撤去された「朝鮮人強制連行追悼碑」 問われた展示の「中立性」とは

    群馬県立近代美術館の企画展で展示されるはずだった白川昌生さんの作品は、なぜ撤去されたのか。

    2017年4月。群馬県立近代美術館の企画展に展示されるはずだった造形作品「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」が、開会当日の朝になって撤去された。

    県が係争中の案件を取り扱った作品だったため、「中立ではない」と館側が判断し、作家同意のもとで撤去されたという。

    いったい、どういう経緯だったのか。作品の「中立性」とは何なのか。 BuzzFeed Newsは関係者に取材をした。

    実在する碑をモチーフに

    まず、大枠の経緯を振り返ろう。

    撤去された作品は、前橋市のアーティスト・白川昌生さん(69)のもの。群馬県立近代美術館で開かれる企画展「群馬の美術2017〜地域社会における現代美術の居場所」で展示される予定だった。

    そもそもこの作品は、近代美術館がある公園「群馬の森」(高崎市)の敷地内に実在する「『記憶、反省、そして友好』の追悼碑」をモチーフにしたものだ。

    碑をめぐっては、その撤去を求める県と設置主体の市民団体の間で裁判が起きている。

    「追悼碑」は2004年、「戦時中に群馬で強制労働に従事させられ、亡くなった朝鮮人犠牲者を追悼すること」を目的とし、市民団体によって建てられた。県議会が全会一致で請願を採択し、県が許可を出したうえでの建設だった。

    しかし2012年ごろから、碑の存在に反発した保守団体が街宣活動などを開始。2014年には設置許可取り消しを求める陳情が県議会で採択され、県も設置許可の更新申請を却下。撤去の方針が決まった。

    「政治的行事及び管理」を禁止した許可条件に違反している、などの理由だ。これを不服とした団体側は県を提訴。いまも裁判が続いている。

    白川さんはこうした経緯を踏まえ、「公共の場における碑の役割」を提起したいとの思いを作品に込めている。同様に碑の設置に関して揉めていた「長崎原爆投下記念碑」をモチーフにした作品とともに、2015年に発表した。

    撤去が決まったのは前日だった

    「館長決定ですから、企画展に呼ばれている作家としてはしょうがないですよね。最初は学芸員もノリノリだったので、根回しも済んでいるかと思ったんですが……」

    前橋市内でBuzzFeed Newsの取材に応じた白川さんは、そう淡々と語り始めた。

    そもそも白川さんが作品の撤去を伝えられたのは、開会前日(4月21日)の夕方のことだった。学芸員から「大変なことになりました」と電話があり、「県が当事者の裁判についての作品だから展示ができない」という説明を受けたという。

    苦肉の策として、作品のキャプションを外したり、経緯を簡単にまとめた動画の上映をやめたりするなどの選択肢を提示した。しかしその日の夜、「館長決定」として、撤去の方針が伝えられたそうだ。

    白川さんは言う。

    「作品には、県の言うような『追悼碑の撤去に反対』というメッセージを込めているわけではありません。公共の彫刻が抱えている課題を伝えたかった」

    自身が「追悼碑」の設立や、訴訟に関わっているわけではない。ニュースで問題を知ったといい、そこからインスピレーションが生まれている。

    「公共彫刻は社会に接して立てられるものです。できごとに対する見る側の記憶を呼び覚ますきっかけになり、それをめぐる闘いも引き起こす。碑がなければ、記憶そのものが『ある』『ない』以前の問題になりますよね」

    「そういう性質を持っているため、公共彫刻は時の政治的な流れで排除される、作り変えられるなどのことは避けては通れない。今回の作品では、公共彫刻がそういった社会の動きと不可分であることを、群馬と長崎の『事件』を通じて提示したかったのです」

    受け手にも、この問題を考えてもらいたい。そんなメッセージを込めていたゆえに、「事件」のあった群馬において展示することにこだわっていたという。

    県が「中立ではない」と判断した理由

    近代美術館側はなぜ、白川さんの作品を「中立ではない」と捉えたのか。

    「県の行政サービスのなかで美術館は運営されている。当事者の一方が県である係争中の事案を表現した作品はふさわしくないと、美術館として判断しました」

    そうBuzzFeed Newsに語るのは、美術館の稲葉友昭副館長だ。撤去に至った経緯をこう説明する。

    「白川さんの作品は、さまざまなモニュメントが公共の場から無くなっていることを『良いのか?』と問題提起するもの。反語的には追悼碑を撤去するのは『ダメだ』と感じとられる懸念があると考えました」

    「意見が分かれているものについて、一方の側の意見を反映したものだけを展示すると、バランスを欠いていることになってしまいます。その懸念を感じ、訴訟の当事者でもある県の組織として、このような判断となりました」

    しかし、芸術がバランスを欠いていて展示できないというのは、そもそも企画展のテーマである「現代美術の居場所」を否定することにもなるのではないか。

    そう聞くと、稲葉副館長はこう答えた。

    「芸術作品が政治的であることはまったく否定していません。たとえばピカソのゲルニカだって、フランコ政権に反対するという政治性がありますが、それは時間的にも昇華され、戦争の悲惨さを伝えるものになっています」

