながら、大変な思いをしてボランティアを集めます。

それが鹿野にとっての「仕事」でもありました。

「たばこ介助」 やるべきかやらないべきか?

ところで、自己主張の強い鹿野さんとボランティアの間には、本当にさまざまな対立、衝突、葛藤がありました。

一例を挙げると、「たばこ介助」という問題があります。

鹿野さんは、人工呼吸器をつけていたにも関わらず、たばこが大好きで、たばこ介助というのをボランティアにやらせていました。

会場にいる当事者の方で、たばこを吸うという人はいらっしゃいますか?(何人か手が上がる)

その場合、どうでしょう? 介助者の人たちは何も言いいませんか?

だとしたら、とても優しい介助者かもしれないですね。

もしあなたが介助者だったとして、障害当事者の方にたばこを吸いたいと言われたら、あなたならどうしますか?と聞くと、さきほどの方のように吸いたいと言われて「はいどうぞ」と吸わせてくれる介助者もいれば、そうでない人もいるのではないかと思います。

自分なら違うという介助者の方いますか?(会場から「私はたばこは嫌です」という声が上がる)。

あ、なるほど。たばこの煙がイヤだという方も当然いらっしゃいますよね。あるいは、「鹿野さん、たばこは体に悪いからやめたほうがいいですよ」と考える人もいるのではないかと思います。

鹿野さんの時代は、まだ「受動喫煙」とか「嫌煙権」というのが今ほど口にされる時代ではなかったのですが、当事者の方が吸いたいといえば、黙って吸わせてあげるという介助者もいれば、「たばこは体に悪いから、やめたほうがいいですよ」といって止めようとする介助者もいます。

主にこの二つが代表的な考え方だと思います。

今の時代だと、「介助者の体に悪いから吸わないでくれ」と言われることが圧倒的に多いかもしれません。もしそれを言われたら、健常者だろうが障害者だろうが、すみませんと言ってやめざるをえないのですが(笑)。

「たばこはいやだ」と抵抗したボランティア

それはさておき、原作の中では、山内太郎くんという、北大生のボランティアが、「人工呼吸器をつけている人がタバコを吸うなんて、自殺行為に手を貸すようなもので、自分はそんなことをするためにボランティアを始めたんじゃない」と、鹿野さんに抵抗したエピソードを書きました。

鹿野さんが「太郎、たばこ吸いたい」と言ったときに、彼は「いやだ」と言い張ったんですね。

鹿野さんは鹿野さんで、「うるせえ太郎。俺は毎日ストレスが多いんだから、たばこくらい吸わせろよ」と言い返した。

太郎くんはそれでも、「俺はそういうのいやだから」と言い張りました。

これは、結構度胸いりますよね。普通なら、ハイハイと言って、嫌だな、なんかおかしいなと思っても、黙ってタバコを吸わせてしまうことが多いと思うんです。でも、とにかく太郎くんは嫌だと言い張った。

鹿野さんは、「もうわかったよ、太郎には負けたよ」と言うと、太郎くんが帰った後に、次にきたボランティアに「たばこ吸いたい」と言って、吸わせてもらったわけですが。

太郎くんに関していえば、そこで鹿野さんと非常に対立、衝突した。太郎くんは「タバコを吸うのはおかしいんじゃないか」と思って、それを正直に鹿野さんにぶつけたわけですが、この体験というのがその後、ボランティアをずっと続けていく上ですごく大切な体験だったと太郎くんは語っていました。

もし心に思ったことをいわずに、鹿野さんの言ったことに、なんでもハイハイと従っていたとしたら、自分はボランティアは長続きしなかったのではないかと。

太郎くんはその後、大学院に行っても6年間、鹿野さんが亡くなるまで、最終的には中心的なボランティアとして活躍していました。

対立し、語り合って、わかり合っていった

一方の鹿野さんは、太郎くんにたばこ介助を断られてどう思ったのでしょう。

「太郎はオレに反抗的なボランティアだから、もう来なくていい」と見限ったかというと、まったく逆でして、「おっ、太郎は、なかなか骨のあるボランティアだな」と思ったというのです。

