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ダンボール18箱に詰まっていたのは、高畑勲の青春だった。

2018年4月に亡くなったスタジオジブリの高畑勲監督。その創作活動をふり返る展覧会で始まった。展示されるのは、高畑さんに関するアニメーションの資料。その数は1000点にのぼる。新たに発見された資料から見えてくることとは。

2018年4月、82歳で亡くなったスタジオジブリの高畑勲監督。その遺作「かぐや姫の物語」について、高畑さんが20代の頃から構想を練っていたことを裏付ける新たな資料が見つかった。

そこから見えてくるのは、高畑さんのアニメーション人生は、「かぐや姫」に始まり「かぐや姫」に終わっていたということだ。

死後に見つかった段ボール18箱分の資料

生涯をかけてアニメーションの可能性を追求し続けた高畑さん。その創作活動の苦悩と葛藤をふり返る「高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの」が、7月2日から東京国立近代美術館ではじまった。

高畑さんに関する1000点を超える資料が展示され、その歩みや演出術をひもとく構成になっている。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)から「かぐや姫の物語」(2013年)まで。森康二さん、大塚康生さん、小田部羊一さん、宮崎駿監督など、高畑さんと共にアニメーションに青春を捧げた盟友たちの原画なども公開される。

高畑さんと、高畑さんを取り巻く人々の業績をたどること。それはさながら、日本のアニメーションにおける戦後史をふり返ることに等しい、と感じる。

展示の目玉の一つが、生前に高畑さんが残した資料だ。

資料の調査を進めてきた鈴木勝雄氏(東京国立近代美術館・主任研究員)によると、高畑さんの死去後、遺品から段ボール18箱分ものメモやノートなどが見つかったという。

初公開「僕らのかぐや姫」メモ

遺品の中からは、20代半ばで記した「竹取物語」に関する企画を提案するメモ「僕らのかぐや姫」も見つかった。

1959年、東大仏文科を卒業した高畑さんは、演出助手を募集していた東映動画(現:東映アニメーション)に入社する。きっかけは本人曰く「偶然」だった。

入社後、高畑さんは会社から課題を与えられる。それが、かぐや姫の物語の企画の立案だった。当時、東映動画では内田吐夢監督で「竹取物語」のアニメ映画化が検討されていた。

今回発見されたメモは、この当時に書かれたものだと推測される。そのメモをよく見ると、高畑さんが記したこんな言葉がある。

「絵巻物をよく研究して、その描法を生かすこと、特にトレス線を活用する」

「主観的構図は決して使わない。横からの平面的な客観的構図」

「アニメイションは大胆に省略した動きを用いる」

「各キヤラクタアは、簡略化してよいが抽象化のうちにも充分人間の姿を感じさせねばならない」

半世紀以上も追い求めた構想が実現するまで

通常のアニメーションでは、作画の初期段階で描かれる線は、最後に清書され残らない。しかし、20代半ばの高畑さんが記したメモからは、原画の初期段階ならではのスケッチ風の線へのこだわりが伺える。

大胆な勢いある線をアニメーションに活かしたい。キャリアの出発点だった東映動画時代から、そんな思いを抱いていたことが伝わってくる。

後年、高畑監督は手書き風の絵を生かし、水彩テイストのアニメーションに挑んだ。「ホーホケキョ となりの山田くん」だ。

セル画は使わず、緻密な描写でもなく、あくまで原作の四コマ漫画に忠実に。シンプルかつ余白を活かした画作りにこだわった。

そこには「現実以上に立派で緻密な世界」を構築しつつあった現代アニメーションへの批評性もあった。高畑さんはインタビューでこう語っている。

「描いていない部分は、みんな自分の生活から連想している。キャラクターだって、あるタイプの人間を代表しているだけで、固有の存在ではない。『これは仮のもんでっせ。本物は奥にありまっせ』というのが四コマのリアリティー。漫画の奥に現実が透けて見えるものにしたかった」

(朝日新聞 1999年5月10日夕刊)

キャリアの集大成となったのが、遺作「かぐや姫の物語」だ。高畑さんは、ここでもスケッチ風の手書きの作画へのこだわりを見せた。

スケッチ風の絵というのは完成画じゃないんだ。たとえば、「こういう気持ちになっているから、それをささっといま書き留めたらこうなったんだ。こういう感じだったんだよ」というような絵になっている。鉛筆でザザッとしたり、途切れたり、そういう手法が大事なんです。

(『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。〜ジブリ第7スタジオ、933日の伝説〜』)

線の途切れ、塗り残しこそが重要だとされた作画は、田辺修さんが担った。

背景にもこだわった。「かぐや姫」の世界を彩るべく、淡く繊細な、情感豊かな背景を。そんな高畑さんの要望に応えたのは、『となりのトトロ』などで背景美術を手掛けた男鹿和雄さん。水彩絵の具を駆使し、世界観を作り上げた。