    「ただ、白川先生の作品は生々しすぎた。いま、県で先鋭的な意見対立が起きている碑を取り上げている。アンタッチャブルな部分に踏み込んだもので、県立の美術館で展示することはできないと判断しました」

    撤去に至るまでの経緯は

    では、なぜ開会当日の撤去だったのか。稲葉副館長の説明を時系列にまとめると、下記の通りになる。大きな流れは、白川さんの記憶とも食い違いはない。

    • 3月上旬:美術館から白川さんに企画展に複数の作品の展示を依頼
    • 3月19日:白川さんからうち一つの作品を「追悼碑」に変更したいと連絡。すでに発表済みだったため、学芸員が許可したが、共有せず
    • 4月21日午前:「追悼碑」が設置されていることが発覚
    • 4月21日午前:「県が係争中の裁判に関わる作品がふさわしいのか」と館内で議論がはじまる。県に報告、東京にいる岡部昌幸館長(帝京大学教授)を呼び出す
    • 4月21日午後5時ごろ:白川さんに連絡。撤去以外の選択肢が提示される
    • 4月21日午後9時ごろ:作品撤去が適当と館長が判断。白川さんに連絡
    • 4月22日午前9時ごり:白川さんが自ら解体撤去、代替作品の展示はなし
    • 4月22日午前9時半〜:開会

    白川さんの「追悼碑」は2015年に東京・表参道「消された記憶展」で、2017年2〜3月には鳥取県立博物館で展示されている。

    そのため、学芸員は展示を「問題ない」と判断。それを館内で共有していなかったため、前日まで事態自体に気がつくことができなかった、ということだ。

    県の「忖度」はあったのか?

    撤去に至るプロセスで、県文化振興課の担当者からは、「展示するのはまずいのではないか」という「オーダーではない」(稲葉副館長)言葉があったという。

    美術館は、県の上層部の意向を忖度したのではないか。そう問うと、稲葉副館長は「忖度ではありません」とし、館として独立した判断だったと強調した。

    「県立近代美術館で開かれる企画展ですから、我々が主導的な役割と責任を果たさないといけない。今回の作品は、その範囲を超えている」

    「たとえば、『追悼碑は撤去すべき』という作品があれば、展示全体としてはバランスが取れたと思います。しかし、直前に別の作品を展示するのは難しいことですよね」

    県はどう見ているのか。県文化振興課の担当係長は、BuzzFeed Newsに経緯をこう説明する。

    「事案があったという連絡を受け、作品を確認し、館側から話を聞きました。大きな問題ですから、うちの方からは部長以下、課長、次長、担当者が美術館に向かい、館側と協議をしましたがあくまで館の判断を支持するという立ち位置です」

    大きな問題、とは?

    「同じ敷地内で碑の方が係争中ということが、大きな問題なのです。作家の同意の元で作品撤去をしたという結論に至るプロセスも大事になってくる。何度も繰り返しますが、指示するということはしていません」

    撤去すること自体が「中立ではない」?

    「美術館の姿勢には矛盾を感じざるを得ません」

    そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、碑をめぐる訴訟で市民団体側の弁護団事務局長をつとめる下山順弁護士だ。

    「作品のモチーフになっている碑の撤去は、日本会議に関係する議員の多い県議会が、保守団体の動きに呼応し、県の判断となったもの。圧力に屈したというのが私たちの見方です」

    今回の美術館の動きも、こうした県の判断の延長にあるとみる。

    白川さんとは直接会ったことはなく、ニュースでこの美術館をめぐる問題を知ったという下山弁護士。「中立性」を強調し、作品を撤去した美術館の判断をこう批判した。

    「中立性を保つために碑を公園から排除する、美術館から作品を撤去するという判断自体が矛盾しているのです。撤去すること自体がそもそも政治的で、強烈なメッセージ性があると言えるのですから」

    誰が「中立」を決めるのか

    一方の白川さん本人も、美術館側がこだわった「中立性」について聞くと、こうつぶやいた。

    「そもそも作品が中立であるかどうかを、誰が決めるんでしょうね」

    その上で、「どんな作品でも展示できるのが美術館の果たすべき役割だ」と指摘した。

    「作品が政治的であったとしても、公の場で公の問題を提示できるような様々な作品を見せられるのが、美術館の役割だと考えています。近代美術館には、それを果たしてもらいたかった」

    「碑を撤去するという県や県議会の方針は決まっている。本来であれば独立性を保ち、美術館の役割を果たす必要があるのですが、どう考えても現実的には忖度したんでしょう」

    置かれた「わたしはわすれない」の旗

    企画展は、6月25日まで続く。白川さんの作品が本来置かれていた場所にはいま、「わたしはわすれない。」というのぼり旗が建っている。

    展覧会に展示している別の白川さんの作品に使われている旗だが、撤去後に白川さん自身が置いたものだ。

    「今回の騒動を知っている人が旗を見たときに、ひょっとしたらいろいろ想像してくれるかもしれないと思って、置いたんです。ある人から『恨みがあるんですか』と聞かれたけれどそんなことはありませんよ」

    騒動を知った人たちからは、こうしたすべての動きも含めて「作品」だったのではないか、と聞かれることもある。そういった意図はなかったという。

    再展示や美術館への抗議などは特段、予定していないそうだ。