そういうのが人間関係の不思議さですよね。ハイハイとなんでもいうことを聞いてくれるけれども、内心、こいつ何考えているんだろうと思うような介助者よりは、はっきりと思ったことを口に出してくれる介助者の方がいざとなった時に信頼できるということはありますよね。

それ以来、鹿野さんは太郎くんと、ことあるごとに「なあ太郎。どうして俺がたばこ吸いたいって言うんだと思う?」と話し合ったりします。

そうすると太郎くんも考えるわけです。当時は、今と比較しても在宅福祉の制度は全然未整備だったにも関わらず、鹿野さんは病院を飛び出して自立生活を始めました。それははっきり言って、たばこの害どころではない。命がけの選択ですよね。

そんな鹿野さんに向かって、「たばこは体に悪いですよ」と言うならば、自立生活の方がよほど体に悪い。

つまり、いろいろ話し合ううちに、どうして鹿野さんがそういう生活をしているのか、どうしてたばこを吸いたいということにそこまでこだわるのかという背景が見えてきますよね。

そして、「鹿野さんは命がけで自立生活をしているんだな」と納得した後では、太郎くんも「たばこ吸いたい」と言われたら、「わかったよ」と吸わせられるようになった。

そのことは、たばこを吸わせるのが正しいかどうか、という以上に大切なことだと思います。

こうしたプロセスのことを、「コンフリクト」と呼んだりします。つまり、考え方の対立が起きたとしても、お互いが率直に意見を言い合うことで、それを乗り越えていく。

立岩真也さんの書かれた本で、『生の技法』(共著)という、この分野の名著がありますが、この本の中にもコンフリクト(対立)の重要性に触れた章があります。

つまり、ぶつかり合うことでお互いの思っていることを率直に話し合えるような関係。それがまさに「対等」ということの意味なんだよということです。

思いやりをまとうパターナリズムにどう抗するか

たばこ介助について、もう少しこだわってお話ししたいと思います。

ここには比較的重要な問題が潜んでいるからです。

たとえば、「たばこは身体に悪いからやめたほうがいいですよ」という考え方は、一見、介助者の優しさ、思いやりのように思えますが、果たしてそうなのでしょうか。

こうした考え方のことを、じつは「パターナリズム(父権主義、温情主義)」と言います。要するに、強い立場にある人が弱い立場にある人に代わって意思決定を行ってしまう支配パターンのことです。

まさに鹿野さんがイヤで飛び出した病院や障害者施設では、こうした考え方に基づいて患者や入所者を管理しています。

そこを飛び出して、自分の人生を自分の思うように生きたいんだという強い意志で自立生活を始めた障害者にとっては、パターナリズムにどう抵抗し、どう乗り越えていくかが、地域で生活していく上での生命線でもあるんです。

それに対して、たばこを吸いたいと言う障害者に、「あたなの体に悪いからやめておいた方がいいですよ」と言う。

あるいは、「こんなテレビを見るよりも、もっとこういう番組を見た方がいいですよ」とか、「あるいはゲームなんかしてないでもっと本を読みましょう?」などと言う。こういうのもパターナリズムの一例です。

つまり、「あなたのために」という形を装ってしのび寄ってくる主体性への侵犯に対し、どう抵抗して自分の人生を自分で生きていくかが大切で、だからこそ、自立生活をする障害者は、一見わがままな人に見えてしまうところがあるのです。

パターナリズムの究極の形は「殺してあげないとかわいそう」

パターナリズムは、見かけ上は必ず「あなたのために」という形をまといながら忍び寄ってきます。

パターナリズムの究極の形はいったいなんでしょう。

これは私が勝手にそうだなと思っているんですが、最終的には「殺してあげないとかわいそう」に行き着くのではないでしょうか。

これは1970年代、まさに「青い芝の会」の人たちが声を上げた出発点であり、日本の障害者運動はここから始まってるわけでしょう?

