シンデレラは、継母と継姉のいじめに耐え続けていたら、魔法をかけてもらって王子様に出会いました。めでたしめでたし。
白雪姫は、嫉妬にかられた魔女に毒リンゴを食べさせられたけど、王子様に助けてもらいました。めでたしめでたし。
そんなの嘘じゃん!
そう。大人になると現実がわかるもの。
「子どものころ、良書だから読みなさいと言われたものは、特に女の子が主人公の場合、耐え忍びながらも明るく健気に頑張るストーリーが多かった。そうやって我慢し続けていると、やがて王子様が現れて、裕福な暮らしができるという」
「でも私は、周りのおばさんたちを見て、そんなの嘘じゃん! と思っていました。みんないろいろ我慢しているけど、幸せそうじゃないし、イライラしている。耐えたからといってハッピーにはなれなさそうだぞ......!?、と幼な心に感じていました」
そう話すのは、ライターの堀越英美さん。穏やかな雰囲気の彼女は小学生の娘2人の母親でもあるが、近著『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)では、やさぐれまくっている。
女の子はいつか大きくなったら「お母さん」になる。「お母さん」は道徳の守り手として、自我を持たず、自己を犠牲にし、子供に無償の愛を注ぐ存在でなければならない。
子供時代どころか、二児の母になった今でさえ、「お母さん」から逃げたい気持ちでいっぱいだ。そんな母性は幻想、お母さんだって人間です。
女同士で監視し、抑圧し合っている
堀越さんに話を聞いたのは、Twitter上で「ママ閉店」という言葉に賛否が巻き起こっていた直後のことだった。
妻がときどき「ママ閉店」と宣言して家事や育児をしなくなる、という男性の投稿に、「私もママ閉店したい」という共感と「育児放棄ではないか」といった批判の両方の反応があった。
「24時間365日、母親の役割であり続けるよう、誰かから監視されているような奇妙な空気を感じます」
堀越さんも、そんな息苦しさを感じているという。例えば、PTA活動。堀越さんは以前、PTA活動を負担だと感じるとTwitterでつぶやいたら、「子どものための活動なのに文句を言うな」などといった批判にさらされた。
「伝統的な家族観に基づいた『親学』を推進している人たちや、保守系思想の日本会議といったわかりやすい団体ではなく、普通のお母さん同士が監視し合い、抑圧し合っているのです」
「自己主張すると、それは『正しいお母さん』ではない、と叩かれる。"黙っていろ圧力"があると思います」
"黙っていろ圧力"は、どこから生まれてくるのか。
堀越さんは100を超える文献を調べるうちに、ある仮説にたどり着いた。
"黙っていろ圧力"の根源は、親になるよりも大人になるよりももっと前、子どもの頃に読み聞かせられた「物語文化」にあるのではないか、というものだ。
「無償の愛」「母の自己犠牲」が描かれている物語がたくさんあり、子どもたちは読書や番組視聴をする過程で、日常的にそれらに触れる。
『不道徳お母さん講座』では、「ごんぎつね」をはじめとする、教科書に載っている小説や、日本PTA全国協議会の「子どもに見せたい番組」の上位にあがった「まんが日本昔ばなし」などの物語をひもといている。
それらの痛快な分析は本書を読んでいただくとして、ただ、作品自体を否定しているのかというと、そういうわけでもないのだ。
ある作品が読み聞かせに向かないとしても、非を作品に求めるのはおかしい。絵本の読み聞かせによって問題が起きるとしたら、その問題は作品の質にではなく、強制力がはたらく場における読み聞かせそのものにあるはずだ。
堀越さんが問題視するのは、無償の愛や自己犠牲に「感動」することが正しいことだと教える国語の授業であり道徳であり、生活指導なのである。
不平不満を言わず、ひたすら家族に尽くす母親が、正しい母親。その無償の愛に感動して涙する子どもが、正しい子ども。学校教育はそう教え、当の母親たちがせっせと子どもたちに読み聞かせる。
家族は大事。それはそう。だけど二児の母としては、どのように家族を愛しているかを国にジャッジされ、正しい在り方を指示されるなんてまっぴらだ。
ゆるふわ感動ワードはエモいだけ
「母性は、多くの人の感情を掻き立てるエモーショナルなものです。父性にはそこまでエモさはないから、みんな母性を監視するのです。誰もが24時間365日、『正しいお母さん』でなければならない。ひとりの個人に戻ってはいけない。もはや信仰ですね」
