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【訃報】戦時中に活躍した元アイドル「まっちゃん」こと明日待子さんが死去、99歳

新宿の劇団「ムーラン・ルージュ」でデビューし、山口淑子、原節子らと同時代に元祖アイドルとして活躍。愛称は「まっちゃん」だった。

昭和初期〜戦後にかけて活躍した元アイドルで女優、日本舞踊家の明日待子さん(本名・須貝とし子さん)が、7月14日に亡くなっていたことがわかった。

99歳だった。死因は老衰で、葬儀は家族だけで営まれた。

明日さんは、かつて一世を風靡した新宿の劇団「ムーラン・ルージュ」でデビューし、山口淑子、原節子らと同時代に元祖アイドルとして活躍。愛称は「まっちゃん」だった。

戦後も映画に出演し、その後は「五條殊淑」の名で日本舞踊の研究所を主宰していた。

明日さんは1920(大正9)年、いまの岩手県の釜石市出身。

鉄工所の役員のもとに生まれ、幼いころから日本舞踊などの芸事を学んでいた。13歳のころ、1931(昭和6)年に創設したかつての「ムーラン・ルージュ」主催者の養女になった。

1933(昭和8)年にデビューすると、瞬く間に人気が出た。そのあどけない見た目から、広告モデルとしても引っ張りだこに。

「初恋の味」のキャッチコピーで売り始めていたカルピスの専属になり、花王石鹸、キッコーマン醤油、ライオン歯磨きなどの商品のポスターも飾った。

「ムーラン」の舞台でも活躍。特に大学総長の格好をしたアイドルたちが、「哲学」の授業をするという内容の「ムー哲」(ムーラン哲学)は目玉作品だったという。

戦時中には慰問公演も

戦時中は兵士向けの雑誌でグラビアを飾ることもあった。慰問にも参加し、満州なども訪れたという。

その後、戦況が激しくなると「ムーラン」の名前は「作文館」に変えられたが、明日さんは空襲警報が鳴る中でも舞台に立ち続けた。

明日さんは生前、BuzzFeed Newsの取材(2017年)に対し、以下のように語っていた。

「私たちも、客席の人たちも、明日には弾が当たって死ぬかもしれない。だから、本当に緊迫した舞台でしたね。見るほうもやるほうも命がけでした。良かった、というとおかしいかもしれないですけれど、真剣な舞台が踏めて、よかったと思っていますよ」

「やっぱりアイドルをしていて、良かったと思えます。思い残すことはありません。それを青春時代というんですかね。うふふ。なんでもできた。なんでも考えられる、良い時代でした。アイドルはね、いつまでも消えないものですよ」

9月8日に偲ぶ会

その後は札幌市に居を移し、「五條殊淑」の名前で日本舞踊の活動を続けていた明日さん。

9月8日には札幌市教育文化会館で百寿を記念した「芸歴八十六周年 百寿の会」が予定されており、親族によると、亡くなる前日まで扇を握って練習に勤しんでいたという。

本来予定されていた公演は「偲ぶ会」として開催される。遺影やパネル写真のスペースを設けるほか、明日さんが出演した1948年の映画「春爛漫狸祭」も上映される予定だ。

公演のため、チケットが必要。問い合わせは正派五條流本部(011・611・8830)まで。