当時は、在宅福祉の制度なんて皆無の時代で、施設に入れようにも、特別養護老人ホームの待機者が何十万人といるみたいに、施設そのものが未整備でしたから、その頃、障害児を抱えていたお母さんは本当に大変な思いをしていました。

世間の目は今よりずっと冷たいし、差別も露骨だった時代ですから、「重い障害があるわが子がかわいそう。殺してやれるのは自分だけだ」などという思いから、親が障害児を殺してしまう事件が1970年代に多発しました。

それに対して声をあげたのが青い芝の会という脳性まひの人たちのグループで、「冗談じゃない、俺たちは生きたいんだ。かわいそうだからと言って殺さないでくれ」と声をあげた。ここが日本の自立生活運動、障害者運動のスタート地点でもあったわけですね。

「殺してあげないとかわいそう」というのは、2016年に起こった衝撃的な事件とも無縁ではないと思います。

相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、深夜にナイフを持った元職員が19名の障害者を殺害、27名に重軽傷を負わせたという事件です。

私は今、植松聖被告と手紙のやり取りをして、その後、面会を重ねるようになりました。今、彼は横浜拘置支所というところにいますが、彼の考え方の中にも、「殺してやらないとかわいそう」という思いが混じっていたと思います。今、実際に彼と会っていますので、あまり軽々しい結論は出したくないのですが......。

夜更けにバナナはわがままか?

たばこの話から脇にそれましたが、パターナリズムというものにどう抗していくかというのが、自立生活を考えていく上ですごく大切です。だからこそ、自立生活をしている障害者の人たちは、鹿野さんもそうですが、わがままに見えてしまうということですね。

でもそれは果たしてわがままなのかということを介助者も考える必要があるわけです。

『こんな夜更けにバナナかよ』というタイトルは、夜中に起こされてバナナ食べたいと言われた学生ボランティアの介助者が、鹿野さんが夜ちゃんと寝てくれれば自分も仮眠を取れるのに、夜中に叩き起こされて、「腹減ったからバナナを食べたい」と言われたエピソードからつけました。

介助者は、国吉智宏さんというボランティアなんですが、ふてくされた感じで口にバナナを押し込んで食べさせて、さあもういいだろうと思ったら背後から、「くにちゃんバナナもう一本!」と言われたんですね。

彼は、キレかけながらも、「ここまで自分の思いを主張してくる鹿野さんってすごいな」と思って、急に怒りがクールダウンしてしまった。そういうエピソードを語ってくれました。

私も研修に参加して一通りの介助をできるようになりまして、たんの吸引も教わって介助者として一人前になった。

そうなると、度々鹿野さんから電話が入って、「来週水曜日どうしても人が埋まらないんで、渡辺さん介助入って」って言われるんです。どんどん私も、取材しているのか鹿野さんの介助をしているのかわからない状態に巻き込まれていきました。

私はよく泊まり介助に入りましたが、私の場合はバナナ食べたいじゃなくて「そうめん食べたい」と言われましたね。

自分でできないことをやってもらうのはわがままではない

そもそも、鹿野さんはなぜ夜寝つけないのかというと、筋ジスの人は寝返りが打てないでしょう? そのため、眠っていて体が痛くなると、介助者を起こして体位交換、体位変換してもらう。

つまり、寝返りが打てない人にとっては、眠ることは体の痛みとの戦いでもあるということです。

それと鹿野さんは、眠ると二度と目が覚めないんじゃないかという恐怖心みたいなもの、不安神経症を抱えている人でしたから、毎日いろんな薬を飲んでいました。

寝るときにも非常に強い睡眠導入剤を飲んで寝るんですが、少しすると目を覚ましてお腹すいたと言っては、僕の場合はそうめん食べたいというわけですね。

「ちょっと渡辺さんそうめん茹でて」と言われて、「はいわかったよ」と言って、そうめんを茹でて、ネギとかは誤嚥しやすいですから何も入れずに、茹でたそうめんを冷やして、めんつゆを水で割って冷やしそうめんを作る。

