妊娠中絶した女性が伝えたいこと。「わたしは、傷モノなんかじゃない」

    大切な人たちには、隠さずに話すべき。

    スリランカ系オーストラリア人の女性ニシャーさんは2015年、インドの農村で公衆衛生を学ぶ旅に出かけた際、妊娠中絶の手術を受けた。

    ニシャーさんは2年間、両親に堕胎したことを隠していた。彼女の両親は仏教徒で、ニシャーさん姉妹は『伝統的なスリランカ人の女の子』として育てられた。

    現在31歳のニシャーさんは、BuzzFeed Newsに「私の両親はとても保守的で、セックスについて気軽に話し合うことなど到底できませんでした」と話す。

    「彼らにとって最悪の事態は、私が結婚前に妊娠することでした」

    ニシャーさんが、自身の経験について語ろうと考えたのは、あるきっかけがあった。昨年末、妊娠中絶のサービスを提供するオーストラリア最大の医療機関マリー・ストープス・オーストラリアが、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の重要性を訴える人々を募集していたからだ。今こそ両親にも伝えるべきだと、彼女は決意した。

    「自分の体験談をシェアしたいと思ったのは、理由があります。子供の頃に接してきた会話や、テレビ・映画などのメディア、教育からの影響も含めて、私は中絶したら心に傷を負うのだと、ずっと信じてきました」

    「でも私の場合、これは全く違いました。自分の状況を考えて慎重に下した決断であり、この選択によって、私の心はトラウマではなく安らぎを得たのです」

    ニシャーさんは妊娠8週のときに、ムンバイの私立病院で中絶手術を受けた。費用はおよそ500豪ドルだった。

    ニシャーさんは、ほかの誰にも自分と同じ立場になって欲しくないと語る。しかし同時に、彼女は妊娠中絶によって『傷を負った女性』にはならなかったことも、女性たちに知っておいて欲しいのだ。

    「中絶は、私の人生にこれまで起こった最悪の出来事ではありません」と、彼女は話す。

    「私は出産計画における優先順位に従っただけです。いずれ子供が欲しいとは思っていました。でも、タイミングとしてあの時ではなかった。自暴自棄になっていたわけでも、未来を悲観していたわけでもありません」

    ニシャーさんとパートナーは、妊娠が発覚した当初から、出産はしないということでお互いにはっきり合意しており、一切迷いはなかったという。

    「私たちの関係は安定していましたが、経済面で不安がありました」と語るニシャーさん。「昔からずっと子供は欲しかったのですが、自分の専門分野の研究も好きだったし、それを諦めたくなかったのです」

    ニシャーさんは、体外受精クリニックで胎生学者として働いている。よって、妊娠初期の胎芽についても熟知しており、これが彼女の妊娠中絶に対する考え方を変えていった。

    「私は胎芽ができるまでの過程を担当しています。うまく成長する場合もありますが、難しいことが多いです」

    「それぞれ新しい命となる可能性を持っていますが、生存能力のある命と同じではありません。痛みも意識もないのです」

    さらに、彼女の仕事は、自分にまだ母親となる準備が全くできていないことも自覚させた。

    「体外受精を試みた家族たちは、胎芽の成長を祈るように待っている。これほどの強い思いを、私はまだ自分自身に見い出すことができないのです。全ての子供は、望まれて生まれて来るべきだと思います」

    ニシャーさんは昨年12月、修士号を取得した前日に、彼女の両親とパートナーの母の前で、2015年の妊娠中絶のことを打ち明けた。

    「全員ショックを受けていて、すぐにいろいろ質問できるような状態ではありませんでした」と振り返るニシャーさん。「私には決して経験して欲しくなかったことだろうし、聞くのは辛かっただろうと思います」

    パートナーの母は、中絶にあたり息子がニシャーさんのことを支えたか気遣った。

    そして、ニシャーさんの母もついに口を開いた。

    「母はこれから先のことが大切だと語り、私たちの決断についても尊重してくれました。どう反応するか不安だったのですが、結果、親たちにはとても感謝しましたし、サポートしてくれて心のつかえが取れました」

    ニシャーさんは、家族に告げたことを後悔していない。

    「こういった秘密を抱えることは、精神衛生上よくありません。自分を気にかけてくれる大切な人たちの前で、本当の自分を見せていないことになるからです」

    「中絶を非難されるようなことがあってはなりません。それほどまでに恥ずべき行為ではないと思うのです。オーストラリア人女性の3人に1人が、人生のうち妊娠中絶を経験しています。今や私もその1人です」

    ニシャーさんは、仏教徒として育てられたことに対する反動で、妊娠中絶したわけではないと語る。

    仏教には、命あるものを殺さないという戒律があるが、彼女曰く、仏教において全ての生き物が同等の価値を持つわけではない。

    「人の命が宿る上で、受精卵は不可欠です。でも受精卵だけでは、カルマを継ぐ優れた人間にはなれないと思うのです」

    仏教は道徳を絶対的に強制するものではないと、ニシャーさんは考えている。妊娠中絶は苦しい選択だったけれど、『慈悲の精神にもとづいた決断』だったと彼女は信じている。

    「当時、私のパートナーはオーストラリアに移住してきたばかりで、私たちはシェアハウスに住んでいました。2人とも安定した仕事に就いておらず、私はまだ修士過程の折り返し地点だったのです」

    「自分の子宮内にある胚盤胞のこと、子供を持ちたいという願望、そしてもし出産しない場合に必要となるサービスについても、いろいろと思いを巡らせました」

    ニシャーさんは海外で妊娠中絶をした。自宅のあるオーストラリア・ビクトリア州でも中絶手術は合法で、納得できる費用で受けることができる。しかし、オーストラリアの他の州では中絶は犯罪扱いで、手術が困難だ。ニシャーさんはこれを言語道断だと語る。

    「私は誰もが手術を受けられるべきだと思います。でも、クイーンズランド州やニューサウスウェールズ州では、中絶はいまだに違法なんです」

    「犯罪となれば、それは大きな障壁になります。いつか中絶が処罰の対象ではなくなり、汚名の烙印から解放されたら、精神的苦痛を心配する必要はなくなるのでしょうか」

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:本間綾香 / 編集:BuzzFeed Japan