この日本で、国に自由も家族も奪われた人たちがいる。絵筆に託された私たちへのメッセージ

    かつて「らい病」と呼ばれ、国策として療養所に隔離されたハンセン病の元患者たち。彼ら、彼女らが「生きる希望」を見出したのは、キャンバスの上でした。

    ハンセン病。日本には、たった20年前の1996年まで存在した「らい予防法」に基づき、この病にかかった患者たちを、無理やりに社会から隔離した歴史がある。

    多くは家族の元を引き離され、塀に囲まれた隔離施設に収容された。死ぬまでその中で暮らし続けないといけない運命を、国に決められた。子どもができたのに、病を理由に中絶させられる夫婦たちもいた。

    怒り、悲しみ、そして仲間たちと見出した喜び。「塀の中」で抱えてきた様々な思いを、絵筆に向けた人たちがいる。国内最大の療養所「菊池恵楓園」(熊本県)にある絵画クラブ「金陽会」のメンバーたちだ。

    BuzzFeed Newsはそれぞれの作品を紹介しながら、クラブの活動を振り返る。

    ※記事中のキャプションはいずれもヒューマンライツふくおかによるもの

    日本は長年国策として、ハンセン病を患った人たちを全国各地の「療養所」に隔離してきた。後遺症で手足や顔が変形してしまうことに加え、「移る病気」という間違った認識が一般的だったからだ。

    戦後、ハンセン病は薬によって治る病気となった。それでも患者たちは、療養所の外で暮らすことも故郷に帰ることも、許されなかった。親戚に影響が及ばないよう、偽名(園名)を名乗らされた。

    「病が移るのを防ぐため」として子どもを作ることは許されず、堕胎や断種(パイプカット)を強いられた人たちも多い。たとえ病が治っていても、だ。

    国の「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によると、1949年から96年までハンセン病を理由に不妊手術をされた男女は1551人。堕胎手術の数は、7696件に及ぶ。

    隔離政策を定めていた「らい予防法」は96年に廃止された。しかし、荼毘に付された入所者の遺骨を誰も取りに来ない、といったことは後を絶たない。骨になっても帰ることができない。ハンセン病差別がいまも、社会に根付いていることを示す悲しい証拠だ。

    金陽会は、そんな療養所で暮らす人たちが始めたサークル活動の一環だ。会が発足したのは1953年。絵が好きだった入所者たちが集まり、毎週金曜日に細々とみんなで作品をつくり続けてきた。園内の文化祭などで発表していたという。

    多い時には15人ほどの会員がいたが、ほとんどの人たちが亡くなったり、高齢化により筆を握ることができなくなったりしてしまった。いまも活動を続けているのは、1929年生まれの吉山安彦さんだけだ。

    吉山さんは17歳から今まで70年近く園に身を置き、絵筆を執り続けてきた。

    それぞれの絵には、描き手の強い思いが込められている。

    自分の記憶の中しかない何十年も昔のふるさとを描く人、1度しか行ったことのない小学校の遠足を描く人、自分たちを閉じ込める療養所の高い塀を描く人、買いたくても買えなかった夢のマイホームを描く人……。

    金陽会のメンバーたちは、絵を描くことに「生きる希望」を見出した。自らの夢や思い出、さらには抱え込みきれない気持ちを、筆にぶつけた。

    大量に描かれた絵たちの多くは、吉山さんが保存をしていた。園内のあちらこちらに飾られたり、タンスの奥に眠っていたりしていたものもあった。

    そんな作品群の価値を世の中に伝えようと立ち上がったのが、熊本市現代美術館で学芸員をしていた蔵座江美さんだ。これまでも数回、美術館でメンバーたちの絵の展覧会を開くなどした経験があった。

    「作品たちはまさに、入所者の方たちが生きてきた証なんです」。BuzzFeed Newsの取材にそう語る蔵座さんは2015年、祖父が鹿児島県の療養所の入所者だった古長美知子さんとともに、作品の収集や聞き取り調査を始めた。

    いま、園の入所者の平均年齢は80を超える。「もう時間がない」という強い思いが、その背中を押したという。

    吉山さんやボランティア、そして園関係者の協力を得ながら、絵の収集と整理に取り掛かった。これまでに見つかった作品は850点を超えた。

    「こんなに出てくるとは思っていなかった。いままで存在が明らかになっていなかった”新作”も、たくさん発見されたんです」と語る蔵座さん。

    近く、デジタルアーカイブの作業も始める予定だ。最終的には園内での常設展示のほか、ユネスコ世界記憶遺産への登録も目指している。

    蔵座さんは言う。

    「ハンセン病に端を発する差別は、なんにも終わっていない。作品たちは、当事者や家族に、私たち社会が知らない間にやってきた差別みたいなものを、強く訴えるわけではなく、優しく指し示してくれると思っています」

    「この絵を知っている身として、伝える義務があると感じています。たくさんの人たちに見ていただくために、いろいろな場所で紹介していきたい」

    絵を見た人たちにはよく、「私たちには、何ができるのでしょうか」と聞かれる。

    そのたびに、蔵座さんはこう答えるという。

    「そう思っていただくことが、最初の一歩なんです」

    金陽会のメンバーたちが描いた絵を紹介する「いのちのあかし絵画展 願いから動きへ」は、京都市の東本願寺「しんらん交流館」で1月29日まで。

    2017年には、奄美大島で生まれ、最期まで帰ることのできなかった人たちの絵を故郷で展示する「里帰り展」も企画しているという。