持っていって食べさせると、「ちょっとめんつゆ薄いわ」と言ってやり直しをさせる。それでもう一度めんつゆを加えて持っていくと、「ちょっとしょっぱいわ」と言われて、またやり直しさせられる。それを3、4回やらされる。

最後鹿野さんが何を言ったかというと、「渡辺さん、まだまだ俺の味わかっとらんなぁ」と言われるんですよ。「ふざけんな。このオヤジ!」と思うんですけれども(笑)。

そういう体験があって、やっぱりみんなこういう経験をしているんだなと思ったと同時に、普段は、さも優しくて包容力のある人間であるかのようなふりをしている私が、これぐらいで腹を立てていることに気づく。

あたかも自分が全否定されたかのような、介助者として君は向いとらんと言われたような、結構ショックですよね。

優しいふりしてやってあげたら、ダメだと言われてやり直しさせられると結構ショックなんですが、もし鹿野さんが手が動いて自分で味を調整できれば、自分でやりますよね。

それが全くできないから人に頼まざるを得ない。あるいは、自分でできる人であれば、「今日はたまたま渡辺が作ってくれたから、まあ我慢するか」ということがあるかもしれませんが、鹿野さんは永遠にそれができないわけです。

だから、自分の好みの味になるまで何度でもやり直ししてもらうというのは、これは考えてみたら、全然わがままじゃないなって気づきます。

たばこの問題もそうですが、「果たしてこれはわがままなんだろうか」という問いを、自分自身に突きつけることのできるボランティアは長く続くし、何より自分自身が大きく成長していきます。

アダルトビデオ介助も 聖人君子ではない

この写真も、どちらが社会的弱者なのかという感じですね。

鹿野さんのキャラクターは、ある意味、天然キャラというか、何か含蓄のあることをいってみんなをうならせるような人格者タイプの人では全然ありませんでした。

その意味では大泉さんがとてもうまく演じてくれたのですが、鹿野さんが何かカッコいいことを言うと、ああまたカッコつけてるなというのが見え見え。そういう鹿野さんにツッコミを入れたり、みんな鹿野さんをいじって遊ぶのが大好きで、このバカ殿をどうにか支えなければと思わせるような感じの人でした。

ビデオ介助というのもありました。アダルトビデオを見せる介助です。

これは映画でもすごくいいシーンとして描かれていました。

当時はDVDやインターネットがさほど普及していない時代でしたが、VHSのビデオコーナーが部屋の隅にあるのをボランティアが長い人たちはみんな知っています。

映画では、高畑充希さん(役名・美咲)が、鹿野さんに「英語の辞書をとって」と言われて、本棚から辞書を出したら、その奥にアダルトビデオがあって、「鹿野さん、これみて何するの?」と聞くシーンがあります。

本当に自立生活ってこういうことなんだなと思います。私も取材する前は、障害者に性欲はあるんだろうかとか、性欲の処理はどうしているんだろうかとか、こういうことを考えちゃっていいのだろうかというためらいもあったのですが、当然あります。

介助者たちがどう応えていたのかというと、ビデオをセットして、鹿野さんのズボンとパンツを脱がせ、ティッシュを何枚か握らせた手を股間に持っていく。そして、鹿野さんからお呼びがかかるまで、居間に待機するという形を取っていました。

さっきの山内太郎くんなんかは、たばこ介助には結構抵抗したんですが、「太郎、今日は人妻もので」と言われると、「わかったよ」と言って素直にレンタルビデオ屋さんに走る。そういう信頼関係がありました。