出来上がった作画と背景が合わさると、まるで一枚の絵のような画面が出来上がる。これらをつなぎ合わせ、アニメーションにすると、まるで「絵巻物」を見ているかのようだ。

もう一度、20代半ばの高畑さんが記していたメモを振り返ってみよう。

「絵巻物をよく研究して、その描法を生かすこと、特にトレス線を活用する」

「主観的構図は決して使わない。横からの平面的な客観的構図」

「アニメイションは大胆に省略した動きを用いる」

「各キヤラクタアは、簡略化してよいが抽象化のうちにも充分人間の姿を感じさせねばならない」

高畑さんが50年以上も追い求めてきた構想が、精鋭のアニメーターたちの手によってついに実現した瞬間。それが「かぐや姫の物語」だった。

「竹取物語」の衝撃的なラストシーンも考えていた

日本最古の物語文学とされる『竹取物語』。竹から生まれた「なよ竹のかぐや姫」が、5人の公達と帝からの求婚に応じず、やがて月へと還っていく。

誰もが知っているストーリーの中には、描かれていない部分、いわば「隠された物語」があるのではないか。高畑さんは、これを探り当てようとした。

メモと併せて、展示される構成案「『竹取物語』をいかに構成するか」。これも高畑さんが20代半ばで書いたものだが、その中身はいささか衝撃的な内容だ。

主人公となるのは竹取の翁。竹の根元から拾ってきた「なよ竹のかぐや姫」を献身を惜しまずに育てる。

「次第にかぐや姫の美しさは、翁を超えて日に日にまさるばかりである」

やがて翁は、「美」の高みにまで登ったかぐや姫を前に、「自分の手につかみたいと思う強い衝動と不可能さの無力感」に苛まれることになる。

そして翁は「ただならぬ目つき」で竹細工に使うノミを用いてかぐや姫を刺し殺す。

かぐや姫は出迎えに来た月の使者と共に昇天し、竹取の翁はそのまま息絶える。そしてそこには、何事もなく輝く月が浮かぶ――。当時は、そんなラストシーンも構想の一案にあったようだ。

そこから半世紀あまり。2006年のある日の朝だった。鈴木敏夫プロデューサーの部屋を訪ねた高畑さんの頭の中に、東映動画時代に書いた「竹取物語」の企画書が突然蘇ったという。

「かぐや姫はなぜ地球に来たのか」 その答えは…

「竹取物語」を映像化する上で、高畑さんにはどうしても避けては通れない疑問があった。

それは「かぐや姫はなぜ、何のために地上へやって来たのか」という点だ。

20代の高畑監督が残した構成案を見てみると、ノミで刺されたかぐや姫が息絶え絶えになりながら、翁にこう語ると書かれている。

ああ、これで私は月に帰ることができます。私は月の住人ですが、一族の罪によって私はこの地上に降ろされていたのです。あなたの苦しみが、あなたの愛が、憎しみが私を月に返してくれました。

私のために燃やしつくしてくださった命の火が、私に乗り移ったのです。


(高畑勲・「『竹取物語』をいかに構成するか」)

一方で、「かぐや姫の物語」(2013年公開)の企画書に、高畑さんはこう記している。

かぐや姫は「何のために地球にやって来たか」と言えば、姫にとっては、月にない地球上の自然と人とのあらゆる豊かな「生」を、そしてとくに「愛」を享受するためであり、月の人たちにとっては、罰として地上の穢れを姫に体験させるためである。


(高畑勲・企画「かぐや姫の物語」より)

ラストシーンは異なるが、どちらもかぐや姫が「罪」によって地上に落とされた点など共通点も読み取れる。

高畑さんが至った結論。それは、かぐや姫は「生」を享受するために地球へやってきたということだ。

ヒントは月と地球の違いです。原作に書いてあるとおり、月は清浄無垢で悩みや苦しみがないかもしれないけど、豊かな色彩も満ち溢れる生命もない。

もしもかぐや姫が、月で、地上の鳥虫けもの草木花、それから水のことを知ったら、そして人の喜怒哀楽や愛の不思議さに感づいたら、地球に憧れて、行ってそこで生きてみたくなるのは当然じゃないかと。


(文春ジブリ文庫・ジブリの教科書19「かぐや姫の物語」)

ところが、憧れを抱いてやってきた地球で、かぐや姫は人間の愛と憎しみを知る。そして、帝から迫られたとき、その恐怖から「月に帰りたい」と願ってしまった。

かぐや姫は、迎えの使者たちとともに月へ帰っていく。このとき地球で過ごした日々の記憶も失う。それは地上での「死」を予感させる。これもまた「罰」と言えるのかもしれない。

最後に迎える結末は、確かに悲劇的なものではあった。だが、地球の自然の豊かさと、人間が持つ「善良さ」「愚かさ」を照らし出すものでもあった。

2013年11月、構想から半世紀をかけた「かぐや姫の物語」は、ついに1本の映画としてに結実した。上映時間137分、それは「アニメーション監督・高畑勲」の集大成といえる絵巻物だった。

それから4年半。「太陽の王子 ホルスの大冒険」での監督デビューから50年となる2018年、高畑さんはこの世を去った。

アニメーションが持つ力を信じ、その可能性を追い求め続けた人生は、「かぐや姫」にはじまり「かぐや姫」に終わる、壮大な物語だった。


高畑勲展ー日本のアニメーションに遺したもの」は、東京国立近代美術館にて7月2日より10月6日まで開催される。