無性の愛や自己犠牲には、合理性がない。堀越さんは「感動の価値が肥大化している」と表現する。
「こうした『ゆるふわ感動ワード』は信仰だから、ゴールはないんです。お母さんたちの自由を認め、子育てしやすい社会にするために感動の発信装置をぶち壊すくらいなら、信仰を守り抜いて人類が滅びたほうがいいくらいのレベルで布教されているのでは。経済合理性ではなく思想や感情を重視しているから、厄介なんです」
人文知で対抗する
しゃらくせーー!!!、「お母さん」だって血が流れている人間だ。あんたたちを感動させるために生きてるわけじゃないんだ!!!(すみません、筆者の私情が入りました)
強力な信仰にそうやって感情論で対抗しようとしても、流されてしまうのが関の山。どうやって立ち向かえばいいのだろう。
堀越さんは「人文知しかない。お母さんだからってなめるなよ」と戦闘態勢だ。
本書は、堀越さんが子育てで限られた時間の中で、図書館に通ったり資料を取り寄せたりして集めた、膨大な近代文学のキュレーション。
小説が子どもにとって「害悪」とされた時代から、望ましい児童文学の誕生。子ども向けの雑誌がどのように、大人にとって望ましい少年少女像を発信してきたか......。
PTAのなりたちを歴史的に解説した『PTAという国家装置』を書いた民俗学者の岩竹美加子さん(BuzzFeedでのインタビューはこちら)の論文を読み、掲載されていた参考文献を片っ端から国会図書館から取り寄せて読みあさった時期もあった。
不条理なことには、知識で対抗する。堀越さんのエネルギーの源は子ども時代にさかのぼる。
「私は、不道徳な読書が大好きだったのです」
小学生のころ、国語の成績は良かったのに、作文はからっきしダメで、修正のため居残りをさせられた。他の子たちのように適当に大人が好きそうなことを書けばよかったのだが、空気を読めなかった。
運動会の練習、スカートめくり、「みんな仲良くしましょう」というムチャぶりの道徳......。「小学生なんてやってられない!」と思ったときに、近所にあった大きな図書館に足が向かった。
子どもだましのキレイごとしか書いていない児童書より、大人向けの本が読みたかった。1階の児童書フロアを素通りして、2階の大人向けフロアで、「ワルい本を探すのが楽しみだった」。
「子ども向けの本には、女の人が耐え忍ぶことは尊いということが書いてあったけれど、おじさん向けの本だと、子どもから楽しいSF漫画を奪おうとしている悪いお母さんとして描かれていたりする。このギャップは一体、なんなんだと」
そこに違和感がある自分が、大人になったら道徳の守り手であるところの「お母さん」になるのか。いやだいやだ。いやなことはいやだと言っていいじゃないかーー。
押し付けられる鬱陶しさに
NHK「クローズアップ現代」で2018年4月23日に放送された「"道徳"が正式教科に 戸惑う先生・子どもは...」で取り上げられた、定番教材「お母さんのせいきゅう書」を使った道徳の授業。母親の無償の愛に感謝するという「大人の求める回答」をしなかった男の子が同級生から笑われるシーンがあり、物議を醸した。
道徳が教科化される前に、堀越さんの長女がこの教材を使って授業を受けたときには、子どもたちから容赦なくツッコミが入ったのだという。
「ふんわりした母性的なものを押し付けられる鬱陶しさを、薄々感じている人もいるのではないでしょうか? 母性幻想にはお母さんだけが苦しんでいるのではなく、それを内面化したお母さんによる押し付けも、子どもにとってはつらいこともあるのでは、と思います」
さらに、その指摘は母性幻想にとどまらない。私たちを取り巻く、さまざまな"黙っていろ圧力"にも通じる。
「例えば学校生活では、理不尽な校則であったり、スパルタな部活であったり。会社であれば、ブラックな働き方であったり、上下関係であったり。そういうことをいやだと思いながらも言えない人たちが、いやだと言うための武器にできるような本として、読んでもらえたらうれしいです」
歯を食いしばって耐えて苦しんで、その先にあるものは? 私たちはどんな物語を次の世代に教えたいだろうか。
BuzzFeed Japanは10月11日の国際ガールズ・デー(International Day of the Girl Child)にちなんで、2018年10月1日から12日まで、ジェンダーについて考え、自分らしく生きる人を応援する記事を集中的に発信します。「男らしさ」や「女らしさ」を超えて、誰もがなりたい自分をめざせるように、勇気づけるコンテンツを届けます。