こうした介助は、当然のことながら、頼める介助者と頼めない介助者がいます。鹿野さんも、このボランティアはどこまでOKかを常に考えてものを頼んでいました。また、女性も多いですから、下手なことを言ったらセクハラになりますし、変な噂が広まったらボランティアが集まらなくなって鹿野さんにとっては死活問題です。

ですから、鹿野さんは日々、頭をフル回転させてボランティアのローテーションを組んでいましたね。

支える人と支えられる人は逆転する

最後に、鹿野さんとボランティアの交流を通して、私が何を感じたのか、映画や原作を通して何を描きたかったのかを簡単にまとめますと──。

「支える人」と「支えられる人」というと、固定化したイメージで捉えられがちです。要するに、鹿野さんのように障害がある人はつねに「支えられる人」で、ボランティアや介助者が「支える人」だと一般には思われています。

ところが、鹿野さんとボランティアの関係を見ていると、それはしばしば逆転していて、どちらかというと鹿野さんの方が若いボランティアたちを支えているんじゃないかと思える場面がたくさんありました。

例えば、映画で三浦春馬さん(役名・田中)のように、「自分は医者に向いているんだろうか。そもそも本当に医者になりたいんだろうか」というような、「人生どう生きればいいのか」と迷っているような若者にとって、鹿野さんから支えられる場面はたくさんあった。

また、鹿野さんみたいな人と出会い、鹿野さんのような人を助けることによってまず、承認欲求というか、自分は人の役に立てるんだという思いをまずいただくこともありますね。

そして、自分よりも制限が多く、障害の重い鹿野さんが自分よりずっと自由に生きていると教わったりすることもあります。これはボランティアだろうが有償介助者であろうが変わらないと思うんですが、そういう意味で支える人と支えられる人が逆転していますよね。

もう一つは主婦のボランティアがそうでしたが、だいたい子育てがひと段落すると、夫との関係が冷え切っていて、「夫にとって自分ってなんだろう、子どもにとって自分ってなんだろう」、そういう風に人生を考えている主婦の人たちの相談相手だったりもする。

鹿野さんのところにきて、夜な夜な、「鹿野さん聞いてよ。夕べも旦那にこんなことひどいこと言われて」みたいに相談すると、鹿野さんが「もっと前向きに生きましょうよ」と言うんですね。障害の重い、ベッドで寝たきりの鹿野さんが。

先ほど、承認欲求、と言いましたが、誰しも人は、他の誰かを支えているという思いなしに生きていけないところがありますよね。

介護や介助に関わらず、それはどんな仕事でもそうだと思うんです。私も文章を書いたり、こうして皆さんの前でお話しして、何かしら皆さんの役にたっているという承認欲求を皆さんから満たして頂くことによって生きている。

支える人、支えられる人を分けて、これからの時代は、支えられる人ばかりがどんどん増えていく社会だという言い方がよくされますが、逆に「支える人」ばっかりがいても社会は回っていきません。

お医者さんだって、患者さんがいて初めてお医者さんであることができる。要するに、患者さんが自分をお医者さんにしてくれるわけですよね。

社会や経済というのは、支える人と支えられる人、求める人と求められる人の関係の網の目によってできています。そういう意味で、支える人と支えられる人は常に対等なんだということをボランティアと鹿野さんの関係を通して学びました。

そして、介護の世界は、人間関係や社会の基本原理が、いわば凝縮した世界といってもいいのではないかと私は思っているのです。

【渡辺一史(わたなべ・かずふみ)】ノンフィクションライター

1968年、名古屋市生まれ。北海道大学文学部を中退後、北海道を拠点に活動するフリーライターになる。2003年、札幌市で自立生活を送る筋ジストロフィーの鹿野靖明さんとボランティアの交流を描いた『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社、現在は文春文庫)を出版し、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2011年刊の『北の無人駅から』(北海道新聞社)でサントリー学芸賞、地方出版文化功労賞などを受賞。他の著書に『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』(ちくまプリマー新書)。